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Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~  作者: キリシマのミナト
氷の女帝と狂える巨神
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28 闖入者

 風が哭いた。

 ひゅるりひゅるりとうら寂しい音。どこからともなく吹くが、その行方を知る者は終ぞいない。

 流るる雲は地上を見下ろす。

 陽光を受けて輝く白銀の野、広がる針葉樹林。

 そこに異質な気配がした。

 吹き荒ぶ風より疾く駆け抜ける。

 それは意図せず過ちを犯し、人界へ足を踏み入れてしまったのである。


 自然に生きる動物――山に住まうもの、森に住まうもの、街や村であっても、己の領域である縄張りを意識する。それを侵す外敵に対し、種を存続させる本能により選ぶべきは二通り。

 闘争か、あるいは逃亡である。

 戦う力がある、戦い傷ついてまで護るべきもの、譲れないものがあるならいざ知れず、立ち向かう事ばかりが正解とは言えない。

 だがその“王者”は挑んだのである。

 王者として矜持を持ち合わせているのかはわからぬ。また己の力に絶対的な自信があったのかさえ計れない。ただ挑んだ末に、命からがら逃げ出すしかなかったのだ。

 喧騒を突き破るような鋭き気配――。

 現れたそれ(、、)が持ち合わせていたのは、思わず息を呑んでしまう神々しさであった。

 全身が長い毛に覆われ、その白い毛の先端は少し金色がかっている。全てを見通すような双眸は淡い緑色。アルビノのヘラジカを思わせるが、少しだけ異なる。頭にある角は大きく手を開いたように見えるのが最大の特徴であり、普段は単なる象牙色なのだが、外敵が現れた際にはその角に模様が浮かぶ。威圧感のある模様は蛇や猫などを想起させる縦に長い瞳孔のような絵柄であり、まるで第三、第四の瞳のように見えるらしい。また、ほんのりと淡い光が全身から漂っている。

 森の奥に住まうとされているこの生物――俗称は“山の使い”。また神獣とも呼ばれ、本来は仙界に生きるものがどうにか迷い込み、今は麓にまで降りてしまったようだ。村人から度々目撃例があったものの、その実態を掴めていない魔物であるのだが、人里に訪れる事は決してない類の生き物のはずであった。

