24 のどかな農村
吐く息すら凍り付く昨夜から一転、一面を覆う厚い雲の隙間からは斬り裂かれたような空には爽やかな青と、光を受けた白い雲で出来た山の姿――晴天が覗かせた。
太陽神の灼熱の円盤でさえ、地表の雪と氷を完全に消し去る事ができぬ凍土での朝を迎えるのは何度目となるだろうか。本来は帝都――ニヴァリス帝国最大の都たるガラッシアに着いてもおかしくはない頃合いであったが、今から出てもあと一週間ちょっとは掛かる距離にある。
旅の邪魔となる困難が幾度も立ちはだかったゆえだ。野盗こそは(珍しく)遭遇していないが、ユキオオカミの群れに襲われたり、行商に荷物を盗まれ追いかけたりと、平和に過ごした日々はどんどん遠退いていくように思えた。
立花颯汰一行は次期国王候補やらガチの王族、魔王に勇者に吸血鬼に仕舞いには幼龍――それらを率いる裏切り者という、混乱の火種がこれまでかと詰め込んだようなパーティーである。帝国と敵対関係にはないが、自国であるアンバードを救うためにシロすけの親……即ち竜種の王の協力を仰ぐため、正体を隠しながら不法入国しているのだ。正式な手続きを踏めば何か月、下手すれば年単位で掛かるどころか入国を拒否される可能性もある。ゆえに強引に忍び込む必要があり、余計な問題を起こすのは拙いとそれぞれが自覚しながらも、問題ごとの方がダッシュで彼らに迫るのであった。正体を隠している以上、本気で対処するとただの宗教関係者ではないと怪しまれてしまう。あくまでも善良な一般人として振る舞わなければいけなかったのが何より時間を食った。ウェパルだけは不可抗力とはいえ町で変質者を蹴り飛ばしたせいで多少騒ぎになったが、今は反省していて大人しくしている。
『ボクのせいじゃないのになー……』
膝を抱えて馬車で揺られながらそう呟き、リズに頭を撫でられていたのが数日前の事だ。
そして――。
今現在も、そのトラブルに見舞われている。
農村であるテュシアーに前日到着した颯汰一行であったが、これ以上の行軍は不可能であった。
雪の中で飛んで来た何か、氷の塊か岩の欠片かは判断付かぬが、たまたま馬車のウマに直撃し、怪我をしてしまった。
稀に起こる事故ではあるが本当に珍しいらしく、御者の老人は慌てふためいた。
『ウマじゃなく、雪に強いミラドゥ種にすればよかったな。だけど、あいつらは動きがゆったりなんだよなぁ……』
そうレライエがぼやいていたのを思い出す。
ミラドゥ種は厚い脂肪に長い毛に包まれた小型の象、マンモスを想起させる山羊である。
一応食用の家畜として育てられている面もあるためその証拠に“種”と付けられているが、この村ではあくまでも積み荷を運んだりする用途でしか使われていない。モサモサした毛はあったかそうである。太い足には力強さとつぶらな瞳には優しさを感じるが、やはりその動きは見た目通り緩慢である。外敵に対しては頭の大きな二本角を使うのだが、果たしてそれで抵抗できるのか怪しいものだ、と颯汰は見てくれでそう思っていた。
既に村にいた一頭は貸して貰える段取りはついたが、まだもう一台の馬車を引く分には足りないので他にも数頭、他所から借りるために色々と手続きを踏んでくれている。大人組――紅蓮の魔王とレライエ、ウェパルが動いてくれている。
ほぼ全員からウェパルが大人だろうかと問われれば首を横に振るに違いないが、颯汰とリズは何となく事情を知っているので口を挟む事をせずに見送った。
そういう訳で留守番を任された颯汰たちはミラドゥ種の調達が終わるまで暇なので村の散策を始めた。先日の一件もあり、御機嫌取りで颯汰はヒルデブルク王女に付き従い外へと出た。
無論、少し捻くれて正直者ではないこの男が、何も言わなかった訳がない。
「こんな寒い中、外に出るとかどうかしてる」
「へぇ……、そういう態度を取りますの。リズさ――」
「姫、私も共に参ります」
尻鷲づかみ事件を知るものを増やさぬためならば安いプライドなぞ質に出しても構わないという気概で片膝を突く。年下の幼いとて本物の姫君であるだけが理由ではない。事故とはいえお尻を触った申し訳なさも不服とはいえあるにはある。
「ここでは『ヒルダ姉さん』とお呼びなさいな。『私の弟、ヒルベルト』」
「ぐっ……」
