12 子の心
「クソッ! 離――ッ!!」
羽交い締めにされ暴れる立花颯汰少年。
自身より小さいが少し恐ろしい他種族の少年の口を押え、捕まえた子供が不安げに言う。
「ニコラス君、このチビどうしたら――ウゲッ!?」
「チビって言うんじゃねえよダスティン!! 次言ったらてめーの家ぶっ潰すからな!!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて、ダスティンはニコラス君に言ったんじゃないよ! この人族に言ったんだよ!」
チビという単語に反応した貴族衣装のお坊ちゃま――ニコラスが、颯汰を押さえているダスティンの脛を思い切り蹴った。しかし頑丈なのか蹴りが弱かったのか、呻くだけで倒れることもなく立ち続ける。
興奮気味のニコラスを宥めるように、気弱そうな少年がダスティンのフォローに入った。
逆上したニコラスが舌打ちをした後、
「…………、このままじゃ、憲兵の誰かに見つかる。それは面倒だから――」
既に何人かの大人には見つかっているが、当人たちはまだ気づかれていないと思い込んでいる。その更には大人たちの殆どが我関せずを決め込もうとしていた。
ニコラスの実父は『ナディム子爵』である。逆らうと碌な事にならないことは明白だった。
子爵は別の辺境の村でだか、『重税を強いる』『女を勝手に連れ去る』など領内で好き勝手やっていたが、本国に治めるべき税金を横領していた事がバレたのを発端に他の悪事も暴かれた。最近それで絞られたばかりであるからか機嫌も悪い。本来ならば爵位剥奪どころか極刑だってあり得たのだが、国王は友である彼にかつての才気が蘇る事を期待し、罰をかなり軽いものにした。当の本人であるナディム子爵は不服に感じながらも現在は比較的大人しくしていた。
元は大層な人格者であり他国との交渉する際には優れた才能を発揮していたのだが、今や酒と権力に溺れ、愛していた妻にさえ逃げられてからは性格が歪んでしまった。そんな子爵に、領民は過度な期待はしていない。むしろ内心では早くこの厄介な主君を変えてくれと懇願していたが声を上げるものはいなかった。
そんなナディム卿がまた何かをしないか監視するために本国直属の憲兵が、限定的な期間であるが彼が治める土地に駐留することになっていた。
「――何が面倒だって?」
少年たちの背後から、男の声が聞こえた。彼らには馴染み深い、忌々《いまいま》しい声であった。
「ゲッ!! グレアム! それにウィルマまで!!」
そこには二人の男女がいた。紅葉のような赤い憲兵服に身を包み、羽飾りの付いた帽子を着用していた。腰には剣を携えている。
チラッと見えたその姿から特別な役職のエルフたちであると颯汰は理解できた。カツカツと軍靴が石畳を叩く小さな音が徐々に大きくなってくる。
「……呆れました。二日前に注意したばかりなのに。何度言えばわかるんですか? あなたの行動が御父上の顔に泥を塗りたくっていると」
眼鏡をした女性が口では軽蔑している様子であったが、まるで感情のない瞳で言うものだから、怖さがさらに際立つ。その一方で、男の方はそんな女性の態度に苦笑いと半笑いが混じった顔となっていた。
――この世界、眼鏡なんてあるんだ……。
捕まっている颯汰は全く関係ない事に一瞬だけ興味が惹かれていた。
「う、うるせー! 左遷騎士がー!!」
「ハハッ、子供って本当、痛いところを容赦なく突いてくるよな」
ニコラスの叫びに男が愛想が良い顔で笑っていたが、次の瞬間――スッと、仕事モードに切り替わり真面目な表情となる。
「何があったかはよく分からんが、人族の子相手一人に寄って集って情けない。喧嘩なら堂々と一対一でやれ。そうなら止めん」
「グレアム?」
「――っぉとっとと……。喧嘩もダメだ。怪我でもしたらお前の父君も心配なさるだろう」
