51 第三勢力
領主の屋敷の一室にて。
内装はいかにもクラシックな洋館、と言えるものであり、天上も壁紙も他の部屋と変わらず、落ち着いた雰囲気……なのだが、異様とも呼べるべき不自然なものがそこにはあった。
それはひとりでに動き出す。
産まれたままの姿に盃を持った女性の石像だ。
ゴゴゴゴゴと音を立てて像が、台座ごと横へスライドして……そこに現れた階段を上って来た颯汰は、溜息を吐いてから独り言のように言う。
『ほんと何なのこの屋敷の構造は? 設計者は何を考えて作ったの? 悪ふざけなの?』
「領主たるもの、いつ何時命が狙われるかわかりませんからね。だからこうやって特別な仕掛けがあって、脱出や奪われた際にも奇襲ができるようになっておりますのよ」
『……さっきの、像が持ってる水瓶から鍵とか、絵画を順番に並べて開く仕組みだってもう謎なんですケド……いや、もういいや』
廃鉱の隠し通路から、屋敷の地下迷宮を――すっ飛ばして屋敷のとある部屋に辿り着いた。
苦労して追跡したが帰りは呆気なく元のコックムにある洋館に戻って来れたのは、先導して駆けたこの屋敷の主にて――街を治める領主たるアナトのお陰である。
颯汰が全速力で走ったのに追いつけなかったのは彼女が見た目に反して足が速いだけではなく、単純に近道を熟知していたからであったのだ。
この忍者屋敷にも負けず劣らぬカラクリ洋館に対し色々とツッコミたい部分があるが今はそれどころではない。
颯汰は止めようとしたが、女領主は動かぬ身体に鞭を打つように再度「ブラッド・ワイン」を服用して案内してくれた。彼女も急ぐべきだと承知しているので「こちらです」とすぐに隣の部屋へと繋がる扉へ歩み、ノックをして入って行った。
「あぁ、よくぞご無事で! おかえりなさいませアナ様――……!?」
「ヒッ!!」
どうやら非戦闘員のメイドたちの一部がここに集まっていたのだろう。敵であるはずの颯汰が後ろから現れた事に目を剥き短い悲鳴を上げた後、ある一人はモップを、もう一人はテーブルナイフを、もう一人は蝋が外されている金属の燭台を手に取って構えるも、全員が手を震わせている。
十数名。皆女性で、竜魔族が若干割合多い。
荒事に慣れていないのが明白な怯え方だ。
――まぁ、そうなるわな……
颯汰がまたもや溜息を吐いていると、アナトが事情を――立花颯汰のお陰で娘であるアスタルテの病が治った事、ゆえに屋敷内と街に放った兵たちを撤収させなければならない事を説明し始めた。
部屋自体は先ほどのものと変化ないが、窓は塞がれておらず、日の光が入っている。
颯汰が、しばらく暗闇を進んできたから目が眩しさに慣れずに外に目を向け、細めていた。
その背にはアスタルテが無垢な表情で未だ眠りについていて、竜の子であるシロすけは颯汰の頭の上で翼を広げて伸びをする。
暖かさと安堵感を覚えていたところに、一人の竜魔族の――夜空を思わせる紺の髪を後ろで結うメイドが前に出て、
「先ほどは御無礼を。申し訳ございませんでした」
詫びの言葉と共に頭を下げ始めた。颯汰は別に気にするなと頬を掻き、視線を逸らす。
……どうも時間が経つにつれ、過去の情景と今を重ねる節が増えているように思える。その妙な柔弱さを恥だと彼は感じているのだろう。
彼女はいわゆるメイド長というやつだろうか、と颯汰は予想した。この世界の人間の、実年齢と見た目はだいたい一致しない。若々しいお姉さんだが、凛としていて落ち着きがあり、どことなくやり手のリーダーっぽさを感じる。その目つき顔つきがそう思わせる。
彼女はウァラクと申します、と申し遅れた事を謝罪した後に丁寧に頭を下げて名乗った。
その間にアナトはメイドたちに命じ、彼女たちは動き出した。ウァラクも、アスタルテを救った事に礼を述べ、では失礼致します、と一言言ってから部屋を後にした。
『…………』
似てはいないが、雰囲気がどことなく“彼女”を思わせるような気がして、一瞬の追想と、強い想いがこみ上げてくるのを感じた。
