16 討伐
森を進む。倒れて動かなくなった遺体の数々。
首を刺されて絶命するものが多い中、時折、地面へ向かって全力で投擲したトマトみたいな酷い死に様を見せる個体もあった。
誰がやったかは明白だ。
先行する規格外の化物たちの仕業だろう。
警戒しつつ進むせいもあり、追いつける気配がないまま辿り着いた。
本川から分岐した、河原の近くで何やら人が集まっている。傭兵たちは戦闘前の物々しさを感じなかった。知らぬ男の悲鳴に、一人人物が増えている所から通常であればその人物が悲鳴の主だと思うだろう。
ただ、見た目がそんな悲鳴を上げるように見えないから、他に待機させていた兵士だと殆どの傭兵たちはそう思った。
「おぉ、すっごい男だな。背も鬼人に引けを取らない。まさか、混血かい?」
「ゾンパイアだよー」
傭兵の女の問いにとてとてと歩いてやって来たウェパルが答える。
「なにそれ。それよりあっちの御三方の様子が何だか変だけど……?」
「さぁ?」
首を傾げる女性陣。傭兵たちも様子のおかしさと、はち切れんばかりの筋肉と実際にはち切れてる服がほとんど服の体を成していない格好の男へ警戒しつつ、ゆっくりと歩む。
敵方であるアンバード陣営に足を踏み入れているが、その当事者たちは気付いていないはずはないが、全くこちらへと意識が向いていない。
「“初めて”って……あれだよな」
「いや、でも、しかし……」
鬼人の二人が小声で話し合う。言葉の意味を読み取るが、すぐにあり得ないと否定する。
そんな馬鹿な話があるか、と。
しかしあの少女はいつの間にか戦輪をしまい、決意をもって願いを口にしたのだ。頬を赤く、潤んだ瞳、唇を噛み締めて、純白(だった)ワンピースの裾を掴む手は震えていた。――勇気をもって踏み出すのは何も戦場の戦士だけではない。乙女であっても覚悟を胸に戦いへ挑む時がある。
「我らが神の御力――“光の柱”の影響を受けた魔物や亜人が多数いるという事実。下賤な亜人とはいえその中の上位種らしいあの娘が、求めるのは無理もない……」
「そうなると、つまりは……――」
導き出された結論は――。
「「……神の子!?」」
合点がいき、互いの顔に人差し指が向ける。
理解に苦しんだが、納得はできる。
魔王であり現人神たる立花颯汰――の子を宿したいと願うのは、思えば自然な事だ。そもそも亜人の倫理観が人間に通じるはずもないのだ、と。
亜人と人が子を成すという話は聞いた事はない。だがこの方は至高の神であるため可能だろう。
加えればアンバードの王にも近いうちになるのだから、子は多くいた方がいい。
そんな勝手な考えをしていた男たちを余所に、たった一言に凍り付いた男の時がやっと動き始めた。その表情は読み取れないが、
『……フッ、フハハ、ハハハハハ!』
笑っていた。
周りが何事かと眉を顰めて見守る。
狂ったのだろうか。
頭がおかしくなったのだろうか。
紅の衣を靡かせ、立花颯汰は髪を掻き上げて言う。
『……。一瞬ビックリして心の臓が止まるやと思った。だがな! エリート人間不信はこの程度では狼狽えない!』
フリーズをなんとか克服したようだが、頭の中はエラーを吐き続けているようだ。だがウェパルを指さして続けて言い放った言葉は、芯を捉えていた。
『お前、吸血鬼なのに、今迄一度も血を啜った事がないのか』
「「!?」」
場にいる全員が驚き、指し示した方角へ視線を動かした。一斉に見られてぎょっとするウェパルは数瞬視線を斜めに泳がし、
「たははー…………、……――」
頬を指先で掻き、次第に紅潮させては目尻に涙まで溜めて吠えた。
「――し、仕方がないでしょ!? お父様の言いつけなんだから!」
ウガーッと両手を上げて怒るウェパル。
からかう程度に精神の余裕が生まれていると錯覚しているものの、他人のコンプレックスの根幹にあたるデリケートそうな箇所を叩くような趣味はさすがに持ち合わせていない颯汰は少しずらして射つ。
『それじゃあ吸血って何のために? 食事、じゃあ……ないよな。――ハッ!』
ひらめき。
否、思春期脳が妄想を加速度的に膨らませた。
吸血と言う行為が彼らにとって食事という訳ではないのだろう。もしくは食事の代用が可能なのか、衝動的に血を求めるだけで頑張れば抑えられるものなのか。ただ、生きる為に必要な行動であれば、とうに尽きて死んでいるはずだ。
言葉通り、彼女の父もまた特別な“吸血鬼”であるようで、その父親の言いつけを守り、今の今まで吸血という行為をしなかった。それなのに『最初』をあえて自分を選ぶ理由は――。
――何故、俺だ? 最初の、貴重な『初めて』を。……、……いや待て落ち着け……! まだ、まだそうと決まったわけでは……!
