18.5 その後
ヴァーミリアル大陸東部、ヴェルミ王国領内の港町――カルマン。
海賊の襲撃という事件が終わる中、吹き付ける潮風が彼らの後を追うように吹いた。
ニコラスは騒ぎに乗じて走り出した馬と男たちを見る。何を口に出せば正解なのか分からず迷っている間に、彼らは街から出て行った。
二度と彼らとは逢う事はない。心の中で何故かそう確信出来た。でも、もし次があるならば……。
己の弱さ、肉体以上に心の弱さを痛感した少年は静かに誓った。
そして、ニコラスは保護された少女の下へ歩みを寄せようと思った時だ。
「フィル!! あぁ……無事だったかい!?」
どこかで聞き覚えのある声だと思ったが、それはフィリーネの母親の声だった。
憲兵に連れられていた母親はすぐに駆け出し、娘を抱きしめた。母親はわんわんと泣き、娘も静かに瞳から滴が落ちた。
それを見て、ニコラスは足を止めた。自分にすべきことは別にあると気づいた少年は、声を掛けるのを止めにした。
父が亡くなったあの家庭を助けるためには、父である領主――ナディム子爵と話すしかないだろう。自身が仕出かした愚行と共に親と向き合う覚悟が湧いて出ていた。
遠目で抱き合う親子を見て少年は一つ、大人となった。
彼が成長し幾多の苦難を越え、多くの者と支え合う立派な施政者となるのは、また別の話……。
――――――
憲兵は遺体の処理などをある程度終え、船内の調査を開始した。
一応、中に捕まった人を救出した際に、海賊は捕縛あるいは力づくで黙らせた。
まだ船内のどこかに潜んでいる海賊がいてもおかしくないため武装はするが、取り回しの良い小刀などに留めておいた。
好き勝手に生活していたのか船内も交易した品も、汚れや傷が付いていた。生活した跡が汚らしく散らかって残っている。
無学でも価値が分かる金品などだけは別所に保管されていた。幾つかの資料や地図などもなくなっていたが、もしかして捨てたのかもしれない。
そうして尋問をする項目は増えていくが、滞りなく調査は進まっていった。
そんな中、船内の一画、特に変哲もない場所にそれはあった。そこに居合わせた兵たち三人はそれを見てから、顔を見合う。
「なんだこの遺体は?」
「わかりません、船に乗り込んで捕まった人たちを救出する際に既に倒れていて……彼らに殺されたのでしょうか?」
「いや……しかし、干乾びてるよな? 一体なぜ……?」
格好は、カルマンの船乗りだろう。人族の遺体なのだが、全身が痩せこけ、まるで何もかも栄養が吸われ痩せ細った木の根に見える。黒みがあり、出土されたミイラと相違が無く見える。うつ伏せに倒れ、口と目が大きく開いている。まるで何か怯え叫んだ末に絶命したかのようにも見える。
更に奇妙なのは服は真新しく、目立った汚れはない。吐しゃ物も血痕も付着してなければ、外傷もなさそうだ。首元に絞められたような痕もない。そのまま息絶えてしまったように感じた。
「船員たちと同じ服ですが……。おや? ナイフですかね」
何か持っていないかとポケットを漁ると、一本のナイフだけが出てくる。
「刃は……拭き取った跡があるが少し血が着いているな。……変だな、少し新しい」
「それも押収しとけ。しかし、あの海賊が持っていたはずの球が飛び出す武器はどこにやった? まさかあのユッグとかいう包帯男が奪ったのか?」
「いや、そのようには見えませんでしたが……」
「……はぁ、報告書に纏め上げるのも面倒だな。あれで被害を被ったのはユッグだけなら、無かったことにしてもバレないだろう。それにあの末端の海賊たちも、あの武器がよく分かっていないらしいじゃないか」
「そんな……! それはマズいっすよ!」
「あんな見た事のない武器を紛失した、その事実で罰せられるわ! 全員で口裏合わせれば問題ない……!」
戦闘が終わって気が付いたが、海賊船長が持っていた銃がこつ然と消えていたのだ。馬に轢かれた際に落としたとみられるが、どこにも見当たらない。誰しも敵の動きも、船長と包帯男の一騎打ちも固唾を飲んで見守っていた隙に誰かが持ち出したのだろうか。
はたまた馬が少年を乗せたまま荒らしまわった時に視線がそちらに注がれた隙に何者かが取ったのだろうか。
しばらく唸って考えていたが、答えが出ないと結論付けて、再び話題を目の前にいるミイラへと戻る。
「しかし、本当にこの遺体はなんなのか、尋問する必要はあるな」
水分が抜けきった乾燥した遺体の正体は、尋問の末、思いのほか早く判明したが、新たな謎が生まれた。
その男はつい最近海賊の一味になったばかりの新入りで、船長がいやに気に入っていた若者であった。
今回の襲撃の第一波として、船で働き始めた青年役を買って出た密偵でもあるこの男はナイフで船夫を刺した後、船内に戻り他の海賊たちが連れた奴隷候補の管理及び見定めをしていたはずであった。
海賊たちも何故彼が干乾びて死んでいるのか皆目見当がつかない。
――何が起きている?
不穏な空気を感じ取る中、兵たちはその遺体を船外へ運び出した。
――――――
居酒屋を兼ねている自宅に着くと、娘の手を握っていた母は心配をしていた。大事な夫が亡くなったが、彼女はまず愛娘が生きていた事を喜び抱きしめた。
ほんわりとした温もりを帯びた強い力で抱きしめられた娘は言う。
「おかあさん。私、少し疲れちゃったから。寝てて良い?」
生気がだいぶ失ったような虚ろな目をした娘を、静かに自室まで手を引いて運び、ベッドに寝かしつけた。
何かあれば呼ぶんだよ、と母親は優しく声を掛けて部屋をそっと出て行った。
ベッドの上で少しばかり天井を見つめていた少女は嘆息を吐いた。悲劇に対するものではなく、呆れに対するものであった。
「はぁー……やれやれ。せっかく人が手伝ったのに……。勝手に盛り上がって台無しにするなんて困った人ですねぇ」
少女の声音であるが、その中身が得体の知れない何かが混じっていた。
「全く、死ぬのは勝手でいいんですが。わざわざ船にいるなんて言うから脱出が非常に忙しかったですよ……銃も抜いてしまいますし」
起き上がり窓を開け放って空を見る。いつの間にか曇天となり、雨がポツポツと降り始めていた。
「まぁ、最近働きすぎでしたし、これを機にちょっと休暇としていいでしょう。せっかくの人生ですから」
軽い調子でベッドに再び横になるが、仰向けで腕を枕にして寝転がるのはおよそ少女がしない行動だろう。チラリと白い肢体が衣服から覗き、綺麗な脇も出していた。
「そういう訳で、しばらくはこの身体を使わせて貰うとしますか。よろしくです、フィリーネ」
――持ち主の女の子の心が既に壊れて眠っていたので助かりました。
邪悪な意思が暗躍する。この世界を崩すために伝播する毒が静かに広がっていた。
その悪意に気付いた者も僅かにいた。
遥か彼方――霊峰の上で地を睨むような眼差しで、龍の王が静観する。
だが、彼らは世界を守護する者であって、人を守護する者ではなかった。
おまけ(本編にそこそこ絡む予定)
次話は日曜日までには投稿します。




