38 雪原を往く
ゆったりと揺れる馬車。
時折、幌の隙間からひんやりとした風が入り、着込んでいても寒さが身に染みる。
中は割と賑やかであった。
少女たちは楽しそうに会話し、神父は世間話のついでにマナ教の教えを御者に語り、一行は目的地へひた進む。馬車は普段ガラガラと音を鳴らし、揺れもそこそこあったはずだが、今やどちらもほぼ最小限に留めている。理由は馬車の速度があまりにも緩慢であったから。
そんな馬車の中で立花颯汰は横になっていた。
だいたいは座席でうつらうつらしているか、横なって寝入っているかの二つに一つであるため、これも慣れた光景である。リズもアスタルテも空気を読めてきちんと配慮ができる良い子でもあり、遠慮がちな性分ゆえに寝入る彼を無理して起こすような真似をしない。
王女の方も学習し、基本的に話しかけても無駄だと理解していた。ただ今回ばかりは普段通りではない――共に旅をしていた仲間だからその些細な変化を機敏に察知できたと彼女は誇らし気に、内心では胸を張りつつも苦言を呈する。
「もう。決まった事だと言うのに」
ヒルデブルクが呆れてものを言う。
この男に限った話ではないが、不貞腐れると人間だれしも面倒くさい存在となってしまう。
「…………」
まさかまさかの隣国の王女に対して無視を決め込み、壁の方を向いて不貞寝を実行したではないか。これにはさすがのリズもレライエも苦笑い。
ただ偽りとはいえ姉ムーブをしていたせいか、王女は“お姉さん”として寛大な心で弟の非礼を責めず、溜息を吐いて肩をすくめるだけに止めた。「あぁ、だめですわね。これは」と。
その行為を咎めようとした者もいたが、
「見えてきましたぞ~」
御者の老人が振り返り叫んだ。
ミラドゥが二頭、並んで牽引する馬車はかなり大きなものであった。大人がいても全員が余裕で乗れるくらいに広さがあった。座席もきちんとある中、独りだけ隅で横になっていた。
大きく毛むくじゃらのミラドゥは雪の大地を踏みしめながら進む。その脚で街道から多少外れても突き進むことが可能だ。とはいえ、やはりウマで牽引して貰った方が遥かに早く着いたに違いないだろう。――彼らが目指していたこの場所に。
雪原から起伏の激しい道をゆらりと進んできて、それは突如現れたように映る。
子どもたちとウェパルが立ち上がったのを、音と振動で颯汰は感じ取った。幕が開けられ前の方から冴々とした空気が入り込んでくる。寒さにぶるっと身震いをしてから、ついに着いてしまったのか、と颯汰は身体を起こし、不満げな顔のまま外を見やる。すると――
「……!」
調子が悪く不機嫌そうな顔が変化する。
ネボケマナコもドカンとあいちゃう衝撃を受けるに相応しい異型。そう、都市としてはまさに異型と表現するのが正しく思える外観であった。
「まぁ……」
「ほぇ~……」
「すごーい……」
「なっ、……――」
馬車から顔を出し、都を見つめる。
御者の老人がホッホッホと笑ってから、
「あれこそがニヴァリス帝国最大の都、ガラッシアじゃよ」
極寒の北方にある帝国。その首都である。
ニヴァリスは近隣の国々を手中に治め、ついに東の公国・シルヴィアにまで支配の手を伸ばさんとしていた。構図的には南のヴェルミとアンバードの関係に似てはいるが、豊富な資源と広大な土地、寒さに独自の文化と、ありとあらゆるものが違う。そしてそれを顕著に感じさせるのはこの建造物、用いられている技術からハッキリと感じさせた。その首都の外観から驚くに値するものだ。
「――あれは、……スノードーム、か?」
一度、言葉を詰まらせた颯汰は現れた奇怪なオブジェを、その見た目から想起させる呼称を口にした。
スノーグローブとも呼ばれるもの。冬の景色を再現したミニチュアの置物が一般的だろうか。透明な球状の容器の中に、ミニチュアの建造物などを思うがままに配置する。さらに透明な水や液体のりを混ぜたものなどで満たし、雪に見立てた白いパウダーを入れることで、あたかもその時間が凍り付いた景色に、雪だけはシンシンと降り注いでいるように見えるのだ。
颯汰は街の全貌を把握したわけではない。
だが、外の景色とその巨大な都市を包む透明な球からそう連想させたのだ。
美しき世界の、刹那を切り取り永遠とする写真とはまた違う趣き。時が止まった理想の空間を作り、その中で流動するものだけが過去ではなく『今』を現し続けるのがスノードームの魅力だろう。黒い空間に金や銀の粒子が煌めく“宇宙”。雪ではなく小さな桜の花弁が舞う“春”。岩場や海の生物などのミニチュアを置いた“海底”など、ガラス玉に閉じられた世界はアイディア次第で無限に可能性が拡がるのである。
