26 衝突
刹那の油断。
もしくは気の緩みか。
己の一瞬で思いついた計画を、平和ボケからかかなり侮っていた王女に看破された事が尾を引いた訳ではないと思いたい。
戦場であればその一瞬が命取りとなり得るのだが、今は生憎と平時であり場所も子供の遊び場。加えて子供しかいない空間だ。
一面が雪により白に染まり、奥に立ち並ぶ木々の深緑にまで侵食していた。遊具など無いただ広いだけの場所。申し訳程度に大人が造ったであろう木のベンチが隅に一つあるくらいだ。
聳えた木々の裏、奥の方へ歩くと川が見え、さらに進めば道は次第に険しくなり、樹木が誘う――人の領域から外れた冬の森が姿を現す。賢明な子供たちはそこまで歩みを進める事はまず無い。
そしてこの時間にこの場にいる颯汰たち以外の二十名弱がここの住人だ。村全体でこれだけしか子供がいないのは別件で問題であろうが、今はそれは置いておく事にしよう。
当面の問題は、何故か農村であるテュシアーに皇女がいて、一人の子供に対して六人もの集団を使ってイジメを行っている事だ。
助けるのは見ず知らずの少年である。救う義理なんて微塵も無ければ、メリットも無い。
加害者である少女とそれを囲う少年たちを懲らしめる方がデメリットやリスクも大きい。
だが、心がそうすると決めたのだ。
――力を得たから粋がっている? それがどうした。救えるだけの力をやっと手にしたんだ、それを使わないでどうする
颯汰は心の中で誰に対してかは自分でもわかっていないまま――自分に対して釈明をし、計画に移ろうとした。
かまくら作りに使われていないような、積まれた雪の山を見つめ、そこに移動しに数歩、駆け出し始めた時である。
「――お辞めなさい!」
「えっ」
言われた者たちより先に、颯汰の方が呆けた声を出してしまった。
すぐに振り返り、声のした方向を見やる。当然そこには声の主――ヒルデブルク王女がいた。
「一人を寄って集って乱暴するなんて――恥を知りなさい!」
胸に手を当て、相手の心に訴える。
気高き王女はその悪意を黙って見逃がせない……のはわかる。わかるけれども。
「いや、あの、――なに、やってんの……?」
颯汰の言葉はローブの中に隠れている幼龍たるシロすけ以外、誰にも届いていない。
話しはしていないから『話が違うじゃないか』とは言えないけれど、自惚れではなく、今の流れは確実に颯汰が独りでやった方が物事がスムーズに、かつスマート解決したであろう。
王女は勿論、アスタルテやリズ――彼女たちを巻き込みたくないから、宿へ帰した後に独りでここに戻っては変身し、正体を隠しながら解決しようとした。なのに彼女は前に出て糾弾する。それは普段とはまた聞こえ方が異なる、騒めきを射抜かんばかりの透き通る凛とした声音であった。
いきなり声を掛けられ、驚き飛び跳ねる小僧もいたが、当惑しながらも大人たちではないと気づくや否や、調子を取り戻していく。
「な、何だこの……」
「ヨソモノか?」
「お、おまえにかんけいないだろがー!」
「なんだてめぇは!」
ガヤガヤと騒ぎ、推定小学生ほどの子供らしい罵詈雑言が嵐となってヒルデブルクに注がれる。
変声期前の声ばかりではあるが、威勢がよくさらに数が多い。自分よりも年上のものも中にはいるというのに王女は正面から受け取る。
それを止めたのは敵方の首魁――、
「あらあら。私たちを止めるとは、あわれな子豚ちゃん。貴女、私を誰と知らないの? 本当惨めで可哀そうね!」
ケラケラと笑う少女は続けて、名乗った。人を見下しつつも、その声にどこか爽やかさが含まれているのは、まだ年端のいかない乙女ゆえか。あるいは見下す事に悪意などはなく、然も当たり前だと思っているからか。
「どこの田舎からやって来たのかしら。でも良いわ。特別許して上げましょう! この寛大さにむせび泣く事も許可するわ! ……私はこの国――ニヴァリス帝国が誇る第四皇女! 父帝ヴラド・ミハイロヴィッチ・ニヴァリス四世の子、イリーナ! この姿を見て感涙し、平伏すといいわ!」
どや顔。どこぞの王女を思い出すどや顔だ。凍り付く空気の中、颯汰だけは顔色が青くなる。皇女という存在に肝が冷えている訳ではなく、王女がその堂々とした名乗りに変な反応をするのではないかと疑っていた。『頼むから乗らないでくれよ』と祈る。その祈りは天に珍しく通じ、つい勢いで、王族としての本名を名乗る事はなかった。
「お初にお目にかかりますわ皇女殿下。私はマナ教の信徒、名をヒルダと申します」
ローブの裾部分を摘まみ、片足を後ろにやりながらもう片足の膝を曲げて丁寧な挨拶をする。
