60 偽王の誓い
前門は閉じ始め、武装した敵が並ぶ。
後方からは騎士たちがウマで駆け降りてくる。
別の路地から飛び出すは、どこか芝居がかった口調の若い騎士の男であった。
「外道め。早々に人質を解放するがいい!」
彼は颯汰たちがウァラクを無理矢理従えていると思い込んでいた。馬上にて鞘から剣を抜き放ち、一度切っ先を幌の方へと向ける。
「我が高貴なる光の刃から逃げ遂せると思っていたのか? 我ら誉れ高き騎士の剣は貴様のような巨悪を放っておく訳がない!」
自分の胸の位置に握った手を持っていき、剣を天へと掲げて叫んだ。言葉に対するツッコミも弁明も、もはや詮無いことだ。
――あの目を見ればわかる。自分に酔っているあの目。事情を話して通じるとは思えない……。それになんだかあいつは話を最後まで聞かず事態を意図せず引っ掻き回す気がする。何故だかわかる
己の役割に心酔し切って、敵対者を見下しているこの若者との会話は不能であると断じた。
――敵は誰の中に潜んでいるかわからない。紅蓮の魔王も言っていたケド、一度王都に戻って知恵を絞って対策を練るべきだ。グレモリーさんとアストラル・クォーツ、それにどさくさに紛れてエイルさんが採取していた、砂と肉片を入れた小瓶があれば、何かわかるかもしれないし。ここで足止めを食う暇はない!
敵とは立つ塞がる彼らではなく、正体不明の寄生生物とそれを操る黒幕のことだ。
魔王たちと合流した時に、そのような会話をしていたのだ。星輝晶にそのような機能まであるようにはパッと見では思えなかったがここで冗談を言う理由もなく、素直に彼の言葉を受け入れる。
エイルが抜け目なく採取していた事に驚いたが、どうやら先んじて取った肉片は砂に還っていなかった。小瓶は二つで、砂はそのまま。肉片の方は液体に浸けられていた。肉片は身体から離れたゆえに変化が起きていないのか、それとも時間経過で砂となるのかもわからない。しかし、なるべく早めに解析した方がいい。
対話が最も平和的であるのだが、一分一秒が惜しい。さらに衝突は避けられない――そう判断したからに颯汰の行動は早かった。
「王さま、足止め頼む!」
そう叫びながら幌馬車の後方へ駆け出す。
「フッ……。本来ならば魔王以外と矛を交えるつもりはないのだが。全く、仕方あるまい」
まんざら嫌そうな口調でもなく、紅蓮の魔王は積み重ねられた木箱に寄りかかったまま、腕組んだ左手だけをちょっと動かす。その手のひらに赤く輝く魔法陣が浮かんでいた。
駆け出した颯汰。しがみつき吼える竜の子。
空の木箱は幾つか落としたゆえに空いた道の先――幌の暖簾の奥に丁度、彼の騎士が仰々しく演説を続けていた。
「今一度、我が正義を示し、我らの騎士道にかけて必ずや貴様を討とう! そして姫を! アスタル――えっ?」
『――邪魔だッ!』
御者台の後ろ、幌から飛び出した――。
闇に包まれ、銀の光と共の変じた“獣”。
宙を舞い、籠手から蒼い鬼火が噴き出す。仄暗い蒼の炎の噴射によってさらに加速し、一瞬で地に降り立つ。その勢いを使い、右手で騎士の剣を掴んでは砕き、すぐさま左手から瘴気の顎を現出させ、竜魔の男を掴まず、そのまま薙ぐ様にして叩き飛ばした。
「でじゃぶっ!?」
無防備となった胴体に、丸太で真横からぶん殴られたような衝撃を受けながら男はウマから落ちて、飛んでいく。そして、そのままゴロゴロと転がっていった。
騎手がぶっ飛んだ事にウマは悲鳴の嘶きを上げる。驚いて後方へ逃げようとしたが、逃げ場がなかった。後方から迫っていた騎士の団体も足を止めるしかなくなる。
「全隊、止まれッ!!」
「止まれ! 壁だ!」
「壁!? 何を――」
「炎の壁だ!! 突っ込むと焼け死ぬぞ!!」
何故なら眼前に炎が勢いよく立ち昇っているのだ。燃える焔火は行く手を阻む。無論、これは紅蓮の魔王が放った魔法である。
とても通り抜けられるものではなかった。
一瞬、騎士たちはそれが幻かと思ったが感じる熱とちりちりと燃える音と光が本物であると認めざるを得なかった。
