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Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~  作者: キリシマのミナト
偽王の試練
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66 黒き泥

 王都の各地に出現した不定形の闇――粘着質のある悪意の塊が動き出していた。そのヘドロの如き存在はじわりと浸食を始め、建物から動物、食料まで呑み込み、ヒトまで喰らわんとする。

 なだらかな泥の山となり、その中に一つ淡い色の光が奇妙に揺れた。それは球体で泥の中を自在に動いていた。そんな黒の海の中には取り込んだ物質が幾つも漂う。汚泥の中は外から見るよりも異様に広く、まさに無明の海と言っていい。物理法則を無視した魔法の領域であった。その中でも取り込んだ物質の残骸は足元と言うべきか――泥の山のふもとの辺りに集中して飛び出ていた。残骸はしばらくすると発火し、赤い火が燈る。それは幾つも人を睨む目にも見えた。

 人々は恐怖する。

 何度見ても慣れやしない。当然だ。平穏が破られ、命を狙われているのだから。

 王都を囲う壁は魔物や野盗などの外敵から護るために存在し、常ならば住民は危機に瀕する事は少ないはずだった。

 迅雷の魔王の圧政も、下手な抵抗さえしなければ、連れ去られる人々を黙認さえしていれば自分たちが死ぬような目にはまず合わなかった。

 だけどそれも、終わりを告げたのだろうか。

 やっと立ち直りかけたというのに、それすら台無しにする厄災に対し、神の存在を疑いかけた者もいたに違いない。嗚咽を漏らし、逃げ惑う者もいただろう。――再度、この世が地獄に陥ると人々は確信してしまっていた。

 同時多発的に現れた泥の怪物は計八体。

 二階建ての家と同等の大きさの個体までいる。

 その泥の表皮に触れれば焼け溶けて絶命するか、あるいはそのまま呑み込まれ、息ができずに窒息死するか。そうして動かなくなった身体を泥がジワジワ溶かして栄養として吸収するのだ。

 そんな恐ろしい怪物が悪夢を蘇らせる。あの日喰われた友人や家族、恋人の最期を――。

 ゆえに悔しさと恐怖を噛み殺し、一列に並び、隙間なく大楯を構えた一団が吠えた。


「総員、構えー!」

「「「おうッ!!」」」


 怪物から見れば矮小な人間エサたち――。

 その時の黒泥はまだ触手を伸ばすといった攻撃・捕食行動を取っていなかったが、じんわりと動くだけで被害が生まれるのである。触れる地面は焦げて、建造物は燃え、延焼する。それを押し留めようと動ける騎士隊は即席の壁を造り、群衆を護ろうとした。

 それに興味もないように泥は進まんとする。

 泥の動きは緩慢なくせに荒れ狂う波濤の如き勢いであり、騎士たちは一ムート越えの大楯で必至に耐えた。

 だが抑えられたのは僅かな間だけ。黒泥は無慈悲にも、上から楯ごと呑み込もうとしたのだ。

 怒号、悲鳴。

 この地はまた悲しみに包まれようとしていた。


 それを図らずも阻止する――己の心に従う、闇と光を携えた“獣”が空から堕ちてきた。


 王都で暴れ出した黒泥たちは、相対していない個体までもが僅かの間だが動きを止める。

 知性も理性もあるとは思えない、ただ物を呑み込むという行動だけがインプットされたような怪物が恐れ、おののいたように見える。

 各地の泥がゆっくりと移動を始めた。

 方角は一瞬、閃光が屹立して見えた場所へ。

 他の人間など相手にせず、ずるずると黒泥は一点に目掛けて動き出す。そうした奇妙な動きの意図を、理解している者はこの王都で僅かしかいなかった。


 そして、蒼き炎の光が落ちた地点にて――。

 蠢動する黒泥は牙を剥いた。

 発声器官があればきっと吠えて、近づくそれ(、、)を迎え撃った事だろう。

 距離を詰めてくる外敵の、なびく外套の中から、何かが出てくる。それはうなじ、右肩、右腕へと移動する。白くて細い身体は黒い手甲の上だからこそより一層白く映えた。イタチのような俊敏な動きを見せたのは龍の子供であった。