ここでは位の高い人間といだけではなく、人族の姉として逆らえない関係となっていた。
正体は隠すため、簡易的とはいえ変装と、この大陸では予め決めておいた偽名を使う事にしていた。偽造した入国許可証には彼らの本当の名はない。家族構成も出身もデタラメなものである。わざわざ姉弟設定まで追加したのは謎であるが当人の手引きかは確かめていないのでわからない。
「あら、何か不服があるのかしら」
「……というか今リズって言ったじゃないですか。ここでは『リザ』でしょうに」
「……、リッズァさん」
「想像以上に苦しい言い訳きたな!」
ヒルデブルク王女は行方不明で死亡説が流れているとはいえ一国の王女――バレないようにせねばならない。颯汰の名も思いの外広まっている事をフォン=ファルガンの傭兵たちからも知っていた。万が一正体がバレれば、帝国から「魔王が攻め込んできた」と勘違いされてもおかしくない。闇の勇者の名まで広まっているかはまだ定かではないが、表立って言いふらすのは避けた方がいいだろう。
この中でただ一人、偽名ではなくあだ名でも問題がなかったアシュ――アスタルテは颯汰のローブの中から出てきたシロすけと戯れ始めていた。
彼女に関しては外で颯汰をパパと呼ばない限り問題はないとしている。彼女が言う事を聞くのかとレライエは不安がり『大丈夫なんです?』と度々颯汰に訊ねていた。理由は事情は教えてもらったから知ってはいるが、精神的に幼いまま肉体だけは育ってしまったのと母親が消滅したショックで年齢と不相応な言動が多々見受けられる点だ。傍から見れば不審で目立つ要因ともなり得る。とはいえ彼女の持つ特異な心臓から生み出される魔力を定期的に排出させねばまた身体に深刻な影響が出て、それは神父のふりをした万能の悪魔たる紅蓮の魔王ですら不可能で、現状では颯汰だけがやれる事だから連れて行く以外の選択の余地はなかった。他の者は聞き分けがいいから大丈夫と信頼しているが、絶対ではないため颯汰はそこにも気を配る必要があった。
二番目に聞き分けがいい子とされているシロすけも竜種の存在も人前に出すと騒ぎとなるので、寒さもあって羽織っているのが普通になりつつある颯汰のローブの中にずっと潜ませている。大人しくしてくれているが、本当は屋外でも羽根を伸ばしたいだろう。出かけると知り颯汰の方を向き、翼を広げ跳躍する。頭に着地しようとするのを颯汰が左腕で護ると白き龍の子の後ろ脚で、腕に乗る。さながら鷹と鷹匠のような光景であったが、シロすけはスルスルと腕を伝い、颯汰の背中へ潜っては、うなじの方から小さな顔を出す。それを指で撫でると甘えた声で鳴いた。
お揃いの衣装の上にさらに毛皮のコートを着込む。ただ外にいるだけで指先が凍えてかじかむのでちゃんと手袋を忘れずに装着し外へ出た。
宿から出た外はやはり寒かった。
堪える寒さに扉を開けた瞬間に閉じようとして姫にどやされる。
家々は古く、田舎の町並みが続いている。
茅葺屋根の上に積もる雪を下ろす村人が何人か見えた。道端のあちこちで掻き分けられた雪は山となっていた。
女性陣の後ろを追うように颯汰は歩く。娯楽もない田舎町であるため、魔王たち大人組が戻る前に飽きるだろうと思っていた。少なくとも無用なトラブルは起きまいと信じていた。その考えがいい加減、甘いのだと言わざるを得ない。己の宿星をまだ理解していないか目を背けているようだ。
しばらく緩やかな坂を登り、辿り着いた牧場。 柵の先にいる愛らしい生物を見ては少女たちがはしゃぎ始めた。
ワタメラ種――飼育されている羊だ。
モコモコとした羊毛と丸まった角は現実の羊のそれと特徴は合致している。だけどそのシルエットは羊と乖離していた。
「すごい、まるい」
まるい。
遠目ではボールにしかみえない。
吹雪だと完全に溶け込む毛の色をしていた。
突き出しているはずの脚も顔も、毛に覆われている。そんな球体じみた生物は愛らしく映る。
歓声に怯えるどころか、逆に興味をもったように羊たちはトテトテと短い足で近づいてくる。
集団は何十頭もいる。メェメェとそれっぽい鳴き声を上げ、柵の外にいる子供たちと触れ合う。
「あら、ヒルベルト。すごい人気ですわね」
「ちょっと怖いんですが……」
