52 交渉
屋敷の応接間。
まるで部屋だけを掴んで激しく揺すったかのように――暴風により家具が散乱し、ぐちゃぐちゃに荒れ果てた部屋。
部屋に敷き詰められた絨毯の上に、家具の破片やら何やらまでが転がっている。
そこにもともとあった女領主用の大きな椅子をわざわざ拾い戻したのか――我が物顔で座る男は上機嫌に笑った。
「こりゃ悪魔が造った道具に違いないな。アッヒャッヒャッヒャ!!」
魔人族の浅黒く焼けたような肌と顔に大きな傷が特徴的な男だ。過去の戦で負った傷なのだろう。しかし戦場を越えて生き延びたというのに、その顔に漢らしい渋さはなく、あえて言うならば狡賢さが滲み出ている。
男は、特に象嵌などの飾りすらない無骨な武器を眺めながら高らかに笑ってみせた。
挑発的な嗤い声と他人を弱者と見下す瞳が、自分たちの優位性に酔いしれた態度と見て取れる。
同意するように笑う侍る兵たちの顔は、布で覆われ隠されていた。パッと見だと種族の判別が迷う。首から上だけ見れば、銀行強盗と呼ぶより、黒子のそれに近いか。
布は黒地に白の、この軍団のトレードマークなのか片目だけを象ったシンプルなものであった。
それぞれが武器を手にし、男とその両隣にいるものたちはマスケット銃らしきものを持っている。……どういう経緯でそれを入手したのかも気になるところだが、軽々しく聞けるような雰囲気ではなかった。
『………………』
周囲にはそれの犠牲となったであろう人々が倒れていたのだ。竜魔族の執事の背の、衣服を貫いた何個もある穴から、どっと血が溢れている。また一人の兵は、その首がぱっくりと裂かれ、沈黙している。魔人族のメイドの一人は、絶望を浮かべたままに眉間を撃ち抜かれて息絶えていた。
生き残りのメイドたち数人も人質であった。
部屋の隅で腰が抜けているのか――中には手を取り合って震えているメイドたちもいた。
顔を見て、彼女たちが先ほど颯汰たちと別れたばかりの一組であるとすぐに判明した。
その傍らで抜き身の剣を持って、変な動きを見せないか男は布の隙間から目を光らせている。
ウァラクが非常に申し訳ない顔で謝罪の言葉を述べようとしたが、すぐ近くの叛逆兵に切っ先を向けられ、黙るしかなくなる。
部屋に入って来た颯汰たちだって、抵抗せずに従いこの部屋に入ってきた。
何せ、彼らは人質として少女を――隣国の王女であるヒルデブルクを捕まえて、またわかりやすいようにナイフを首元に置いているのだ。
銃という武器が一般普及していない中、そちらの方がわかりやすいと判断したのだろうか。
元よりその存在を知っている颯汰は別として、聡い女領主であるアナトは弩のようなものだろうとすぐに武器に対する脅威を認識していた。部屋にいる他の者たちはおそらくその「性能」を目の当たりにしたのだろう。辺りに転がっている死体からそう推察する事ができる。
――多分、先に王女が捕まったからリズが身動きが取れなくなったんだろう
視線の先に項垂れる真っ黒なカーテンの如き髪を有する限りなく怪異に近い変人エイルと、同じくリズも、他の人質たちと同様に、絨毯の上にそのまま座らされていた。
《…………ごめんなさい》
颯汰とリズの間でしかできない念話のような一方的な通信である心の声で語りかけてきた。
颯汰はそれに応えられず、頭を働かし始める。
リズたちは部屋の入口から向かって奥の方に、メイドたちは右側に集められていた。そして部屋のちょうど中心辺りに、クーデターを起こした首魁と見られる男が偉そうに座っている。
敵の戦力はこの部屋だけで九名で、人質の六名に対して挟むように男たちが配備されている。
真ん中に首謀者と部下二名とヒルデブルク。入口の扉の両脇に一人ずつ配置していた。
戦力差は明白である。
戦えるのは颯汰とリズのみ。アナトは息が荒く、ブラッド・ワインの効果が切れかけている。
