62 再び、王都へ
ヴァーミリアル大陸西部、アンバード領内。
圧政――。
叛逆――。
戦乱――。
数々の試練を超えた……が、一旦、鳴りを潜めただけで、またも争乱が続くのではと恐れる者が大多数であった。王位を奪い取った邪悪なるものが討たれ、国は平和になる、と安易に考える者は少ない。
だから“これ”もまた新たな災いの始まりだと予見し、関わり合いたくないと遠目で見ていた。
それは集団であった。
王都へ続く街道を、我が物顔で進む大隊。
しかし、誰も道を占有するこの大所帯に文句を言える者はいなかった。
先導する男たち――古びて傷ついた鎧兜から覗かせる厳つい顔の傭兵たち。
続くのは一目でわかる荒くれものの山賊。
そして鬼人族の戦車隊に騎士の大隊が続いた。
その中で見るからに厳重に、集団から守られている幌馬車があった。
どうして、こうなった。
その軍勢の首領とも呼べる一人の少年ですら、わかっていない。――否、理解を拒んでいた。
三百ちょっとの兵たちが、何故か倍ではきかないの――万の軍勢へと変貌していた。
彼らは、元はただ北にある王都を目指していただけであった。しかし、真っすぐ王都を目指していても、一日やそこらで簡単に辿り着ける距離ではない。補給がてらたまたま寄った村や街――その行く先々で難問が降りかかったのであった。
例えば、山を陣取る賊に苦しむ村と街を救った件。荒地の山にある放棄されて綻んでいる小さな砦を拠点とした山賊たちは、平時は近接武器で村々や街の家畜を襲い、寄って来る敵――退治しにやってきた辺境警備隊を担う騎士たちには、弓と奪った弩、大岩を用いて悪さをしていた。
最初こそそんなもの構っている暇はないと切り捨てていた少年であったが、なんだかんだ理由をつけて彼らを助ける事を選んだ。急いでいる、と言いつつ確実に人の死という損害を失くすべく、じっくりと時間を掛けて攻略したのであった。
警備隊の騎士たちだけではなく、街や村の人々を武装させ山を囲んだ。
だが攻め入る号令はいつまでたってもこない。
魔人族の山賊の頭は「気を伺っているのだな」と銀の髭だらけの面で笑ってみせたが、だんだん焦る破目となる。数日と持たず、備蓄分の糧食が底を尽きそうとなったのだ。彼らは人々から食料を強奪して生きていたため、囲まれて身動きが取れなくなると食うものが確保できなくなる。兵糧攻めだと気づいた時にはもう遅い。このままでは飢え死にする、荒くれものどもが暴れ出しては敗北は必至、敵の人数が増えた今、攻めて勝てるかどうか不明。誰か要らぬ知恵を回したなと激昂していた時に、災厄は訪れる。
砦の地下の古び壊れかけた脱出口……一応見張っていたはずだが、空腹により酩酊していたのか警備がかなり緩くなっていた。元より崩れかけていて、子供一人が通れるくらいしか道が狭まっていたため、使うに使えない無用なものであった。
潜んでいた影は迅速に動く。
窺った隙を見逃さない。
ただその瞬間まで、息を殺して近づいた。
戦士としての勘も、昼夜眠らず何日も過ごせば鈍るもので、掴まれた途端は何が起きたか理解できぬまま、外へ放り投げられたのだ。
凄まじい力、子供どころか人外のそれであった、と後に彼は語る。
何か影が見えたと思った途端に視界が激しく揺れ動き、投げ飛ばされていた。
山賊の首領は宙に浮かび、さらに空中に出現した謎の巨腕に玩弄されるように飛んでは下がりを繰り返し、地面に着いた時は胃液を吐いていた。他に吐けるものが無かったのだ。
そこへ殺到する人々。首領を殺さず、捕まえる事に成功したのである。
作戦が終わり、神父は言った。
『あの“光の柱”を砦に撃てば終わるだろう』
それに対し少年は、
『そんなポンポン撃てるもんじゃねえんですよ。魔力もそうだし、肉体への負荷がやばい。今度は何日眠ることとなるか――というか人が寝ている内に騒動に巻き込むのやめてくれませんかね!?』
だいぶキレていた。
他の山賊たちも直ちに降伏し――なんやかんやで何故か北上する軍勢入りしてしまった。
辺境警備隊のものたちもアンバードの騎士団員の一員であり、下位の騎士とは呼ばれるものの、選王侯に相違なく、一緒に行動を共にする事となったのである。
最初は疑念に満ちていた他の騎士団の面々も、数々トラブルを解決する姿に感銘を受け、颯汰を王として支持すると言う者が増えていった。
――チョロすぎでは……?
