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Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~  作者: キリシマのミナト
偽王の試練
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45 母と子と

 再度、時をさかのぼる。


 醒刻歴四三四年。雲の月――。

 鉄蜘蛛の襲撃から十一年の歳月が過ぎた。

 襲撃を受けた壁とその区画は、未だ死が蔓延はびこる。命を蝕む毒が大地から抜けずにいた。


「絶対に……、私が、アシュを……みんなを護るから……」


 竜魔族ドラクルードのアナトは墓所に降る冷たい雨に打たれながら、遺された者達に全てを捧げると決めてしまっていた。女とて領主であるからと気丈に振る舞ってはいたが、その背中は滂沱の如き溢れ出す涙に濡れていた。


 かつて、その胸の内に抱えていたのは、憎悪にも似た病的な向上心であった。とある女貴族の策略によって左遷された場所にて、領主になるという大逆転の一手を差せるほどの強い欲望。それは今、別の形となって執着し始めたのであった。

 愛を享受した事により鳴りを潜めていた野心とは違う――愛する人との間で産まれた少女「アスタルテ」を必ず幸せにしてみせると、さらには女領主としてこの地を治める者としての責任――領民の暮らしを助けると夫の墓の前で誓ったのだ。

 それからアナトは領主として今まで以上に勤勉に職務を全うし、また母親としてもアスタルテに愛情を注ぎこんでいた。

 アナトは自分の母親を思い出し、反面教師として――英才教育を施すという点は同じでも、暴力やキツイ言葉も投げないように心掛けていた。

 さらに夫の温和な性格が遺伝したのも功を奏したのだろう。お陰で娘は順調に育っていた。……かに見えた。

 最初は小さな違和感。そこから異変に気付くのはだいぶ先になってからである。


――四年後。

 醒刻歴四三八年。神の月。


 何年も昔、貰った時には「私には似合わない」と文句を言っていた――今ではお気に入りの蒼のガウンを羽織り、遠目で我が子を見守りながら小さく呟く。


「あの子、大丈夫かしら…………」


 アナトは自分が子供だった頃とは違い、娘であるアスタルテを他の子らとも積極的に交流させていた。他者を蹴落とすための努力を小さな時から身に着ければ将来、役に立つというのは身をもって知っていたが、誰かと共に歩むという暖かさを理解したからこそ人との関わり合いもきっと力になると信じ、母とは違う選択を選んだのだ。

