40 鳴動
女領主は歓喜に打ち震えながら、けたたましい叫び声で通り過ぎて行ったその後――応接間の壁の上側に激突して落下した颯汰は起き上がるが、苦悶に満ちた顔で片膝を突く。
衝突して亀裂が生じて剥がれた壁の破片が、パラパラと落ちる。
『――ッ……ゥゥ』
呻く颯汰にリズにヒルデブルクが血相を変えて近づく。部屋中の家具や壁、天井まで傷をつけた暴風の直撃を至近距離から受け、甚大なダメージを受けたのだろうか。
一瞬の出来事で、彼が真正面から受けたおかげで女性陣がケガをしなかった……とまでは(当人も)気づけていないが、吹き荒れる強風によって目の前で後方へぶっ飛ばされれば誰だって心配になる。
「ソウタ! だ、大丈夫ですの!?」
二人の少女が近づく。顔の半分を覆う装甲の上――露出している双眸が物語る辛さ。普通の鎧よりも遥かに硬度を誇る“獣の力”を身に纏った姿であっても直撃を受け、壁に派手に激突したならば、装甲に傷の一つも付いていないように見えても中身がどうか怪しい。
心配そうに手をこまねく少女たちであったが、
『…………いや、傷は、それほど』
苦し気な声が反響する。颯汰は制止を促すように右手を前に突き出した。
「強がってもしょうがないですわよ!」
《お、お医者さん! はやく!》
リズが荒れ果てた部屋を見渡すと、丁度吹き飛ばされた家具の隙間で運よく潰されずに横たわっていた女医エイルが、両手両足で這うようにして出てきた所であった。
『……いやホント、怪我はないんだ。ただ――』
「ただ?」
『ただ……精神的にキツイっていうかんじ?』
王女の頭上に疑問符が浮かんでいる様子なのをすぐに察知した颯汰は、溜息の後に説明を始める。
『いや、その……さっきのドラゴンブレスもどきさ。……あのオバサンの息……、だったわけじゃん?』
歯切れが悪い物言いであったが、だいたい言わんとしてる内容が、十三しか生きていない少女であっても察する事が出来た。
「……あなた。まさかそれが嫌だったとか、よもや芳しくなかったとでも言うつもりじゃ――」
幾らもう敵対する仲だと判明したとはいえ、女性に向けてあまりに不誠実すぎる発言をしようとする元・少年を責めるようなジーッとした目線を向けると、
『違う……、そうじゃあない…………。違うんだ……』
絞るような声を出す颯汰。どういう事と王女が尋ねかけたその時、突然顔を上げて叫び出す。
『逆なんだよ!! なんかめっちゃフローラルなの! 脳内で花畑が出来上がるくらいに!」
それは心からの叫びであった。
「……もし、もしも臭いなんてなかったら……“攻撃”であって、吐いた息だなんて一瞬たりとも意識しなかったのに……!! 何なんだよ……。吸った後に訪れるこの微妙な感情……何だろうね!?』
「お馬鹿なことを言ってないでさっさとお立ちなさいな」
珍しく必死な姿を晒したが、今の自分より若い女の子に呆れ半分で咎められながら、颯汰は立ち上がった。
『クソ……身体は大したことないケド、精神的なダメージがホントすごい。何なのアレ。……?』
身体に着いた壁の破片やら埃やらを払い落とし、大きな溜息を吐いて、ふと頭の上に物寂しさを覚える。頭に乗っているはずの小さな家族がいなくなっている事に気づいた。
『シロすけ? 大丈夫か。……? シロすけ?』
颯汰が呼べばどこからでも翔けつけ、愛情表現なのか顔面に飛び込んでくる、愛らしいが生態系の頂点に君臨する竜種の子。あの暴風に巻き込まれたのだろうか。小さく呻き声が聞こえ、長椅子を退かすも――ここまで案内を頑張った末にリズに速攻で倒された竜魔族の男が埋もれていただけ。そっと持ち上げた家具を戻す。
『いない……』
そう呟いた瞬間、脳裏にここから脱出して見せた女領主アナの台詞が過った。
――「オーッホッホッホ!! これで、これで助かる!! 待ちに待った最上の贄!! これこそ、これこそがぁああ!!」