スノードームと形容したものの、実際中の様子がよくわからない。聳えるそれらは確かに透明ではあるが、中が薄っすらと靄がかかっているようでハッキリとは見えない。揺らめく白煙、あるいは霧がボールの中を満たしているように見える。
本当に都市なのか一瞬疑わしく思える。単に白く煙る水晶玉が置いてあるだけなのではと。
障壁が都市全体を覆っているのは間違いない。
ガラス玉が地面から生えているように見えた。
現在地から距離は十数クルスはあるが、それでも巨大だとわかる。
降り頻る雪が障壁の上に積もらず、するりと滑り落ちていく。この都市を包むこれは形状からシェルターの役割を担っているのだろうか。
よく見るとドームにも門があるのがわかる。そこは金属の扉――金色ではあるがさすがに本物の金を使用してはいないだろうが、非常に豪奢な造りとなっている。おそらくこの結界は他にも出入口があるに違いない。
――これ捕まると、簡単に抜け出せないのでは
颯汰はどんどん近づいて大きく見える外壁とドーム状の障壁を見て悲観的に思う。
直感が帝都入りは危険だと判断していた。
最初はわずかであったが、その予感がどんどん強まっていくのを感じた。
エドアルトなる剣士が先にガラッシアに入ったのは間違いない。どこかに潜んでいる(?)魔王の動向もわからない。ゆえに最悪の事態を想像するに至る。氷の仮面を操る魔王が、もしも現ニヴァリスの皇帝・ヴラドその人であるならば、わざわざ敵地に足を踏み入れる事となる。罠を張っている可能性は否めない。……考えすぎ、臆病な位が丁度いい世界である。
だからガラッシアに行かず、どこか手頃な場所に待機してレライエに入山許可証を全員分用意させればいいだろうと考えていた。何か面倒なことが起きてからだと遅い。
仲間との話し合いをした時、身の危険もあるため、概ねは同意してくれた。王女は不満を垂れて、吸血鬼女は「ガラッシアで二十年に一度の祭りが行われる」という情報を掴んで煽動を始めたが、危険だと訴えた甲斐があってレライエを単独で行かせる案で決まった。レライエはいつもの調子で「おじさん独りで寂しいな~」などと、半ば嫌そうにだが不敵な笑みを浮かべながら仕方がないと納得してくれた。お祭りというイベントを前にして、アスタルテとシロすけには悪いが危機回避のために我慢してもらうしかない。そう決めていた。生命の危険を考えたら帝都に行かないことこそが最善の選択であると。
「ふっふっふ」
「……」
であったにも関わらず、急遽予定が変わった原因を颯汰は冷たい目で見やる。当人は全く気づかず胸を張って自慢げに言った。
「ここが世界最高の都市! ニヴァリスが誇る華! ガラッシアよ! どう? 驚いたかしら、ヒルベルト!」
颯汰の隣にいていいはずがない少女がいた。
それどころか聞こえないふりをして再び元の位置で横になり始めた。ムスッとした少女はうつ伏せになった背中に乗り出した。さすがに馬乗りではなく椅子のようにしてであるが。
「ぐえっ」
「……なによそのリアクションは」
いくら少女とはいえ、遠慮ない全体重のプレスは苦悶の声が出てしまうのは仕方がない。
「ヒルベルト。レディに向かってなんですその態度は」
「ただのレディじゃないわよお姉様。ロイヤル、レディ――なのよ!」
「うふふ。これはとんだ御無礼を」
偽姉のヒルダを演じる王女と、それに気づかぬ少女は大変仲睦まじい様子であった。
――なんでこんなにすぐ仲良くなってるんだろ
うへぇ、と心底辟易したように舌を出すが見られぬように壁に向かってやっていた。臆病者でもあるけれど、自ら着火して爆炎に呑まれることはないのでこれが正解ではある。顔にも態度にも出さないのが真に大人というものであるのだが。
もうこの少女が誰なのかはお気づきだろう。
ニヴァリス帝国の支配者たる皇族の末娘――第四皇女のイリーナである。
「いいのよお姉様は。問題はこの男! なにその態度。本当、ムカツク……! こっち! 向き、なさい、よ!」
「いや、マジで、勘弁、してください……」
起き上がったイリーナに肩や腰を掴まれ引っ張られるが、颯汰は全力で抵抗する。
近づかれたから背中に張り付いていたシロすけが、颯汰の頭の方へ移動して揺られた。一種の遊具のつもりなのか、すぐにその状況を楽しんでいた。一方で当人たちはそれどころではない。
「なんなのお前は。……わ、私のことが嫌だと言うの!?」
