01 とある早朝の出来事
早朝、某所にて――。
対峙する男たちがいた。
夜を塗り潰したばかりの透明な空の下。
足元は緑が寂しい荒野の土が広がっている。
一人は立花颯汰。
尋常じゃない闘気を滾らせて挑む。
身体の表面を黒の装甲を纏い、蒼い炎が揺らめく籠手に、脚の装具は赤い雷が迸っている。――“獣”の力も解放せざるを得ない相手だ。
「いつでも来るといい」
もう一人――見慣れかけた神父の扮装ではなく、久しく袖を通していなかった占卜者や魔術師のようなローブ姿の“紅蓮の魔王”が言う。
その手には鞘に納まった剣。握っている鞘と柄の形状から、颯汰が今抜き放ったものと同じだ。
平静であるゆえにどこか挑発的で、見下しているようにも見える言葉を受けて颯汰は吠える。
『今度こそ、ぶっ倒す……!』
風の音は途絶えた。
本当は、合図なんて要らない。
『――シッ!』
これは戦いである。決闘や試合などという高潔なものでは決してないのだから。
先手を取ったのは立花颯汰。
鞘を捨て、剣を右手に魔王に斬りかかる――のではなく、最初にやったのは左に持ち替え、腰のベルトに吊り下げていたナイフによる投擲であった。
真正面、心臓を狙うそれを紅蓮の魔王は無感動に弾いてみせた。無論、想定内。
弾いた左手側へ無影迅による高速移動で回り込み、間髪入れずに斬りかかった。
振り払うために上がった腕に対して、斜め下から斬り上げようとする。
魔王の左腕を斬り落とさんとした。
だが斬撃は通り過ぎる。
血飛沫は噴かず、白刃が空を斬った。
すらりと布にすら触れさせない。
魔王が一歩退くのを、追うように剣を振るう。
魔王の持つ剣を使わせぬように怒涛の連撃を叩き込む。その全てを躱されてもなお、颯汰は猛追し、食らいつくのであった。
戦いに於いて、まずは敵の動きなどの情報を識る必要がある。無闇矢鱈に飛び込むのは確かに悪手だが、相手の情報を知っている場合は異なる。
(考えなしの突撃は愚であり、激情に駆られて飛び込むなんて以ての外だろう)。
スポーツによる対人競技や武道試合、ゲームの対戦、喧嘩や殺し合いでも、重要なのは『如何に相手の“得意”をやらせないか』である。
得意分野で勝負する必要はないのだ。
スポーツであれば、体力と粘り強さが自慢の相手選手に対して、指導者は「持久戦に持ち込まれないよう、短期決戦――速攻を心掛けろ」などアドバイスやもっと具体的な作戦を立てるだろう。
多人数での試合で連携が上手いチームには、弱点と呼ぶと失礼極まりないが、狙いやすい個人を集中して崩すなど、何らかの妨害策を練って実行するだろう。あくまでもルールに則ってだが。
近距離型の敵に接近戦を挑むのも余程自信がないと自殺行為であるし、射程外の遠距離から攻めてくる敵に対しては、遮蔽物を利用するなど考えながら接近しなければ勝機は見えてこない。
相手の得意分野で無双させてはいけないのだ。
的確に苦手や弱点を突いて敵方のペースを乱し、常の流れを自分のものへと引き寄せるのが戦いの基本であろう。だから先んじて相手の情報を知っていれば対策は練られるし、戦いながら観察する必要はなくなる――。
――手数が足りない。ならば……!
