37 謁見
竜魔族の執事風の男に案内されるがまま、立花颯汰一行は屋敷の中へ入っていく。
表向きには女領主との謁見――対話の機会を設けられたのだが、偽りの王――立花颯汰は命が狙われていたと断じ、闘争心に火が着いていた。
本来は、王都に戻る旅路に必要なものを貰う条件として話し合いに応じたのだが、自ら望んだ平穏を破り捨てる勢いであるのは偏に命を狙う――己の進むべき道を阻もうとする障害は何であれ潰そうと考えているからだろう。
脅えや不安の一切は消え、堂々と歩んでいく。
まさに『来るなら来てみろ』返り討ちにしてやるとばかりに滾っていた。実際に向かっているのは彼らの方であるのだが。
その変化に同行者たちも不可解な目で……見ていない。案内をしている男は察知して滝のような汗を流し出している反面、仲間たちは気づいている様子がなかった。
世間知らずの王女は『少し精悍な顔つきになった』程度にしか思っておらず、唯一人の成人である女医は車内でもみょんみょんと揺れ動くだけで何を考えているのかわからぬ様子で、護衛役を担うはずの戦乙女は『…………かわいい』と表面のさらに好意的な部分を抽出して解釈している。この勇者はもはやダメかもしれない。
扉の前――。龍の子シロすけも街に入る以前から、颯汰に身体を預けて寝入ったままであったが、目を覚ましたのかのそのそと動き出していた。緊張感のない声であくびをして、颯汰は指を頭の上にいる龍の子の顎辺りを慣れた手つきで触れ当て撫でていると、竜魔の男の目つきが一瞬だけ険しくなったが、またそれに気づいた者も誰もいなかったのである。
シロすけの目覚めで少し毒気が抜かれた颯汰は屋敷に足を踏み入れる。
大理石の段の上、大扉の先には薄闇に満ちていた。屋敷の中は非常に重苦しい雰囲気であった。壁の木目の色の暗さ、日の光量のせいだろう。
幾つも並んでいる燭台の小さな火がチロチロと踊るが全てを照らすには足りない。
屋敷全体で焚かれている“香”からは微かに甘い匂いが漂っていた。
「「「…………!」」」
その洋館に踏み入った一同が息をのむ。
赤い絨毯が伸びる暗がりの先――。
誰もが中央の階段が左右に分かれる丁度中心の壁に飾られたそれに目を奪われた。
それはあまりに麗しい女性の肖像画であった。
油彩で描かれた女性はこの地を治める女領主である“アナ”その人。
豊穣の地に流れる河川に映る――木々の緑を透かせる陽光によって生まれた淡いオパールグリーンの髪を持つ、白く清楚なドレス姿の女が椅子に座っている姿。
精霊と見紛う非現実的な美しさを持つ華奢なアナは憂いに満ちた表情でこちらを見下ろすように枠の中に収まっていたのだ。
両手を膝の上に重ねて置き、落ち着いた印象を与え、人を統べる強さよりも、人を魅了して止まない儚さの方がそのアンニュイな表情と佇まいから感じさせていた。
――この竜魔族の女の人が、領主……。……? こんな人があの迅雷を説き伏せれたのか?
脳裏に浮かぶニヤケ面。
控え目に言っても肖像画の女領主アナは美女である。色狂いと罵られ、各地から女を強引に――時には自らの手で掠っていたあの魔王が簡単に諦めるものだろうかと疑問が過る。
――もしかして、口達者の能弁家? むぅ……だったら尚更、油断できないぞ
口先だけであの魔王の手をのらりくらりと躱した策略家の可能性がゼロとは否めない。
そう思いつつ、僅かながらまたもや炎は無意識の内に弱まっていった。
芸術が人を虜にするように、美とはそういった毒牙を隠し持っている事もあるのだ。いかにもそんな悪事を企んでいないと見せつつ、ねっとりとして柔らかく身に沁み込んでいき、何時の間にか身を絡めとる蜘蛛の糸のように――悪意をもって時折、姦計を巡らせる事を忘れてはならない。
それは音楽であったり、舞いであったり、容姿であったり、生き様でもあったりする。
だからゆめゆめ忘れるべきではない。
――『綺麗な薔薇に“も”棘がある』と。
それは美醜に関わらず、物事にはそういう側面があるものだと知るべきである。
善意の裏に何が潜んでいるかを見極めなければ、世を生き抜く事はできない。特に命の価値が低く見積もられている世界では当然であり――どこにでも他者を食い物にする輩はいるのだから。
ふとした瞬間、香り漂う靄の中で、その絵が薄く微笑んで見えた。
そんなありえぬ幻想にハッとして、颯汰はさらに目を凝らして絵画を見た。火が生んだ影の具合でたまたまそう見えただけだろう。
だが、少しばかり絵画を見すぎたせいか――、
「わっ!?」
視界が真の闇に閉ざされる。
「………………」
否、リズが両手を使って颯汰の目を塞ぎ始めたのである。一瞬、何が起きたかわからなかったが慌ててその手から逃れる颯汰が何をするのだと問いただすが、
《…………》
――なぜむくれている……!