 翼を広げ飛んで行くそれに対し、漆黒の泥から伸びる触手は一瞬追いかけようと伸びたが、すぐに動きを止め、強い殺意をもって迫る者へと目標を戻した。「あっちの方が危険だ」と言わんばかりに、杭のように鋭い触手が殺到する。

 対する小さな人間――であった者は荒ぶる獣性を本能のまま、解き放ってしまいそうになっていた。

 近づいてきたヒトよりも大きい黒い触手の一つを、殴って吹き飛ばしながら、立花颯汰は考える。身を任せたい衝動に、疑念を抱きながら走る。


 ――何故だろう……


 血が滾る。

 心が騒ぐ。

 いつもこの“泥”を見ていると正常からずれていってしまう。

 襲い掛かる殺意に過敏に反応しているのか、この怪物が起こしたであろう惨状――街が火の海となっている事に対する憤りだろうか。

 正義感で心が燃えている……とは彼も己を客観視しながらそれは無いなと心の内で吐き捨てる。そんな殊勝なものではない。

 怒りは、勿論あるだろう。焼けた村を――空へと舞い上がる火の粉が思い出させるから。

 何か、得体の知れないものを求めている“渇望”が己の身を動かしているような気がした。

 憎悪だろうか。“獣”は答えてはくれない。


 相手の思考などをお構いなしに、殺到する第二波。先端をやじりのように鋭くした触手に、家の壁のコンクリか地面の石材を盾にした触手、煉瓦を纏ったものまでもが颯汰に襲い掛かる。

 幾つかを避けると地面にぶつかり、泥である己自身と盾にした材料まで粉々に散らしていった。


 ――……堅くできるのは今のところ三つが限度っぽいな。燃えるのも、あの地面に接している部分のみ。今のところは――ッ!!


 命を狙う一突き二突きと弾いたり、蹴とばしたりしながら冷静に状況を分析していた。


『――っ飛べッ!』


 触手の一つを蹴り飛ばす。赤い雷を纏わせた一撃はかなりの威力があった。証拠に泥の一部が肉片のように左に吹っ飛んで――遠くの家へぶつかり、派手に色を撒き散らした。さながら壁に向かって防犯用カラーボールや、柔らかく果汁の多い果物を全力投球で投げたように弾けて散った――が、すぐに泥の腕が再生を始めるのが見えた。

 それを見ていた人々は驚愕の表情を、相対する颯汰は嫌悪すら浮かべず、無感情で冷めたようにまた迫る攻撃を回避、または迎撃していた。


『手応え、なし……――それなら!』


 脳内で思案し、別のアプローチを試みる。上から向かって来る槍のような一本を蹴り上げると、金属がぶつかり合う音と火花が散った。

 そこへ颯汰が後ろへやった左手を勢いよく前へと突き出す。手甲からその黒が剥離されたような瘴気が勢いよく噴き出し、顔の無いアギトとなっては弾いた触手に噛り付いた。

 黒獄の顎(ガルム・ファング)と名付けたその煙が実体をもって不定形の闇を喰らう。迅雷の魔王から力を奪い取った時と同じく、相手から能力あるいは魔力を奪い活動停止まで追い込もうと考えた、が――


『む――!』


 噛み付き、すぐにその機能を使おうとしたが、無駄となる。喰らいついた泥はすぐに色を失い、炭化して塵となって消える。自壊したのだ。トカゲの尻尾のように己の身体の一部を切り捨てた。


『やはりダメか』


トカゲの自切と違うのは幾らでも切り捨てた器官を再生させられる事だろう。ほんの僅かだけエネルギーを得られたが、それでも此方は無尽蔵ではないため力を使うのにも気を付けなければならない。

 