叫びながらも、攻撃する手を止めない。
『黒獄の顎!』
左腕から溢れ出す瘴気が無貌の顎を創り出す。
敵に噛みつき、『分解』し変換し吸収を行うのだが、紅蓮の魔王に安易に触れるのは危険であると正しい判断を下した。
『両腕部リアクター展開:起動開始――。
正常動作を確認――。
出力:フルドライブ――。
緊急生成、工程簡略化にて実行――。
作製完了:レプリカ・ソード――。
及び右腕兵装展開――』
無機質な電子音声のようなアナウンス通りに左腕から出て来た両顎の内から飛び出すように、持っている物と同じ剣が生成され、
『烈閃刃起動!』
颯汰が力強く叫び、右腕の甲を覆うように伸びるチェーンソー型の武器が展開された。
剣の方はあくまで普通の武器だが、烈閃刃――手甲が変形し、露出したリアクターの蒼い光と同じ輝きを刃から放つ。
黒獄の顎には生成した剣を咥えさせ、飛来させる。基本は左手の動きに忠実に合わせる補助として機能を果たしているが、今は第三の腕として独自で動くだけではなく、心内にて命令を下した任意のタイミングで攻撃を始めていた。
攻撃をしながら武器を創り出し、その武器や強大な力にただ振り回されぬよう細心の注意を払う。闇雲ではなく、己が習ったあるいは見知った剣技を交え、三つの刃と縮地の走法で反撃の隙を与えず、紅蓮の魔王を追い詰めていく。
戦いに於いて重要な要素の一つは『如何に自分の“得意”を発揮できるか』である。
相手の苦手を突き、己は得意分野で無双できるようにするのが必勝の近道だ。
ただ問題があるとすれば、相手との実力に差があり過ぎると通じなくなる点だろうか。テクニックで強引に流れを相手の有利な方に引き戻される事もあるだろうし、そもそも得手不得手に関わらず単純に押し負ける事もままあるだろう。
また戦闘スタイルが同じ、あるいは近いと如実に力の差が結果として現れる。
そうと知っているからこそ、立花颯汰が選び取った手段がこれなのである。
「むっ……!」
凄まじい気迫が乗った鋭い刺突が魔王の喉元へ狙う。
首をずらし回避されるが、そのまま左手に持った剣を右方向へと動かし首を刈り取らんとする。
それすら舞うように避ける魔王は、右方向へ無理に剣を振った事で生じた僅かな隙――折角出した右腕部の武器も使えない状況であるゆえに、鞘から剣を抜こうとした。
――そこだッ!
死角になるよう潜り込ませた黒獄の顎が咥えた剣が胴目掛けて飛んで行き、魔王は伸ばした手を咄嗟に離し、掴んでいた鞘の腹で突きを防ぐ。
「やるな」
紅蓮は素直に褒めたが全くそう聞こえない。
颯汰は必殺の一撃を外したと焦る。
焦りなど戦いに邪魔なだけだが、無理もない。颯汰の戦法は所詮は常に先手を取り、反撃の隙を与えないようしているだけに過ぎない。
それほどまでに紅蓮の魔王との力の差があるのだ。
《王権》
『堕ちた星剣』
加えて魔法や、光の勇者の能力『光速』……。
いずれか一つでさえ使われると勝機は失せる。
だから、攻撃行動を取られる前に雌雄を決したかった。
「ハハ。まるで蝎……いや、それこそ蛇か? だがまだ――」
感心する魔王の言葉を聞き入れず、颯汰は攻め続ける。三つの刃にまるで躊躇いはない。
ここで決着をつける気概にしか感じない。
短い付き合いに終止符を打たんとしている。
見くびられている今がチャンスなのだ、と。
魔王としての権能も、勇者としての実力も微塵も出していないこの化物を討つには――、
「足りないな」
背筋が凍り付くような悪寒が奔る。
一瞬で周りの温度が下がった気がした。
魔王の纏う空気が変質したと気づいた時には、全身から精神性由来の発汗が止めどなく溢れる。
「王権……!」
その言葉が聞こえた瞬間、颯汰の視界は闇に閉ざされる。死とは真逆の、生への渇望のイメージ。視界を覆う黒き靄が急速に広がり、世界を黒に染め上げた。同時に生存への答えを“光”で導き始めた。白い光の足跡が後方へ伸びていく。それを追い、正確に合わせる。
震えるほど肌に感じた“死”の予感。
それを回避すべく光を追う。荒野のかなり先まで伸びていく。武器を一瞬捨てて全速力で逃げるべきか考えた。その刹那の迷いが、光を奪う。
『なッ……!?』
超感覚的知覚による危機察知で描かれた光が暗い炎に燃やされていった。
脳内でのイメージだが、確かに炎が白く光る足跡を一気に喰らい尽していく。
世界が真に闇に呑まれた。
辿った足跡が消え、足を止める。
怖気は止まるどころか増していく。
災厄が迫るのを嫌でも感じてしまう。
『さぁ、祈れ……!』