絶対に元の世界に帰るという意志は、消える事がない。五年経っても怨讐に駆られても、尽きる事のない原動力となっていた。きっとそれはこれからも変わらない。変わりゆく彼が、唯一変わらない、変わってはいけない部分である。
言葉には出さず、落とさぬように掴んでいた少女の脚から手を離し、その決意を確かめるようにグッと拳を握る。必ず帰ろう、そう口は動いていた。
メイドたちは数人一組のチームを組み、各エリアに向かってカンテラを手にし闇の中へ進む。
屋敷内を暗闇で覆う仕掛け――光を遮断する障壁を展開している装置の解除に向かう者たち。
屋敷にいる兵にも事情を説明し、戦闘行動の中止を呼びかけに奔走する者たち。
作戦の中止を街中に知らせるために、街の中心であり頂点でもある城の尖塔にある鐘を鳴らしに早馬を走らせに向かう者たちと分かれた。
颯汰たちはリズたちが待っている応接間へすぐに向かい始める。
本当はアスタルテをウァラクなどに預けて向かいたかったのだが、娘は寝ながら全く離れる気がなくて皆が困り果てていた。そこで仕方がなく、安眠している彼女の姿を見せれば、もしもまだ戦う気のある兵たちもおさまりがつくだろうと、このまま背負ったまま行く事となった。アナトの命令でメイドたちが動き出した今、鐘が響き渡れば余計な血を流れる事はあるまい。
幸い二階に位置する応接間から距離はそう遠くない。部屋を出て廊下へ進んでいった。
不穏はそこから再び始まる。
『…………何だ?』
階段を上り角を左に曲がった所、颯汰たちは思わず足を止めた。
兵が一人、座り込んでいたのだ。
何だろうと思った矢先、作られた闇が晴れていく。優秀なメイドたちが仕掛けを解いたのであろう。窓の外のシャッターのような装置が解除され――外の明るさが真実を照らす。
『…………!』
男は魔人族の戦士。
疲れ果てて休んでいたのではなく――、
「…………」
革の鎧に複数箇所、刺された痕がはっきりと見える。近づいて跪き、アナトは首を横に振った。
流した赤い滴が床や壁を汚す――出血量からも生存が絶望的なのはわかりきっていた。
アナトの見上げる目線に、颯汰も首を振る。殺したのは自分ではない、と。
颯汰はシロすけが奪われたと知った時、怒り狂ってアナトの追跡を始めたが、邪魔者は殺さずに走り抜けていた。別段、不殺を誓っている訳ではなく、ただ一撃を叩き込み――それ以上の攻撃に時間も体力も使う余裕がなかっただけである。薙ぎ払った数も覚えていたから、走った場所と攻撃した時の間隔との相違で自分ではないと断じれる。決定的なのは、遺体には傷が幾つもあった事だろう。
――執拗に、恨みがあって……じゃない。視界の悪い闇の中、多人数で、確実に相手を殺す為にやったんだ
槍か何かで接近する前に倒したのだろう。屋敷は広く横に振り回すの向いていないが、突きをメインで扱うには充分である事は颯汰が身をもって知っていた。
余計な騒ぎを起こさぬよう、彼らは黙る。
二人は顔を見合わせて、小さく肯くと行動を再開する。ただその歩みは慎重でありながら迅速である。光が差し込んだ事により足元がはっきり見えるのと、言葉を交わしていなくても互いに予見できたのだ。――何か嫌な予感がする。急ぐべきである、と。
リズがこれ以上の待機は不可能と見て、皆を連れて脱出を試みた時に――襲ってきた兵士を殺した、あるいは紅蓮の魔王たちが救援に来たという可能性もゼロではないが、背中に奔る悪寒や傷の疼きがえも言われぬ焦燥感を生み出す。
進む通路にも遺体が転がっていた。
一人、また一人と、何人も絶命している。
二人の訝し気な顔が険しくなる。
両手が塞がっている颯汰は持ち主の血が少量だけかかった剣を黒獄の顎で拾い上げ、保持し、アナトも剣を一つ拾っていた。
件の応接間のある廊下に出た。ここを過ぎて階段を下りれば出口で、あの肖像画が鎮座しているはずである場所。また何人かが床に伏せ、血を流していた中、一人の女が立っていた。
振り返るとふわりとスカートが舞う。
エプロンドレスにホワイトブリムを身に着けた先ほどの竜魔族のメイドの一人であるが――。
「止まりなさい」
アナトは厳しい声で言うものの、女は歩み出す。
