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Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~  作者: キリシマのミナト
氷の女帝と狂える巨神
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37 接触

 その情景は生涯忘れることはないだろう。

 吐く息はまだ白いアルゲンエウスの夏の日。立ち並ぶ木々の隙間を縫って歩く男女を追った。

 最初は、からかうつもりで――葉っぱに向かって投石し、葉と枝に堆積した白雪を思いっきり被ってもらおうと考えていたのだ。万が一でも大怪我や事故、最悪の事態にまではならないと、ずっとここに住んでいる経験から……、いや、そこまで深く物事を考えてはいなかった。悪戯のつもりであったし、できれば本当にここからすぐにでも去ってほしいという気持ちがあった。

 ゆっくりと息を殺し、雪を踏む足音を立てぬように細心の注意を払い、近づいた時である。


「ここら辺でいいか」


 雪を踏みしめた脚が一瞬だけ重くなる。急に立ち止まり出すから、慌てて木陰へと隠れた。

 男の声に女は返答はしなかったがきっと頷きはしたのだろう。

 荒い、女の息遣いが林木の中に木霊する。

 雪が積もり根までが埋まった木々の一本を背に、苦しそうに女は座り込んでいた。

 その艶やかなる呼吸に、身体がこわばった。

 なにか尋常じゃない空気感と、どこか妖しげな――言うなれば破ってはならぬ禁忌を思わせた。理由を問うても曖昧な返答や頭ごなしに叱られ、触れてはならぬと堅く禁じられたようなものを。

 いずれ分かる、じゃなくて“今、知りたい”のだという願いは、大人に届くことはなかった。

 そのようなものを感じさせ予期させたのは、間違いなく彼女の苦悶に満ちた声からである。

 なにかが始まる。

 なにか、見てはいけないものが。

 まだ、見ては、いけないものが。

 それが、終始どういった行為なのかはこんな若造にわかるはずがない。

 男は左手を女の前に突き出す。その背から表情は何一つ窺えない。

 女の頬は熱を出したかのように赤く、苦しそうにしながら、羽織る外套の中の上着の裾を掴み、そっと持ち上げる。

 あらわになる肌。柔らかなライン。肌は滑らかできめ細かい。寒さで着込むことが基本である永久凍土の外ではまず見かけないへそというワンポイントのアクセント。それに視線が吸い寄せられた。さらに、引きつけるものが映り込む。腹部と同じ色の柔らかくあでやかで、弾力のある瑞々しい果実が僅かに露出したのだ。

 男にはないもの。豊かで形のよいふたつ。

 その全貌までは明らかにならなかったというのに、それを見た瞬間、辺りの音が耳に入らなくなった。心音が異常なほど高まり、塗りつぶしていたと知るのはだいぶ後、冷静になれた時である。