事前に決めていた偽名を名乗る王女。その恭しくも、どこか上流階級の気品を持ち合わせる雰囲気に、子供たちはつい息を呑んだ。皇女だけは少し感心したような顔つきであった。
己の、皇帝の威光に平伏さぬもの――。
「マナ教……あぁ、確かそんなのがこの村に来ていたわね」とイリーナは思い出して言葉を口の中で転がしていた。
自分の所の民草であれば、鞭打ちの刑に処すところであったが、それよりも興味が勝っていた。
毛皮の帽子とローブのフードで隠れつつある落陽の如き橙色の髪の下、琥珀の瞳には決して慄きが無かったからだ。イリーナには逆らう者への怒りは、その時までは皆無であった。……が次の瞬間に王女は知らずして地雷を踏み抜くのである。
「その由緒正しき皇帝の子たる貴女様が、どうしてこのような場所で、このような乱暴を?」
当然の疑問。颯汰だけではなく、リズも思っていた事だ。しかも逗留ではなく、この村に住んでいる。まだ颯汰たちはまだ見ていないが、村には合わぬ、それはそれは立派な屋敷――皇女としては少し安っぽい家が建っていた。
その事が、彼女の痛みであり逆鱗であると今すぐに知った。囲いの少年たちの見開いた目、周りの雪に溶け込みそうな程に蒼白とした顔。慌てようが物語る。一方でイリーナは顔を伏せては震える。それはまさに噴火する兆候を見せた活火山であり――、
「……きで」
「?」
「好きでこんな田舎にいるわけないじゃない! この馬鹿! おたんこなす! へちゃむくれぇ!」
今まさに噴火したのである。
顔を真っ赤にして癇癪を起すイリーナ皇女。上に立つ者としての余裕が一瞬で剥がれ、本来の気性である、甘やかされて育った我儘な、十ばかりの娘としての側面が火を吹いたのである。
『罵倒に使う表現が古い!』と思わず颯汰が心の中でツッコむ。おそらく使ってる当人も言葉の意味を大して理解していないのではなかろうか。
騎士気取り共も動揺し、どう声を掛けていいか迷っている。自分の住んでいる村が馬鹿にされているのは重々承知であり、それに対する憤りはない。ただ彼女をどう宥めようか、どんな言葉を投げかけても無駄なのではという諦めが経験から理解していたのだろう。
言われた本人は言葉の意味が理解できず、ただ酷く憤りを見せているというのはわかっていたようではある。触れてはいけぬ箇所、そこについては陳謝するが、行動の意図はまだ答えられていない。
「これはとんだ御無礼を。存じ上げなかった事とはいえ、皇女様がそこまで御心を痛める話題だとは――。ですがどうかお聞かせください。どうして彼を痛めつけるのです? それも部下を使い、複数で取り囲むような真似を、何故で……――キャッ!?」
言葉ではなく、答えの代わりに飛来したのは雪の塊であった。雪玉の勢いは年齢相応の少女らしいが、でも本気で投げつけたのはわかる早さだ。
弾道が僅かに逸れてヒルデブルク王女の左肩辺りに直撃して粉々に弾けては散っていった。
よろめいた王女は撃ち抜かれた部分を押さえる。投げつけた本人の方がどっと疲れ切ったように肩で息をするほどに興奮を隠しきれていなかった。
「本当に、無礼……! 侮辱だわ……! 最大の!」
怒りに震える皇女。そこで固まって様子を伺っていたクソガキ共が好機と踏んで、調子づいて騒ぎ立て始めるのであった。
「なぜか? ――はっ! そんな事もわからないのか無礼者め」
「『ガルディエル』にささげるためだ!」
口々に喋り罵る中で、ヒルデブルクは当惑を隠さず尋ねる事とする。
「誰が、どうして――根拠は? まさか戦神であるガルディエル様が自ら現れ、表明したとでも?」
「う、うるせえ女だ! こうべをたれろ!」
「そうだそうだ! じめんにキスしてな!」
まるで答えになっていない罵倒に続き、彼らの己が正しいという理由を主張し始めたが、
「こいつはオヤジは死に、育て親のジジイも消えた! 呪われてんだよコイツは!」
「次はマルクに決まってる! そしてマルクから俺たちが標的になる前に、トモダチじゃないって“カミさま”に分かってもらうためにやってるんだ! よそものが邪魔をするなっ!!」
「「本気で言っているの?」か?」
マルテの王女であり偽姉のヒルデブルクと、アンバードの偽王である偽弟の颯汰は同じタイミングで同じ言葉を口にする。
為政者の子として育てられた者と、望まぬが成り行きで為政者となろうとしている者が同じ感想を抱いた。冥府神ガルディエルなるものの存在を証明できず、さらに一連の行方不明事件がその者の意思がないとは確かに証明できない。だが今行われているイジメという行為が、何かの解決になるという確証も無い。だからそれは間違っていると魂が叫んでいる。だからこそ、精神的にも、物理的にも前に進む事に躊躇いは無かった。絶対出ない限り、その暴虐に正当性はないのだと。
