40 潜むモノ
男は、元は狩人であった。
寒冷地の白く染まる山々にて、狩猟を生業とする青年であった。
男は地位や名誉などにこだわることもなく、ただ日に狩りをし、命に感謝しながら食って生きていく生活で満足だったのだ。
憧れのヒトも、甲斐性のない彼に世話を焼く幼馴染もいる。わりと充実した日々であった。
それも戦禍に巻き込まれる前までの話――。
公国との停戦はしたものの、小競り合いは続いていたのは知っていたが、自分たちとは関係のない話だとその頃は軽く考えていた。
ある日、徴兵が命じられた。
公国との国境から遠い田舎にまでだ。
皇帝の息子――双子の五男・六男が初の実戦で指揮を執る事となった。あくまで箔を付けるためだけの戦。補佐として次男と若くして既に軍人として頭角を現す三男までが付いてだ。
戦争という遠い話と思っていた事柄に直面し、不安はあったが、殆ど突っ立ってるだけで終わると聞き皆は安堵した。
そして、実際に前線で戦っている兵士たちには悪いがその通りであって彼も胸をなでおろした。
あとは村に帰り、のんびりとした日常を過ごす――そんな未来を、夢見ていた。
半年が過ぎやっと帰路へ就く。
のんびり屋の彼であったが、さすがに戦場の緊張から早く帰りたいと願い、ミラドゥの遅さにやきもきしていた。
ようやく村が見えてきた。
相変わらずこの大地は一色に染まっていて、懐かしさに零れた笑み……は次第に崩れていく。
帰って来て見た景色が未だに忘れられない。
体感気温が著しく下がった気がした。
頭の中が真っ白となる。
喪失に膝を突く者、手荷物を零す者、感情を迸らせ叫んでは現実を否定するために走り出す者。
降り頻る雪の白が村中を覆っていても、はっきりとわかる惨状が満ちていた。
黒く燃えカスとなった家々、破壊された跡。
鮮血は新雪に埋まるが、生々しく遺体は転がったまま。全て首が無くなっていた。
戻って来た仲間と一緒に、悪夢の中を走る。
一人でも生存者がいないか、何が起きたのか。
男たちは歩きづらい雪道となって久しい――通い慣れたはずの道を奔走したが、生存者は一人として見つからなかった。
男は勿論、女子供も老人までだ。
青年はやり場のない感情に任せて雪を蹴るつもりであった。
積もった雪の柱は崩れることがなく、中にある何かに当たった感触がした。
そこで青年はこの不自然な積もり方をしているオブジェの存在に気が付く。それまでは白く、景色に溶け込んでいた異物。
何だろうかと触れ、雪を掻いたのを後悔する事となる。知らなければよかった――いずれ知る運命だとわかっていても、何故自分が最初だったのかと呪わずにいられなかった。
掘り進めた手が止まった。
雪の中から出たものが信じられなかった。
見えたのは細い金の糸を思わせる束。
認めたくないと、震える手を働かせる。やめろと叫ぶ心の声と反して、必死に削っていき――。
碧い宝石のような瞳が見えた。
端整な作りの顔に尖った耳。
男は悲鳴を上げた。
その声を聞きつけ集まる仲間たちは、さらなる絶望に陥る破目となった。
ひっそりと溶け込む歪なオブジェの正体は、殺した村人の頭を重ね、雪で固めたものであった。
墓標と呼ぶより呪物と呼んだ方が相応しい。
誰が何のために、その浮かんだ問いに答えられる者は誰一人としていなかった。
しばらくして、男の家族と幼馴染とその家族のものまで見つかった。
豪雪で更なる捜索を中止し、ウマと積み荷をもって男たちは移動する。近隣の村も似たような被害を受けたらしく、さらにそこから移動を始め、何とか領主の元へ辿り着いた頃には、日を跨いでいた。
共に参戦した領主はすぐに疲弊していた村の面々を労るように支援をし、すぐさま帝都へ使いを送った。どうやらこの地は領主のお膝元であるからか被害を受けなかったようだ。
一週間が過ぎる前に、帝都から役人たちがやって来た。彼らの話によると一連の犯行は反皇帝を掲げる『レジスタンス』がやったものだという。
他にも帝国領地の様々な場所で、多発しているらしく、皇帝直下の憲兵も頭を悩ませているらしい。名を「ミスリルの目」。昔帝都で大規模なテロを敢行し、遂に罪のない領民にまで手を出した過激な思想家集団とは耳に届いていた。
男は、生きるための光を得た。
復讐だ。復讐しかない。
罪のない人々を殺して何が反皇帝か。
叛逆者風情が、何を掲げるというのだ。
正義と酔うなら教えてやらねばならない。