特別でたった一度切り、これからもこれまでも、思い出の中に残り続ける『初めて』。彼ら亜人種にとってどのような意味を持つのか。誰でもいいなら今まで大事に取っておかなかっただろう。
再び脳が盛大にバグり始めたところで――、
「お父様が言ったんだものー。吸うならボクらの吸血に耐えられる、魔王にしなさいって」
『………………、なんだ、そういう』
ネタ晴らしは残酷な真実を告げる。
自分でも何故ちょっと残念がっているのかと嫌になりつつ、颯汰は再び髪を掻き上げる。今度は少し、恥ずかしさと自棄が混じる。
それに気づいたのはフォン=ファルガン側の数名だけであるのはある意味救いか、それとも罰か。意外に人間味があるな、と誤認させた。
吸血鬼化を果たした男が人が増えた事にも少し困惑しつつ、話の続きを語ろうとする。
「説明ヲ、続ケマショウ……閣下ハ、大丈夫デショウ――」
『――大丈夫です』
食い気味に返す。その大丈夫って「頭が大丈夫?」とかいうディスりの類いではと一瞬疑い掛かったが心を落ち着かせる。頭はちょっと軽いジャブで脳震盪起きてるのだろう。大丈夫じゃない。
「我々ハ元ハ人間……。何故、我々ガ生ミ出サレタカ。アル日、私ハ拉致サレマシタ。私ダケデハナク、場所ハ「アルゲンエウス」ノ様々ナ地域カラ」
少し冷たい風が吹く。北方ではなく暗い雲を運んだ南からの風である。ゆったりと日は隠れ出した。
拉致とは全く穏やかではない。
「学士様ノヨウナ、オ医者様ノヨウナ人ガ言イマシタ『貴様らは実験体』ダト」
『実験、体……』
何か頭の中にチクリと痛みが奔った。
疲労のせいだろう、すぐに退いた痛みよりも話を聞く事を優先する。
「最初ハ、何ヲ言ッテイルノカワカリマセンデシタ。イヤ、今デスラワカッテイマセン。……デスガ身体ヤ精神ノ変化、薄レル知識ニ理性ガ、我々ヲ化物ニ変エタト嫌デモ認メルシカナイ……。我々ハ『真ノ吸血鬼』ノ“力”ヲ人ニ宿ス実験ノ為ニ連行サレマシタ」
「何の、ために……」
「オソラク、帝国ノ為、ヨリ強イ兵士ヲ作リ上ゲルタメカト……」
傭兵の問いに対する答えに、なるほどなと颯汰は顎に手をあて肯く。
吸血鬼化――それも人間よりも強い上位種の力を取り込む実験……。ゲリラ戦で、訓練した兵を圧倒できる戦力だ。自在に生み出しコントロールができれば強みとなる。
「タダ、実験ハ御覧ノ通リ失敗デシタ。我々ノ前ノグループガ仲間同士デ殺シ合イヲ始メタノデス。ソノ次ガ、私タチダト思ウト恐クナリ、他ノグループノ者タチト一緒ニ帝国カラ逃ゲ出シマシタ。捕マラナカッタノガ幸イダト思イマシタガ、仲間ハドンドン、身モ心モ化物ニナッテ……」
帝国とは間違いなく北方のニヴァリス帝国を指している。非人道的な実験をしていたが、彼らは何とか目を盗み脱走を成功させたようだ。
他にも聞きたい事があったが、迫る小さな音に颯汰は反応した。
『危ない!』
飛来した飛礫を颯汰が掴む。
その方向を見ると、森の方から歩いてくる者たちが見えた。
「あれがゾンパイア・格上のヒトたちか~」
