34 寄り道
曇天――。
重々しく垂れ下がる鉛色の雲。
どこまでも続く空を覆い、光を閉ざす。
ここはヴァーミリアル大陸南西部――中央の山に古城を臨む城塞都市コックムである。
竜魔族と呼ばれる貴族たちが支配するこの街は閉鎖的で流れる風は少し乾いていた。
そんな街の中に大きな屋敷があった。
中央の城に比べれば幾分か劣るものがあるがそれでも街に並ぶ民家よりは立派な洋館である。
比較的よく手入れされている薔薇の庭園。
滴り落ちる血のような赤々とした華と濃い緑の葉が異様に重苦しく映るのは、果たしてこの昏い空のせいだけであろうか。
鉄の格子が屋敷の周りを囲い、さらに背の高い荊棘の壁と灌木にも棘。順番に並んで他者を拒んでいるようにも見える。
だが――。
正面の巨大な門は開いていた。
不気味なまでに静かに。
塗料が剥がれ、赤黒く錆びついたまま。
口を開いて待ち構えている。
正面から誘うように――。
そこへ、何も知らずに足を踏み入れる愚か者たち――今宵の贄がやって来た。
『待ちに待った、最上の贄だッ!!
求めていた血肉と臓腑ッ!!
彩り鮮やかで温かな赤……!
最後の一滴まで搾り尽したい……!!
悲願が、ついに果たされる――!!』
庭に植えられた木々の黒の中から覗かせる幾十の瞳は、死肉を狙い卑しく光る。
そして――。
古びた屋敷から悲鳴が響いた。
外まで届く衝撃と轟音に何十もの烏が一斉に羽ばたき、薄暗い空を闇で覆っていく。
暗澹たる洋館にて何が起きたのか。
それを知るには幾許か時間を遡る必要がある。
……――
……――
……――
颯汰たち“魔王軍”が集結し、数刻ほど休憩をしてから出発を始めた。
この休憩は鬼人族の兵たちのためであったが、颯汰と紅蓮、黒狼騎士カロンとグレアムが狩ったシカやヌーのような魔物などを焼いて食らうと、戦士たちは早々に起き上がりもう出発できると言い始めた。
当然、無理はするなと言ったが荒くれものどもは聞かず「これ以上、我らが“神”の足を引っ張る訳には」などと言い始めた。
明らかにファラスの盲信っぷりが感染っていて戦慄を隠せない颯汰であったが、急いでいるのは確かであったから進路を北へと定めて動き始めた。
目指すは北方――アンバードの王都バーレイ。
ヴェルミの新王であるディムからの親書を渡し終えた三人も途中まで……建設中の中央都市辺りまで同行する事となった。ファラスと颯汰がいる限り鬼人族は頼もしい味方となる。シスコンである美男のグレアムはあまりいい顔をしていなかったが野盗と魔物に対する心配がなくなるので了承していた。
颯汰が乗る馬車には王女を含めたいつものメンバーに勇者リズと龍の子シロすけが加わった。
疲れている颯汰は馬車の左端で横になり、王女はリズが喋れないと知るととても残念そうな面持ちをした。王女が代わりに自分が聞いてもらいたい話をして、リズは優しく親身に相槌を打つ姿からどことなく姉妹のようにも映るが、颯汰は特に声もかけずに眠ろうと目を瞑り始める。――がその安寧はすぐに破られる。甘えたがりの龍の子だって空気を読んで大人しくしている中、ウマを操る神父服の男が颯汰に対し唐突に質問を投げかけたのであった。
「さて、行軍を始めたはいいが。王が容赦なく天幕を吹き飛ばしたため、今や疲労を必死に誤魔化している戦士諸君はこの後荒野の吹き荒ぶ風の下で野宿をする破目となるが、それについてどう思う?」
「いきなり長文で煽られてイラっとしてる」
むくりと上体を起こしてムスッとした顔で颯汰は紅蓮の魔王に答えた。
「というか天幕を囮にする案はあんたが――」
「――そこで提案がある。少しまた寄り道になってしまうが、あの街でウマや天幕を買いあさろうではないか」