王位に就くには各騎士団長の議決によって認められる必要があるが、あくまで形式上であり、大体はそのまま第一王子が王となっていた。また、国境を監視する役目を担う騎士団長がそう簡単に王都へ戻れないので、賛成か反対かを書面で答えるのがほとんどであった。
それなのに颯汰たち一行に合流して王都まで赴くのは、表向きの理由としては『次期国王の警護』で、実際は『王として相応しいか見極めるため』であろう。まさかまさかの人族の王の誕生の可能性に、慎重に観察するのは当たり前である。
確かに『王』として兼ね備えるべき威厳や高貴さを発露していないぐらいまだ若い少年ではある。だがその恐ろしい力を向ける方角はだいたい邪悪な敵であり、困ってる人を見かけるとつい助ける――『王』が持つべき非常さも欠けていると見えるが、その暖かさに心を動かされた者も少なくなかった。最初に抱いた猜疑心も失せ、次第にこの少年こそはアンバード・ヴェルミ両国の架け橋になる存在なのやもしれないという希望を抱かせるまでに至ったのである。
さらに鬼人の長たる狂信者、颯汰を“神”と崇めるファラスの大獅子吼の演説が、その熱意が、意外にも賛同者を増やすのに一役買っていた。
王都バーレイでは王位を継げる血縁は迅雷の魔王の手で途絶えられたため、万が一遠縁のものが「我こそは」と名乗り出ない限り、ほぼ颯汰が次期国王で確定であったのだが。
そうして大軍は北を目指してまた進み出す。
野宿も挟めたが村や街に赴く事が基本となった。旅篭屋も利用できる人数を軽くオーバーしているため、素泊まりの宿に、あぶれる人は交代交代で野宿をする羽目となっていた。
元来、資源に乏しい国であるから粗末なものしか食べられない点は、ヴェルミ育ちのエルフの兄妹だけ非常に辛そうであったが、何とか凌ぎ、長旅で綻び、砂埃で汚れた幌の窓を開けると、丘の上からスピサ荒野が見えてきた。
エルフの兄妹――グレアムとリチアは途中でアウィス・イグネア経由で本国へ帰還するのだと颯汰少年もグレアム本人も思っていた。
しかしリチアは残り、アンバード新王である颯汰に仕えるようクライディム新国王に命じられたと言い、シスコンは血を吐いた。
さらに紅蓮の魔王が大金を払うといつの間にか約束していたようだ。趣味かと颯汰が尋ねたらシバかれた、どうやら違うらしい。
グレアムは蒼白な表情のまま、着いて行くと宣言した。無理をするなと皆が心配して言ったが、死んだ顔のまま横に振って強い意志を示した。人族の騎士カロンは面白そうに笑って彼もまた護衛の任務を続行すると言った。結局誰も抜けずにここまで来れたのだ。
――たぶん、ディムではないケド……、誰かに俺を監視しろって言われたんだろうなぁ
と冷静に分析し、同時に「殺すつもりはもちろん全くないけど、命がけの覚悟をしてるんだろうな、かわいそうだな」……と変な同情をしていた少年は、すやすやと寝入っている。
「zzz……zzz……」
まだ空は西に傾き始めたばかりだというのだが、それにもきちんと理由があった。
立花颯汰はここ最近、平時は殆ど眠っている。コミュニケーションを取りたくなく不貞寝しているわけではなく“獣”の力を使った反動なのか、体力の消耗が激しいのだ。
だから出来るだけ力を使わず、兵たちを使い問題を解決して北上を続けていた。
数えきれない武勇伝を携えて、王位に最も近い男はようやく、また因縁のある王都に足を踏み入れる事となる。
スピサ荒野の先、都市は遠く陽炎で歪む。
「――はっ……!」
そこへ、急に颯汰は目を覚ました。
馬車の中でガバっと飛び起き、周りの者が驚き、声をかける前に馬車の御者台へ進む。
「目が覚めたか少年」
神父姿の魔王が前を向いたまま言う。
「えぇ。……それより、あれ……――」
霞む景色の先に揺らめく影が見えた。
王都に立ち昇るのは炊煙や狼煙とも違う。
「――あぁ。黒煙だな」
「……王さま。俺、先に行っていい?」
少し迷ったが、颯汰は懇願する。
「ふむ。無論構わないが、……なるほど、『飛んで行きたい』わけか」
「…………いや本当は、本っ当に、……嫌なんだけど。そうは言ってられないかもだから」
心底嫌で仕方がない顔をしつつ下を向き、溜息と共に前を向く。それを拭うように前を見据えて覚悟は決めていると証明した。胸にわだかまる嫌な予感が警鐘を鳴らし続けている今、早く行かなければ取り返しのつかない事態になりそうだと。