現れた五つの影。それぞれの身なりは汚れてはいるものの、多少は新しいのは理性があった名残か、単純に他人から奪ったに過ぎないのか。……理性があった頃に奪い取ったのだろう。北方からの逃亡者にしては損傷が少ない。
性別にも種族にも統一性がない。
共通点は異質としか言えない程に発達した筋肉と剥き出しの鋭い歯。赤く血走った瞳はどこか虚ろであるところだろう。
「「ォォオオオオオ……!」」
狂おしい感情を直に乗せた咆哮が重なる。
直後、彼らは放たれた矢の如く速度でやって来た。瞬間的な加速は縮地の走法に引けを取らない。恐ろしいのは技術ではなく、純粋な脚力のみでそれをやってのけている事だろう。
一匹の貫き手を颯汰は防ぐ。加速と体重、吸血鬼化の膂力が乗った男の一撃は想像以上に鋭い。
即座に捌き、第二波を迎え撃つ。右斜め前方の次は左斜め前方だ。姿勢が低く襲い掛かるのは血肉に飢えた女だ。例外なくマッシブな肉体で、抉るように腕が下から振り上げられる。
――何かが引き千切れる音がした気がする。
しかしそこへ関心を抱く暇はない。最低限の動きで颯汰は躱し、右脚で踏み込んで反撃する。
両手の指先に黒曜石の様な輝く鋭い爪を展開し、その肉を逆に抉る様に右手で斬り裂いた。
女は野獣と代わり映えのない声で慄き、直撃は回避したものの鋭い爪痕が赤く光る。
困惑はあったが、迫りくる殺意に対して颯汰は感情を凍らせたような冷徹さを発揮する。
叫びを上げている怪物に迷わず追撃を選ぶが、
『チッ……!』
舌打ちと同時に迫る第三波。
何処かで拾った汚れた槍の投擲。
回避で空いた距離を縮めるために踏み込んだ、最速の一手である右による追撃で見せた背に殺意が音速で飛んでくる。見なくても命を狙う攻撃をヒシヒシと感じ、咄嗟に手を地面に着けて躱す。
止まったかのようなゆっくりとした時間。上を通過しようとする槍を目で捉え、跳んで左手で掴み取った。牽制するように槍を振りながら回転して勢いを制し、流れるように狙ってきた個体に向けて同じフォームで槍を擲げ返す。
槍を放った男は投げる際に使った右腕を押さえながら、槍の一撃を腹部に受ける。
短い悲鳴で絶命した事がわかる。
仲間の怒号がさらに増した。
次々と颯汰へ殺到するところで、
「ちょっと待った~」
ゆるく明るい声でウェパルが乱入する。
飛び蹴りが颯汰に近づく敵に直撃する。
怯む吸血鬼に微笑むが、その瞳は全く笑っていない。そのウェパルは右手の人差し指に指輪を嵌めて言う。
「何ボクが最初に頂こうとしてるのに、邪魔をしようとしてるのかな~?」
了承はしていないが、彼女の中でもう颯汰の血を吸う事は決定事項となっているようだ。
「……下等生物の分際で、ねぇッッ!!」
攻撃を受けた腹部の激痛を押さえた怪異に、閃光が奔る。魔力を込めた訳でもなく、単なる拳による暴力だ。彼女がヒシヒシと抱いていた怒り――吸血鬼という存在を貶め続ける者へ感情を爆発させた瞬間である。
