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Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~  作者: キリシマのミナト
偽王の試練
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48 歌声

 時は現在――醒刻歴四四三年。雲の月。

 アナト――竜魔族ドラクルードで防衛都市コックムを治める女領主アナは廃鉱にて叫んだ瞬間へと時を進ませる。


「ま、待って! やめ……、それ以上、それ以上その子(、、、)に近づかないでェ!!」」


 もはやその声色は敵対などではなく、平伏し哀願しているものと同じであった。

 一時はしのぐどころか圧倒しさえ見せたが、静かに燃え、荒れ狂い始めた“獣”に勝てる道理など元よりなかったと言える。


「――……ッ! もう、時間(、、)切れ(、、)……? そんなはず――ぐッ……!!」


 肉体にかかる負荷はとうに限界を超え、ほんの僅かに動く度に、耐え難い激痛が奔り始めた。

 それでも彼女は身を起こし、立ち上がる。己の大切なものを護るために、災厄に挑まんとする。

 歪み乱れる視界でも、檻に近づく魔の化身――黒く輝く籠手と具足を身に纏う“獣”を捉え、悲鳴を漏らして近づこうとした。


 だが――、


「あっ、あぁ……!!」


 たった四歩。けつまろびつ進んだだけで、バランスを崩し、のっそりと倒れ込む。

 数瞬だけ、蒼銀の瞳が音がした方へ向いたが、すぐに大きな檻の中にいる巨大な蜥蜴トカゲのような生き物へと視線を戻した。

 睨み返す――白く薄っすらと汚れたドレスを何故か着せられた爬虫類は、よくよく見ると翼を有しており、まさに竜種ドラゴンと似ている。


『…………』


 冷たくめ付ける双眸は紛い物の存在を許すつもりはないのだろうか。

 それとも今も離れた机の上で、縄に縛られ藻掻いている竜の子――を奪った報いとして、相手の大切にしていたものを破壊しようとしているのではないかとアナは予感した。

 何とかせねば。

 ただ一心、それ以外に考えが定まらない。

 不意に、アナの内側から声が聞こえる。――それは先ほどまで見ていた夢の続き、過去に言われたものの断片であった。


『――……説明した通り、御息女は“竜の血”を得て、心臓が別の働きを――肉体を元の形へと戻そうとしております。しかし古き血ではどうやら長くは馴染まぬ様子……それは貴女様の肉体で試した通りでよくご存じかと思いますが――』

『新しき――新鮮な若い竜種の血が必要です。それさえあれば必ずや、御息女は元の可憐な姿へ戻る事でしょうぞ』


 その過去の声に対する感情は一切なく、振り払って現実まえを見続けようとした。がっしりとしたその足は痙攣けいれんし、それが全身を震わせているかのように視界も揺れ動き、かすむ。

 内側から響く声の裏に“取引”の正体――過酷すぎる『人体実験』の光景が、現実を一瞬だけ侵し、ノイズが混じった。

 その場所とここは異なる空間であり、彼女の視線は誰の目線でもなく、あり得ぬものであった――何故ならそれは自分自身を遠く見つめていたものであるのだから。

 清潔感というより何物も寄せ付けぬ冷たさを有する鉄の箱の中。全身が縛られ、口も目も器具か何かで塞がれた自身に、黒衣の人々はむらがる。

 忘れもしない恐怖。痛みはないのに身体が切られ、臓腑をいじくりまわされている記憶――。

 少女のような声が拷問と称し、実際に投薬実験まで行われた試練の日々――。

 その“取引”のせいで身体が急速に老い、後遺症が残った――麗しかった美女は、その面影を脂肪で覆ってしまった。

 かつては『コックムの華』とも呼ばれた美貌とその茎に生えた棘の如き鋭さをもって――戦場にて苛烈で勇敢な立ち回りを見せた女の姿は永遠に失われてしまったのだ。

 今やもう過ぎた時間以上に肉体は老い、外面以上に中身はボロボロときている。

 それも全て“取引”の末――。

 だが彼女に後悔はない。文字通り身を捧げた結果、進展があったのだから。


『若い、竜の血が必要――』


 古き血液はどうやら本物らしく、飲んだアナ自身に作用して見せた。人を超越せし力――中に眠る竜が目覚め、自分の身を今まで以上に十全に操れている感覚がした。

 それに古い血を飲んだ娘アスタルテの病状は変化し、奇形からじわじわと変わっていくのが見て取れたから本物であり、真実であり、最短距離であると信じ切ってしまっていたのである。

