64 火種
それは突然の来訪であった。
アンバードの王都たるバーレイの復興作業も順調であった快晴の日。
民はもうすぐやって来るであろう者に、畏怖と懐疑、不安と強い期待を抱いていた。
新たな支配者――“王”がもうすぐやって来る。
混乱に満ちたこの国――いや大陸すらを手中に治めると豪語した男が何者かよくわからない。
英雄の子であり、闇の勇者を解放し、共に魔王を討った――義親の復讐を敢行した者。
アンバードを救ったのだが、それは結果としてそうなっただけなのかもしれず、前王と同じく気紛れで鏖殺を始めないとは限らないのである。
魔王とはそういう者なのだ。
人智を超越した力を有しても、精神が元のヒトのままでは必ず『欲』に負ける。強大な力で欲望を掴めば欲望に溺れ、欲望に狂うのが常であり、欲望で進化してきた知的生命体では避けられない。――他者より優れているという優越に、他者の命を容易に一方的に奪えるという悦楽に、心が腐り果ててしまう。
迅雷の魔王だけではなく、およそ五百年前に暴れた『前回』の魔王たちの伝承から変わりない。
此度の王が掲げた理想は夢物語のようで耳に聞こえは良いが……、噂もだいたいが伝聞で人となりさえも本当のところは誰もわかっていないのである。ただ、どちらに転んだとしても、王を迎え入れて反感を買わずに過ごす事が民のすべき行動だろう。万の軍勢であろうと薙ぎ払う超常の相手に対してはそれが賢い選択だ。叛逆など無意味で、無駄に命を散らしてしまうと身をもって知っていたから、やって来るその“王”が誰であれ、受け入れるほかないのだ。
しかし――、歴代の王さえ成し得なかった、決してやれると口にしなかった二大国の統一に、“魔王”という特別な力があれば叶うのでは、と僅かでも希望を胸に置いていた。
問題はその王が“魔王”ではなく、また今来訪してきた人物でもない事だろうか。
それは――、知れば誰もが新たな災いの種になるだろうと想像してしまうような存在。可哀想な事にそれは事実で、半日後に王都バーレイは再び炎に呑まれる事となる。
「――すまん。もう一度言ってくれ。何か聞き間違えてしまったようだ」
エリゴス・グレンデルが酷い頭痛に苛まれたように頭と耳を押さえて言う。
さらりと流れる銀の小川に、疲労からか枝毛が目立つそれもくしゃりと歪ませる。紅い瞳は心労を訴えて輝きが鈍い。口角はもはや笑うしかないと不自然に引き攣っていた。
情報量が余りに多くて混乱している。
ただでさえ戦後処理の事務作業が忙しく――ここに集まるのは特に機密性が高くて他の者には預けられないからこそ、また信用できる人材が足りないからこそ、彼女は脳も身体も酷使して事に当たっていた。彼女は元はアンバードの軍人であり、また英雄ボルヴェルグの正真正銘の娘であり、アンバード・ヴェルミ間の戦争を、力で終結に導いた少年の――両国を治めると宣言した新たな王の義姉だからこの役割を押し付けられた。
前国王である迅雷の魔王の手によって彼女の親類までも、病に伏して寝入る母以外は死亡して、没落貴族どころか家も物理的に潰されているからこそただの宿の一室を隠れ家兼職場のように扱っている彼女だが、職務でろくに寝てないせいの幻聴だと思いたかった。
……――
……――
……――
――四半刻前、バーレイ東門。
いつになく厳重に警固を言い渡された門番たちは顔をしかめていた。
やって来た馬車の軍団を守るように騎士がいた。彼らは確か前王に機械仕掛けの槍を支給され、訓練をろくに積まぬ内にヴェルミを攻撃せよと無茶ぶりされた第四騎士団。旗や着ている軍服の、槍の紋章から察する事が出来た。
