36 狙う瞳
揺れる車体に身を任せ、買い物班は悠々と街を進んでいく。軽い会話を交わしながら場を保たせる事が可能な、見た目こそ若々しいがしっかりとした大人たち四人が集まった買い出しグループは比較的明るく、別に腹に一物を抱えている訳でもなく――つまりは互いの国の事を深く詮索するような疚しさはないまま戦争後、互いの国が今どうなっているのかなどの世間話に花を咲かせながら目的地へ運ばれていた。
一方、謁見組――女領主と会いに行く事となったグループの馬車内では、ほぼ王女ヒルデブルクだけが喋り倒していた。うんざりとした顔をしている少年は彼女の声が煩わしいのではなく、これから自分が偽りであるが“王”として会わなければならない状況に緊張しているだけである。護衛を兼ねる闇の勇者リズは声が出せないもののヒルデブルクの言葉に耳を傾け、もう一人の見た目が危ない女医はおそらくただ外を眺めているだけ。
縦に並んでいた馬車たちはしばらくすると道で別れ、各々が進んでいく。
その一つを、遠くから眺める者たちがいた。
街の中――連なる家々の赤い屋根。だいたいが似通った造りとなっている民家の一画に、家主以外の者たちが屯していた。
全員が男。奇しくもこちらも四名。
彼らは皆武器を手にしている。
静かな屋内でじっと窓の外を覗き見る。
家主が戻るのを警戒しているのではない。
金品を盗むのが彼らの目的に非ず。
物々しい雰囲気を持つ彼らは強盗ではなく、むしろこの街を、国を護る側の人間であった。
そもそもこの土地は、南東方向のいるマルテの兵を牽制し、南西の暗黒大陸からやって来る凶悪な魔物――ヴァーミリアル大陸に生息する野生動物とは比較にならないほどに強靭で獰猛な怪物を抑える役目も担っていた。
街を囲う壁は多角形型をしていて、どこへいても二方向から弩で迎撃が出来、敵の侵入を防ぐのに役に立っている。中央の城に向かって山となり盛り上がっている地形であるため、同じ大きさの建物でも中央付近と端では高さが異なっている。ちなみに街を巡る坂は案外緩やかな傾斜であるが、北大門から繋がっている目抜き通りは商業が盛んであり路は平坦である。
目的地へゆったりとした坂を登る馬車を、上から見下ろす民家の二階に居座る彼らはこの土地で兵役を任されている者たちであった。
彼らは対魔物のエキスパートであり、戦に慣れてもいた。ヴェルミ侵攻に参加すれば多大な戦績を残したであろうが、暗愚の狂人たる迅雷の魔王ですら、彼らを引っ張ろうとしなかった。無論“魔王”であれば、どんな魔物であろうと楽に片が付く相手であるに違いないが、わざわざ南下して殲滅しに行くのも面倒であり、また星輝晶から離れる事は自殺行為であるため、彼らに魔物に対する防衛を一任する事にしていたのである。
そして此度は――。
「あれがターゲットか」
そっと窓の端から覗き見る魔人族。
「なんだ本当にまだケツの青いガキじゃねーか」
もう一人のがさつそうな坊主頭の魔人族が鼻で笑っているところを、
「油断するな。さっきの話聞いただろ」
犬耳を出した獣刃族の男が静かに言った。それに同意する三人目の魔人族は黙って肯いていたのだが――、
「あの“光の柱”をぶっ放して鉄蜘蛛を倒したって話か? 胡散臭せーなぁ。監視なんてしなくても、ここから矢で簡単にぶち抜けるだろ。魔物を相手するよりかは楽だぜー」
短い銀髪の粗野な男は弓と取り出し矢筒から一本掴むと構え始める。見下ろしている目標まで百ムート以上の距離。馬車によって動いてるとはいえ普段の彼なら余裕で射抜ける程度にしか離れていない。相手もまるで警戒していないように扉の開いている窓の手を掛けて気だるそうにしていた。
しかし、彼らの仕事は脅威の排除でも、暗殺などではない。あくまで『もしも』の時の為に配備された兵士たちだ。