おそらくウィルマという名前の女性が静かに隣の男に、グレアムと呼びながら視線だけで注意を促す。颯汰も周りの子供も察せる程の殺気に満ち溢れていた。
「さすがにそろそろナディム卿へ報告した方がいいのではありませんか? 最近は特に目が余ります」
「うーん……俺的には自分で反省して、立派な領主の跡継ぎにでもなって欲しいところなんだが」
「大人二人がコソコソと話してるんじゃねー!! どうせ悪口だろうが!! クソーッ!!」
「この口の悪さで継げますか?」
「う、うーん……」
日々悪ガキの所業を勤しむニコラスに手を焼きながらも、この憲兵二人は未だ父親であるナディム子爵へ直接報告はしていない。
それがこの悪ガキを増長させる原因でもあるのだが、もし言えばナディム卿は激しく叱咤するだろうと考えて、グレアムは報告しないでいた。今のナディム子爵ならば、実の子を鞭で叩くのを躊躇わないかもしれない。母親もいない愛に飢えている不安定な子にそれをやれば後はもう“決定的”だと思えば、下手に報告が出来なかった。
領民とは異なる視点で観察した結果、彼らはそうなると判断している。
彼は子を甘やかしはしない。――むしろ放置しているに近い。それも性質が悪い事に、子爵本人は自覚していないのだ。領地を任されている身であるから政も、不服であるが国王からの信用を回復するために、あろうことか他者への気遣いがいい加減な形となってしまっている。元を辿ればナディム子爵が悪いのだが、『代わりに注意する』、と言った家族間の問題にさらに踏み込んでいくほどの度胸はグレアムには無かった。
「まぁとりあえず、そこの少年を放してやれ。他の人族がカンカンに怒るかもしれないぞ?」
「ハッ! 父上に怒られるのが怖いから黙ってるに決まっている!」
ニコラスの返答に、遠目で見ていた人族は目を逸らし、言葉がグサリと刺さる。グレアムは唸り声を抑えるが少し漏れ出た。
本国から来た直属の憲兵である彼はナディム卿が癇癪を起す姿を何度か目撃しているが、どうにも慣れなかった。幼い頃に見た聡明なナディム卿の姿が目に焼き付いていてるせいでどうにも見るに堪えないのだ。怖いというより、見たくないが正解だ。
「だがなぁ、もしそこの少年の父君、……もしくは母君が、大事な子がこんな目にあってるのを見たらどうすると思う? たぶん咄嗟に引っ叩くんじゃないかな?」
「…………そんな馬鹿な真似、するわけねーじゃん」
どうにか今の行いを改めてもらおうと、力以外での解決を図る憲兵の男。母親という彼にとって棘であり、綿の様な柔らかい言葉が、冷静さと少しだけ考える時間を与える。何度も悪行を止めていたが、大抵は『バーカバーカ!』と言って逃げていく少年たちの初めての変化に、グレアムだけではなくウィルマも少し緊張した面持ちとなる。もしかすれば――。
彼自身で間違いに気づいて、成長する事が最善の道であると信じているグレアムは、更に笑顔で会話を続けようとする。
だが――現実は非常であった。
「「――ッ!?」」
二人は、ヴェルミの王都『ベルン』から派遣された憲兵であり、その実力もまた折り紙付きであった。
そんな二人が、全く対応できなかった。剣を抜く暇も、視認して動く間もない。
さながら死を運ぶ風の如く、大きな影が一瞬の間にすり抜け、颯汰を掴むダスティンへと伸びた。
「――!!」
エルフのダスティンは幼いながら一瞬で死を悟った。三十四年の人生で、一度も経験したことのない死の予感を、明確に。
身体を覆いつくほどの黒い影。表情すら読み取れないのに、その両眼が炎のように燃え上がり、更に額から淡い光が漏れだし、第三の目を持つ悪鬼羅刹を彷彿とさせる。
その一睨みを見たダスティンは失禁と共に意識が薄れる。消え行く意識の中、絶叫が聞こえた。
