16 切り札
戦場と化した港であまりにも場違いな存在である少年――領主の息子であるエルフのニコラスは叫んだ。
「首謀者は誰だ!! ……!! ……貴様か!! 野蛮な鬼め!!」
一瞬、自身のプライドどころか生命すら粉々にするほど恐怖を与えてきた包帯の男が視界に入り、思わず言い淀みそうになったが、それと対峙している男の格好が他の者と明らかに異なることから、すぐに海賊船長の鬼人族が首謀者であると断定できた。船長は隙を見せずに数瞬だけニコラスを睨むように視線を向けた。顔に大きな傷のある鬼人族の顔に多少怯んだところで、止めに憲兵が二人ほど駆け寄ってきた。一人がニコラスを捕まえ抱えようとする。
「はやく避難を!」
「え、ええい! 邪魔をするな貧弱騎士が!!」
子爵の息子の暴言を聞き流し、早々とこの場を離脱しようとしたが、子供が放せと暴れ出し、憲兵服の袖ごと腕に噛みついた。
装備を整える間もなかった兵士から逃れたニコラスは更に鬼人族と包帯男へと近づいた。
それを止めようと憲兵たちは走るが、その状況を楽しもうと海賊の下っ端たちはいやらしい笑みを浮かべて阻む。
背後に武器を持って暴虐の限りを尽くしている海賊たちがいる恐怖を感じ、一瞬視線をそちらへ向けたが、正面を向き直した少年は咳払いをして本題に入った。
「フィル……いや、フィリーネをどうした!!」
怒りが隠す気のない声音で、誰かの名前を出す。
船長は、聞き覚えがあったが瞬時に思い出せずにいた。何より眼前の敵が未だ臨戦態勢を解いていない。
「知らねーなぁ! お前の女か?」
色付く子供を馬鹿にするように、下っ端たちは失笑した。中にはわざとらしく口笛を吹くものもいた。
ニコラス少年は感情任せでそれを否定したうえで怒鳴り散らす。
「そんなんじゃねぇえ!! 質問に答えろ!!」
本当に貴族の息子かよ、と海賊船長はクスクスと笑う。上から目線こそは貴族のそれであるのだが、言葉の汚らしさと少年の高い声から発せられたというギャップでどこか可笑しさを感じていた。
「船で一緒にいたはずだ……!! 船長の娘だ!! どうしたかって聞いている!!」
“船長の娘”というワードで完全に思い出していたのだが、わざとらしく船長は顎に左手を置いて考えに更けている体勢を取った。視界には当然、敵である包帯男を入れたままだ。
「あぁ! あのメスガキかぁ。そうさなぁ……、今頃親子仲良く散歩でもしてるんじゃねえかな?」
思い出したような動きでニコラスを指さしてそう言う。警戒を解いたように見えるが、ボルヴェルグは動かないで様子を窺う。
ニコラスは一瞬、何を言っているのか理解できずにいたため困惑していたところを、海賊の船長が続けた。
「――海底をな!!」
そう叫び、高笑いを上げると、周りから心底下品な笑い声たちが後を追った。
「え……」
その言葉が、絶望の谷底へニコラスを叩きつけた。頭の中で幾度も反芻したのに、飲み込めない。理解を拒む。それなのに、顔から満ち溢れていた血の気がサーッと引いていき、手が震え始めていた。
「あの船を襲った際、船長が言うんだ。『娘だけは殺さないでくれ』ってな! だから斬るのは勘弁してやったんだぜ? それなのにあのメスガキはピーピーピーピー喚き散らすからよぉ……。うるせえから樽に詰めて沈めてやった。可哀想だから死んだパパも一緒に後を追わせたぜ? もうとっくに再会してる頃合いだろうよ!! ――っと!!」
ボルヴェルグが距離を瞬時に詰め、斬りかかる。それを読んでいた海賊船長は剣を両手で握り直して防いだ。
ボルヴェルグは既に包帯の邪魔な部分を直していた。直すと言っても邪魔な部分を剣で斬っただけだ。そのお陰で目は隠れる心配はないが、褐色の肌が覗かせている。その瞳には明確な殺意が漲っていた。
斬り込んできた一振りが、明らかに強まっていた。それだけではなく数発打ち合って、自身の力も疲労で弱まっていると鬼人族の男は冷静に分析している。
斬り合いを楽しみたいと思う反面、海賊をまとめ上げる船長として、犠牲を少なく勝つ必要がある――即ち、もう決着をつけるべきなのだ。
しかし今、気配だけで剣を振れるバケモノはハンデもない状況である。このまま戦闘が続けば間違いなく、早々に死ぬ。
だが、笑う。
不敵に嗤う。
体力差だけではなく実力さえも及ばない相手を前に、男は笑うことができた。少年の絶望に満ちた表情を愉しんだ訳ではない。そういった趣味は持ち合わせているが、その事で笑顔になったわけではない。
――勝てる!
