25 第四皇女と守護の騎士
夏の早朝――木々が悲鳴を上げた。
比較的気度が高かった日々が続いた中、今朝は銃声を思わす音が響き渡る。凍裂の音だ。氷点下で木々の中の水分が一気に凍て付き、音を立てて割れたのである。日が昇る前、その音で目覚めた村のものたちは少しだけ早く活動を始めていた。
暖炉の火を絶やすと寒さで凍え死ぬ環境であるため、常に薪をくべては赤々とした炎が踊っていた。都市部や賑わう港町などでは最新式の箱型の暖炉が設置されているが、このテュシアーにおいては古くからの石や煉瓦で造られたものを使っているのであった。
母親が既に朝食の準備に取り掛かり、子供たちは着込んで寒い外へ出かけていく。農村では子供も大事な働き手であるのだ。川の水を汲みは主に子供の作業であり、バケツを持ってそこへ向かう。川まで道は雪も掻いてあり少しは歩きやすい。稀に山から、水を汲む地点まで魔物が下りてくる時もあるが、この辺りは村までやって来るのは草食のものが殆どである為、余程な事がない限り大事には至らないのだ。
男は家畜の餌やりや小屋の清掃などの世話をし始める。また羊のワタラメ種の羊毛刈りはだいたいこの時期に行うことが多い。麦の脱穀作業を終え、冬に向けた干し草の準備も夏の時期に行う。不測の事態が起こると家畜用の飼料を買うはめとなるが、割高であるので極力利用しないに限る。家畜も越冬できないとなれば絶望的ではあるが、納めるべき税が用意できなくなれば、それはそれで悲惨であるからだ。
生活のための仕事ばかりで味気が無い日常を過ごすものも中にはいるが、それでも子供たちには自由時間を設け、日が暮れる前までは集団で遊ばせていた。
村にいる子供の数は少ない。皆が顔見知りであり、交友関係にあった。年長者の十七の青年が二人、子供たちの面倒を見る役目もあるが、最近は仕事で席を外している。この村で育った子は家業を継ぐ者がほとんどであるが、この内一人は都を目指して勉学に勤しんでいるのもあり、このような事態となっていると把握していなかったのかもしれない。いや、把握していたとしても、一介の村人がこの凶行を止められたかは定かではないと言える。
広場にいるという皇族の子に会うという目的で突撃した暴走特急を颯汰とリズは追った。雪は止んでいるものの、一応、宗教関係者として潜り込んでいるため、でっち上げた戒律を理由に顔を隠そうとローブについたフードを被っていた。それを風で捲れぬようにしていたが、途中で諦めてそのまま駆けていた。そのお陰で無事に追いつけたのだが、そこはもう子供たちが遊んでいるという件の広場であった。
確かにそこには子供たちが複数人見受けられた。それぞれ年齢や性別などでグループに分かれて遊んでいたのだろう。
少しだけ息を切らした颯汰であったが、追いついた二人――広場に入らず突っ立っている、同じローブと色違いの毛皮のコートで出来る限り外見を隠しているヒルデブルク王女とアスタルテの背を見てから、「何があったのかな?」と、横から彼女たちの視線の先の光景を覗き見た。同じように広場にいる子供たちの目線も、飛び火しないように時折外すが、そちらをつい見つめていた。
冬の大地。雪が降り頻る大自然にて――。
現実、どこの世界であっても半袖半ズボンで遊び回る元気な子供がクラスに一人はいるものではある。中には寒いと思いつつも『冬場にこんな格好できちゃうぜ!』というやせ我慢、そういうキャラ付けで自己を確立するという目的でやってしまう者もいるが、それは大抵若さゆえの微笑ましさとして受け入れられる。大人は叱るだろうが。
それらの若さゆえの過ちにも近い蛮勇とは異なるのは、己の意思が介在していない点である。
この村でも何百年もの間、冬に閉ざされている。皇帝の恩恵を受けた都市でもない限り、夏服という概念がなくなっている。いくら今が比較的暖かい方であるとはいえ気温は常にマイナスなのだ。吐く息は白く、霜焼けも多々起こりうる気候の中、袖を削る意味はない。貧しい家であってもこの寒さでは生きていけないから厚着は必須だ。
それなのに、一人の子供が雪の上で、擦り切れた上着――ほぼ上半身裸で横たわっている。素足が痛々しいほど赤い。決して自らの行いではしゃいでる訳ではないと、彼の周りにいる子供たちの様子から察せられる。
一人を囲んで、一方的に暴力を振るう。
踏みつけ、雪を被せ、嘲笑う。
弱者と認定した者を道楽で傷つける。自然界の弱肉強食の摂理に則っているとも言えない不自然さ。虫を意味もなく潰し、引き千切り、殺すような――無邪気な子供ゆえの暴虐だ。