しかも“上”からは『殺すな』『刺激するな』と命じられているため、こちらから仕掛けるのは命令違反である。勿論、仲間たち皆がそれをわかっているし、この粗暴そうな男が冗談でやっているのだと毎日鼻を突き合わせるほど長い付き合いから理解していた。
普段通りなら笑い合える小さな冗談。へらへらと笑って過ごせるようなやり取りであった。
のだが――、
「――ッ!?」
急転、である。
鏃を向けた瞬間、突如刃風の如く鋭く痛みさえある吹雪に襲われたような感覚――身体の奥底から冷え込み凍り付き、心臓を鷲づかみされ、またその上で刃を突き立てられたとように思えた。
その正体は――“蒼銀の瞳”。
遠く離れた馬車の窓付近にいる、小さな子供と目が合ったのだ。
ギロリと、睨み返すターゲット。
幼子が持つべきではない昏く恐ろしい双眸。
生きとし生けるもの全てを睥睨し、喰らわんとする捕食者たる“獣”の目だ。
全身から噴き出す大量の冷や汗。
本能が告げる。大脳が警鐘を鳴らす。神経が伝え促すは根源たる《恐怖》。
戦士たるもの、幾度も死に瀕した事や、それに近いものを目にした日々がある。
だが、これは感じたことのない圧だ。
どんな魔物であれ、戦う前の予兆――興奮する様子などで察する事ができる。
戦争であれば、常に気を張っていた。
だが今回――刹那の間に訪れた予兆のない変化は初めて経験するものであったのだ。
今までだらんと不貞腐れたように脱力していた様子であった少年が、感じ取った微かな殺気――敵意に対し過敏に反応を示した。
脳裏に何かが浮かぶ前に、弓矢を構えた男は仲間たちによって、肩や腕を両方向から掴まれては床に押し付けるように伏せさせられた。床に打ち付けられ響く音の後に痛みがやって来る。
悶える魔人族は何も言わない。叩きつけられた衝撃は当然あって痛かったが、それ以上に身体が硬直して、額から溢れて流れ出した汗を拭う事すら忘れてしまっていた。
四人とも息切れをしたかのような疲労感で肩を上下させて呼吸をし、身体が強張っていた。
実は睨まれた瞬間、彼は反射的に矢を射ち放とうとしていた。しかし、弓を持つ手は恐怖に震え、本当に凍り付いたように矢を掴む指は引っ付いて離れないでいた。
それは紛れもなく不幸中の幸いと言える。
「見られたか? 見られたよな……?」
「うそだろなんだあれ気持ち悪い……!」
「くっそ。やべぇぞ、どうする!?」
まだ日常の延長上であったと彼らは愚かにも油断していたゆえだろう。
だからこそ対応が出来ない。もし最初から殺すつもりで一切の気を抜いていなかったならばここまで取り乱す事もなかったはずだ。
全員が窓の外からの死角へ伏せながらヒソヒソと、かつ慌ただしくしていた。
その一方、監視されていた当の本人たち――。
どうしようかと憂鬱さでだらけ切って窓枠に身体を預けていた少年。
彼が急に起き上がっと窓の外を凝視したと思ったら、しばらくすると身を退いて席にきちんと座り始め、馬車の中で小さく溜息を吐き始めていた。
「どうしましたの?」
不思議に思ったヒルデブルク王女が問う。
「いや別に。何でもな――、ないです」
途中でずいっと訝る瞳を近づけられ、颯汰は視線を逸らして途切れかけた言葉を言い切る。
「何でも? ――それにしては何だか、先ほどより顔色が随分と良くなっているような……?」
王女の観察力に(……意外に鋭いんだな)と若干関心しつつ、颯汰は仕方がなく答える事にした。
「……うん。ちょっと相手の出方がわかった気がして、迷う必要がなくなった? 感じです」
質問に対する答えとして分かりづらいものであったため、首を傾げて疑問符を浮かべる王女。チラリとリズの方を見るが、彼女も同様に颯汰が言っている事の意味が分かっていない様子であった。