「――俺の息子に、なにしとるんじゃぁあああ!! クソガキどもがぁあああああッ!!」
彼は、颯汰の本当の親ではなかった。彼には妻がいて二人の娘もいるが男児に恵まれなかった。いや、厳密に言えば異なるのだが、……そのため彼は旅をする羽目になったのだ。
彼の一族は少し変わった習わしがあった。
――『もしも跡継ぎたる男児が生まれなかった場合、地図に従い進み三年掛けて旅をすべし。そして禁欲に徹し、子種を漢気に満たせ』……という頭が悪そうな風習である。
彼は愛する妻子から離れたくなかったが、妻と娘に言われるまま仕方がなく旅に出た。
これが彼が旅をしていた理由である。
そんな中、出会った少年の背負った大きな傷と悲しみを見て、彼は少年が安全に暮らせる場所まで連れていくことを決意した。旅のついでに――ヴェルミでただ一人、人族で領主となった男の下へ預けようと考えていた。魔人族であるが、それを実行するだけの名声も、力も、コネクションも持っていたからだ。少年の今後の人生が幸せであることを祈り、自分は旅を終えて自国に帰って幸せな家庭生活を再開しようと考えていた。
だが、しかし――。
一緒に行動をする間に徐々に芽生えた父性が、彼の考えを変えた。
「ボル、……ユッグさん!」
颯汰は緩まった手からすぐさま抜け出し、反射的に父役の真の名を呼ぼうとする。彼の名前はヴァーミリアル大陸全土、更に他の大陸にまで知れ渡っている。故にここで名をいう事は余計な混乱を生むだけであるからと禁じられたのを思い出し、咄嗟に決められた偽名を口にする。
戦神とまで称された騎士、救国の英雄の恐るべき身体能力が、ただイジメを行っていた子供に向けて発揮されようとしていた。
自身が庇護すべき対象が、少し大きい少年たちに襲われている――その事実だけで彼は大人げなく、子供たちの間に割って入ったのだ。
雨風や砂塵を防ぐための外套の間に覗かせる衣服はどこにでもいる旅人のそれだが、肌だけが包帯のような布地で巻かれ覆い隠されていた。少年たち三人にはミイラ男にしか見えない怪異的な獣。
血走った赤い瞳だけがはっきりと露出し、爛々と輝いている。更に何故かその額の中心に、薄い赤い光が溢れ出している。
「貴様かァァア!! 街にいる人族を蔑む愚か者はァアアア!!」
ニコラスに向けて、街中に響くのではないかという怒声を浴びせる。ビリビリと大気だけではなく地面や建物までもを揺るがす声に、颯汰も二人の憲兵も恐怖した。では、その怒りを直接向けられた少年たちは――。
「「…………」」
理解できない怪物を前にして、感情が心臓と共に止まりかけていた。恐怖を落ち着かせるための涙が流れるより先に、見ている全てが白と黒に点滅し、意識が現実から逃れようとする。
ひ弱そうな少年は文字通り泡を吹いて気絶して仰向けに倒れ込み、貴族の子供は膝から崩れ落ちた。
逃げねば、一刻も早くここから逃げなければ死ぬ、と頭で理解する前に、脳が機能を強制的にシャットダウンさせる。眼前の恐怖を消し去るには、そうする術しか持ち合わせてなかったのかもしれない。
「む……」
ジャパニーズ男鹿『ナマハゲ』の如く全力を以て子供を脅したユッグと呼ばれた男は、静かに倒れる子供たちを押さえる。颯汰を捕まえていた少年はウィルマに支えられたが意識は失っていた。二人は、少年の頭部が石畳へ直撃するのを回避させた。
喧騒に包まれた街が一瞬の静寂の内に、先ほどまでとは質が違ったざわつきが始まる。
一体全体何事かと、野次馬が集結するのは時間の問題だろう。
乾いて引きつった笑いを浮かべるしか出来なくなったグレアムは、この事態をどう解決すべきか頭を悩ませたながらも、独り言ちる。
「ハハッ、……こいつはもう、本当に怖い父君がカンカンだ」
2018/05/13
他所の投稿する際に一緒に修正しました。