それを眺めている一人の少女が言う。
「あはははは! 良いわ! とっても愉快ね!」
白き髪に狼の耳――獣刃族の雪の民だと分かる。
金色の刺繍と青のドレス。肩に豪奢な毛皮のマントを羽織る。派手さを純白の外套で覆う事により、儚く一層上品に仕上がった一輪の花。だがその口から出る言葉は僅かに淀んでいた。
身なりが他の子供と違う少女が倒れる子供に近づき、攻撃を加えていた子供たちは離れる。
「小汚い豚。子豚のマルクちゃん。自分がどうしてこんな目にあってるのって顔しているわね?」
近づき、屈むが触れるような真似はしない。
マルクと呼ばれた少年は怯えていた。
豚とは比喩、己に流れる血と異なる全てを見下す瞳に悪意はない。その証拠に言葉に蔑みの棘はなく、ただ当然の事実として口にしている。
「皇女さま、どうし――」
「誰がイリーナ様にそのような口を利いて良いと言った?」
マルクと呼ばれた人族の言葉を遮ったのは周りに控える……否、華に群がり寵愛を受けたいと望む、害虫にも等しいものたち――の一人がそう言ってマルク少年を蹴った。
「レナート、口が過ぎるのは貴方にも言える事よ?」
悶絶するマルクを前にして、皇女イリーナは言う。レナート少年は顔色が一気に青くなった。
「も、申し訳ございません!」
頭を下げる少年を、密かに周りが笑う。
姫を囲う騎士気取りか、あるいは恩恵――甘い汁を吸いたいだけか。
高貴なる者、イリーナ。
皇族の息子ではなく娘であった。
颯汰たちの年齢と大差ないだろう。
何故このような地にいるのか、周りに大人の近衛兵のような者は見られない。まさかあの子供たちにそのような技量があるとは思えないが……。疑問は尽きる事なく湧いて出るがそんなもの考察する余地もないと颯汰は動き出す。
「……帰るぞ。二人とも」
颯汰が耳打ちをする。状況がいつぞやの貴族のバカ息子に因縁を吹っ掛けられた時の事を想起させるが、それに輪をかけて酷い有り様であった。
現時点で矛先が颯汰たちに向いていないのは救いであった。ショッキングな光景――知らぬ世界の残酷さと忘失させた記憶により、王女にアスタルテが固まったままで反応が無かったが、颯汰はさらに言葉を重ねた。
「この村にやって来たという皇族は男じゃなかった。皇女でさらに子供だ。それも権力で子供を虐めるタイプのな。どうやら今、止められる大人は他にいない。だからセーブも効かないで暴走している。……さっさと離れよう。長居は無用だ」
己の知らぬ世界を覗いたばかりの無垢なる少女たち。その端整な顔に感情という感情全てが喪われたようでありながら、瞳は静かに震えている。
此方に気づかず、イジメは続いていた。
「子豚ちゃん、あんたこそが次に『ガルディエル』に選ばれる子供に違いないわ。だからこそ、仲間外れにしなきゃダメなの」
「ぼ、僕が冥府の神さまに……? ど、どうしてですか!?」
皇女イリーナの言葉にマルク少年は慄く。冥府の神であり、戦いの神たる側面を持つガルディエルは使徒たる怨霊を用い、弱き魂を捕まえるという。勿論、戦いに怯える兵を生まないための方便ではあるのだが、それと今の状況がどう関係があるのだろうかと疑問が浮かぶ。
「最近、帝都を含め――このニヴァリス帝国の各地で多くの子供たちが連れ去られる事件が起きているの。大人も中にはいるそうだけど、だいたいは子供って話よ」
移動の途中、時折そんな話を聞いたことがある。大方、悪人がのさばっているだけの話ではあるが、彼らは正体不明の誘拐魔を――神々の罰に結び付けたようだ。それで行う暴力なぞとても笑えたものではないが、皇女の腰巾着たちがしゃしゃり出て、言い放つ言葉の残酷さが、見守る者たちの顔つきや色を変えたのであった。
「お前の親はとうの昔に死んだ! だからお前が『ガルディエル』に連れていかれるべきなんだ! 関係ない俺たちや親が巻き込まれちゃ困るんだよー!」
「今まで居なくなったやつはみんな、親がいないって話だぜー? そいつを中心に、他の子供もいなくなるんだってよ!」
「そ、そんな……」
確固たる証拠はない。
難癖付けたいだけの理由のない暴力よりも幾分も性質が悪いようにも思える。
「そんなの、関係、ないだろ……」
颯汰の呟きは囲いの者共の罵声に掻き消されていく。
「そうだそうだ!」
「出ていけー!!」
「お前が死ねばそれでいいんだよぉ!」