 その後、彼女は竜の血を求めながら、代用が利くのではないかと他の動物――とりわけ、隣接するカエシウルム大陸からやってくる魔物を生け捕りにさせ、その血をすすっていたのである。

 竜種がそこら辺に闊歩している訳ではない。

 通常は仙界と呼ばれる領域に住まうと言われている。この世界に迷い込むものも稀にいるが、好き好んで住まう変わり者こそ少なく、ここ数十年は目撃情報はなかったとされる。あっても体外は雲の上で一瞬姿を見えたなどとあまり信頼できる情報ではなく、血など簡単に手に入るものではなかったのだ。

 ゆえに代替として様々な血を求めたのだが――求める結果に至るものはなかった。

 そこへ天からの救いがやってきたのだと彼女は歓喜し、天上の神々に感謝さえした。

 幼い竜種の発見――。

 鬼人の集団を率いる“魔王を討った新たな魔王”と共に、求めて止まないそれがいた。

 相手が魔王であろうと、彼女は止まる気になれなかった。失敗どころか成功したとしても訪れるであろう結果すら見ずに、彼女らしからぬ盲目的に、事を押し進めてしまった。

 向こう見ずで自業自得と言えばそれまでだ。

 他者を蹴落とし成り上がろうと足掻き、高潔に生きながら戦い続けた女領主の最期の時は近い。

 だが、燻る劫火はまだ尽きていない。

 呻きを漏らしながら、腕だけで這って進む。

 必死に手を伸ばし、檻の中の怪物を救うべく、母は諦めずに、涸れた声で叫んだ。


アス(、、)タルテ(、、、)に……! 私の、大事な、大事な娘(、、、、)に! 近、……づく、なああ!!」


 地を這う怨嗟を纏う悪霊の如き声音。

 その叫びが通じたかは知れず、黒の戦士は動きを止めて輝く蒼い目を細めた。


『むす、め……?』


 覆う装甲が両頬に移行して剥き出しとなった本能を具現化した口から、疑問、或いは自身に確かめるような声色で言葉が出す。

 眼前の怪物を見やる。檻の中、格子に噛り付き、必死に威嚇をする生物――変貌を遂げた竜魔族の娘・アスタルテが怒り狂っていた。

 それは獣の本能か――脅威に対しての威嚇行為か、それとも母が見知らぬ怪異になぶらた姿に激怒しているものなのか。わからない。言葉が通じる相手でも、発する言葉を理解できるものでもない。だが、もう一方の檻の外にいる“獣”は明らかに動きを止めたのである。

 女領主の凶行に、地下に幽閉された怪物、血の臭いと一緒に漂う言いようのない不快感――。

 娘というワードから神経細胞(ニューロン)に電気信号が奔る。

 あくまでも脳で造り出した仮定であるが、駆け抜ける映像は眼前の生物が生まれた経緯、地を這って嘆くヒステリックの声の主がどう変貌してしまったのかさえ予測して見せたのである。それで“獣”は状況を瞬時に把握してみせた。記憶領域が大幅に欠けているとはいえ常人を越えた思考が結論を導き出したのだ。

 その手に持った得物を強く握る。

 肉切り用の厚い包丁の柄が軋むほどに。

 そして“獣”は口を開いて決意した。


『なれば――』


 耳朶を越えて響く。


 肉切り用で錆びて汚れ切り、破損している以外は変哲もない一品のはずが……、その刀身に左手をかざし、手を左へ動かすと変化が起きた。

 柄の方からゆっくり左へ手を運ぶと、銀の光が生じる。磨かれたものより一層白刃は輝き、穢れや錆びを覆い隠していく。さらに驚くべきはそこで止まらないところだ。左手は包丁の刃を越えて進み、追従して光も伸びていく。何ら特別じゃない道具が、光の剣へと姿を変えたのである。