住人は朝から避難済みだから辺り一帯は無人である事は知っているが、この魔法が建物には延焼しないようにしてはいるとは知らぬ騎士たちはパニックになっていた。
「下がれ、下がれーッ!!」
「おぉ! 無理だ! 後ろでつっかえている!」
「あっちの道は――」
「ダメだ! 炎が塞いでいる!」
「消火を! 急がねば拡がる! マズイぞ!!」
伝令が遅かったというよりも、騎士の大隊が急ぎ過ぎてその勢い余って急に止まったものだから、反応が遅れたのである。後方にいる騎士たちには炎が燃えている様子が見えず下がれと言う指示も届かない。
古城を中心に形成されたこの都市は坂が多いのだが、商業などで賑わうはずの大通りは平坦な道であったからだ。
また紅蓮の魔王が巧妙に道を塞いだのもある。俯瞰して街を見ているように厚い炎を所々に形成し、侵入を阻んでいた。ウマは通るのを嫌がるだろうし、もし降りて駆け抜けようにも先が見えぬ灼熱に飛び込むのは自殺行為であると目に見えてわかるほど、炎には厚みがあった。
パニックになったウマが路地へ逃げていく。その先だけ炎を消して逃がしてやった。
外の様子を隙間から見やるグレアムに紅蓮の魔王が問うた。
「あの男は死んだか?」
「いや……信じられないんですけど、息がありますね。どうしたらあの一撃で生きてるんだ!?」
石畳の上で痛みに悶え、呻き声を上げている騎士の若者。豪快に飛ばされ、凄まじい勢いで回転していく様は、どう見ても無事ではない。だが異様なまでの生まれ付いた頑強さのお陰で大事には至らぬどころか、目立った傷すら付いていない。強いて言えば服が汚れ、金属の飾りが地面に擦れたくらいだろう。
外傷は見えぬが動けないほど痛みがあるのは言うまでもなく様子から察する事ができる。
颯汰はそれを一瞥した後、吐き捨てるようにこう言った。
『声のデカい喋りたがりは、往々にして他人の話を訊かない』
特別に恨みがある訳ではないが、静かにしかし激しい怒りをぶつけて見せた。そして前に並び、動揺を隠せない騎士たちを見て告げる。
『門を開けてください』
これは交渉ではない。
願いであるが、反抗を許すつもりはない。
命令である。
未だ真に王ではなく、またその覚悟もない――“偽りの王”であっても、その纏う気配と世界すら変えられる力を持つ者の言葉は、重い。
騎士を束ねる男は得意な嫌味も口に出せぬほど、その圧と雰囲気に呑まれてしまっていた。
『開けなくてもぶっ壊して通るつもりですから、素直に開けた方が修理とかしないで済むと思いますよ?』
警告は続く。後方の騒めきがどんどん遠くなるような気がした。
重装備の騎士たちが命令を待っている。固唾をのんで見守るしかできない。
その視線でハッとなって彼は小さく咳払いをし、額から流れた汗を拭って言葉を紡ぐ。
「オッホン……! 貴方は、我らが領主と対話に応じた――話し合いが終わってみれば応接間は血の海、回廊には死体が転がっている始末。そして、姿が見えぬ領主。さらにはメイドたちの話によるとアスタルテ様まで連れていたらしいではありませんか。……二人は今どこにおられるか、ご存じではありませんか?」
彼女が最初に望んでいたのは間違いなく話し合いではなかったが、それについて一々突っかかっていては時間が掛かる。
ともかく、彼らの目的が明白となった。女領主アナとその娘であるアスタルテの捜索であり、こちらを疑っている……どころか犯人であると断定しているからこそ武力を行使してきたのだ。間違ってはいない部分はある。弁明をしても聞き入れてくれるとは思えない。
だが、応えずにいられなかった。
『――アスタルテは、託された』
「何を、……仰る? それではまるで――」
言葉の意味が理解できないと問い返す。
想像したくない最悪の答えが、彼らの脳裏に浮かんでいたのだろう。
颯汰は想像通りの真実を告げる。
『領主のアナさんは……――アナトは死んだ』
重装騎士の一人が激情に駆られる。