 自分の幼かった頃と違い“居場所”を得ている娘に誇らしさすら感じていた。

 そんなアナトの先ほどの呟きは、遊ばせている子らが娘に悪影響を及ぼすかが心配なのではない(身辺調査は充分にやっていた)。

 彼女の言葉は自分の娘に向けられていた。

 何も知らぬ者がその光景を見た時、おそらく『小さな女の子たちと一緒に遊んであげているお姉さん』に見えた事だろう。


「みんな、同い年のはずなのに……」


 新年の始まりでまだ寒い、外の公園を駆ける女児は全員同じ年齢であった。

 種族が違うとはいえ、もうすぐ十になるはずなのに背も他の子よりも、頭ひとつ分ぐらいは大きい……明らかに成長が早い。

 娘の身体に起きている“異常”――。

 アナトは自分の育て方に間違いがあったのではないかと悩んでいたが、要因は別にあった。


 アスタルテは立派に育った。性格こそ温和。見た目は母譲りの美貌に加え、目元は柔らかい印象を与えるうえに、怜悧な美少女であった。

 淡い緑の髪がウェーブがかかっていて、顔立ちは母の血統が濃く受け継がれている。

 学業成績も優秀であるため飛び級で授業を受けさせても何ら問題ないように思えた。


「…………」


 授業が終わり騒めく教室。

 例え世界が違えど、様子はどこも似たようなものであった。

 馬鹿話で盛り上がる男子。

 お洒落について語る女子。

 先ほどの授業について話し合う者達。

 悪評を語り、噂話に惑わされる愚者ども。

 そして――、どこにも属さない者が少なからずいるものだ。


「……せっかく飛び級でもお子様よね」

「ほんとほんと。どうせ領主の娘って理由だけで捻じ込まれたんじゃないの?」

「ありえるわね~」


ヒソヒソと話し声がする。

 聞こえるか聞こえないかの大きさで、当人には直接は言わないくせに陰口を叩く小物がいるのも、悲しいが同じであった。


 机に伏せているが、別に眠たいわけでも、眠っているわけでもない。話す相手がいないだけ。

 アスタルテは、孤立していた。

 年上ばかりの教室で、始めこそは年下という事で庇護の対象だったというのに、過度な優秀さが嫉妬の感情を呼び起こし、次第に彼女から人が離れていった。

 彼女はただ求められるまま答え、あるがままに振る舞っていたのに、同級生からは『可愛げがない』だとか『生意気だ』などと浴びせられるようになってしまった。

 アスタルテの精神はまだ年相応であり、周りも彼女を受け入れられるほど大人ではなかったと言える。それが苦痛を生んだのだ。

 窮屈感を覚える学校が終わり、屋敷へ帰宅して出迎えるのはメイドや執事たちで、母であるアナトの姿はない。

 不幸にもこの頃は、アナトが激務に追われていた時期であった。

 隣国のマルテからの侵攻を防ぐための作戦を立て、前線の拠点へ赴いていたのだ。

 寂しい気持ちがあったが、優しさゆえにアスタルテは我慢をしてしまっていた。


 学校が休みの日でも、アスタルテの心が休まる事はない。専属の家庭教師として雇った女が母以上に厳しかった。


「お嬢様。最近、成績が落ちていますね」


「…………ごめんなさい」


「お母様のご期待に添えるよう、努力を惜しまないように。失望させてはいけませんよ?」


「…………」


うつむき、唇を噛み締める少女。そこへ家庭教師の女は厳しく問うた。


「次は巻き返せるわね?」


語調こそ平静で、淡々としているが敬語を止めて言い聞かせるようにアスタルテに確認をとる。


「……」


「……返事は?」


「…………はい」


家庭教師も何も悪意があって、虐めたいという訳ではない。教え方が正しいとは一概には言えないが彼女は与えられた仕事を果たそうとしていただけである。だが、そのプレッシャーが幼き心を追い詰める要因であったのは間違いない。

 そこでアスタルテは間違った道を選んでしまうのであった。


 ――みんなと、いっしょにいたい……。そうだ! “成せき”が悪ければ、みんなと同じ教室で……


同学年の子らと一緒に学びたい。ならば自分の成績を落としさえすれば、戻れるのではと考えてしまった。そうと決まればすぐに行動に移す。即断即決もまた父の血筋ではないだろう。

 定期試験で白紙で挑もうと思ったが、わざとだとバレてはならないと判断し、テキトーに記入した。


「……やった」


アスタルテは返ってきた答案用紙の悲惨さと正反対に小さく喜んで見せた。歳が上なだけの同輩の奇異の視線に気づかぬまま、彼女は胸を張って意気揚々と帰宅した。

 当然、家庭教師の女はヒステリーを起こしていたが、アスタルテの耳には一切届いていない。予定では今日、前線拠点から帰って来る母・アナトに伝えようとしか考えていなかった。

 きっと怒られるのは間違いない。最悪の場合は失望されるだろう。それは心の底から嫌ではあったが、日々精神をすり減らして壊れてしまうよりはマシである、と。彼女は身体つきこそは年齢より上であるが、心はまだ十に満たない傷つきやすい年齢なのだ。檻の外は悪意で満ちているからこそ、逃げ道が必要だった。


 帰って来たアナトは非常に疲れ切っていた。

 マルテ王国による、当初は普段通りの威力偵察による小競り合い――牽制程度だと思われたが、結構な規模で仕掛けてきたのであった。敵部隊を後退させて屋敷へと戻ってきたが、綺麗な目元に隈が出来ていた。