今までガス抜きのようにぶつけていたが、己の最上とも呼べる願いを阻むならば、互いの初めてを捧げ合う神聖な儀式を邪魔立てするならば、一切の情けなど掛けず処理するとその目は物語る。……最もウェパルにとって彼らを、何もしなくても殺すのには変わりなかったのだが。
その激しい感情を向けられていない兵士と傭兵たちも顔を強ばらせる。
吹き飛んだ男は張られたテントの次々と巻き込んで森の中で沈黙した。
知能も理性も費えても恐怖は残っている怪物たちは足が竦む。
ウェパルは胸の下で交差させた腕を広げると、その手には戦輪が握られていた。戦輪の外枠が少女の髪の色、爽やかな水色でありながら、その瞬間的な激情と同じく激しい輝きを見せた。
「行って! 『お父様』!」
両手から放たれた戦輪は高速回転しながら目標に喰らいつく。自動追尾する二つの輪から逃れる術はなく、二体の吸血鬼に直撃する。電動のこぎりのように肉を削り血を吸う戦輪に任せるだけではなく、動けなくなった者以外を処する。
『スゴイなあの武器。……そうかあの指輪が本体か。…………オトウサマ?』
霊器には精霊を宿す必要がある。その要たる宝珠が見当たらなかったが、颯汰の見立て通りでその特別な指輪が自動で動き回る戦輪のコントロールを担っていた。
変な言葉が聞こえたが何かの隠語だろうか。
そこを深く考える前に、迫る一体を相手にする必要があった。
大男――人族だった吸血鬼もどき。
ただ、凄まじい運動能力を人の肉体のままでは限界がある。脳の指令で無意識に制限されたリミッターが外れた彼らは、先ほどから限界を超えた動きをしていたのだ。そのせいで時折ぶちぶちと千切れるような音が聞こえるのは筋肉が断裂した音であった。激しい負荷の痛みを顧みず、理性を解かしながら、本能が血を求める。そうなっても動き続ける事に気づいた颯汰は少しの同情と憐憫を胸に抱き、苦しみから解放させる以外に手段が無いと同時に理解していた。
怪物と怪物の拳がぶつかり合う。一瞬の拮抗、即座に互いが手を引き、空いた手の方で殴りかかる。
『――イグニション!』
互いに戦いに礼儀や誇り、誉れなど持ち合わせていない怪物同士。堂々と同じ条件で殴り合うつもりはない。
左腕部の黒い籠手の光る蒼いラインに沿って展開し、リアクターが露出し、スラスター部が蒼い炎を上げて唸る。
『蒼炎の衝鎚ッ!』
人を超えよう造られた者と人の道を外れた力がぶつかり合うが、結果はわかり切っている。
拳骨同士が正面衝突し、吸血鬼の右拳の骨を砕く。追撃は速攻を心掛け、防いだ初撃と同じく貫き手を選んだ。鋭い爪は肉を文字通り貫き、再起不能にさせたところで、ウェパルが残りの敵を倒し終えていた。その後、吹き飛ばしてテントの布地に包まって気を失ったものの方へ戦輪を擲げる。それは正確に布の上から男の首を切り裂いたのであった。
兵士も傭兵もその場を一切動けず、戦いは終結する――。たった数瞬のやり取りで、吸血鬼化した怪物たちが全滅したのだ。
偽りの“魔王”と“吸血鬼”――。
強化されたとはいえ、本当の意味で人を超えた化物には敵わなかったのである。
2020/11/02
一部誤字修正