全身を鎧うそれは白を基調としているお陰で一瞬重々しさを感じさせないが、動く時に鳴る金属の音、地面を踏みながら振りかぶる――空気を圧し潰すようなブンっと大きな音のお陰で、重いものであると気づかせる。
棒の先には鎖に繋がれている――棘の付いた星状の鉄球。連接棍の星球が襲い掛かる。柄は両手で持てるくらいには余裕があり、伸びる鎖も同等ぐらいの三十メルカン程か。先についた棘の付いた鉄球のサイズは顔よりも確実に大きい。
重装騎士は皆が盾を持っているが大きさも異なり、右手に持つメイスや大剣、突撃槍と、扱う得物も統一されていなかった。
彼らは選ばれた精鋭であり各部隊の指揮を担うに値する実力者であった。それぞれが別の部隊に所属、あるいは実際に指揮をする立場にいた。
そんなもの“獣”に関係はない。秘めた才覚を憎悪と鍛錬で磨いたベースに、さらに人の域から特出した力を得た立花颯汰の、冷めたような蒼く燃える瞳には全てが見えていた。
凄まじい速度で振り下ろされる鉄球。
凶悪な金属の塊が命を狙う。
兜ごと頭蓋を叩き潰すであろう渾身の一撃。
重い図体で駆け、その勢いのまま死を贈る。
馬車の内から見ていた者たち、離れで囚われているメイドたちも思わず目を閉じる。
ただ強者以外は信じて見つめた。
「――何ッ!?」
直撃する寸前――。
颯汰の両脚部の装甲が展開される。腿の辺りが開き、下に伸びる。黒い装甲から白銀の杭が地面に向かって突き刺さった。石畳を貫通するそれは本来は反動制御に使われるべきもの――それを姿勢を保つために使ったのだ。
そして迫る、それを颯汰は左手で受け止めた。
『ぐっ……重い――』
ずしりと感じる鉄球を受け止め、その勢いを殺さずに右手まで使い、それを脇に抱きかかえる様に引っ張った。杭が収納され自由となった左脚を軸にして相手に背を向けるように身体を回し、更に後方へと踏み込み、勢いよく駆ける。縮地の走法にて一気に影すら置いて行く様な速度で強引にそれを抱えて奪おうとする、突然のことに騎士はつい武器を離すまいと柄を掴んだまま引き寄せられてしまった。急激な加速にて体勢が崩れたところへ――、
『――なッ!』
肘打ちが炸裂する。
顔を覆う兜がひしゃげる程の威力。
その一撃が脳を揺さぶったのか男は倒れた。
倒れた兵士にそっと近づく加害者。
フェイスガードをそっと開けて、意識を失っているが死んでいない事を確認する。『うん、生きてた』と呟くとまた閉める。そうして立ち上がり、一呼吸。そして静かに告げる。
『……正当防衛だ』
「「いや……、いやいやいや!」」
前方の騎士たちが、あるものは武器か盾を脇に挟めてまで、手を横に振って否定する。
明らかに過剰防衛の域まで達しているが先に仕掛けたのはお前たちだろうと、颯汰はふんぞり返っていた。これは力に溺れ、イキり倒しているわけではなく、あくまで犠牲を出さずに脱出するための演出の類いである。先刻、マルテの軍勢を撤退させたと同じく、己を強大な存在であると誤認させようとしていた。これも紅蓮の魔王によるアドバイスで得た虚勢とも呼べるが実際強力な戦術でもある。何事も戦わずにして勝つ、あるいは目的を達成できれば最善であろう。消耗も最小限で済むのだから。それに精神衛生上にも良いものだ。
溜息を吐き、話しを最後まで聞けと言った後に続けて言う。
『――誓って、俺は殺していない』
訝る視線を受けたが颯汰は真実を簡潔に話す。
「自分たちが殺していないこと」
「敵の正体が不明であること」
「敵が潜り込んでいる危険性があること」など。
直接敵の正体を告げようとして死んでしまったことまで迷ったが、言った。
それは炎の檻の向こうで騒ぐ騎士たちには聞こえず、近くで倒れ込む者の意識のある若者は理解できないものであった。
「馬鹿な……そんな話――」
おそらくこの場で最も位が高いであろう竜魔族の男が慄く。怪物やクーデター。聞くだけ突拍子もない事象であろう。話し手も同じ思いであった。
『――別に信じなくてもいい。俺たちはこれから王都に戻って調査を進める。だから、そこを退け。次はない』