 家庭教師はアスタルテの手を引っ張り、此度の成績低下と試験の結果を報告する。非常に申し訳なさそうにする女と違い、アスタルテの目は期待でいっぱいだった。

 アナトは一瞬、疲れ果てた目を剥いた。激情に流されかけたが己の母親の姿が過り、眉間にシワを寄せて溜息を吐く。衝動を吐いた息に乗せて排出し、アナトは吐かれた顔のまま言う。


「……まぁ、そういう日もあるわよ」


「え……」


「次は、頑張ってちょうだい。あなたならできるわ」


「え、ママ?」


 もし――、アスタルテを叱ればまた変わっていたかもしれない。こればかりは結果論だが、娘が何よりも飢えていたのは母からの愛情であったのである。


「ごめんね。ママは、ちょっと疲れてるの……」


拠点で座するだけではなく、彼女は端正で清楚な容姿を用いて前線で味方を鼓舞したり、さらに衛生兵の支援をしたりとかなりオーバーワーク気味で――ろくに眠らずに指揮を執った過労が祟り、倒れる寸前であった。娘の顔もぼやけて見えていたせいで、アナトはアスタルテの言葉に出せない救難信号を見逃してしまう。

 寝室へ向かうアナトに着いて行き必死に言い訳をする家庭教師。母は空返事で対応して離れていく。屋敷の階段を上っていく背中を見つめ、アスタルテは独り言を呟いた。


「…………ママは、わたしのこと……どうでも、いいのかな……」


涙を浮かべ苦しそうに胸を押さえる。内側から圧迫されるような痛みで張り裂けそうな心が悲鳴を上げていた。

 そのサインに気づくのが遅れたせいで、“それ”の存在を知るのも進行状態も何もかも手遅れとなってしまったのだ。


 翌日の朝食時、娘は胸を痛そうな顔で押さえて悶えた後に、白目を剥いて意識を失った。

 酷い脂汗を流し、椅子ごと倒れ込んだ。

 それを見て卒倒しかけたアナトであったが、急いで娘を医者に診せた。


「……領主様。症状から見て、お嬢様はおそらく「魔力中毒」です。体外魔力マナの減少により食物から取れる魔力が減った今、かなり珍しいのですが、これ自体は安静にしていれば自然と回復するものです――」


医師の言葉に女領主はホッと胸をなでおろそうとしたが、険しい顔のまま男は続けた。


「――……ですが、今のお嬢様はそうとは言い切れません。……問題が、別にあるのです。お嬢様の心臓は、何やら特殊な状態にあります。以前の診断時と異なり、鼓動が人よりも急激に遅くなり、リズムも不安定……それに心音が異様に強い。……また前にお嬢様から採血してもらった血中の魔力濃度なんですが、おかしな事に我々魔人族(メイジス)よりも高いのです。何らかの心疾患である可能性が非常に高いのですが……私も今までこのような症状を診た事がありません。領主様……どうか王都にお戻りください。きっとこの病状を知る者がいるはずです」


「…………」


聡い彼女はすぐに理解した。

 娘も竜魔族ドラクルードの『継竜』であり、発現したのが“心臓”であると。つまりは彼女の心臓は竜種ドラゴンと同じもので、心臓が止まらぬ限り、無限に体内魔力オドを生み出すのだと。

 ポンプが無尽蔵に魔力を生み出すのはいいが、困った事に肉体はヒトの身体。他の臓器が竜種と同等ではないせいで、溜まった魔力が行き場を失い、血中に残って魔力中毒を引き起こしていたのだ。