「何、……こと?」
エイルが長い黒髪のカーテンの間から声を漏らす。
「街……静か。それ、……関係?」
「え? ……あっ――」
その指摘で颯汰は気づく。いつも通りならば、街に入った段階で気づいていたであろう違和感。
ウマが石畳を蹴る軽快な音と車輪が回り、時折輾む音が混じっていたが、民が生活するうえでの響き――喧騒が一切ないという奇妙さ。
普通ではない状況だ。
『なんで気づかなかったんだ』、と咄嗟に片手で頭を押さえ始める颯汰。それほど“王”としての職務――その重責に気を張っていたと言える。
「違うと思いますわよ? 私だって街に入った時に気づいてましたもの。この街の人たちだってもうソウタが私の国の兵たちを退けたのを知っているのでしょう? だったら警戒するのだって当然で、ま、さ、か、それに気づかなかったなんて……ねぇ?」
「……はっはっは、当然デスケドー?」
悪戯っぽく、どこかの悪い魔王の影響を受けたようなからかい方を覚えたのか愉しそうに問うヒルデブルク。それに対し明後日の方向へ視線を逸らしながら答える颯汰を見ては、リズはクスクスと笑い始めていた。
改めて外を眺めていると、街を歩く人の影は一切なかった。街は、しんと静まり返ったまま。颯汰たちを警戒しているのは当然であり、だから街中が息を潜めて――夜が更けた頃と同じくらいに闇に沈んでいたのだと理解はできた。
そして、『隙を見せれば命を絶つつもりなのだろう』と颯汰は決めつけ――命が狙われていると知れば、颯汰も警戒を始め、話し合いではなく頭はもう《闘い》へと切り替わっていた。
だから、微笑する乙女に視線を向ける。
ドキリとした闇の勇者であるリズに、颯汰は静かに耳打ちするように――御者台にいる男に聞こえない声の大きさで伝えるのであった。
「いざという時、頼む」
リズは驚いた顔をした後、マフラーで半分ほど顔を埋めて隠し、二度ほど肯いて見せた。
颯汰の顔から不安と面倒からの嫌悪が退いていた。この先待ち受けている物事は間違いなく面倒事となるのはわかるが、変な緊張は失せていた。
そうして、颯汰たちを乗せる馬車は目的地に停まったのであった。
「――では、こちらへどうぞ」
御者を務めた竜魔族の男は馬車の扉を開き、客人を案内を始める。
到着した場所は中央の城ではなく、広大な敷地を持つ灰色の洋館であった。
正面の扉を過ぎ、囲う金属の格子と荊棘の壁。
降り立った路の両脇には、手入れが行き届いた薔薇が咲く庭が広がっている。木々も育ち、街の外の荒涼とした大地とはえらい違いだ。
ぼんやりとその屋敷を見て各々反応を示す女性陣に対し、一人だけ露骨に嫌そうな表情を見せるのは颯汰であった。他の建築物が軒並み明るい赤い屋根に白い外壁であったのに、ここだけ全体的に色が暗く落ち着いている……と言えば聞こえがいいが、実際は何かおどろおどろしいものが潜んでいそうな――“如何にも”な洋館である。理解の範疇を超えた怪生物や謎ギミックに満ち溢れていてもおかしくない。そんな雰囲気がする。
「……参ったな。ホラーものはあまり、得意じゃないんだけど」
頭を掻いて小さく零す一言は渇いた風に掻っ攫われたが、止めた足はすぐに前へと進み始める。
言葉とは裏腹に不安な様子もなく、幼い身のまま堂々と歩む。
ここまで来たらもう引き返す道理もないのだ。
「皆さまも大事なお客様です。どうぞ中へ」
分断され、一人きりになりそうな颯汰に着いてきた彼女たちは招かれざる者ではあったが、竜魔の男は紳士的に屋敷の入り口の扉を開いて招き入れ始める。
赤い絨毯の舌が伸びて、扉の先の暗がりには燭台の火が誘うように揺れていた。
次回は謁見。
平和的な話し合いになればいいね。