笑みを浮かべた男から、“何かある”なと予感し始めたボルヴェルグも直ぐに決着をつけるべく、動いた。
彼の予想では、鬼人族の体内魔力を開放し、身体能力を瞬間的に向上させる種族固有の能力『神鬼解放』を使うつもりだろうと踏んでいた。
それを発動する“溜め”の時間が必要であるから、ボルヴェルグは今まで通りその隙を与えないつもりでい続けた。
遥か昔、大気中に体外魔力が溢れていた頃は角から外気の魔力を吸い取り、長時間も爆発的に身体能力を伸ばしていたそうだが、今はほんの僅かな間しか発動できない上にコントロールに失敗すると大きく疲労感が出てしまうほど『神鬼解放』は弱体化していた。下手に限界を越えようとすれば却って危険に陥る能力となっている。供給されるべき魔力量が足りず、消費魔力の多さからすぐにガス欠をしてしまうのだ。
上手く使えば逆転も可能な諸刃の刃。しかし、もし仮に発動されたとしても、向上する身体能力もあくまでも瞬間的であるため、戦才に恵まれたボルヴェルグも防御と回避に徹すればすぐに攻勢に出られるものであった。
だが、ボルヴェルグの予想と裏腹に、海賊船長はそんな賭けに出るつもりは毛頭なかった。――もっとシンプルに悪役らしい手段を行使する。
船長は目の色と覗く肌の色から魔人族であることは看破している。同じ差別される側として、仲間になれ――という説得は難しいと直ぐに判断していた。わざわざ他種族の面倒ごとに斬り込んで来たのだから悪道を嫌う人柄であると察せた。ゆえに、行う手段は非常に安直であった。
「嘘だ……僕を騙そうとしている……!」
衝撃の事実を突き付けられ、急性のストレスにより精神が大いに揺れ動く。平静さを失い今にも崩れ落ち、壊れそうな少年の方を海賊船長は指さして言い放つ。
「今だ!! 野郎ども!! ガキを捕まえろ!!」
「――ッ!!」
そう、ボルヴェルグは真正の善人。悪逆の限りを尽くしてきた男にはすぐにそうだと見抜けた。そういった手合いに面白いほど効くのが『人質』を取るという行動だと彼は知っている。――そして、
「ハッ!! 馬鹿が、隙だらけだ!!」
『人質』を救おうと、正義の味方は瞬間的に意識をそこへ注いでしまうのも熟知していた。
ボルヴェルグは咄嗟に振り返り、ニコラス少年へと左手を伸ばそうと動いた。海賊船長はそうして意識が自分から外れる瞬間を待っていたのだ。切り札を切るのはこのタイミングしかないと判断し、懐から黒い何かを取り出した。木をベースに金属が取り付けられていて、金色の派手な装飾が目につく物であった。先端は鉄の筒状で、木製部分がしなやかな曲線を描きながら持ち手の中に収まっている。
左手の人差し指で金属のレバーを引くと、勢いよく燃焼する音に、弾けるような音がする。直後、何かが高速で筒から飛び出した。
その正体がわからなかったが、ボルヴェルグは本能的に回避を選択した。
おかげで急所への直撃だけは避けたが、左肩が貫かれ、飛んできた方向の後ろへ血飛沫が飛散する。
「な……にぃ!?」
敵とは言葉を交わすつもりがなく沈黙を貫こうとしていた男から、思わず口から声が出た。
驚嘆の表情を浮かべるボルヴェルグと反対に、海賊の船長は手に持った煙を上げているそれを持ちながら邪悪な顔をしていた。
「どんな優れた戦士でも、初めて見る武器にゃあ反応が遅れるってもんだな」
ボルヴェルグはそれの正体がわからない。初めて見る物であった。ただ、海賊船長が持っているものが武器であることと、丸い何かが飛んで、肩付近の肉を抉り穿ったとは理解できた。傷口から出た血が衣服と包帯、押さえようとした右手と剣の柄を、赤に染める。
海賊船長はそれを敵である包帯男にそれの口を向けながら、少年へ心からの感謝の言葉を吐いた。
「ありがとうよクソガキ。お前がノコノコとやってくるお陰で、正義の味方面をしたモンスターを倒す事が出来たぜ」
「…………え」
放心したままであった少年は強制的に意識を浮上させられる。幼い彼でも、その手に持っている物が包帯男に傷を負わせた武器であると分かった。
海賊船長は首を動かし、ニコラスを捕まえようと動いた下っ端を一度、制止させてから続けて言う。