自分で言っていて悲しくなったように涙目で抗議する皇女に対し、大人気なくまた珍しく隠そうともせず言いのけようとするものだから、
「う、――んんんん痛い!」
言い切る前に尻尾が顔面を殴打する、バシィインと大きな音が鳴った。あまり人界の物事に興味はなさそうに自由気ままに生きる竜種の子どもですら、さすがにこの皇女が気の毒と思ってか、あるいはここに来てもう引き返すことはできないと言うのにまだごねるのかと言う訴えか。それともただ単に祭りを楽しみたいだけか。
攻撃を加えたシロすけは翼を広げ、リズの肩へするりと飛び乗った。
まだ答えを待っている皇女に対し、颯汰は少しだけ上体を起こして頭を下げた。
「あーすいません、乗り物酔いなんで」
しれっと嘘をつく。苦しいふりをしているがこの速度から揺れも少なく、彼でも酔わない。契約者として繋がりのあるものたちは気づいている。が、あえて口を挟まないでいた。
アスタルテは喋ればボロが出るので極力皇女の前で無言となり、ウェパルは本当に酔ったのだと思い込んでいて、心配そうに声を掛ける。
「だいじょーぶ? お薬いるー?」
「いい。着くまで寝てます」
「……そう」
皇女の暗い顔に一切の罪悪感を覚えず、関るなと言わんばかりに横になった。
それを見て、もう一人勘違いをしている……ヒルデブルク王女はまた溜息を吐いた。
「…………もう」
ヒルデブルクは颯汰が帝都に行くことを反対していたから、今の状況が面白くないと拗ねていると思い込んでいた。
テュシアーから出発した颯汰一行は、別れを惜しむ多くの声に応えて手を振った。早朝だというのに、やはり農民である彼らは既に活動時間であったため、一部を除いて見送りに来ていた。皇女の姿は無いことに何の疑いも持たなかった。
そうして半日が過ぎたところで、音が響いたのだ。
小さな小さな腹虫に聞こえた。
誰もが固まり、目を見合わせ、自分ではないと首を振る。颯汰は嫌な予感で顔が引き攣り、不安げな女性陣を余所に紅蓮の魔王は薄く笑った。
後部に置いた荷物――食糧だけではなく、雪山に挑むための装備類、ついでに帝都へ輸送する積荷があった。後で聞いた話だが、皇女の命令でもたらされた木箱であり、中を決して覗くなとも念を押されたものだ。
怪しい木箱を颯汰が開ける。
中を見た瞬間、凍り付く。
しばしの間の後、そっと蓋を閉じて、木箱の上の部分に両手を置いて屈み、項垂れてしまった。
立ち上がり、中から出てきたのは勿論イリーナだ。積荷に隠れて密行するのがこの世界のトレンドなのかと自身を棚に上げて批判することはできない颯汰は、頭を押さえるしかなかった。
羞恥で顔が赤いまま威嚇するように目がキッと鋭くなったイリーナであったが、颯汰たちに懸念が過る。村を出てから、これからについても話し合いもしていたのだ。御者に気づかれぬように小声であったが、万が一ということもある。ただの巡礼に来たマナ教という体であるのに、それを偽っていたと知られると面倒な事となるのは明白だ。
このまま箱に詰めて見なかった事にするという訳にもいかない。ともかく慎重に、イリーナの目的を問うのだった。
『帝都に行くなら私も連れて行きなさい』
そう彼女は言った。
彼女の口ぶりからすると、執事の老人宛に置手紙を書いただけで勝手について来たようだ。また長時間箱の中で眠っていたため此方の真の目的や偽名については何も知らぬようでもあった。こっちは帝都に用事はあるものの、全員で往くつもりはない。とはいえそんな義理はないと突っ撥ねる訳にもいかない。今から村へ戻るべきかと思ったが、『そんなことをしたらタダでは済まないから! アンタ達に拉致されたってお兄様たちに言いつけてやるんだからっ!』『期待しなさい。ガラッシアは良いところよ。この皇女自らが案内してあげるんだから光栄に思うといいわ!』
颯汰は心の底から溜息を吐いた。
自分たちは帝都に入るつもりはないと言ってみたが、『私、独りで行けですって? ふざけてるの? ――あぁ、そう。安心なさい。お金は持ってるし、私の顔パスである程度は自由にできるはずだから。それにせっかく祭りがあるんだから参加しなきゃ損よ』
宿代が無いと勘違いしているのか、勝手に納得し始めた皇女。あなたと一緒にいることが憲兵やらに確実に目を付けられるから避けたいのだが、そうも本人に伝えられるはずもなく――結局ガラッシアについてしまった。
(活動報告でも書きましたが怪我をして投稿遅れました。また次話も遅れるやもしれません)