 見てはいけないもの。

 理由は説明されていない、忌避感があるもの。

 なのに、目が離せない。

 自然と身体が熱くなり、彼女と同様に、寒空の下で汗が滲んできた。

 喉が鳴る。次第に荒くなる息を手で押さえる。

 汗ばむ額に当たる風の冷たさなぞも感じない。

 後少しで、捲り上げた上着の下から隠されたすべてが明らかになるのだ。

 秘匿されるべき、身近な謎。絶対に持たざるモノゆえに求めて止まないのだろうか。

 なのに、あの男は……――。

 突き出した手が、女の胸に向かっている。

 いとも容易たやすく、手を伸ばす。

 言いようのない、感情が暴れ出す。


「ぁ、あぁ……」


 押さえた手から言葉にならない声が漏れ出る。

 あと数メルカンで触れるという距離。

 触れる。

 触れる。

 そんな瞬間であった。

 ふっ、と身体に力が抜ける。

 身を凍らせた呪縛から解き放たれたと知る前に身体は動き出した。その光景から視線を逸らし、一目散で逃げ出したのだ。

 必死だった。

 巷で噂となってる人攫ひとさらいにでも追いかけられたわけでもないというのに、さらに考えてみればあんなに音を立てて走っては気づかれてもおかしくなかった。

 森から戻り、広場へたどり着く。

 息を切らして膝に手を置いて、仲間の元に戻った。

 掛けられた言葉が耳に入ってこない。

 あれは、なんだったのか。

 この胸に湧き出た感情の正体は。

 わからない。

 わからない。

 わからない、……ふりをしていたと気づく。

 否、気づいていた。認めたくなかっただけだ。

 あの時、味わった重く苦い感情。

 その変遷を――。


「おい、大丈夫か?」


 周りが心配するほど、放心していたらしい。

 現実に引き戻されたが、まだ熱は治まらない。

 程なくして、あの二人が戻ってくる。様子から窺うに、幸い、あの男女二人は尾行にも気づかなかったようだ。

 周りの者が、離れていく。

 戻ってきたあの二人の内、男は謂わばヒーローだ。

 一躍、時のヒトとなった。

 皆が賞賛し、ヒトを惹き付けて止まない。

 遅れて、取り残された僕は歩いて彼らに近づいていく。

 すでに人集りとなった群衆へ臨む。足取りは重い。だけど、強く握った拳は決意と共に赤くなっていた。

 道を進む。

 整備されているという程には無いにしろ、普段は河川から水を汲むポイントとして活用している場所ゆえに、積もる雪は丁寧に掻かれていて、村の中と同様に歩きやすかった。にも関わらず、先に歩く少年は疲弊した顔を隠せないでいた。


 ――あぁ、しんど……


 立花颯汰が吐いた溜息は白く、溜まった疲労なんかが込められていると容易に窺える。

 彼の頭に浮かぶ様々な、解決すべき問題と自身では解決ができない難問などが過る。

 今後の方針については後で話し合うとして、とくに今は、面倒な視線についてが悩ましい。

 少しの間だけ我慢すればいいような内容なのだが、そういった視線の正体はわかっても実際に向けられるのは慣れていなかった。

 少年の方からは嫉妬に近いものを感じた。

 マルクを虐めていた中で、もっとも皇女に心酔していた忠犬のようなレナート少年からだ。

 そういった手合いはいつ見ても、慣れない。

 権力のあるものに巻かれること自体は世渡りとしては有ると理解している。だが、損得を抜きにして、自分のすべてを捧げんとする献身さは、まったく合理的ではないと思うゆえだろうか、と颯汰は分析していた。

 颯汰は自分自身、そういった感情を素直に表現できないから疎ましく感じているとは気づいていない。わだかまる想いによって、口がへの字に曲がったまま、次は別の人を思い浮かべる。

 ニヴァリス帝国の第四皇女・イリーナ。

 朝から宿屋に突撃してきたのも驚いたが、広場で遊んでる時もずっと視線を感じていた。

 イリーナはこちらを観察してきている。

 彼女が“魔王”の使い――そういった能力や魔法があるかは知らないが、無意識に彼女を操り、観察した情報を取得している、あるいは彼女自身の意思で、怪しいと断じて近づいているやもしれない。……とまではさすがに考えすぎと思うが、相手が幼児と油断はできない。極力怪しまれないように立ち回ったつもりであった。

 あとは思春期特有の勘違いの可能性。これは除外した方がいい、と経験から断ずる。そう思いつつも、やはり多少は意識せざるを得ないのが男の悲しいサガというものであろう。

 雪合戦も疲れたという理由で断ろうとしたが、皇女の命令により却下されてしまう。彼女の臣下でもニヴァリス国民でもないため、法の拘束力はないものの、逆らって得にはならないため従うしかない。皇女陣営に何故か自分と数名だけという前回と似たようで編制で戦わされた。決定的に違うのは、村の女の子が王の役で、皇女が颯汰のすぐ近くにいるという配置だろうか。

 ヒルデブルクも、ましてや普通の村の子たちが恐れ多くも本物の皇族に雪など投げつけられるわけがないため実質無敵なのだが、颯汰を狙う流れ弾が当たるかもしれないため、イリーナを振り切ろうとはできなかった。近くで弾いた方が安全であったし飛んでくる雪玉も少なくて済むと後に気づく。

 本来は現れるはずもない熊の魔物・ポルミスが出たから閉じられるはずの広場を解放したのも、もしかすると彼女の命令でそうなったのかもしれない。目的が不明だが、これ以上ボロを出さぬようにしなければならなかった。 