 噂や寝物語でしかその存在を知らなかった子供たちは戦慄するしかなかった。

 それがこんなところに現れる異常事態に加え、また別の部分に言葉を失った。

 それは本来の、高貴な姿とは思えぬ、荒々しい挙動を見せる。一直線に河川を越えて村まで侵入してきた異物――領域外から使者たる彼の神獣は、低い声でいななく。

 異変は誰の目に見ても明らかであった。それは赤い血を流しながら必死に逃げていたのだ。

 角はおそらく二つあったのに、一つは根っこから引き千切られ、残りも無惨にも砕かれて失っていた。先ほどの角について“らしい”と曖昧な表現をしたのもこの為である。

 何から逃げ、雪を赤く染めながら、子供たちがいるのをわき目も振らず、突っ切ろうとした。

 誰もがその場で凍り付いたところ、“山の使い”は急に方向転換をしようとした。

 少しばかり背丈のある村の青年やアスタルテに驚いたのだろうか、と後になって颯汰は思うが、真相にはどうやら暫くは気付かない。

 恐ろしい怪物から逃げ出そうとし続ける“山の使い”は雪を蹴り別の方向へ駆け出そうとしたが、すぐにふらつきながら転倒してしまった。

 立ち上がろうにも血を流し過ぎたのか、身体に力が入らないのだろう。

 困惑、同情といった感情が動いた途端、冷たい風が奔り抜ける。そして響く、唸り声。

 視線がすぐに、そちらの方へ集まった。

 子供たちは目を剥いたまま、浮かんだ言葉に恐怖の叫びは発せられぬまま、口から勝手に空気と一緒に抜けていく。

 真の恐怖、感じた胸騒ぎの正体の方から現れた。

 突如現れた神聖さすら感じさせるものを追い回した敵意の具現こそ、子供たちですら感じ取った悪寒の理由と知る。


 巨体――。

 体躯は大きく、二、三ムートは優に超えている。

 全長は鬼人族オーグよりも大きいのではなかろうか。

 覆われた毛は日の光によって白く映る透明。

 盛り上がり膨れ上がった筋肉。

 力強さを感じさせる前脚。

 その肉体を支える後脚で、立ち上がる。

 大きく開いた口に牙が並び、口腔は虚無の闇を思わせるほど暗い。

 鋭い爪はヒトの肉など一撃で引き裂き、肉も臓腑も食らい尽くす捕食者。

 そこに愛らしさなど微塵も感じ得ない。

 無慈悲――。野生とはそういうものである。

 地を揺るがす重低音が辺りに轟いた。

 重機のエンジンが壊れたかのような叫び。

 水を汲むなどに利用する河川の方向から現れたもう一匹の猛獣は四つ足から起き上がり咆えたのであった。


「――ッ! クマ! ……いや、何か、おかしい……?」


 颯汰が呟く。

 現れたのは地上最大の肉食動物であるホッキョクグマに似た生き物。

 通称――ポルミス。

 果実や山菜なども食べるが雑食であり、川や海で魚は獲るし動物の肉も好む魔物である。本来はもっと北の方に棲息していて、この辺りにポルミスはいないはずであった。

 そんなイレギュラーなる存在たる大熊のポルミスが咆えた後、口を閉じた際、颯汰は何やら違和感を覚えた。遠目であるからそう感じたのかと思った途端、正体の方が躍り出たのであった。

 顔面の右部分から肩辺り、右腕の関節くらいまでに何かがへばり付いている。その部分だけが色が異なる――何か怪我をしたのか、あるいはそこだけ削られたかのように思えたが、そうではなかった。

 咆哮が響き渡り終えた後、その青白い部分が正体を明かすように動き出した。

 現れる幾つもの黄色い目。白みがかった水色の氷のようなもので出来た仮面に目玉が浮かぶ。

 だが実際に仮面ではなく別個体の生物のようで、抉られた肉を補うように形作られていた。


『ぐぉッ――ァァ……!?」


「ぱぱ!?」


 その姿を見た刹那、颯汰の中から湧き立つ衝動が、身体を支配しようと駆け巡った。

 顔の目から下を覆い隠す半面の装甲が出現し、意思と関係なく真っ二つに開いては、その内に潜む獣性を解き放たんとした――、のを強制的に抑える。具体的に言えば、仮面が割れるのを物理的に押さえたのである。右手で右の装甲を力づくで押さえ、少し遅れて左側を左手も使い、元の形に戻した瞬間に、無理矢理その仮面を剥ぎ取った。

 赤々とした血が右手に持った仮面の後を追う。

 理性が溶けるよりも先に、己が主導権を奪われるのを防ぐ事に成功した。

 痛みによりつい小さな声が漏れ出た。

 皮膚に癒着していたのか痛みはあったが、その傷すら即座に癒合し、仮面もまた光に還る。

 運がよくその光景よりも、現れた生き物の方に皆の視線が注がれていたため気づかれなかった。


「……ありがとう。だけど、ここではパパは止せって」


 少しよろめきながら、倒れかけたところを押さえてくれて、心配そうな顔をするアスタルテに微笑みかけた後に、颯汰は思う。


 ――何だ? 氷で出来た……仮面? 待て、“獣”が激しく反応したって事は、もしかして!