「馬鹿なお前を助けようと、俺達悪者から目を背けたからなぁ。……当然の結果だ。コイツで肩を撃ち抜いた、動けないから次は確実に命を奪えるぜ?」
少年は震える瞳で包帯男の撃ち抜かれて出血している肩を見た。押さえている右手と柄を伝って、赤い雫がポタポタと石畳に滴り落ちた。
海賊船長は驚嘆で見開いた瞳から突き刺さるような敵意が籠った目へと戻していた男に対し、得意げに手に持ったそれを見せつける。
「あぁこれか? “銃”って代物だ。正式な名前は……なんつったっけなぁ。ふりんと? なんちゃら? まぁいいかお前らはどうせここで死ぬし」
求めていない説明を勝手にした海賊船長は『これは命を奪う道具である』とアピールし、周りの憲兵と銃口を向けられたボルヴェルグとニコラスの行動を制限させた。
実は二発目を撃つには、発射する球状の鉛玉を詰める、装薬を入れるなどの準備が必要であった。だが、誰もが銃という未知の存在を初めて見たため、直ぐに撃てるという嘘が通用した。
もてあそぶかのように、包帯男と貴族の少年へ銃口を交互に向ける。下手に動けば殺す、と言葉にせず脅す。
船長は、この男ならば片手でも抵抗できると睨んでいた。銃も使えないから、近づいて斬ってトドメを刺す以外の手段はない。しかしそれは危険でもあるので、手の空いている部下たちを動かす事が最小限の被害で殺せると考えついた。
「さて、憲兵諸君!! 俺の部下たちから離れないとこのクソガキが死ぬぞ? 野郎どもも退け! 退却準備だ。充分奪っただろう! 憲兵諸君もこれ以上被害を生み出したくないなら大人しくしとけよ?」
これも嘘だ。部下を一度集めて包帯男を確実に葬り去ってから、子供を盾にここにいる憲兵を一掃し、市街地まで襲う魂胆であった。充分に奪ったと言いこちらが退くと安心させるが、下っ端もその意図に気付いている。憲兵も何人かは感づいていたが、分かっていても人質がいるから動くことができない。この場にいる全てが彼の嘘の呪詛で支配されていた。
ジリジリと憲兵から下がっていく海賊たちは憎たらしい顔で笑う。
誰もが自身の言葉に騙され操られている状況を、海賊船長は心の奥底から言い様のない快感を覚えていた。おそらく一国の王などの権力者も同じ快感を味わったに違いない、と勝手な事を思い浮かべながら。
一人の下っ端が、恐怖と喪失感によって抜け殻のようになってしまったニコラスの背後から手を回すように曲刀の刃を向けながら確保した。完全に人質となってしまった。
憲兵は各々悔しそうな顔をしながら、どうすべきか考えあぐねていた。状況はまさに絶望的だ。例え増援が増えても、貴族たる子爵の息子を盾にされれば、手の出しようがない。
海賊側もボルヴェルグ以上の戦力はいないはずだと調べ付いていた――というかこの男がいた事がそもそもの計算違いであるのだが、それももう乗り越えたも同然だと心のどこかで安堵していた。
つまりは――油断をしてしまった。
古今東西いつの時代、慢心は死を招く。油断から、物事の最後の最後で足元が掬われて台無しとなって転落してしまう事が歴史上、幾度もあった。
しかしそれは、人が意識的か無意識なのか別として、安心を求めてしまった結果なのだから仕方がない事なのかも知れない。安堵し、心に余裕が生まれ、付け入る隙も生まれる。
だが今回ばかりは不幸であった、と言えるかもしれない。この場にいる憲兵たちがその隙を突くわけでもなく、ボルヴェルグが動くわけでもないのだ。彼らに心の余裕こそは生まれていたが、眼前の敵からは警戒を怠らずにいた。
しかし、
彼らは安堵していた。もはやこの街で戦える人間はいないと――。
彼らは失念していた。同じような実力者がいる可能性を――。
彼らは決めつけていた。この男が単独であると――。
そんな彼らに、迫り来る脅威に気付けるはずもない。
破滅がすぐそこまでやってきている。
ボルヴェルグの乱入という突発的に起きたイレギュラーに対し。さらに問題が降りかかろうとしていた。
それはまるで誰かが世界の裏側で糸を引いて、せせら笑っているかのように。
やっと能力者バトルらしく(?)、ファンタジーらしく魔力を登場させました。
メインである魔王たちの出番はまだ後です。
2018/05/15
あわせて少し修正