 檻の前で吠えていたコモドオオトカゲは本能からその脅威に対して檻の奥へと身を退いていた。


『――なればこそ!!』


そう叫ぶと“獣”は光の剣を構え、振った。

 金属の檻に一筋の光が奔り、少し遅れて甲高い音が鳴る。剣が通った箇所の格子が削り取られ、次いで第二撃を放ち――格子がバラバラになって地面へ落ち、カランカランとぶつかる音がいやに大きく空間の中で響き渡った。

 振るわれた光の剣は、檻の錠を破壊するに留まらず、さらに格子までも斬り裂いたのである。


『――……』


“獣”は歩き出し、檻の中へ鍵を使わずに侵入して見せた。その目は輝き放ち、同時に見る者全てに畏敬や底冷えする恐怖を与える。

 檻の中にいたアスタルテはひるむ。

 全力で後退し、隅の上に、器用にも格子を掴んでヤモリの如く張り付いては、領域テリトリーを侵す怪異を見下ろし吠えた。


「シャァァアア……!」


必死に威嚇するが、それに対し外敵たる“獣”は黙して語らず、見上げた怪物を定めて踏み出し、手に持った武器を後ろに回し迎撃の構えを取る。


「やめ、て……お願い……! どうかお願い……! 殺さないで……殺さないで……!」


 女領主の祈りは、叫びによって途絶える。


「!! キシャアアアアアッ!!」


追い詰められた動物は、死を回避するために最期まで足掻く。窮鼠であっても生きる為猫に噛みつくように、巨大な蜥蜴もどきは飛翔する。

 羽ばたき、一直線に脅威を排除すべく、全体重をもってのしかかるように突っ込んだ。

 “獣”はすぐさま柄を両手で握り、少し開いた脚に力を入れ、迎撃する準備を整えた。

 もし立花颯汰が“獣”のままであったならば――迫る怪物に対し、迷いなく剣を振るってみせただろう。飛んでくるそれを紛い物であると切り伏せ、己の大切な絆を奪わんとした悪しき女領主の首級を取り、コックムへ戻るはずだ。