 ――あの泥を動かしている筋肉じゃあなく、通っているのも神経でもない。『魔力』だから毒も通じないか。……そもそも生物じゃないだろうし


 ベルトには、左側に吊るした短剣の他に並ぶものがあった。人差し指ほどの大きさの小瓶が弾帯のように五つ。空のものもあるが、中身が入ったものもある。その内の一つが即効性のあるもので――神経に作用し、さらに筋肉を弛緩させる効果があるのだが、相手の図体からも効き目がないと判断し、腰に回そうとした右手を途中で止めた。

 止めたと同時に、颯汰の動きを思わず止まる。


『なんだか……、大きくなってない?』


 相手からのプレッシャーにより、敵が大きく見える……という訳ではなく、泥の質量が明らかに増していた。颯汰が狙ったこの個体も、一瞬の目測ではあるが最も大きかったはずだが、いつの間にか二倍近く膨れ上がっていた。

 疑問に対する泥の答えは沈黙ではあるが、言葉や声以上に苛烈な答えであった。


『――こいつ……!』


 相手の攻め方が変わった。射撃である。攻撃速度は矢の如く今までとあまり遜色ないが、手数は段違いとなっていた。それに合わせて迫りくる触手は棘のような形状で細長い。とは言っても成人男性の腕ぐらいはあるが、それでも先ほどよりは幾分も細長くなった触手を撃ちこんでくる。

 颯汰は気づかなかった。他の場所から泥がこの一ヵ所に集まっている事を。

 すでに合流した一体が合体し、さらに大きくなったのである。

 堪らず颯汰は走り出した。ステップで回避できるような弾幕ではない。

 走り去ったところの影を縫うように突き刺さる。石畳を容易に貫けるほど堅かったが、三数える間もない内に溶けて泥に戻る。戻るともぞもぞと動き出して本体の方へ還っていくのが見えた。

 十字路の角まで逃げ込む。近くで刺さったそれが元に戻ったのを眺めていた。


 ――あの射撃の最中は大きい触手の方は出せないみたいだ。それに射撃も一定のリズムで、三発×三回の後に隙がある。あるけど……


 敵の抵抗が激しいのもあるが、生物ではないゲル化した泥の海にどう攻めるべきか考えあぐねていた部分もある――しかし、一番の懸念とも言うべき、攻めづらい理由は別にあった。