流れた血を無駄にしないためにも――。
己の運命を知らぬまま、流されていく。
否、薄々と勘付いているからこそ避けたかったに違いない。地表から飛び出た透明なシェルターのようなガラス玉を見やり、立花颯汰は気付かれぬようにそっぽ向いて小さく溜息を吐いた。
もはや観念したかのように座席に座り、小さく揺られる。この国の最高権力者の末娘の存在を命令ごと無視したいところだが、そうもいかない。
彼女が妙に饒舌で颯汰に語るガラッシア自慢を、半ば聞き流す形で曖昧に返事をする。
本来の彼であれば、興味がなくとも聴きに徹する時は、それなりの反応を示し、万が一でも相手の怒りを買うような態度を出さぬ。だがどうにもイリーナに対しては冷ややかである、と気付いたのはこの中でほんの少数であった。
上流階級の世間知らずの少女たちは、それこそ乗り物酔いや緊張しているゆえのぶっきら棒さと思い込んでいるようだが、違う。
いくら皇族であろうと、可憐な少女であろうと関係なく――颯汰はこの手の女が嫌いなのだ。不貞腐れて見えたのも、単に嫌悪しているゆえだ。
自分に好意が向けられているのは思春期特有の悲しい勘違いではない。相手の少女が恋に恋する多感な時期ゆえの暴走だろうか。
イリーナとのファーストコンタクトが最悪であったが、嫌悪については彼女から生じたというより、過去の――立花颯汰少年が普通の子どもであった頃から由来する。
『イジメを行った主犯格の女がクラスカースト・トップの男に対しては媚びッ媚びな態度を取るの許せねえ』という、一部のお兄様お姉様から「男として器量がない」とか「モテないから恋愛ごとを見ると苛つくんだろ」と罵られるかもしれない、これが理由である。
基本的に陰の者でありながら陽の者とも卒なくつるむことができた彼にとって、媚びを売ることは何も悪いことではない。彼自身はさしてその能力が秀でていた訳ではないからこそ、世渡りの術としては認めてはいた。が、実際目の前で他人を踏みつけておいて、自分だけが良い思いをする輩にはどうしても嫌悪感を抱かずにいられなかった。中高と進学していくにつれ、隠す能力は上がったものの、受け入れられは、到底しなかったのだ。それでも傍観者は笑う。曖昧な顔ではなく、慣れて上達した作り笑いで。その矛先が自分に向けられる日まで――。
幼体化した影響か、精神年齢まで年相応とまではいかないまでも、自分がその対象となって経験値不足から上手く立ち回れず、隠しきれていない。ただ苛烈なまでに相手を排除したいと願うまで嫌悪を表には出さずにいたのは双方にとって良かったと言える。
ただこのままではどこかで取り返しのつかない亀裂が走るやもしれないと内心ヒヤヒヤしていたのは、帝国へ導いた要因たる裏切りの暗殺者――レライエであった。
口を挟むことはできなかったが、僅かな逡巡と泳ぐ視線、曖昧な波を打つ唇がどうすべきかを考えあぐねていたと様子から察することができた。
下手に刺激しない方が吉という判断は正しく、話しかけられる颯汰のヘイトゲージ的なものを貯める代わりに、自分たちの目的を秘したまま、帝都ガラッシアに入ることとなる。
水晶玉の入口に少し列となっていた。当たり前だが検問があり、念入りな検査が執り行われていた。颯汰一行の他にもガラッシアへ入ろうとする荷馬車が幾つかあり、地方の貴族から学徒、商人のキャラバンなど馬車は十数台程度はあった。
偽装した入国許可証が通り、荷物の簡易検査が行われた。イリーナがいる件に検問を執り行う仕官たちは驚き、固まっていた。願わくば彼女だけ保護して連れて行ってくれと颯汰は祈ったが、どこぞの王女よりも遥かにワガママ全開で押し通るのであった。
「この国の皇女がここにいて何が悪いの?」「小市民の分際で、口出しとは生意気ね」「お父様に言ったら、一族ごと路頭どころか外でさ迷うことになるわ」などと酷い暴君っぷりを発揮し、兵は青ざめつつ、上官へと報告しに駆けて行った。
その後に、抜けた先の検問所にて本格的な検問を開始する。男女に別れ、隅から隅まで調べるのだという。
女性陣と別れる。大人代表がウェパルなのでかなり心配ではあった。後に聞いた話であるが、皇女イリーナが口添えをして殆ど顔パスで通ったらしい。女性検問官も、ほとほと困り果てていただろう。そうとは知らず、一人一人細かく検査するという事で、
――これリズやアシュはマズいのでは……?
