35 密談
深夜。一匹は既に寝静まった宿屋の一室にて。
謎の修羅場に放り込まれた颯汰は、藁にもすがる思いでウェパルの助けを借りる事を即決する。
眠気と疲労による思考力の低下が無ければ、選ばぬ類いの悪手であると言える。
だが――、人に詰め寄られるのも、特に多勢、さらに加えて異性からはてんで慣れてはいないので、自力での解決は不可能だ、と普段でも選んでいたに違いない。
取り囲むように、座する颯汰を真ん中にして詰問が執り行われようとしていた。
ウェパルが助け舟を出すと言ったため、四面楚歌から地獄の南十字星に変わったが、それだけで状況は好転していない。
――しかし、やはり解せないな……
怒りの理由は様々であるが、その感情が起こる条件は共通している。ある事柄に対して“許容”できるかの有無にある。その尺度も人によって異なる。それこそ千差万別と言ってもよいだろう。
各々が自分の中にルールがあり、それを越えた相手に対し、何らかのアクションを行う。少しは理性で抑え込むが、ある一定のラインを越えた場合は徹底的な排除……とまではいかなくても、感情を曝け出して、口汚く罵ったり、あるいは暴力に移る者もいる。発露の仕方によって度合いが変わるものの、他者から見るとこれほど不愉快で醜いものはないだろう。当事者は熱くなってその時は気が付かないが、口喧嘩なんて聞いて眺めて楽しめるものではない。
受け手が、そこを我慢し相手の気持ちを探ると、答えが見えてくる場合がある。考えを推し量ることで、原因を究明し、解決へと導ける。
……こともある。
ともかく、知らねばならない。
その感情を向けられている意味と、理由を。
――怒られるには必ず理由がある。この子たちは何でこんなに……
部屋のテーブルに置いてあるランプから、ジジジと獣脂の蝋が爆ぜる音がした。炎が揺れて、生み出した陰影までが僅かに踊る。それによって照らされた顔――確かに少女たちは怒ってはいる。だがヒステリックに怒り狂ってはいないようにも映る。ただ何か、人を見下す侮蔑の表情にや見えた。
どうにか、原因を知る必要がある。
――夜に外出しただけで、ここまで怒られるものなのだろうか? 何か別の理由があるはずだ
嘘と断じられ、最低とまでなじられたのだ。
単に夜間に抜け出した程度で、ここまで責められるとは思えなかった。
トラブルメーカーの藁が弁明を手伝ってくれるようであるため、とにかく成り行きを見守ろうと考えた。
「ふふっ。仕方ないなー」
自ら解決に導くと言ったくせに、頼られて満更でもない藁は笑みを浮かばせて、立ち上がった。
「はい、お嬢さま方ちょっと注目、ちょっと落ち着いてー!」
「声量」
「あ、ごめんねー」
黙っていれば美人の美声の持ち主であっても、今は大きな声を出すべき時間帯ではない。ましてやここは宿屋なのだ。他に客はいなかったはずだが、だからといって騒いでいいはずがない。
小さな王女の叱責に、ウェパルは軽く謝った後に、咳払いをする。
最初は少し言いよどみながら説得に入った。
「まー、そのなんだー。……ソウちゃんも男の子な訳だしさー。……そういう時が、あっても仕方がないとお姉さんは思うわけよー」
うんうん、と一人で勝手に納得するように腕を組んで肯く。少女たちは納得いかない目。誰一人として、うつらうつらと睡魔に脅かされずにいる。
その目に圧倒されてる颯汰は正座を続けながら目線を逸らし、ふと一瞬の間を置いて――、
「…………ん? 待った。待って。待ってくれ。“そういう時”って、何……?」
流しそうになったが、まったく意味不明の文言が飛んでいたのだ。何か極めて重大な、思い違いが起きている予感がした。
暖かいと呼ぶより、生温かい声。