彼女の心の声すら聞こえない。
むすっとしたまま何か不満を抱えているどころか喋れぬ代わりに思いきり表情に出ているが如何せんその意図が把握できず颯汰はただただ困っていたところ、
「二人とも~、何してますの?」
階段の――左右に分かれる踊り場で止まっていた颯汰たちをヒルデブルクが呼ぶ。
左に案内されて段を上り切った先の、さらに右奥へと進むようだ。
少し急いで二人は赤い絨毯の階段を歩く。
屋敷の奥へと進む通路で竜魔族の女性――メイドが客人を導くように手を向けた。その向いた先にちょっとだけ先行していた一団が止まってまっていた。回廊はシックな造りでいて落ち着いている……を通り越していて、やはりどこも暗い。そして大きな屋敷であるが人の気配が少ないせいでさらに沈んでいるように思えた。
合流して小さく謝り、執事風の男に案内されたまま進んでいくとそこは応接間の前であった。
「こちらに我が主がいます……その、――」
「?」
「陛下。ご無礼を承知でお願いがあります。……どうか、その、……決して、驚かないで頂きたいのです」
「はぁ……」
恭しく小さな子供に頭を下げる竜魔族の執事。要領を得ないため曖昧な返事をして、開けてもらった扉の中へ入った。
応接間は他の場所よりかは明るかった。
窓があり、薄暗い空から僅かに入る光――さらに照明たる篝火は皓皓と燃えているおかげだ。
しかしそんな事実なんか目もくれず、強い衝撃を受ける事となる。
「あら……! これはこれは……お待ちしておりましたわ新たな“魔王”陛下!」
「…………………………?」
理解が追い付かず、初見では驚く事はなかった。
応接間に響いた女声。
部屋に既に待機していたのは女領主アナ。
……のはずであった。
部屋に入った颯汰が急に固まったものだから、傍から入る女性陣も言葉を失う。
「あら可愛らっ――妖しいお花ですわね。オッホッホ」
ヒルデブルクとリズを見て選んだ言葉に似つかわしくない怪奇な者がいたが、然して動揺していない様子のアナは腰かけていた。
「お初にお目にかかりますわ陛下。私はこの地を先々代の王から任されております……竜魔族のアナと申します」
「いやいやいやいや待て待て待て待て」
颯汰が聞こえないほど小さくかつ早口で零す。
応接間で待ち受けていた女領主アナ。肖像画通りで淡い色の長い髪を持つ竜魔の女傑。
麗しい髪は同じ色合いだが、あまりに――あまりに変わり果てていた。
そう言う他ないだろう。
大柄で豊満な――いや、肥満だ。
碧い少し色褪せた髪を後ろで束ね、あらわとなった額には苦労と年月が刻まれたシワ。
人を吸い寄せる瞳は頬肉で圧迫され――、深窓の令嬢を思わせる細い腕は肉に包まれている。
顎の肉がぶよぶよとしている。
巨躯を包むガウンは蒼く艶やかであるのに対し、女の肌は不健康な生活が祟ってくすんでいた。
「……あの、失礼ですけどあの絵画は」
「ええ、あれは昔の私なんです――」
静かでもの悲し気だった表情は――今や贅肉と活気に溢れていた。
女領主は颯汰の問いに続けて答える。
「――“丘の金糸雀”と呼ばれていた頃の」
「かなりあ」
今やその見る影もない厚い唇で言う言葉を、思わず復唱してしまう颯汰。
「あるいは“竜の舞姫”と」
「ひ、ひめぇ!?」
思わず隣国の王女が驚いて叫んだあと、自身のはしたなさに顔を赤らめつつ口を押さえ込んだ。
「あぁ、“コックムの華”とも――」
「いやもういいっすお腹いっぱい過ぎて胸やけがするんで」
颯汰がもう勘弁してくれとばかりに、降参と制止の意味合いで開いた右手を前へと突き出した。