戦争を仕掛けたというのに損失が少なく見えるが、それは更に東方の辺境警備隊を担う第十二騎士団までが合流しているせいもある。第九騎士団から第十二騎士団はアンバード領内の辺境に散り散りとなっていて、構成人数も半分程度であるから、実は結構な数が犠牲となったやも知れぬと悼む気持ちが一瞬過るが、その団体の物々しい雰囲気に、妙だなと訝った。
掲げた旗と顔見知りの伝令が先んじてやって来たため既に門は開かれていたが、実はヴェルミの兵が化けているのでは――と思ったが身体的特徴からすぐに違うと断じれた。
騎士たちは通すが、一つ見慣れない物に対して門番は尋ねる。
「? この馬車は?」
アンバードでは見ないタイプの馬車であった。貴族ぐらしを堪能していたコックムの客人用の馬車にも似ているが、それよりも華美であり、暗殺者に速攻で射抜かれそうなほど守りが貧弱に映る。
細く優美なフレームも車輪も白で統一され、所々が金で装飾されている。
窓は大きく、そこに誰か二人が乗っていた。角度のせいか顔がはっきり見えない。
御者は降りることはなく、代わりに第四騎士団を率いる魔人族の男が現れ、少し古ぼけた通行証を見せて来たのである。恭しく敬礼をする門番に、奇しくも彼もエリゴスと同じような苦笑いを浮かべて書面を渡してきた。
驚き、どうしたのだろうかと騎士団長を怪訝な顔で見た後に、通行証へと視線を移し、……唖然としてしまった。
偽装を防ぐための押印されるべき箇所に、赤い鮮血のようにべっとりと付いた、蝋による印璽。
それは古きクリュプトン文字に星と草木を思わせる意匠が枠の中に納められ、頭頂には王冠が描かれた印――王家に連なる者の証に相違ない。歴代の国王だけが持つ指輪でしか付けられない刻印がくっきりと押されているのであった。
意味を理解した時に、上げた面に言葉が打ち付けられる。馬車の窓からそれは聞こえた。
「下郎め。余を誰と心得るのだ! さっさと通すのだ!」
まだ幼い変声期を迎えぬ子の声。
言葉だけは不相応に傲岸であった。
それより、もう一人乗っている人物の顔が見えて、つい息を詰まらせてしまう。
再び通行証に書かれてる名前を見やる。門番は怒るどころか脅えた様子で、その馬車を通す事に決めた。鎖が解かれ伸びきり門は堀の上の橋となっていて、そこを馬車が悠々と通る。
「ふん。門番が世間に疎くてどうするのだ。ま、余は寛大であるから許してやるのだ」
「まぁ陛下。さすがでございますわ」
偉そうなお子様を褒める――否、甘やかすのは女の声であった。その言葉に満足げに鼻を鳴らして胸を張る。
そんなやり取りを知らず、門番は深刻そうな顔をしつつも、行動は早かった。近くの兵に耳打ちしてこれから起こるであろう面倒事を上の人間に知らせるべく早馬にて遣いを送る。しかしおそらく混乱は避けられないだろう。
「これから、どうなる……?」
西や北の交易が盛んな場所とは違うが彼らもまた門番として仕事を担う上で、わりと世俗について情報が耳に勝手に入って来るものだ。だから決して疎いはずがなかった。
それでも彼の事は知らなかったのは無理もない。同乗者の女が、彼の幼児を、今まで隠していたのである。まるで隣国の王子と同じように。
女はあまりに有名であったが、生きていた事に驚きを隠せなかった。
また波乱、一悶着はあるだろうと門番はやり場のない嘆息を吐いて国の未来を憂うのであった。
――王都バーレイは再び賑わい始めた。
戻って来た騎士を労い遇す準備は要らぬと言われたが、民は自主的に仕事を取りやめ、列となっていたのだ。