秘蔵ブックスが見つかってガチ家族会議に発展した時の記憶が蘇る。妹たちの殺意に満ちた目線を見かねて、叔母が同じような声のトーンで諭してくれた。付箋は自前だけど本は借りたものだからと必死に説得したが、しばらく妹たちはゴミを見るような目で颯汰を睨んでいた。
そんなドウデモイイ記憶がリフレインしたわけはすぐにわかった。
「えっ。そ、それをこっちに言わせるの……?」
「おい。何故顔を赤らめる。すごい誤解が生まれてる気がするぞ!? っと――」
声を荒げてはいけないと自分の口を反射的に押さえた。しばし、息を呑む間を置いてから弁明を始めた。救いといえば、少女たちが弁解すら許さず、言葉を遮ろうとしなかった事だろうか。中には「言い訳するな」と一蹴しようとする心が狭く余裕のないヒトはいるが、王女たちは違ったのだ。
「……俺は、昼間に助けたあの鹿たちの仲間に案内されて、少しの間だけ仙界に潜っていただけだ。説明するのも余計な心配をかけるのも面倒だったからちょっと誤魔化しただけ。他に何もなかった。証人は紅蓮の魔王」
「「えっ」」
目を丸くして気の抜けたような声を出すのはヒルデブルクとウェパル。そこで首を傾げていたアスタルテが颯汰に訊ねた。
「ぱぱ。おとなの女のひとがいるお店に行ってたんじゃないの?」
「んんんん!?」
飲み物を口に含んでいたら噴き出して咽せていたであろう一撃が、容赦なくアスタルテから振り下ろされる。心は未だ無垢なる少女から、そんな暴力を叩きつけられるとは思ってもみなかった。
「ちがうの?」
「違うよぉ!?」
謂れのない疑いだ。
「わ、私たちに内緒でそういう飲み屋さんとか、な、何かその……い、いかがわしいお店に行ったのではなくて!?」
「行ってないよ!? ただの酒場ならあるだろうけど、この村にそんな施設あるもんか。酒は飲めないし、どっちにしろこのなりじゃあ、店からお断りされるよ!」
寂れた田舎の農村にその手の店があっても維持が困難である。如何にお接待のレベルが素晴らしくても、こんな場所ならば利用する客数が限られ、利益が出せずに潰れるのがオチだろう。その手の店を経営する事そのものが自殺行為に等しい。
思わず立ち上がる颯汰。
まさか巨狼に対して身の危険すら感じていたというのに、なんて酷いイメージの持たれようか。
「なーんだ。あんしんした。よかったね、リーちゃん」
あまり迫力のないアスタルテの怒った表情が変化し、ペカーと花開いてリズに笑んだ。
そのリズはというと、スゥーと静かに息を吐いて胸に手を当てる。
《わたし、信じてた》
「澄ました顔で嘘をいうな、嘘を」
颯汰にしか認識できない心の声で言う。
実は一番すごい怖い――淀んだ泥を思わせる濁った眼で颯汰を見ていたリズ。怖すぎて終始目を逸らしていたから、あれは実は気のせいか深夜の悪夢だったのかと思わせるくらいに、今はいつもに増して爽やかな笑顔を見せていた。
「ともかく、何を思ってそんな酷い勘違いをしたかは知らんが、誤解だよ」
颯汰は安堵の息を吐く。何よりもアスタルテに失望されるのが一番心にくるものがあった。
ともかく、誤解が解けたようでホッとしたところで――、
「……じゃ、夜も遅いしそろそろ寝ましょうか」
「待て」
後ろから聞こえた消え入るような早口の主を引き留める。ギクリと、忍び足でその場を去ろうとしたウェパルが、足を止めた。
「ねぇアシュちゃーん。誰が、そんなことを――夜のお店がどうのこうのとか言い始めたのかな?」
深夜という時間帯と疲労により颯汰のテンションが若干おかしい点に困惑しつつ、
「ウェパちゃん。ふーぞく? しょーかん? とか言ってた」
アスタルテが正直にバラしてしまったので、ビクリとする。振り向いた阿修羅や魔神の如き顔に対して、ウェパルは曖昧な笑みを浮かべて誤魔化そうとした。