白い生地の大半が真っ赤に染まり、顔までが汚れていた。その手には無骨で刃の厚いナイフ。
彼女がやった、とも思えない。
得物の刀身は光を綺麗に反射するほど真っ新でいて、その手は慄き震えている。
「ッ! 止まりなさい!」
「――ぁぁあああああああぁぁあっ!!!!」
アナトは再度言う。だがメイドは足を止めるどころか、恐怖を掻き消そうと必死に叫び加速した。
颯汰が一歩踏み出そうとしたところ、アナトは手で制止させ、逆に彼女も走り出す。
『ちょっと!? おい!』
颯汰が思わず叫び、その後は驚いて声を失う。
カランカランと鳴る金属音――。
アナトは手にした武器を捨てたではないか。
その行動にメイドの狂気に歪んだ顔も動揺の色を見せたところで、衝突する。刺突を繰り出そうと向かって来る手首を、アナトが両手で掴んだ。アナトの太い腕が驚くべき速度で動き、捕まえると、その重い体重と膂力を用いる。触れた瞬間にで床に叩きつけるようにして押さえ込んだ。
衝撃と痛みでメイドの手からナイフが零れては、アナトはすぐに足で後方へ追いやった。
激痛に呻きを上げるメイド。
「あなた、何をして……?」
女領主はその手を離すのは骨を折った痛みに対する同情もあったが、それ以上に何故こんな事をしたのか聞きたかった。
当の本人は恐怖に駆られて精神がおかしくなっているように思えたから、下手な刺激をしないように主である彼女が対応したのだが――、
「あ、ああああ……! アナ様ぁ……! ごめんなさい、ごめんなさああああい!!」
彼女は言い切る前に振り返り、逃げ出した。
待って、と手を伸ばしたが届かない。アナトも巨体を揺らして走り出した。
だが、十歩も動かぬ内に悲劇が起こる。
前を走るメイドが、ふと右を覗き見た瞬間、目を見開いて――、まるで見えないワイヤーに引っ張られたかのように思いきり左の壁に向かって倒れ込んだ。頭蓋が貫通し、血飛沫を散らせて。
驚いたアナトが思わず足を止め、逆に颯汰は走り出した。女が吹っ飛んだ逆方向にある扉――目的地である応接間の扉から、男たちが現れる。
「おぉ!! 当たった当たった! 見ろよ! アヒャヒャヒャ! 一発で! 俺ってば才能あるんじゃないか!?」
高い声で子供の様にはしゃぐ、真ん中に立つ男が、倒れたメイドを見下して言う。隣に立つ男の一人ともっていた物を投げ渡して交換すると、くるっと曲がり、颯汰たちの正面に立った。
「……チェッ、なんだよ。やっぱあの人の言う通り、殺れてねえじゃねえかクソ領主がァァ!」
急に逆上するように毒づいた男の視線は颯汰の方を向いていた。颯汰はその下品で狡猾な瞳ではなく、持っている道具と、現れた男たち四人の内、ちょっと後ろに控える男が少女を腕で掴み、ナイフを向けているところに視線がいっていた。ゆえに足を止める。
この男たちについては颯汰は知らぬ。
だが彼らが少女――ヒルデブルク王女を人質に取り、さらに前にいる男たち三人が持っている武器について知っていた。
鞘を思わせる木製の筒状で、持ち手に引き金を有するそれは、遠くの命すら簡単に奪える火器。
『…………銃』
昇る煙。
浮かぶ下衆の笑み。
爆ぜる音と共に射出された黒鉄の弾が女の命を刈り取ってみせた。
まだ普及していないはずの武器――五年前も鬼人族の海賊が持っていた記憶が蘇る。あの時も人質を取られていた。
「ソ、ソウタ……」
力ない声で名を呼び、今にも泣きそうな顔をしているヒルデブルク。後ろにいる男によって押さえられ、首元にはナイフが置かれる。
得意げな顔をする男は続けて言い放つ。
「アッヒャッヒャッヒャ! よぉ! 役立たずのクソ領主に魔王様! 話し合おうじゃねえですかよォ! ……今日からこの街は俺の支配下って事でいいっよなァァ!?」
これはつまりはクーデター。
叛逆である。
騒ぎに乗じて領主の地位を奪わんと武力行使で制圧しに掛かったのだ。
『――……最悪だ』
状況が飲み込めた颯汰は苦虫を噛み潰したような顔をする。前にいる女領主の顔は窺えないが、きっと似たような感情で顔が歪ませているに違いない。