先導の重装歩兵、歩兵、弩隊、弓隊、騎士による騎馬隊、輸送隊の順に堂々と、決して敗戦した負い目を見せることなく、戦士たちは帰還する。彼らはヴェルミの防衛都市である拠点を制圧したが、即座に現れた凶つ星――紅蓮の魔王によって蹂躙された後はずっとヴェルミの兵に捕まっていたが、何とか帰還する事が出来たと内心はホッとしていた。
群衆の歓呼が場を埋め尽くした。
それに応えるのは能天気な兵士と、先に進んでいた第四騎士団の後に、先ほどとだいたい同じ順番で並んで歩む第十二騎士団の面々だけである。
魔人族の隊長はむっつりとした凛々しい顔の内側は、「あぁもう嫌な予感がすごいするっ! 帰りたい。あ、これ帰ってる途中だ、……もう、どっかに帰りたいッ!」と表情からはとても想像つかないほど弱々しい想いを潜めていた。
護衛している馬車が災いの火種となり得ると知っていても、拒めなかったのだ。
兵舎に向かう真っすぐの道。
目抜き通りの比較的人が多く集まっているであろう場所にて、号令によって停止する。
「あれは……?」
「なんだ?」
「妙に小綺麗な馬車だな」
「騎士のものではないぞ」
人垣からの囁きは疑問に満ちていた。
それもそうだろう。無骨な騎士たちの傷ついた鎧に、負傷しながらも手を振る者の中であれば嫌でも目立つ。それはアンバードでは比較的、装飾が目立つ小綺麗な馬車。ヴェルミの馬車? ヴェルミの貴人が? もしかして次期国王の親友とも噂される、隣国を治めるクラィディム王が乗っているのではとさえ囁かれ始めた。
残念ながら違う。
もっと残念なものであった。
「ふむ。これが余が治める国か。……なんだか、思ったより汚いのだ。道もちょっとガタガタで揺れるし。それにお城まで壊れたままとかどんな判断してるのだ? 余は王なのだぞ?」
「ええ陛下の仰る通りですわ。家々などにかまけて、一体責任者はどこの無能なのかしら。すぐに、城を直させましょう」
「うむ」
中から、子供が窓を開けて顔を出す。
扉を開け、一歩踏み出し、足場立つ。
端正な顔立ちで、くりりとした新緑の目は大きい。ただ口元だけがへの字に曲がり、偏屈な小生意気そうなクソガキという印象を与える。
白い肌に尖った耳。毛先が僅かに赤い金色の髪は耳を覆い、うなじまでかかるほど長い。少女と見紛う者が大勢いただろう。将来はどこに出しても恥ずかしくない美人となると約束されたような麗質を持った少年であった。
紅を基調に金の刺繍が施されたコート。首元にジャボ。袖まで白のヒラヒラが付いていた。
どれも目立つが一番眩しいのは白色の上下の、下。半ズボンから覗かせるおみ足かもしれない。人によるが。
そんな見ず知らずの――身体的特徴からエルフと断じれる子供は高らかに声を張って言う。
「聞け! 民よ! 余こそ先々代アンバード四世の子! パイモン=アズェル=アンバード。アンバード五世なのだ!」
数瞬、時間が止まった。
静まり返る。
意味を理解するまで時間が掛かった。
何の冗談か。
アンバード四世を含め、一族は次々と不審死を遂げていき、迅雷の魔王が牙を剥いてからは多くが広場にて処刑されたのを民は知っている。
凄惨で忘れがたい悲劇の場であった。
そして思い出す。殺されていく親族、正室、側室の中でたった一人。王都から離れて数十年、消息不明とされた女の名を――。
「ふむ。驚嘆と畏敬で声も出せぬのだな。なんだ話がわかるやつらではないか」
己のカリスマがなせる業と無邪気にウンウンと肯いたパイモンは続けて言う。
「なんだ。不遜にも余に並ぼうという人族の……なんだ? ソウ、ソワ……ソウなんとかという輩に王位を譲ろうという馬鹿な考えを持つ連中ばかりと聞いていたのだが、そうでもなさそうなのだ!」