 森の中へと足を踏み入れる。

 傘代わりとならず、木々の下に積もる雪は膝下まで達するほどだ。雪国育ちではあるものの、気を抜けば簡単に雪に足を取られる。昨日踏んで出来た溝に足を入れて進みつつ、注意しながら手を引いていく。

 手を引かれたアスタルテの顔色の方が深刻であったと言える。

 竜魔族ドラクルードには特殊個体がいる。祖なる竜種ドラゴンの特徴が色濃く発現してしまう、名を“継竜”。

 端的に言えば、体内魔力オドを使ってその肉体を一時的に先祖返りさせ、強化する。

 竜魔の少女アスタルテは心臓が竜と同等の機能を有してしまっていた。すなわち、彼女の心臓は無尽蔵に魔力を生み出す。魔力を消費して、消費した量以上の魔力を得てしまうのだ。

 稀に発現する強大すぎる才能ではあるが、大抵は小さな子どもの内に制御できるようになるはずであった。体内に貯蔵できる魔力量が特別大きい魔人族メイジスではないので、暴走する前にエネルギー切れを起こし、そうして学習し身に着けるのだ。だが彼女はガス欠を起こすことなく、無尽のエネルギーを得て止まることを知らず、制御ができないまま今に至る。心臓自体のサイズはあくまで人並みであり、他の器官がヒトのままである内は、周囲が異界化するような心配はない。

 問題は、溢れる魔力が身体に悪影響を及ぼしてしまうことである。濃密な魔力は消費する先がなければ害となるのだ。放っておけば飽和した魔力が各器官に甚大なダメージを負わせるのは時間の問題であった。ただ体調の変化に伴う痛みと苦しみを感じつつ死を迎えるしかなくなる。普通はどうすることもできない。

 魔人族メイジスのように魔術の徒であるならば、魔法を放って体内の魔力を消費できるが、あいにく彼女は混血ではない。

 その力を御する術も知恵も持たない。

 まさに絶対絶命、逃れられぬ死の病であった(、、、)

 彼女の場合、さらに何らかの要因で体組織が変化してしまう。凄まじい痛みと共に動悸が激しくなり、異形としか呼べぬモノへ姿が変わってしまう。さらに進むと先祖返り染みた特性が出て、醜いオオトカゲとなってしまうのだ。性質的には他の継竜と似ているが、彼女の母であるアナトは何か別のものと見ていたようだ。死から逃れられるが、単なる延命措置に過ぎない。人間性が喪失した後に、耐え難い痛みと変化は続く。

 ゆえにどうにか魔力を逃がすしかない。

 自力ではどうにかできず、さらに通常の魔力を他人が受け取る場合は拒絶反応で死んでしまうが――。


「ここら辺でいいか」


 少し進んだところで言う。

 彼女を救う唯一の手段がある。

 苦しそうな顔をしたアスタルテが、外套を止めたボタンを外し、着ていた上着の裾を掴む。

 肌に直接、触れなければならない。

 腹部より少し上まで持ち上げて見せる。

 極めて冷静を装い、颯汰は屈んで手を伸ばす。


「平常心、平常心……」


 心に出していたはずの声が漏れ出る。

 そうして彼女の心臓のある、胸部まであと僅かな距離まで詰めて、


「ファング、やれ」


 己が左腕に命じる。湧き出た瘴気がアスタルテの胸目掛けて飛散した。

 渦巻く砂鉄の乱気流――黒煙の如きそれが少女の中へすり抜けていき、颯汰は魔力を受け取る。

 他者の魔力で拒絶反応など物ともせず、己のエネルギーへと変える“獣”の力だ。


「…………ふぅ」


 流れる粒子は反転し、颯汰の下へ戻り切る。

 十を数える前に、すぐに処置が完了した。

 特にこの作業について疲れやしないのだが、少しばかり目のやり場が悪いうえに生命に関わることであるから緊張してしまう。


「大丈夫か?」


 颯汰が苦悶していたアスタルテに問いかける。

 見上げる瞳。荒い呼吸は少しだけ納まったが、彼女は答えず笑顔を見せた。すぐに本調子に戻るわけがない。だが、彼女の幼い頃に止まっていた心はつい最近になって動き始めたのである。遊びたい盛りなのだと保護者としてもよくわかっていた。だから颯汰は「無理はするなよ」と優しく声をかけるだけに留め、彼女に手を差し伸べた。