 降り出した雨の中、娘を引き取り屋敷へ戻る。彼女はすぐに王都へ戻る決意を固めたが、更なる悲劇が起きた――。

 寝静まった屋敷の外は風と雷雨で騒がしい。この嵐は、これから起こる惨劇を哄笑する神々がいた証拠かもしれない。

 深夜に響く絶叫。

 外の今もなお轟く雷鳴よりも、高く鋭い声音の正体が自分の大事な娘の悲鳴だと理解して、即座にアナトは駆けては部屋の扉を勢いよく開けた。

 月が厚く昏い雲に隠れた深い夜闇。

 真っ暗な部屋にしくしくとすすり泣く声が聞こえる。娘が訳もわからず、泣いていたのだ。

 最初は外の雷が恐くて泣いたのだと思った。

 一人でも眠れるようにするべく離れてから初めての雷で驚いたのだと。

 ベッドの上で踞るようにして呻き、落雷によって母親の姿が見えた途端、嗚咽は激しくなる。


「ま、ままぁぁ……!」


「……!!」


それを見て、アナトは驚愕した。

 自分の娘が押さえる右手。――それは紛れもなくヒトの形を捨てていたのだ。

 下らぬ幻覚に見えた異形――何度も窓から差し込む稲光がが部屋を照らし、すぐに闇へと閉ざす。その繰り返しが現実感を喪わせつつあった

 だが娘の悲痛の声が現実であると叩きつける。


「どういう、こと……?」


誰に問うでもなく疑問が声に出ていた。

 柔らかく白いほっそりとした手が、成人男性よりも大きく、肉を引き裂くような鋭利な爪が伸び、腕中にびっしりと鱗が生えていた。


「奥様、どうなされ――」


背後から声。心配になって起きた女中の一人だ。


「――入らないで!!」


女領主は急いで扉を閉める。そしてゆっくりと開き、隙間から厳しい剣幕で言った。


「いいこと? 他にメイド……いや、誰でも、誰かがここに訪れようとしていたなら、すぐに退き帰し眠るように伝えて。この子は母親である私が見ます」


そう言い終えると同時に閉まる扉。


「えっ、あ、あぁ……。わかり、ました」


魔人族メイジスの女中の呟きは独り淋しく廊下に木霊した。

 部屋の中で涙を流していた娘が呼ぶ。


「ママ……ママぁ……」


ヒトならざる者の異形の手に当人が困惑仕切っていたに違いない。だが彼女はそんな怪物の手になった事よりも恐れていた事があったのだ。


「ママ……きらいに、きらいにならないで(、、、、、、、、、)……」


その一言を聞いた瞬間、尚も響く外の雷の如き衝撃を全身に受けたアナは何もかもを忘れて娘の元へ飛び込み、抱き締めた。


「馬鹿なこと言わないでちょうだい……あなたを、私があなたを嫌いになるはずがないでしょう……?」


涙ぐみながら求められた愛に応える。

 拒絶なんて選択肢は端からない。

 同じ言葉を親に投げかけた頃の記憶が蘇り、酷く目頭が熱くなっていた。


「大丈夫。ママが……、ママが絶対にあなたを……アシュを助けてみせるから……!」


「うん……うん……」


そうやってアナトは娘――アスタルテと一緒に横になり、優しい声音で子守唄を口ずさんだ。

 この唄も、亡き夫が残したものである。

 心のままに唄う事を知らず、日々を出世欲に駆られていた若き日の女領主が“惰弱”と見下していたものこそが、人の安寧に必要なものであるとはあの頃は思いもしなかったのだ。

 美しい歌声が響き、応えるように嵐は静まり始めた。

 風の喧騒は絶え、雨の勢いは失せて行く。朝にはきっと雨雲がなく快晴の青を見せる事だろう。


 ――この事は、誰にも話せない。奇病であるなんて触れ回られたら、治ってもこの子に居場所なんてなくなる……誰かに知られる前に……絶対に、絶対に私が救ってみせる……!


 泣き疲れて眠る娘に寄り添いながら、母は唄を止めて、そっと目を閉じて誓う。その決意がやがて狂気へ変わると誰が知ろうか。


2019/11/29

誤字の修正。

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