罵倒に加わえ、加減を知らぬ身勝手な正当性を持たせ、振るわれる暴力は着々と少年の心と体に傷を増やし続けていった。
険しい顔をした颯汰がふと少女たちの方を見やる。その瞳を見てすぐに動き出した。
「止せ……!」
王女が一歩踏み出したところで、颯汰は両手を横に伸ばし立ちはだかる。
アスタルテは脅えていた。颯汰がその手を引けば大人しく引き下がるだろう。ただ王女は違った。表情こそ今まで見た事のないような冷たい虚無で陰りすら映るが、燃える瞳が口よりも雄弁にものを語る。であれば止めるに決まっている。
「騒ぎを起こし、目を着けられたらどうする!」
小声に抑えつつ、早口で捲し立てるように続けた。
「止めに入ってどうするつもりだ。次の矛先は王女さま、貴女自身だぞ!? そしてその後、アシュや皆にも迷惑がかかるんだ! シロすけの親にも会いにいけなくなるかもしれない! それに相手は知らぬところの子だ! しかも二度と会う事もないだろう。……一時の感情に流されて歯向かい、袋叩きに合って何になる! 関わったって得なんてしない!」
見殺しにしろと、颯汰は言ったのだ。
部外者である自分たちは関係ないし、関わっても不利益以外何もない。颯汰が指摘した通りだ。
一部は違うが颯汰たちの目的はあくまでも、自国に蔓延る悪意たる泥を一掃する手段を持つという、霊山に棲む竜種の王者に会う事だ。ここで騒ぎを起こせば道は遠退くどころか最悪、閉ざされてしまう。
大義の為に――多くの命を救うために、また一度も会っていない幼き龍に親と対面させるという享受すべきだった幸福の為に、彼を見捨てろと言い放つ。
知らぬ一人の子が今不幸の犠牲となっても、この先の人生で交わる事がないのだから。
軽蔑されようが、罵られようが構わぬ気概で颯汰は王女をなんとか納得させようと思って言った言葉は彼女の胸の中で確かに響く。
「……見くびられたものですわね」
その結果がヒルデブルクの溜息と呟き。てっきり不満そうな顔で不承不承ながらも納得してくれるものだと思っていた。何を意図しているのかわからず颯汰はただ言葉の続きを待つ。
「私、自分の運の良さに加え、最近人を見る目に自信がついてきましたの」
「前者の妄言は置いておくとして、……そうかな?」
急に自信あり気に王女は長所を口にする。当人は未だ気づいていないが、あまり優れてはいない。人を疑いもせず、騙されていると気づかないままあわや身を売られようとしていた事もあったのだ。(また、話は少しズレるが、彼女は特技の密航・潜伏も己の生まれながらの幸運があってこそと思い込んでいる節がある。)
妄言という罵倒を気にせず、王女は切る。
「ヒルベルト。あなた、私たちを帰した後、何をなさるつもり?」
「――」
その鋭い指摘に思わず颯汰は押し黙ってしまう。
そこへしめたとばかりにヒルダは語るのだ。
「当てて上げましょうか? 変身して『独りでここに戻り、あの子を助ける。』でしょう?」
自信あり気なしたり顔で語った内容に颯汰は苦虫を噛み潰したような表情となった後に、
「…………、何を、馬鹿な事を」
詰まり掛けた言葉をなんとか吐き出せた。
「買い被りすぎ。あるいは夢を見すぎです。俺が何のためにそんな無益な行いをする必要があるんですか。ないでしょうに」
その反応――僅かな逡巡と饒舌こそが答えだと王女は更なる確信に至る。
「さぁ。ただ私たちと同じく、放っておけない。理屈じゃないでしょう?」
「……、勘違い、です。そんな義理もないですから。さっさと帰って大人しくしましょう」
顔を背けつつも戻るように左手で促す。
颯汰は口では見捨てるような言葉を吐くものの、王女の予想は見事的中していた。
助ける気、満々であったのだ。王女たちを巻き込まないように配慮して。
『デザイア・フォース』で変身し、さらに布でも被ってそれこそ『ガルディエル』やら使徒たる『ガルディエルの怨霊』にでも成りすまし、子供たちにはイジメを失くすためのトラウマを植え付けようと考えていたのだが、看破されて若干照れくさくて、すぐに皆を宿に帰したくなっていた。
リズもアスタルテも暴力の前に辛そうな顔をしていたが、少しだけホッと胸を撫で下ろせる気分となった。そうと決まれば颯汰は独りで人目の付かぬところで変身し、襲撃しようと脳内でシミュレートをしていた。
――もう、あの積もった雪山の陰とかでいいか。……顔はどうやって、あぁ迅雷の魔王の兜とかで……
その、一瞬の思考が無駄となるまで数秒とも掛からなかった――。