 確かめる術はあっても、今はそんな余裕はない。ポルミスに取り付いた謎の怪生物。それらがノソノソと動き出しているからだ。

 それらはまず、本能から逃げ出した獲物を狙いにいく。涎と血が混じった口を大きく開き、倒れ込んだ山の使いを見やる。

 山の使いは睨み返すものの、息は荒々しく脚はまともに動かせない。

 ゆっくりと、怪物は嘲笑うかのように歩み寄る。歩く度にギョロギョロと瞳が動き回り、見ている者に嫌悪感や恐怖を与え続ける。

 子供たちは動けない。単に足が竦んでいるだけかもしれないが、その選択は過ちではない。

 有名な話だが、熊は逃げるものを追う習性がある。この世界においても同様であり、逃げた山の主(獲物)もその習性から追い回したのだろう。

 ゆえに子供たちが慌てて逃げた場合、そちらに意識が向いてしまうおそれがあった。

 誰もが外気の寒さに凍ったかのように思えた時、動き出したものがいる。

 声の出せぬ少女は、山の主を守るよう背にし、立ちはだかる。

 リズ――闇の勇者リーゼロッテは不可視の星剣を現出させて臨戦態勢をとる。


《このイヤな感じ……。魔王、の……?》


 少女の心の声が聞こえる颯汰は己の勘が正しかったと確信する。


 ――やはり魔王! ……関係の何かか!


 敵方の正体――内なる“獣”が憎悪を抱く対象たる七つの柱が関与していた。少なくともこの魔物自体が“魔王”当人ではないだろうが、少なからず関わりがあるからこそ、“獣”は颯汰の身を乗っ取り、対象を全力で殺そうとした。

 一方でリズもまた強い衝動に駆られていた。誰かを守りたいという優しさと、“魔王”という外敵を徹底的に排除したいという本能が入り混じる。敵が魔王当人ではないからか、気配が薄まっているゆえに辛うじて理性が勝っているからこそ、衝動に任せて剣を振るっていなかった。あの氷の仮面状のものは使い魔の類いであろう。

 緊急事態ゆえに、そこまで颯汰は彼女が抱える勇者としての衝動が強く重いものであると、まだ察するには至らず、彼女も正体を明かさないという約束を守ってくれているものだとすら思い込んでいた。

 氷の仮面のようなものを施された魔物はそのままリズに襲い掛かるかと思いきや、低く唸りながら動きを止める。ケモノの本能か、あるいは天敵の気配を感じ取ってか、歩みを止めた。睨み合うは双方とも、互いの出方を覗う形となった。

 颯汰はそれを好機と見た。


 ――今の内、子供たちを脱出させよう……!


ゆっくりと子供たちを背を向けずに後退させる。距離的に少し現実味は薄いものの、途中で一斉に走らせてもリズが立ちはだかれば子供たちを全員広場から脱出させられるだろう、と考えた。見ているものさえ消えれば、颯汰とリズの二人で撃退は出来ると踏んだのだ。


 これまで散々、予定外の事態に悩まされた颯汰一行に――女神は微笑む事を知らず、仏はなお横になって眠り付いているようである。

 指示を出す前に、駆ける音と悲鳴。

 直後、呼び止める声、と同時転ぶ音がした。

 ある種の静寂により、音に敏感となった皆がそちらに意識が向いてしまうのは仕方がない事であり、転んだ者の姿を見て誰もが絶句する。

 皇女イリーナ。

 田舎育ちや生き物の生態を知ろうと学んだものにとっての常識を、知らぬ皇女はただただ恐怖に駆られ逃げ出そうとしたのであった。

 齢、やっと二桁に突入したばかりの少女の前に、己が知らなかった世界の異物の一つが転がり込んで来たとなれば、冷静さを失い逃げ出そうとなるのもわかる。誰だって血に飢えた魔物が現れれば普通はこうなる。他の者だってあまりの恐怖に足が動かなかっただけだ。