颯汰は少女たちを心配していた。
しかしもう止める手段もない。マナ教の戒律で喋ることを禁じているなどそういったものを、先んじてでっち上げていればよかったと後悔しても仕方がない。
空港の手荷物検査みたいに、危険物を所持していないかのチェックが始まる。
颯汰たちと御者の老人――男は男で別れて検問所の廊下を進む。待機する場所で列に並んだ。
護身用の武具等も事前に提出して預け、帝都内への持ち込みは禁じられた。ガラッシアから出る際に、渡された書面を返すことで預けた武器は返却される。ただ商人などの為に積荷を守護する役割を担う兵卒が護衛に付けることが可能のようだ。おそらく国外の者には有償なのだろう。
二人ずつ室に招かれ、検査を始まる。親子は同性ならばセットだが、大人たちは別のグループから(基本的に列順で)もう一人を選出し、検査を開始する。万が一賊が仲間と一緒に検問官を殺して強行突破などを起こさせないための処置だ。許可書の文面をそのまま信じる辺り詰めは甘い。
レライエと商人の男が呼ばれる。レライエは部屋に入る前にそっと紅蓮と颯汰へ言う。
「お二人さん、くれぐれも注意してくれよ。入る前に騒ぎを起こしちゃあ台無しだから」
返事を待たずに彼は招かれた部屋に入る。その時、レライエがこっそり金を渡しているのが見えた。賄賂を受け取った事すら罪だが、いざという時は命を優先するはずだから、裏切られる要因となるのではと心配に思いながらも、次は紅蓮の魔王、次いで颯汰の番となった。
子どもの番ということで、もう一人も子どもが列の中から選ばれて一緒に入ることとなる。子どもにまで手を抜かないのが当たり前なのか、これもエドアルトなる剣士の告げ口のせいか判断はできない。一緒に入った少年はたまたま上京してきた学生らしく、寮生活ではなく祖父母と共に住むことを選んだとか。正直どうでもいい情報であった。
再び許可証のチェックが入る。
レライエの賄賂の効果なのか、元より杜撰な態勢なのか、とんとん拍子に検査が始まる。
ボディチェックもやるが、ほとんど流れ作業で少しテキトーに思えたくらいだ。
ちなみにシロすけは――チラリと見た天井に張りついていた。颯汰の背にずっと張りついていた訳ではない。馬車から降りる際にミラドゥに飛び乗り隙を見て、爬虫類の如く天井を這い、先んじて部屋に侵入していた。
後は奥の扉に通される時にシロすけと合流すれば、無事に仲間たちと一緒に帝都入りとなる。
慎重に立ち回れば騒ぎなど起きようはずもない。むしろアシュなど他の子たちが心配だ。何かしでかしれないかと焦燥感が募る。唯一の解消法は無事に合流することだけだ。
トラブルが起こるとすれば外的要因でしかあり得ない。それらを全て見て見ぬふりをすればいい。例えばそこの上京してきた獣刃族の少年が何かしら仕官に因縁を付けられようが、急な爆発が起きようが、黙って見過ごすべきだ。
自分ひとりの命なら勝手な行動が取れるが、迅速に入山許可証を手に入れ、霊山の麓へ向かうことを最優先にすべきなのだ。
皇女はおそらく、帝都にいる間はついて来ようとするが、それこそ憲兵に密告でもすれば、保護に動くはずだ。と遠ざける案を考えていた。その時である。
それは、突然やって来た。
静謐な物腰から想像もできない妄執と獰猛さを携えた女――鋼のような堅き意志で己が欲に愚直に従う魔性の女。頬を染め、息を切らし、曇った眼で獲物を捉える。
それは明らかなトラブルの外的要因であった。