颯汰が“獣”の力を、リズは“勇者”としての力を十全に振るえれば、この場を制圧する事はできるだろうが、下手に抵抗すれば最悪な事態となる可能性があった。
マルテ王国は既にヒルデブルク王女がこのアンバード領内にいる事を知っていて――さらに彼女がもしもここで命を落としたとなれば、今度はマルテ・アンバード間にて戦争が起こるだろう。
独裁者であった迅雷の魔王が滅んだため、戦争としては異例なほど早急に終結したが、アンバードとヴェルミの東西戦争があったばかりだ。
暗愚なる王の命令で無理矢理出兵を強いられた者たちが散っていき、元より土地は痩せて物資が少ないアンバード領内はどこも疲弊している。
東のヴェルミならその豊かさですぐに立て直せるだろうが西のアンバードは血を流し過ぎた。マルテに攻め込まれれば、忽ち敗走するだろう。
最悪、他の大陸からも敵兵が参戦される危険性もはらんでいる。実際に虎視眈々とその機会を伺っている国は少なくない。
自分にとって関係ない事柄であると考えつつも、やはり颯汰も戦争を望んでいない。
少女の涙ぐむ瞳。
絶望に打ちひしがれた使用人たち。
項垂れ、影落とす女たち。
『………………』
そんな彼女たちを見てから他人であると見過ごせるほど、颯汰はまだ大人じゃなかった。
思わず半歩ほど進みそうになる颯汰に、
「おっと! 下手に動くんじゃねえですぜェ“魔王”様ァ? あんたみたいな超人が、銃で死ぬとは思っちゃいねえが……他の奴らはどうかなァァ?」
これ見よがしに銃を向けて言う。高速で飛来する弾丸が生身に当たれば、死は免れない。“獣”の力たるデザイア・フォースを発動しているとはいえ、アスタルテを背負ったままの状態だ。相手の持っているのは古いタイプの銃で、命中精度が幾分か低いだろうが、避けきれるか不明瞭である。
それに超然的な力を得たとはいえ、彼は驕りはしない。……というより顔には浮かべていないが、かなり焦っていた。内側に怯えだってあった。遥か過去のように遠ざかった記憶ではあるが、彼は本を正せばただの男子高校生。銃を見せつけられて――その弾丸で人が死ぬ様を見れば動揺するのは当たり前であろう。
毎日のように殺人事件に巻き込まれ、銃を持った犯人と相対し、それを突きつけられるような日々を送ってはいない。そういった修羅場を越えて辿りついた境地にさえ至れば、恐れずに立ち向かえるのかもしれないが、現実では危険であるから絶対にするべきではない。
颯汰は、この最悪と呼べる状況下でどうすべきか、何をすればいいのか考えあぐねていた。
――……とにかく、話を聞こう
颯汰は対話する姿勢を取った。
それ以外の選択肢が見えない。
『……で? 要求は何だ?』
努めて緊張を隠し、上擦らないように心がけて喋ったせいで、低くどこか不機嫌そうな颯汰の声――その耳朶を越えて反響するかの如く独特な響き方に兵たちが僅かに動揺を示す。だが彼らもプロであるからか、すぐに浮かべた感情を抑えて姿勢を正して臨む。
――こんなクーデターみたいな真似を起こすには理由があるはずだ
憎くて殺したいのであればこんな回りくどい真似はしないと颯汰は睨む。報復への恐れもあるだろう。そのリスクを承知したうえで、彼らも武力でこの場を制した。そうまでして叶えたい要求があるのだ。きっと大それたものなのであろう。
「さっきも言った通り、俺はこの街の領主となる。そこのクソ豚女と違って俺の方が領主に相応しいからなァ」
「…………」
『………………』
思いのほか俗っぽくて、元より低い評価ださらに下降していく。確かに出合い頭に銃をぶっ放した上で同じような事をほざいていた。
まさか言葉通りで何も捻りもない訳がないと思ったがどうやらそのままの意味だったらしい。