魔王は一瞥も颯汰の方を見てないが、その覚悟を受け取り力を貸す。
「フッ……。承知した。では、一度で飛ばす。距離が距離であるためだ。飛んだあとは自分でどうにかできるな?」
「……うん」
そう言うと、颯汰は自分の胸に左手を当て、解き放つ――《デザイア・フォース》を。
黒き瘴気の渦から零れだす白銀の煌めきと共に、再誕する。本来の年月で重ねるべき成長を取り戻し、顔の半分を覆う仮面に手足の装甲を纏い、『偽りの王』は姿を現す。
『よしッ』
馬車の横で護りを固めている騎士は声を失い、鬼人の族長は感動してむせび泣く。数瞬遅れて、何故今ここで変身したのかと疑問に思った時には、颯汰は馬車の幌の上に上り立っていた。彼を起点として両方向に展開された魔法陣から、巨大な腕が出現し、彼を掬い上げ――、
そこへ幌の中から、竜の子が飛び出した。
自分を置いていくなと言わんばかりに、頭の上に乗っては、長い尾でうなじ辺りを三度叩く。
『悪かったって……』
反響する声で謝る。苦笑して、右指で彼の下顎あたりに触れる。頭の上にいて見えなくても、付き合いが長いためだいたいわかる。
そろそろ射出されようとした時に、隣の馬車――女性陣が乗っている方からは闇の勇者であるリズが出てきた。驚いた顔をした後すぐ、颯汰の方へ飛ぼうとするが、颯汰が手の平で抑える仕草をして止めさせた。
『……二人を頼む。先に王都で待ってるから』
颯汰は彼女が共に来る事をやんわりと拒んだ。
別段彼女が嫌いという訳ではなく、王都での騒ぎに“何”が絡んでいるのか何となく察しがついていたのだ。ゆえに、彼女には残ってもらう。その方が颯汰自身の精神衛生上、良い。
声の出せない彼女は非常に悲しそうな顔をしていたが、不承不承肯いた。庇護すべき対象たちも、どこか不安げな顔で覗いていた。
『王さま! みんなを頼んだよ!』
見やるのは少女たちではなく、先にいる荒くれものどもや鬼人族たちである。彼らが勝手に暴れたり、おかしな真似をしないように見張り統率する代役が不可欠である。
――勝手に変なことしないか不安だ……
ただ問題は族長もこの魔王も結構勝手な真似をする点だろう。ただ悪意をもって人を襲うような事だけはしないので、そこだけは信頼して、自分がいない間を任せるのであった。
「あぁ、神父だが、任された。できるだけやってみせよう。では王よ。国に蔓延る邪悪な残滓を刈り取ってみせるといい」
そう言うと、現れた巨腕が動き出す。
幌から左手のひらに掬われて颯汰は一層、嫌そうな顔をする。ここからどうなるかはわかっているからこそ表情は苦くなる。
持ち上げられて、颯汰は指し示す。
『あそこです。頼みます』
鎧う巨腕の主が見えているのか、言葉を理解できているのかもわからなかったが、どうやらちゃんと意思疎通が可能らしく――、
大きな右指が『あれだな』と指した。
颯汰が肯くと、巨大な右手が颯汰を掴み、豪快に遠くに向かってぶん投げた。
投げられる直前に『さぁ、行くぞ』と覚悟を決めていたが、口から出たのはやはり悲鳴であった。ゴミのように投擲された立花颯汰は、広がる空に、極小さな黒い点となる。
颯汰の視界には空の青さは映らない。恐怖で余裕がないのも確かであるが、彼の視界はずっと黒い靄で覆われていたのであった。
彼の飛んで進む場所、その一点だけが晴れていた。そこに飛ぶ事こそが、正解であると判断したからこそ紅蓮の魔王の力を借りて、飛翔した。
長く、永遠の如き飛行――。
そろそろ悲鳴も尽きた頃、大空の下から王都が見える位置に通りかかった。
颯汰は籠手の蒼き炎で飛んだ勢いを完全に殺し、足底から放出された赫雷がフィールドを形成しては、その場に一時的な足場を作る。空中であっても僅かな間だけだが留まれた。
『――見つけた……!』
見えない壁でもあるかのように手と足を付け、即座に狙いを定めて、加速する。
王都の各所が燃え、さらにその元凶であろう――もっとも大きな個体を見つけ、そこへ弾丸の如きスピードで降下する。
黒い、悪意の集合体が蠢いているのが見える。人を呑み込み、災いを撒き散らす邪悪な生物だ。
泥に侵された地面から火が広がる。あの日と全く同じ地獄が再びバーレイの街を襲う。
絶叫、怒号、阿鼻叫喚。
焦げた臭いが鼻につく。
終わらぬ悪夢が黒い泥となって、王都を包み込まんと、動き出していた。