頼むから退いてくれよと心の中で呟く。
突破は容易にできるが、事犠牲をなくやるには納得して通してもらうしかない。
左腕から光が放出され、手のひらに眩いエネルギーを集めて見せつける。それの正体はわからぬが、遠い山嶺を砕き簒奪者を塵に変え、今朝方に隣国の軍を退けた破滅の光と同じ色合いであった。
死を超えた消滅の予感が、彼らの動きを縛るが、無論、颯汰はそれを放つつもりはない。
阻む敵ではあっても、命を奪う程の憎い敵ではないからだ。それをやったら迅雷の魔王と同じ領域に踏み入れる事となる。それだけは嫌であったのだ。
而立を過ぎたまだ若さが枯れていない見た目の貴族は困惑と狼狽で、酷い汗をかきながら、なんとか言葉を吐いてみせる。
「貴方が、貴方のその言葉が真実であるか証明できますか!? アスタルテを託された? そんなハズがある訳ない!」
『――アナさんは最期に“この街から逃がせ”と言った。だから俺が責任を持って連れて行く。そして、あの子は俺が護る。それでも奪いたいなら相手になってやる。街が更地になろうと文句は言うなよ?』
そうだそうだと言っているかの様にシロすけが背中から頭頂に登って鳴いた。
もはや瓦解したに等しい。
指示を仰ごうにも男は放心した顔のまま。
子とはいえ竜種までが相手にいるとなれば、彼の言葉の真偽をはかるまでもなく、従わねばならない。内心わかっていたが、その回答に至るのを頭が拒否していた。いや本当に否定したかったのは彼の言葉で、真実であると認めてしまうと己を支えていた絶対なる希望が打ち砕かれた気持ちになってしまうからである。
だけどもう受け入れるほかない。
『敵を倒す手段、それか識別する術を見つけたら――必ずここに戻る。その時、あの子を返そう。……信じろなんて都合のいい言葉は、言えない。それに、アンタたちの意思はどうでもいい。俺たちはあの子を連れて、ここを出る』
「なんて、横暴な……」
『ああ。これは俺の勝手だ。邪魔をするなら吹き飛ばすし、後ろの炎が全てを焼き尽くす。だから従うんだ。アンタたちがアナさんとアスタルテを大事に思っているのは伝わった。だから抑えきれないのもわかる…………俺を呪ってくれても構わない』
そうして、門は開け放たれた。二人のメイドも回収し、犠牲なく脱出に成功する。
重装騎士たちはヘルムの奥底で悔しさやら直接相対して感じた冷たさやらで鎮痛な面持ちで、横切る馬車を見つめる。
ゆっくりと前を行く荷馬車を追いかけて歩き出す『魔王』の背中を見て、男は叫んだ。
それは彼だけではなくこの場にいる全員へ向けての言葉であった。
「準備が! 準備が整えたあと、我々は追撃を開始する! 今は、今だけは撤退を許す。必ず! 必ず騎士の名誉にかけて、我らの誇りを取り戻すぞ!」
あえてそれを宣言したのは、第一に騎士の面子のため、そしてあえて告げるのは騎士の矜恃ではなく、彼の魔王が真実を言っていると心のどこかで認めているからであった。
そうとわかって返答する意味はない、だけど颯汰は去り際に振り返って言う。
『ありがとう。ブエル。キミはいつも気難しいけど、ちゃんと冷静に物事を計れるから助かるよ』
「――………………は?」
そう告げた少年王は走っていき、荷馬車の後ろに乗って行った。堂々たる脱出を最後になって男は目を剥いて驚いていた。
「何故、彼が私の名を……?」
「……閣下があまりに有名だからでは?」
「いやしかし……。私を昔から知っているような――……? 彼奴は、一体何者だ……?」
いつの間にか炎は勢いが失せ、建物を一つも焦がした跡が残っていなかった。焦げ臭さもなく、翔る風の熱さだけがそれが幻ではなかったと告げる。
嵐の様に現れ、消せない傷を残して去って行く姿は『鉄蜘蛛』を想起させたが、犠牲者の数は圧倒的に少なかった。どちらも様々な意味で人々の心にポッカリと穴を開けた意味では同等の厄災であるに違いなかった。
『――誓って、俺は殺していない』
「「(説得力が皆無すぎる……)」」