「……こ、この女は領主として相応しくねえ!! ぶくぶく醜く太った身体の通り、私腹を肥やしてきた! ここに生きる俺たちよりも、私情を――病に伏した娘を優先させた! 戦いの負傷者も、同じように病気に苦しむ者、貧窮に喘いでいる者たちだっていたのに! この女は! 大勢の民草よりも、娘を有せさせたのだ! それが領主として相応しいか!? 違うだろう!?」
軽蔑する二人の視線を受けて、首魁の男が吠える。その言葉に、思うところがあったアナトは沈痛な面持ちに変わる。そこで男は粘着質な笑みを浮かべていた。少しの間ニヤついた後、真剣な表情でこう続けた。
「――あとは魔王様。あんたはヴェルミに帰んな。それとヴェルミとアンバードを統一するって宣誓の撤回をしろォ。それが俺たちの望みだ」
その宣誓は『紅蓮の魔王』が勝手にやったものである、と言ったところで話が無駄に拗れそうであるから颯汰は「言ってない」と誰にも聞こえぬ声量で零すだけで留めた。
「あんたの見た目がエラく若ぇからって訳じゃあねえ。実際、勝手に戦争を始めたあのクソ野郎をぶっ殺してくれたのは感謝し尽くせねえから、俺なりに敬意はあるんすよ。だがよォ、あんたみたいな人族が俺たちのアンバードを支配するってのが納得できねえんだ。俺たちは利口じゃねえから、高尚な目標やら理由なんかをおっ立てられようが“疑う”しかできねえぜ。東西を統一するなんて言ってどうせ俺たちが下になるオチなんだろ? 信用しろってのが無理あんじゃねえか?」
――魔王たちの評価、ズッタボロだな。まぁでも、この人の主張は多少なりとも理解はできた。……ただ手段がまともじゃない。正常な思考であれば、こういった犯行の成功率は著しく低いと判断できるはずだ。……過度なストレスで突発的にやったのだろうか? だったら刺激しないように人質の解放するように交渉しよう
下手に刺激すると人質に危害が加わるのは必至であるから、彼の発言に理解を示しつつ、穏便に人質を解放して貰えないかと口を動かす。
『そうだな。アンタの言い分もわかる。疑うのは当然で、簡単に信用できるはずがないのもそうだ。……わかった。ヴェルミに大人しく帰れば人質は解放して貰えるんだな?』
別に王にならなくても、魔王を討ったという事実が消えるわけではない。どこに居ようと、元の世界に戻るために――自分を呼び出した魔王についての情報が耳に入るはずである。
後で紅蓮の魔王に何て言われるかわからないが、今は人命を優先させるべきだと考えた。
『……。俺も別にアンバードの王になりたいわけじゃない。人質の解放と、ここにいる全員がこの街から出る際に手を出さないと言うなら、条件を受け入れ――』
……夢よりも瞭然とした己の心内に潜む世界にて、殺したはずの怨敵の言葉をあえて信じるならば、王都に向かわねばならない。無論ここから脱した後は約束を破り王都へ向かうつもりだが、あえてそれを正直に口にする必要はない。
アナトたちと因縁がありそうであるから、置いて行くなんて薄情な真似はできない。自分たちに有利な条件を挙げようとした。
その言葉を女領主自らが止めたのだ。
「――いいえ、陛下。この者らの出す条件を簡単にのんではいけません。彼らは何かを隠している。それに、この者らは元はと言えばここの領民、これ以上、貴方様の御手を煩わせる訳にはいきません」
アナトがぴしゃりと言うとずいずいと前へ出た。
止まれ、と叫ぶ声も、突きつけられる銃や槍を丁寧に手で掴んでゆっくりと退けて潜ると、さっきまで座っていた男も引きつった顔で立ち上がり、銃口を向ける。
それすらアナトは臆する様子を見せず、彼の前に立って言い放つ。
「貴方……誰の命令で動いているの?」
男は返事の代わりに、じっとりとした汗を大量に流し始めた。それは物言わずに、答えているも同然であった。