「た、たはははー……」
「上等だこの女」
「ひゃー! なんかキャラ変わってるよぉ?」
「著しく名誉を傷つけられるとこうもなる」
「いやーだって……、ごめんねー?」
凄まじい剣幕で睨まれた原因を生んだ女の謝罪にしてはあまりに軽い。張っ倒そうかと思ったが、さすがに限界がきた。一瞬だけ沸き上がった怒りはすぐに萎んでしまう。怒る気力さえもなくなった。
「……二度と、変なことを吹き込むな。ほんと、頼むから」
返事の代わりに舌をちょっと出す。この吸血鬼女、自分の容姿が優れていると自覚しているようだ。加えてフィジカルお化けで暴力は無駄――このように注意する以外に取れる術はない。
「ああ! もういいから、寝よう」
「うん。おやすみー」
「ふわぁ……おやすみなさい」
手を振って隣の室へと向かうウェパル。それに応じる少女たちも寝入る準備を整える。
灯りを消す時、シロすけが起き、大きなあくびをしてからスッと颯汰の布団に潜り込む。
しばらくすれば静かな寝息が聞こえてきた。
そんな薄闇の中、声がした。
「……起きてますの?」
「寝てるよ」
起きてるじゃない、と毛布の下にある口が動いた。天井を見て、颯汰が眠る横のシングルベッドに二度ほどチラ見してから、恐る恐る口を開いた。
「…………あの、……その……、ごめんなさい。私ったらあんなはしたない……」
「いいですよ。もう。潔白は証明できたし。寝ますよ」
「………………これは、私の父の話で――」
「……すぅ……すぅ……」
「――……もうっ!」
深夜に出歩いたこと以上に、何に対して嫌悪感を抱いていたかを自分の言葉で語ろうとしたところ、眠気の限界に達し半ば意識は微睡みの中へ解け込もうとしていた。
気が付けば空が白む時間帯へ差し掛かり、ようやく昼と深夜の喧騒に幕を閉じ、束の間の平和が訪れる。朝に、宿屋の主人あたりに文句を言われるだろう。客員騎士たるエドアルトによって、帝国領内に自分たちが侵入していると勘付かれてしまうのは間違いないが、これ以上騒ぎを大きくすると明確に“敵”と断ずられるやもしれない。宿屋の主人には、袖の下を使ってどうにか黙って貰うべきだろう。などと、颯汰はまぶたの裏を見つめてふと思い、ようやく真に眠りの世界へ旅立った。
◇
それとほぼ同じ時である。テュシアーと正反対と呼ぶに相応しき煌びやかな都ガラッシアの――皇帝が住まう宮殿。秘密の一室にて密談していた者たちがいた。
主たるニヴァリスの皇帝が何かに語り掛ける。
「――ネズミが紛れたと?」
落ち着きがあるが、老いてしゃがれた声に僅かな動揺が見られる。シワが増え、まぶたが僅かに見開く。鋭い瞳が対象に向けられた。
「…………――」
「……計画は、このまま進める? 大事ないのかそれで」
「…………――」
「わかった。信ずる他ないな。……む? あぁ、地下牢に閉じ込めた。余の計画に賛同しなかったどころか、あまつさえ謀反を企てるとはな。度し難い」
不敵に笑う老帝・ヴラドは心の底から喜びを感じていたように見えたが、次の瞬間に変わった。敵対者を睥睨する目と、冷静をほぼ完ぺきに装った声から滲み出る敵意。永久凍土に君臨する皇帝が持って然るべき、無慈悲で酷薄な感情が宿る。
「……“ミスリルの目”か。死にぞこない共め。隠れている内は情けで生かしておいたが……。そろそろ、雌雄を決するべきか」
相手は、その言葉には何も答えない。
どうでもいい、と。レジスタンスを称するテロリストなぞ、彼女にとって捨て置いても何ら脅威になりやしないのだ。
「そうだろう? “魔王”よ」
同意を求める声に答えない。女は静かに背を向けて、忽然と消えてしまった。
冷え切った暗い部屋。
まだ、吐いた息は白かった。