「こんなポーズしていたでしょう」
「……」
時の流れとは残酷なモノなのか――。
ポージングは絵画と一緒だがあまりに違う。
老いに加え、肥え太った姿は“金糸雀”の自前の羽では飛ぶ事も叶わぬだろう。素の声は野太いが、歌う声は意外にも美しいかもしれないが。
また、常人の二倍から三倍近い体躯は椅子から立ち上がれるのだろうか不思議でならない。
竜魔族らしく、角は少し成長したのか向いている方向は同じだが僅かに鋭く伸びているように見える。鉱石にも似た藍色のそれは確かに絵画の女性と同じものであった。
老いているのは確かなのだが、膨れ上がった贅肉のせいで顔の一部のシワまで伸びているから実際の年齢は見た目だけでは推し量れない。ただあの絵が何十年も前に描かれた代物だという事だけはわかる。
麗しい顔も脂肪に覆われ、圧迫された瞳は少し絵よりも小さくなって、奥にある光の中に満ちていた切なさを失ってはいたが、代わりに不思議と愛嬌が溢れていた。端的に言えば優しそうなおばあちゃまである。
――……何か、おかしいぞ?
颯汰の脳裏に引っ掛かりを覚える。確かに見た目はかなり差異があるが違和感の正体はそこではない。肥えた肉体に視線が行きがちで見落としていた部分――テーブルを見て気が付いた。同時に幼き龍の子の鳴き声が頭のすぐ上から響く。
「きゅうきゅう!」
肥満体の女には目もくれず部屋の中心にあるテーブルの上にあるものに反応していた。ティーカップに皿が六つずつ。
淹れたての温かくどろりとした液体からは湯気が昇り、皿の上には甘い蜜がかけられたパンケーキのようなものが並んでいた。
とろけるような柔らかい生地の上にまぶされた砂糖は白く輝きを放ち、たっぷりと飴色の蜜がかかっている。芳醇な香りが鼻孔をくすぐり否応なしに食欲をそそる。
旅を続けて甘味から離れていたヒルデブルクもエイルも目の色を変えていた。
「これはこれは龍神様! えぇえぇ! 是非ともどうぞ――」
シロすけに頭を下げる女領主アナ。
言った瞬間に飛び出し、獲物を喰らわんと本能をむき出しにした獣の如き俊敏さで向かう龍の子の――その白い尾を颯汰は思いきり掴んだ。
「待った」
蛇のような身体が宙でピンと伸びきった後、重力に引かれて落ちる寸前で羽ばたきながら抗議の声で鳴く幼き龍。
「むきゅッ!! きゅうきゅ!!」
それを空いた右手で少し待てと命じると颯汰は尾っぽを離してゆっくりと席の方へ歩んでゆく。
相対しているのは、座したまま見下ろすほど幼き人族の子供であるはずであった。
アナの垂れ下がったまぶたが思わず上がる。無意識に、贅肉の鎧でろくに動けぬ身であるのに身体を退こうとしている自分に彼女は立てた物音で気づいたのであった。
部屋をゆっくり、侵食するように練り歩く姿は――幼くとも間違いなく新たな“魔王”であると思わせるくらいには重圧を与えていた。
その佇まいや落ち着きようよりも、心を射抜くような強く昏く恐るべき瞳力が伝える。
強張る女領主に、静かにテーブルを囲う長椅子のひとつに腰かける王が問う。
「何か、話があるんじゃないですか?」
此度は、部屋の外よりも重苦しい空気がねっとりと彼女を掴んで離さない。
幼き王の話す言葉とその抑揚には敵意はない。
ここは女領主の屋敷であり彼女の巣に違いないのだが、言葉の裏にある牙が逆に彼女の心を捕らえていた。
Twitterおよび活動報告に書いた通り、身内に不幸があり投稿が遅れました。申し訳ございません。