 確かに、この刹那の時までは傲慢にも『この生物は殺す事だけが救いだ』と断じていた。痛みを与えずに首を切り落とし、一刻も早く呪いから解放させる腹積もりであった。


『――……違う』


 小さく、その輝く双眸と同じく発光している口腔の奥から呟く声がした。

 それを口にした当人さえ気づけるかわからないほどに小さい疑念の言葉。


 そして次の瞬間、世界は反転する。


 気づいた時には、世界は闇に閉ざされていた。

 暗澹たる坑道よりも昏く、星の煌めきよりも眩い世界――そこにいた本物の怪物たる“獣”がおり、立花颯汰はそれを見上げていた。

 そこでいつの間にか意識は深層へ――己の心の中へ沈んでいたと気づく。

 その中で蒼銀の瞳を持つ巨獣は、世界そのものと同化している腐蝕した肉を溶かし零しながら、銀の骸を曝していた。


『…………』


 黙りつつ、一点を見つめているが――その対象は立花颯汰ではなく、足元の奥であった。

 足を動かすたびに波紋が広がる水面。

 纏わりつく空気すら闇を帯びていて重苦しい荘厳さもあったが、何やら似つかわしくない音が聞こえてきたのだ。


「……? 何が、起き――」


 音が聞こえた気がした。

 現在の状況に対しての問う颯汰の言葉は、水面の下から響く音に掻き消されたかのように、同じく黙り込んでしまった。

 踏む足の感触は曖昧ながら、沈む事はない癖に真っ暗な水底に漂う光が幾つも見える。

 それはいつか見た鬼火――燃える魂たち。

 その一つに視線が注がれる。


《…………》


 遠い彼方から音色が聞こえる気がした。

 その音は囁くようであり、決して口角泡を飛ばす勢いではなかったのだが、間違いなく魂の叫びの類いであると知覚できる。


《――…………――》


「……ん」


 確かに、旋律が聞こえる。

 重い沈黙があるからこそ一層、響く。

 願いが込められた音色が空間に満ち溢れだす。


《――……――…………――……――》


 そして、これが歌であると知る。歌詞こそないがそのメロディーに乗せて、歌声が響いた。

 天地を鳴動させるほどではなく――、

 されどそれは人の“心”には響くもの――。

 それこそが『音楽』であり、『歌』である。

 言葉はなくても、この空間に佇む巨獣と矮小な男は理解した。……歌や音楽という概念ではなく、今流れた訴えの正体をだ。


「……そうか――」


 吸った息を吐いた後、闇の中で颯汰は呟く。

 ここは心の中のはずだが、それでも自分の内側で反芻してから頭上を見上げた。

 おそらく、颯汰の内に巣食う“獣”と目が合った。射抜くほど鋭い眼力を、本来なら自然と避けたいと思う方の人間であるが、しっかりと見据えた。蒼く宝石のようで、深海を凍らせ切り抜いたかのような巨大な瞳を。

 颯汰は静かに目を閉じ、開くと同時に声を出す。


『――だったら!!』


 瞳を開くと、現実の時間が再び動き出した。

 深層意識から覚醒する。今の声は“獣”のものではなく、立花颯汰のものであったであろう。

 時間は巻き戻る事なく、竜を模した怪物――アスタルテがもう眼前に迫っていた。

 少女だったものは牙を剥いて飛び掛かっているが、颯汰が選び取った行動は迎撃ではない。


「!!」


 突然、手に持った刃物を不要だと捨てたのだ。

 手から離れた包丁は纏う光を失いつつ、格子に当たり淋しい金属音を奏でる。

 それとほぼ同時にアスタルテが“獣”に噛みつかんとした。


『ぐっ……!』


 今のアスタルテの巨躯に、上方から加速しての突撃は確かに重かったが、“獣”は全身で受け止めたのである。勢いでゴロゴロと転がっては斬り裂いた格子を巻き込み散らしながら、すぐに檻の端まで着いた。


「ガルルル……」


見下ろし、物理的に押さえつけた“獣”に対し、アスタルテは喉を鳴らす。

 外敵に対しこれから首にでも噛みついて殺そうとする――よりも早く、自由な上体だけを起こされ、黒い両腕が伸びてきた。


「!? グッガアァ!」


 驚き暴れ出そうとするアスタルテ。口を開き牙を覗かせ、てらてらと唾液を滴らせる。

 密着してきた相手を押さえると同時に払いのけようと試みる――予期せぬ行動に恐怖を覚えたのだろう。

 だが……“獣”は別にベアハッグで締め殺すつもりではなかった。むしろその獰猛な姿と真逆と言っていい行動を取る。変わらぬ怪物の顔。蒼く輝く双眸を持ち、肌も闇色に染まっているのに、その瞬間だけ穏やかな表情に映った。


『落ち着いて、アシュ(、、、)


「「!?」」


頭の――おそらく耳があるであろう箇所にて小声で囁く。それは“獣”――延いては立花颯汰ですら口にしないような優しく、柔らかな口調。

 知るはずのない愛称に、少女だったものと倒れている母親も理解が追い付かず、驚きを隠せない。

 少しだけ力を込めて、手繰り寄せるような抱擁をし、続けて語るのは言葉ではなく――



『……――』


心内で響いたあの歌を、そっと口ずさみ始めた。

 ぎこちなくだが、心に残るフレーズを。

 流れる音は一つのメロディーとなり、響く。


 暴れていたアスタルテは静まり、うっとりと聞き入ると自然とまぶたが重くなってゆく。

 理性すらケダモノに落ちてもなお、記憶の奥底にあった――母が唄ってくれた子守唄だと思い出す頃には、彼女は深い眠りにつく。


「なんで……?」


 何故、何故、何故。

 落ち着きだした娘と正反対に、離れている母、何故それ()を、知っているのかと。

 目眩いがする。

 あり得ない状況で副作用の幻覚に幻聴を疑う。

 遠くから唄が聞こえてきた気がした。

 そんなはずがないのに……弦楽器リュートから奏でられる音に乗せた歌声が、檻の中から微かに聞こえてきた気がした。

 重なるそれは――懐かしい声であった。

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