黙りこける民衆は思ったよりも話がわかる連中であると誇らしげな顔で振り返る。
中で座っていた女が立ち上がり、進んだ。
スラっとした長身に少し垂れた目。だがその新緑は闇を覗き込んでいるような暗さをたたえている。その金色の長い髪は束ねられ、上品でエレガントさを醸し出す夜会巻きとしていた。着ているドレスは純真そうな白を基調としているがどこか妖艶に映る。
その姿を見て民は息を呑んだ。
静まった分爆発的に響動めきが奔る。それが最高潮に達する前に、女は一刺しを入れた。
「――静まりなさい」
声音は物優しく響く。再び息を引き取ったように静まり返る群衆に向かって続いて女は名乗る。
「あなた達は私を覚えているでしょう? そう、私はシャウラ・ディアンヌ! アンバード四世陛下から最も寵愛を受けた者よ!」
――……
――……
――……
宿屋の一室を借りているエリゴスは頭を抱えながら報告に来た魔人、さらにパイモン、シャウラと名乗る者たちが民の前に姿を現したという追加の報告にやって来た男の説明を受けていた。
「……はい。ですから、先々代であるアンバード四世陛下の側室である…………エルフの、『シャウラ・ディアンヌ』様と、その……アンバード五世と名乗らされている子供が……」
エリゴスは深く溜息を吐き、吐き切ってから数瞬考えるように目を伏せ、そして言葉を紡ぐ。
「――――…………四世陛下の正妻、イメルダ様から毒婦と罵られ、王都に一度訪れたものの、迎えられずに去る事を余儀なくされた御仁…………。もしや、ずっと北東のどこか村にでも隠して? そしてさらに隠し子……、通行証は当時こっそり渡したとして、子供、か……」
魔族と蔑称したエルフ、一族の妻。それだけでもシャウラは敵を作るに充分な理由となり得たのに、さらに優れた美貌に、相手を手玉に取る奸智、何よりもそれらに騙された(?)陛下に最も愛されたという事実が、亡きイメルダ女王の怒りに火を付けた。結果、追放の処分で済んだのは庇い立てがあったからだろう。その一件から四世は最期の、死する直前まで彼女の名を一切出さず過ごしたという。
「エルフの子でありますから、見た目では年齢は推し量れませんが、かなり幼い印象を受けました……、しかし連れている馬車――主にシャウラ様の家財道具と一緒に詰め込まれていた老ガヌス伯によれば、間違いない、と」
獣刃族の犬耳が深刻な面持ちで話す内容を反芻し、エリゴスは口を開く。
「……間違いなく、本当に王家の血筋と。はぁ……。なるほど、摂政でも気取るつもりか」
どうすべきかとこの件についても協議が必要なのはまず間違いなく、席を立とうとした瞬間にまた閉められた扉が開いた。ノックはあったがエリゴスが言葉を発する前に開けられる。非常に礼儀が欠けているが今はそれどころではなかった。
「失礼、エリゴス様。またもや面倒なことになりましたよ」
やって来たのは初老の男――同じく獣刃族の雪の民の男アモンだ。慌ててはいないが、執事風の服装で優雅に茶を嗜む悠揚さを捨てて現れる。致命傷を受けて数日前まで動けなかった男とは思えぬ動きであった。
これ以上に問題が? とエリゴス露骨に引いていた。耳を傾けたくないが、逃げ道もなく、聞き入れるしかない。
「なんです? まさかここにシャウラ様が?」
「いいえ。彼らは――『竜魔族の『ビム』と面会させなさい。あの男に、私は聞かねばならぬ事があるのです』と仰り、既に地下牢に向かっています」
(Windowsの更新は敵。マウス動かなくて死んだかと思った。怨敵。)
2020/04/19
誤って修正前のものを投稿していたので追加及び修正