狂喜乱舞する竜魔族の肥えた女領主。あの太い丸太二本に骨で、体重を支えられるのか疑問であったが驚くほど軽快に逃げ遂せてみせた。
『――まさかあの女……!』
アナは“贄”と言った。さらに目的は魔王を討った颯汰ではないと断言までした。そこから導き出される結論は単純である。
だからこそ偽りの王の手甲に炎が迸ったのだ。
「「!」」
猛る焔が蒼く燃える瞳の奥には、あの日の情景がはっきりと映っていた。
流れた血と真っ赤な炎を写し、空までも赤々と染め上げられていた地獄の光景だ。
木々や家々、人々までもがその生贄の火に焼べられ、金色の火の粉が舞う。滅びゆく村に、倒壊する轟音と悲鳴の狂騒に、醜悪な魔獣の呻きが交ざる――焼き付いて、きっと生涯消える事のない記憶なのだろう。
一夜にして炎に沈んだ村に、真に家族であったと呼べる人たちがいた。
次々と炎の中へ沈み、勢いが増す。その度に憎悪で血が煮え滾り、身体の芯から力が湧き出す。
『また奪う気、か……』
そうして残った――たった一つの絆があった。
『それさえ、それさえも、奪うと言うのか……』
その瞳がたたえる感情は――憤怒に違いない。
感応するように覚えのない記憶情報までもが光の速さで駆け巡っていく。おそらく“獣”が持つ記憶――憎悪は尽きる事を知らず、さらに理由が増えようとしている。
顔の鼻から下を覆う黒い仮面が半分に割れ、両頬へスライドし、剥き出しの感情を乗せて“獣”は吠える。全身が濃紺の闇に飲まれ、瞳は更に冷たい輝きを放ち、
『――……ゥゥウウォォォオオオオオッ!!』
叫びは空気を伝い、建物全体を――否、この街を震わせるほどに広がっていく。木に止まっていた鳥は慌てて羽ばたき、野ネズミは一斉に壁の外へ目指す。何も知らぬ人々は終末を予感していた。
◇
一方、買い出し組。
契約者として繋がりのある颯汰――彼の感情の昂りを感じ取り、神父が静かに言う。
「ふむ。どうやら王も動き出したようだ」
「えっ! それって大丈夫なんですか、ねっ!」
返事をするのはヴェルミきっての戦闘集団で国境を警備を担う黒狼騎士団の一員であるカロン。
バケツのような顔全体を覆う兜を常に着用しているからくぐもった声、真正面の敵を見据えて剣を振るいながら答えた。
「問題ない。勇者を護衛に付けているからな」
同行者のエルフの兄妹……グレアムも手に剣を持ち妹を護るように周囲を警戒し、妹のルチアは近場にあったフライパンを手に取って構えている。
敵兵――本性を現し襲い掛かって来たコックムの戦士、獣刃族の雪の民の男が窓枠に手を掛けて入ろうとしたところをカロンが斬りつけ、怯んだ隙に足で窓から突き落とす。落ちた時の悲鳴は、次から次へと怯むことなくやってくる怒号に掻き消された。
「あぁッ! どんどん湧きやがる! 神父殿もそろそろ本気を出して頂きたいのですがッ!」
大人たちが馬車で運ばれ案内されたのは“鉄蜘蛛”の襲撃を受け、荒廃した南部の廃墟の一画。
そこで颯汰たちよりも手荒い歓迎を受けた彼らは命からがら逃げ込んだ――住民が避難して誰もいない民家の二階にて籠城を始め、今に至る。
外から響く怒声。兵が隣の家の窓から侵入を試みている。グレアムは憲兵としての経験があるが、ルチアは宮廷でメイドとして働いていて荒事には慣れておらず、表情こそ気丈に振る舞っていたが、フライパンを両手で持つ手が震えていた。
「おいクソッ! 開かねえぞ! 誰か鎚を持って来い!!」
「おう退け! オルアァッ!! ……――痛ぅ! どうなってんだ? ビクともしねえ……!」
長柄の戦鎚を使い、渾身の力を振り絞って叩きつけたはずが、手が痺れるだけで木材の両開きの窓には一切の傷がついてすらいない。躍起となって何度も乱暴に木製の窓を叩くがへこみさえしない。その魔人族の兵が非力という訳ではない。ただその窓を押さえているのが、左手をそっと添えている男が神父服を着こんだ紅蓮の魔王というだけである。どこにでもある窓に傷が付かない辺り何らかの魔法を使っているのだとは思われるが、押さえているのは腕の力である。