「本気なら呆れた物言いですわね」
「はぁ!?」
「なんだとぉ……?」
王女が腕を組み説き伏せるように語り出す。それが悪手であると、王族ゆえに気づかない。
「あなた方はただ不安なだけですわね? 行き場のない不安感を拭うためだけに、関係のないその人に暴力を振るう。そんな事をしても何も解決しないというのに」
性善説を信じ、不安から非道に走ったのではないかという同情からか、王女は一瞬目を伏せた後に僅かな逡巡。そして横たわりながら、懸命に起き上がろうとするイジメられた少年へ指して言う。
「もし、その子がいなくなったら、次は誰が選ばれるというのかしら」
刹那の静寂。直後に騒めきが強くなる。この娘、実はわざと地雷を踏み抜いているのではなかろうか。彼らの不安の種を、見て見ぬふりをして遠くへ追いやろうとした恐怖を、丁寧に突きつける形となった。
「ば、ばかが! こいつで終わりなんだよ!」
「そ、そのためにやってるんだ、て、てきとーなことを抜かすな!」
「だ、だだ大丈夫、俺たちは『ガルディエル』なんかに……」
「お、落ち着きなさいな。私の駒がこんな事で、狼狽えてどうするの!」
刺激した不安は膨張し続ける。彼らは本当に恐怖していたようで、顔色が悪く、生まれてからずっと慣れてきた寒さより、精神的な怖気に震えあがる。誰もがあえて避けていたというのに、怒りが沸々と煮え滾る。
「くっ……! 頭きたぜ……! もうやっちまえ!」
感情の処理が上手くできていないという指摘通り、彼らは暴力に走るしかなかった。一人の子供がまた雪を両手で掴んでは、塊としてヒルデブルクに向けて投げつけた。
速度は皇女の時よりも早く、ヒルデブルクの顔面目掛けて一直線に飛んで行った。
王女も悲鳴を漏らしながら、顔を庇うように両手を交差させて前に置いた。だがその直後、飛び出してきた者が王女を守る盾となる。
「くっ――!」
颯汰が駆け、右から跳び込んでは、右手で振り払うように雪玉を弾いて転がりながら着地する。
第二射を準備し、追従しようとした子供たちも思わず手を止めた。
「ソ……――ヒルベルト」
「全く、戯れが過ぎますよ、姉さん」
雪の飛礫を一身で受ける。
腰に携えた短刀、ベルトに結んだナイフもあったが刃物を出していい場面ではない。
立ち上がると身体に着いた雪を払いながら、溜息を吐いて颯汰は王女に言う。
「正論じゃあ人は救えない。人を苛立たせるのが精一杯なんですから」
「そういうものですの?」
「そういうもんです。残念ながら」
正論は間違ってはいないが、人が求めるべき答えとは程遠い事の方が多々ある。
颯汰が見据える正面の軍勢。視界の外れたところからやって来た新手に彼らは驚いている。
――ともかく、目立ってしまったが、まだ間に合う。最悪の一歩手前ではあるはずだ。頭下げて全員を逃がし、改めて襲撃して強引にトラウマになって貰おう。気をそっちに向かせれば、こっちに因縁をつける暇もなくなるだろ
颯汰の思考が若干悪者寄りではあるが、それがもっとも楽な手段だと導き出した。ちょっとした喧嘩よりも、恐ろしい悪漢――冥府の使いのふりをして脅されれば、そっちの方に気を向けるはず。修正せず当初の作戦通りに進めれば問題ないと判断し、話を着けようと考えていた。
「そうですの……。えいっ」
颯汰の後ろから聞こえた声の後、何か白い軌跡が放物線を描く。そして投げつけた少年の頭に見事直撃したのであった。
「あたッ!?」
頭部に直撃して、少年はその場でひっくり返った。それを見てから颯汰はぎこちなく振り返った。認めたくなかったが、明らかに投球後のポーズをしていた王女を見て、静かに問う。
「いや待って。なんで今、投げ返したんです?」
「だって私と私の弟たる貴方に雪玉を投げつけたのですよ? 反撃するに決まっているじゃない」
「いやいやいや。そこはもう、頭下げて逃げてもさぁ……――っておい!?」
言ってる側からポンポンと投げる。しかも投げた雪玉は早く、狙いも妙に良い。吸い込まれるように子供たち、雪玉をもっていた子らの頭に直撃するのであった。
「ごめん遊ばせ? 手を滑らせましたわ」
「思いっきり投球かましてますよねぇ、それ!?」
悪気もなく引っ掻き回してくれたお陰で、作戦はもう台無しとなった。
衝突は避けられぬ。
戦いの火蓋は切って落とされるのであった。
(親が緊急搬送されたため次回の更新が遅れるかもしれません)