何故か颯汰の方にみっちりと寄ろうと柵にめり込む綿毛の塊たち。手に餌を持っているわけではないのにぐいぐいと迫る。
そこへ牧場の管理をしているらしい雪の民のおじさんがやって来て言う。
「ははは。坊主なかなかやり手だな。そっちは全部メスのワタメラだ」
「何がやり手か全くわからない上に、大して嬉しくない……!」
動物に好かれるのは悪い気はしないのだが、こんなモテ期の到来は望んでいない。動物に向ける顔は少し優し気ではあるが、素直に喜べず困った表情をする。不満があるのは当人だけではなく、アスタルテとリズの二人の方にもあった。
「浮気者ー」《ものー》
「何が!?」
全てにおいて謂れ無い暴言である。リズに至っては心の声で不満を漏らす。
微笑ましいものを見たという顔で牧場の持ち主が優しそうに語り掛けてきた。
「お前さんたちは他所からここに来たのだろう? 何もないところで悪いね」
「いえ、そんなことは……」
未だ木の柵にめり込む勢いで迫る大群に圧倒されながらも男の方を向いて颯汰は答えた。
「他に若い奴も少ないし、子供もいるが……ちょっと面倒なことになってるからなぁ」
「?」
「広場で遊んでる子供たちがいるんだがね。その内の一人が実は……皇族なんだよ」
「えっ」
「一番下の、歳の離れた末っ子さ。どういう訳でこの村に住むことになったかはわからないけど、聡明な陛下だ。何かお考えがあっての事だろうよ。……正直言えば、失礼もあっても嫌だからあまり近づかないことだ。じゃあおじさんは仕事に戻るからね。屋根からの落雪にも気を付けるんだよ」
自分の耳を疑った颯汰に軽く説明をすると、人の良さそうな男は去って行った。
どうやら正真正銘の、ニヴァリス帝国を支配する皇帝の子がここにいるらしい。
辺境とまではいかぬ場所ではあるが、どうにも寂れた田舎の村に住まされるのが解せない。
「(理由を知る術もなさそうだが、まぁ関わらなければ良いだけだな……)なるほど。聞いたね? 迷惑にならないよう、会わずに早いうちに宿に戻りま――」
考え込んだのはほんの数瞬で、話しかけた少女たちの方へ振り向いた。関ると間違いなく厄介事となるのは火を見るよりも明らかだ。素性がバレるような問題行動、つまり騒ぎを起こさない事が重要であると再三注意を促してきた。だから、
「――え?」
向いた方向に人が減っている事に驚き、目線を奥へやるとさらに目を疑うような光景が見えて、思わず固まる。
走っていく少女たちが見えた。何故、この場面で彼女たちは走っているのだろう。不安げな顔でその場に残ったリズは、颯汰と全力ダッシュをする彼女たちの方と交互に見るしかできなくなっていた。
「最悪だ……」
信じられないものを見て額に手を当て呟く。
遠くにいた元気っこの先頭を駆るのはやはり王女で、置いてけぼりにした颯汰たちの方を振り向いては言う。
「異邦人とはいえ、此方から挨拶をしなきゃ失礼に当たりますわ。早く着いてきなさい。置いて行きますわよ~!」
「そんな殊勝な感じじゃないでしょうに!」
颯汰は即座に彼女に思惑を看破する。
彼女が脱走したのは結婚相手が人の皮を被ったゴミとも称されるほどの肥えた歳もわりと食っている大貴族であったからだ。
乙女は同じ大陸に住まう美形揃いヴェルミのエルフではなく、もっと北のアルゲンエウス大陸へ夢を馳せていたのだ。
目的は男――皇族。さすがに直接探りを入れたり急にアタックを仕掛けるとは思えな――
――いや、あり得る! あの姫アホだから何をしでかすか読めない……! いきなり求婚するほどぶっ飛んではいないとは思いたいケド、皇子に自己紹介始めても不思議じゃない……!
雪道で滑りそうになりながらも、先を走る姉たちを追いかける。
「何で普段は雪道で走ると速攻で滑って転けるくせに、こういう時ばかりめっちゃ足早いんだ!」
颯汰も本気で走る訳にもいかず、あくまでも年相応なレベルから外れない程度に急ぐ。あと数歩進んだところで彼の方から盛大に転び、追いかけてきたリズが慌てながら起こすのだが、困難は今ではなく、この先で降りかかる事となっている。
皇帝の子、眉目秀麗の剣士との出会い――。
この先の、大いなる試練の切っ掛けはこの出会いから始まったと言えるやもしれない。