『こういうの、たぶんコアみたいなのがあると思うんだけど……』


 ゲームや漫画だとよくある事で、要するに敵の心臓部。万物は動力を破壊すれば必ず停止するものである。それの所在は見えないが、間違いなく中に存在するはずだと。


 ――とはいえ、この場合のコアって……


 黒泥の性質を深く知る訳ではないが、それでも今まで見ていた通りならば予想はできる。

 飛来するつぶてと呼ぶには大きすぎる瓦礫がれきを躱し、さらに追撃とばかりに突き刺しに来た泥を避けながら心内で続けた。

 左裏拳で払うように攻撃を逸らした颯汰の表情が、一瞬だけ陰りを見せた。


『肯定――。

 敵寄生体内の残存生命体反応確認――。

 個体数:七。いずれも人間――。

 コアの破壊にて活動停止する確率は89%

 推奨――核の破壊』


 左腕から冷たい電子音声が響く。

 口に出していなかったのに心を勝手に読み取り答え始めた事に若干苛つき左腕の手甲を睨む。

 そして思わず重たい嘆息を吐いた。

 泥が人を襲い、または内から飛び出て、人間を怪物へと姿を変える。恐るべき、また醜悪な寄生生物の行動を想起したからだろう。

 デロッと拡がる半固体の中に、人間がいる。

 それも、確実に本人の意思とは無関係に怪物の核なんかになってしまったのだ。誰も好んで、なりたくてこんな怪物の宿す訳がない。


 核の破壊とは、中の人間を殺す事と同義だ。

 核となった人間を救う手段があるのでは。

 無関係で、喰われただけの人間もいるだろう。

 そう思うと感傷の情が胸の内を締め付ける。

 だけど――。


『……躊躇ためらっていたら被害はもっと増える』


 迷っている暇はなかった。

 倒す事は、生命を奪う事と同義である。もしかしたら中にいる人間を助ける手段があるのかもしれないが、それを待っていて死人が増えたら元の子もない。だから――


『悪い、ここで止まる訳にはいかないんだ』 


 言葉が通じるとは思えないが言い聞かせるように言った。すぐさま飛んでくる一撃を転がりながら回避し、砂埃が舞う中拾い上げたのは刃の先端から少し欠けた剣。拳で戦うよりリーチは長いが、斬りつけても決定打とはならない。硬化した触手に傷は付かず、柔らかい泥の方には浅くしか斬りつけられない。それほど分厚いし、混入している資材に当たり余計に切れ味も悪くなる。

 颯汰は武器を左手へと持ち替え、叫んだ。


『ファング! 右腕の武装解放!『烈閃刃チェイン・エッジ』起動!』


『承認――』という音声と共に左腕のラインの澄み渡る空のような青が光った。声が響くと右腕の装甲が変形し、露出したリアクターが輝きを見せた後、手首の部分から刃が飛び出て来る。それを覆う煌めくオーラのように見えるのは、滑るように高速回転する刃が放つ光である。

 両手に武器を持ち、前進した。

 その動きに反応して、放たれる泥の矢を右手の刃で全て斬り弾く。


『一点突破、畳みかける!』


 距離を詰める颯汰の意図を理解したかのように攻撃はますます激しさを増す。二、三方向から突き刺しに来るが、颯汰はそれを掻い潜る。遂に外敵を殺すのではなく、進行方向に置くように、阻むためだけに触手を使い始めた。

 それを颯汰は烈閃刃で斬り裂き、泥の海の上へ飛び込んだ。

 地には足を付けない。足元に赫雷によってフィールドを形成し、直接触れるのは避ける。下の黒泥の海から、細い触手の群れが絡みつこうと伸びるがその電撃が寄せ付けようとしなかった。

 ほんの僅かの間だけ宙に浮かびながら本体へ斬り込んでいく。見上げるような巨体のどこに弱点があるかわからないが、本体ごと断てば問題ないと言わんばかりに近づく。

 だが無論、近づけばそれなりのリスクがある。

 それを今、身をもって体験する――。


『――!』


 泥が急激に動きを変えた。攻撃を止め、僅かに収縮を始めていた。そして集まった黒泥は大口を開いた。『やっぱりか』と呟いて、颯汰は手甲から蒼い炎を前方に噴出させて減速する。

 寸でのところで上下に開いた口が閉じた。

 下手に接近すれば全身が呑み込まれる危険があった。

 異臭が乗った風圧で前髪が浮かぶ。そこへ両腕を交差し斬りつけようとした時だ。その閉じた泥の口から何かが吐き出された。

 身体の中にあった物体――。

 颯汰は顔をしかめた後に、飛んでくる物体を×字に斬り捨てた。黒泥から吐き出されたのは白く、鉄よりも硬い組織。ばらばらになった白骨。それも頭蓋と胸骨の一部がドロドロ溶けている最中であった。


『――……!』


 右足で作った足場を蹴って後方に下がる。弾いた真っ白な骨が転がるのが見えた。生命への冒涜に辟易する。そして嫌悪感と共に左腕の鬼火がさらに勢いづいて燃え上がった。

 同じ色の光を双眸に宿した青年が睨んでいた。

 あの泥にとってはただの生理現象のようなもので、溶かしきれない異物でも吐き出したのやもしれない。だが心のある生者である人間にとって、その行為に感情は動く。


『これ以上は、好きにさせない――』


 その意図しない“挑発”に焚きつけられた男は非常に冷酷な声で言った。


『――ここで殺す』


 口部を覆う拘束具が外れ“獣”が吠えた――。

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