魔王の声が、己と似ているが少し違う響き方をした。あちらの方が、与える恐怖と威圧が強いと颯汰は歯を食いしばりながら思った。そうしなければガタガタと震えてしまっていただろう。
見開いた目に、世界は色を取り戻して映る。
気配を辿る、上だ。
上空に跳躍した男。その姿は変化していた。
紅の甲冑に血を吸ったような色合いの擦り切れて傷だらけの外套。双角の鬼神を思わせる兜の下、羅刹と目が合った。
《王権》『黙示録の赤き竜王』。
魔王たる所以である外殻を身に纏い、迫って来るのを見て颯汰は思った。この化物を討つには何もかも足りない、と。与えられた力も。磨き抜いた技も。何もかもが遠い。戦いの帰趨はこの一撃で決まる。
紅い流星が降る――。
炎を宿した飛び蹴りだ。
『……ッ!!』
超高度から重力による落下と両手から放出した炎を利用した加速が、鉄靴の裏を赤熱させる。
周囲数キロは焼き尽くすと推測できる濃密な魔力を感じる。逃げ場はない。
だがここで諦観するほど潔くはないし生への執着は人一倍である颯汰が選ぶのは、
『限定行使――索引・ルクスリア!』
迎撃だ。
奪い取った“魔王”の力を引き出す。
恐れなどの余計な感情は、凍り付いたと瞳が物語っていた。
まずは正面、赤い雷による半透明な障壁を造り出す魔法を発動する。
『マグネティック・フィールド!』
右手、左手と順番に手を前へ置き、降って来る敵と自分との間に円形の障壁を二枚張った。迅雷の魔王のより強度は心許ないからこそ次の行動へ移す。颯汰は右腕のチェイン・エッジを変形させた。刃がワイヤーにより伸縮。刃の部分が等間隔に分裂し鞭のようにしなる。
右腕を突き出し、伸びたそれが前面に展開された円形障壁の縁を沿うように張り付く。
等間隔に張られた刃は蒼く輝き、チェーンの細かな刃が高速回転すると、エネルギーが解き放たれ、障壁が補強される。
これでも足りないと理解している。
本命は、障壁を破られる事を前提としてカウンターである。いつぞや黒豹が飛び掛かった時と似ているがまるで状況も脅威レベルも違う。
瘴気の顎が解け、霧散はせず下げた左腕へ纏わりつく。
奥義を放つために、準備を整える。
蛟牙でも蜃燕でもない。
斜め上から落下する炎が直撃する。ものの数秒掛からず一枚目は飴細工のように破り去られた。
衝撃が伝わり、地面に両脚がめり込む。重撃に全身が震え、叫びにも似た呻きが漏れる。
二枚目の障壁が耐えた事に紅蓮の魔王が再び感心していた。颯汰は必死でそれに対する憤りなどは最早感じていない。
タイミングを合わせる。勢いはだいぶ殺した。そのまま直撃を受ければ大ダメージは必至だが、防御しないより遥かにマシであり、稼いだ時間が僅かな光明を造り出す。
破壊された瞬間が勝負となる。
――来るッ!
障壁にヒビが入るのが見えた。
左手で握る剣の柄に力が入った。
紅蓮の魔王は何をしようとしているかはわからないが、相対する少年の目がまだ諦めていない事だけは気が付いていた。命を狙う相手の好機に付き合うのは酔狂だと言えるが、それに乗るのが“魔王”という怪物たちである。
己の強さに酔い、その狂気に浸りさらに深く酔うのである。でなければ、そもそもこんな退屈な闘い、行うはずもなかった。
障壁の中心から広がった亀裂が、ついに全方位に至る。颯汰は脚部の装甲を展開し、銀の杭が脚を固定させる。左手と剣には赫雷が宿り、赤く輝きを放っていた。剣身を覆う迸る雷撃と迫る業炎が颯汰の周囲を赤く染め上げた。
そして遂に、激突する。
『奥義! デトネイト――……ッ!?』
障壁を突破された瞬間のタイミングに合わせるよう、狙いを定めて、一気に紅蓮の魔王の足に目掛けて剣を突き刺しに行った。もはや完全に剣身は雷光に覆われた、赤い光線の剣と化した。
実際の剣の長さよりも長く伸びた光の刃が、対象に突き刺さるはずであった。だが、その高密度のエネルギーに、剣自体が耐え切れなかった。
刃先からヒビが入り、即座に崩壊する。エネルギーも弱まり、収束された雷は飛び散り残ったのは刃が欠けた剣。それでは奥義など放てるわけがなかった。
障壁は破られ、爆炎が空気を焦がす。
浸食し、蹂躙し、ありとあらゆるものを焼き尽くさんと炎は踊り狂った。
目が熱で渇く。それでも瞼は閉じず、最期まで足掻くと決めた。
荒野、周囲約十クルスの間に街や村がない地点で戦ったのは被害を与えないためである。
乾いた土を炙るような熱風が駆け抜けていく。僅かに生えた草木も黒く焦げていった。
その爆心地である土は真っ黒で、周囲の石や岩までも燃えている。その部分だけおよそ生物は生きていられない世界へと変貌を遂げていた。