既に玄関の扉は蹴破られ、階段には転がる死体の上に積まれた家具の山を見てコックムの兵たちは一瞬だけ顔を曇らせた後に、仲間の仇を討つと誓い、今も必死になって襲撃を始める。防衛のため魔物と日々戦う戦士たちにとって仲間の死は久しくないとはいえ、彼らはまだ心を殺した機械や魔物ではない。さらに荒くれているとはいえ民家に火を放つといった暴挙を取らない辺り理性がきちんとあるとも言える。小さな火でも家々が密集しているため瞬く間に拡がり街は甚大な被害を受けるだろう。
だから紅蓮の魔王も本気では戦えないし、またただの人間相手に戦う理由もなく、棚にあった書籍に何となく目を通しながら淡々と言葉を紡ぐ。
「本気を出せ? ハハッ、何を言う。私はか弱き聖職者だぞ。それとも天下の黒狼騎士が、この程度の窮地に臆すると言うのか?」
「畜生、煽るなぁこの人っ!」
三方の窓の破られた一ヵ所からは敵兵以外にもたまに矢が飛んでくる。それを剣一つで弾くがジリ貧に変わりなく、状況は悪いままだ。
右側の窓が叩かれ塞いでいるタンスが揺れ、グレアムは慌てて武器を置き、背中で押して全体重を乗せ始める。ルチアも駆け寄り両手で懸命に手伝い始めた。
「このままじゃあ……!」
「フッ……。案ずるな」
そう呟いた瞬間、紅蓮の魔王以外の者は世界が割れると錯覚するほどの音を感じた。
『――……ゥゥウウォォォオオオオオッ!!』
びりびりと空気に伝い、否応なしにその存在へ意識が向かう。十も数える間もないほど短い間であったが――この城塞都市中に響き渡る鳴動に天地が揺れて本能が恐れる。産まれて経験も知識がなくとも、自然と火を恐れる魔物のように。
「な、何事……!?」
カロンだけではなく、外の兵たちも沈黙の後、これまでと違う騒めき方をしている。
「――王が動き出した」
「い、今の魔物みたいな……、いや、それよりも凄そうな今の叫び声が、あの小さな王様のだと言うんですか!?」
グレアムの問いに神父服の魔王は肯いた。
「さて、女領主とやらは何をしでかしたのだろうな。随分と怒り狂っている様子。虎の尾を踏みにじるだけに終わらず、さらに龍の逆鱗でも引っ剥がそうとしたのやもしれん」
紅蓮がそう言うと片手で呼んでいた本を閉じる。
「もう少しの辛抱だ。すぐに終わる」
◇
月夜に吠える狼や、曠野に君臨する獅子よりも野蛮で、通常の獣には持ち合わせる量を超えた重すぎる憎悪を抱いて偽りの王は叫んだ。終わると脱力したように前のめりとなり、仮面が元に戻ると顔も元の肌色を取り戻していた。
だが依然として目は怒りに、腕に燈った炎は消えない。握った拳を開き颯汰はリズの方を見て、
『奴を追う』
そう呟いた後に扉の方へ足を進める。
『おそらく、あの女は最初から龍の子が目当だったんだ』
少女たちはその背中にある白銀に輝く傷痕を見つめ、圧倒されるように言葉を失っていた。
『……だが俺たちをここから生きて帰す気もあるとは思えない。奴が逃げた今、下手に全員で動けばすぐ兵に囲まれると思う。だから、ここで二人を護るんだ。――俺が奴を追えば、自然と敵の兵隊も俺に集中するはずだ』
颯汰が先行し敵を薙ぎ払いながら進み、リズが殿を務めるとしても、間にいるヒルデブルクとエイルがその速度について行けるとは思えない。アナが何をしでかすかわからない今、一分一秒でも惜しい。ならば彼女たちにこの部屋に留まってもらい、椅子や家具で扉が開かぬように塞ぎ、壊れて散らかった家具の部品などでかんぬきにして立て籠もってもらう方が安全である。そしてもしもの為に、リズに残ってもらう必要があった。
《……任せて、ください》
リズは意図を理解し、言葉を発せられぬ代わりに心の声で伝える。それを聞いて颯汰は小さく肯くと、扉の向こうへ踏み込んでいった。