「ブォオオオオッ!!」


 熊が再び咆えると、仮面はピキピキと音を立てながらその勢力を伸ばしていく。

 氷が顔や右肩、右前脚部分を侵食し、そのうえで目の数まで増える。凍り付いているのに目が自由に動き回るという奇怪さ、現実離れした光景。

 それに追い打ちのように口の中から飛び出た舌――幾つも分かれてもはや触手となったそれにテラテラとした唾液が絡み、慌ただしく動き回る。それを見てしまい、抑圧され堰き止められた感情は決壊し、一気に爆ぜてしまう。


「う、うわあああああッ!!」

「ぎゃああああっ!」

「ひやぁあああああ!」

「に、にげ、にげろぉおおお!!」


 子供たちは阿鼻叫喚の地獄に堕ちたと言わんばかりの狂おしく惨たらしい恐怖に触れた。

 得体の知れないその黄色の瞳、または赤黒い触手ひとつひとつにヒトの精神を蝕む呪い染みた何かが宿っているかのように、子供たちの正気を奪ってしまった。

 蜘蛛の子散らすばかりに子供たちは逃げ出す。

 颯汰もただの子供であったら、彼らの行動を一概に非難はできまいが――、


「拙いぞ……!」


 悲鳴に釣られ、さらに背を向けて走る生き物の姿を見て、魔物の興奮は最高潮に達する。

 ツキノワグマなどは非常に臆病な動物ではあるが、肉食の傾向が強いこの種のクマは平気でヒトを襲うし、またヒトの脆さと味を覚えればそれを繰り返してしまうおそれもある。

 皇女を置いて、騎士たちも逃げ行く。

 思わず手を伸ばし助けを乞おうにも声が出せなかった。顔も真っ白になり、腰が抜けて動けなくなった皇女に向かって、ヒルデブルクだけは駆け寄っていく。

 そんな最中、皇女に仕える獣刃族ベルヴァの老執事は目をカッと見開いた。咆えるケダモノを睨み、そこへ走り――狼へと姿を変えた。

 敵意と牙を剥いて襲い掛かる新たな獣に、ポルミスは大いに驚き、また大きな口で威嚇する。

 雪原を蹴り、猛スピードで接近し、ザっと跳び込んだ。ポルミスの右前脚の薙ぎ払いを見事に避け、狼となった老執事は毛皮に覆われた左前脚に噛みついた。

 天性の堅い皮膚にガッチリとした筋肉であっても、老いているとて狼の牙は確かに届く。食い込んでは血を流させた。

 だがポルミスは痛みにもがき、大きく左手を振るう。体幹のバランスが取れた若い者であれば華麗に着地ができたやもしれないが、さすがに歳を取り過ぎたせいか、老執事は地面に背中から叩きつけられてしまった。

 天へ勝利の雄叫びを上げるポルミス。

 逃げ惑う獲物より、身に降りかかる危険の排除へ移行するのは自然である。雪の上を滑って横たわる狼に汚らしい唾液を垂らしながら近づく。


「くっ……。やるしか、ないか! アシュ、下がるんだ!」


 何もかも考えた通りに行かぬという憤りもあったが、それ以上に彼らを守らねばと颯汰は迷いや躊躇いを捨てた。正体がバレようが目の前で命が消える危険性を考えれば、答えは自ずと決まる。

 颯汰は注意を引くために駆けながら、腰のベルトに吊るしたナイフを右手で掴み、投擲する。

 一直線で飛んだナイフを追いかけるように速度を上げてポルミスに向かう。

 先に到着したナイフが左脚の腿辺りにさくりと突き刺さった。ポルミスから短い悲鳴、そして怒号を颯汰に浴びせた。

 注意を引いて、一気に変身して畳みかけようとする。リズも即座に颯汰の考えを把握して、同時に駆け出した時だ。

 生まれた喧騒の中を突き抜ける、一陣の風を思わす音が響いた。他の音の方が大きいはずなのに、各々がしっかりとその耳朶で捉える。

 帯びた剣の鞘に括り付けられた金の鈴の音だ。

 そこへ、見知らぬ人影が現れたのである。

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