 手を繋いだまま、今度は並んで帰る。

 颯汰は広場へ戻ったあとは仮病でも使おうかと考えているが、アスタルテなどの目を見て断れず、遊ぶこととなるのは間違いない。

 広場へ戻ると、ワッと子どもたちが囲い込み始める。慣れぬ鬱陶しさに辟易しつつも、彼らが純粋にアスタルテを心配していたとは声と表情から疑う余地がない。

 皇女が繋いだ手を割り込み始めたり、次いでリズが割り込み、他の子どもたち――マルク、ラマン、アンナ、ヤーナ、レイラ、ルカ、悪乗りする青年イサイなどなども、何故か真似して変な遊びを始めて困っていた時である。

 集まって来なかったただ一人の気配を――尋常じゃない空気を出していると気づく。

 颯汰や他のたまたま目に入った者の視線から全員が彼に注目した。


「レナート?」


 皇女が様子が変なレナートに声をかけた。

 それには応じず、レナート少年はふらふらと歩き、項垂れつつ近づいてきた。

 そのまま勢いで倒れる――ように見えたが、彼は雪の上に座り込んだのである。

 突然のことに驚き誰もが押し黙る中、レナートはそのまま、ゆっくり上半身ごと頭を雪に擦り付けるようにして下げた。


「ヒルベルトさん!」


 颯汰の偽名を叫ぶ。

 まさか自分が呼ばれるとは思っていなかった颯汰がびくりとしてしまう。レナートは返答を持たずに続けて地面に向かって吠えた。


「今日から兄さん……いや、アニキって呼ばせてください!!」


フォン=ファルガンからやってきた旅の僧侶がいつだか見せた最上の謝罪と敬意を込めたポーズでレナートは懇願した。

 レナートは認めたくはなかったが、彼の少年に漢として何一つ――すべての要素で勝てないと認めてしまったのである。今までの無礼の数々を認め、大切な皇女を取られると憤りを見せていたが、天の上の存在には敵わないと降伏し、そう申し入れをし始める。己が精神を保つためなど浅ましい考えはなかった。純粋にヒルベルト――立花颯汰を(見た目年齢が年下であっても)一人の漢として、兄貴分として尊敬に値する人物だと認めたのである。そんな彼の宣言に颯汰当人は、


「え……、いやです」


 引いていた。

 急な変わり身で、どんな心境の変化があったのかは知らないがまるで意味がわからなかった。


「そ、そんな! ヒルベルトのアニキぃ!」


「誰が兄貴だ誰が。というか近い、近いから!」


 顔を上げて凄まじい勢いで迫る少年にドン引きながら颯汰は顔を逸らす。背丈は彼の方が高いためめり込むように顔を近づけるのを首で懸命に逸らしながら開いた手で彼を押し退けた。

 いやに懐き始めたレナートのせいで、村の子どもたちがより一層、距離を詰めてきたのは間違いない。そうして慣れぬ視線に颯汰は思わず逃げ出し、そこから追いかけっこが始まった。

 そうしてワイワイと騒ぎつつ、賑やかで昨日と段違いに平和的な一日が過ぎる。結局、日が暮れるまで遊び倒す破目となり、この村の子どもたち……いや、訪れたものたちも、忘れられない思い出、大切な一日となったことだろう。


 灰色の空はこの大陸ではいつものことだが、そこに不穏な空気を垂れ込んでいるとは誰一人として気づいていない。忍び寄る魔の手は着々と、贄を求めて蠕動していたとは――。


「ヒルベルトがお兄さん、じゃあ私はヒルダお姉さんかしら?」

「! ヒルダお姉様!」

「皇女様!? …………たしかに、将来的にそうなるかもしれませんね」

(※自分がニヴァリス皇族に嫁ぐ未来を想像しつつ)

「あぁ、すごい嬉しいわ! ヒルダお姉様~!」


「(たぶんあの二人、考えてること似てるけど全然違うんだろうな……)」

「どうしたんですかアニキ?」

「……どうもしないよ」

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