四頭のウマが牽く馬車や三頭が牽く戦車、戦士がそのまま跨がる戦馬もあるが、この大所帯――中には歩兵だっている。鬼人の兵たちは皆が「置いて行っても構わない」とは言うものの――勝手にやって来たとはいえそれを見捨てるのは少々心苦しいものがあった。
反論を遮るように新たな案を受けて、溜め息を吐いたが概ねは彼の言葉に賛同的ではある。
「…………確かに歩きで疲れが取れないまま移動してぶっ倒れちゃう方が時間が掛かるかも。でもあの街って……」
防壁の先から見える古城――同じ国の、どことなく王都バーレイを思い起こさせる街だ。
「コックム……竜魔族たちが支配する街です」
すぐ近く馬車の外からファラスの声が聞こえた。
防水布の金具を外し窓を開けると厳つい顔の戦士が戦車でゆっくりと並走しながら語り出す。
「この辺りでは最も大きい街でありますから貸し馬屋もあるでしょうし天幕も売っている商人もいるでしょう。しかし……」
「……あまり鬼人族と仲良くないんですよね?」
颯汰が窓から顔を出して問うとファラスは重く肯いて見せた。
「えぇ、我が神の仰せの通り――どちらも嫌悪し合っています。我ら鬼人族から言わせれば『戦わずに逃げた惰弱な者』と。……私としてはその選択もアリだとは思いますがね」
迅雷の魔王が即位した時、各地域の豪族たちは反旗を翻す中――そこの領主は即座に降伏し恭順を選んだ。鬼人族たちからは『裏切り者』と罵られたが、実際に賢明な選択ではあった。王都へと兵役として徴収された者は少なく、また無類の女好きで知られる屑王であったのに女性を連れ去る事もしなかったのも、一番最初に従うと表明し、多額の金貨を収めたゆえの優遇処置である。
また一部では魔王相手にここの女領主が啖呵を切って認められたという噂も流れているがその真偽は彼女とその近しい竜魔たちしか知らぬであろう。
竜魔族と鬼人族。
互いを見下している間柄――犬猿の仲である。
両者とも血統に誇りを持ち、同じ神を崇めながら――相容れぬのである。
「ダメそうですか?」
「それでなくてもこの大所帯で向かえば襲いに来たと勘違いなさるかもしれません」
「ダメっぽいかぁ……」
「きゅう……」
ファラスの回答に項垂れる颯汰の頭にシロすけがするすると登り定位置に着いて小さく鳴いた。
少し諦め気味の颯汰を紅蓮が横目で見て言う。
「軍を待機させ、少数で向かえば話を聞くだろう」
「誰かが代表で行く感じですか。……そもそも買えるだけのお金ってあるんです?」
颯汰も勢いで飛び出したため路銀と呼べるほど持ち合わせは少ない。途中の宿などは大人組が支払っていたが、そこまで余裕があるのだろうかと疑問に思って問うと、
「後に王都から送金、あるいは減税などすればいいだろう」
手持ちでは足りないという回答である。
少し揺れるだけで何もない馬車の中で座りながらズッ転けそうになった颯汰は呆れていた。
「それ、断られたりしそうじゃないですか。そもそも信用されなくて。王都の者という事も、迅雷を殺したという事さえも信じられないと思うんですけど」
ただでさえ仲の悪い相手の言葉を素直に受け止められる者は少ない。正論であっても善意であってもヒトは猜疑心は捨てられないのだ。加えればこんな十歳前後の幼子が迅雷の魔王を討ち滅ぼし、新たな王であると簡単に認められるはずがない。
「いえ、失礼ながら我が神よ。そこは問題ありませぬ」
「うん。それよりそろそろ前向いて話そ?」
ゆっくりとはいえ、先ほどから戦車を操りながら顔を横に――颯汰の方へ向けたままで喋っている。危ないし、エイルと違った不気味さがある。
なんであれ運転時は前を向くのが常識だ。
「今やこの大陸を“神”が支配したという事実も彼らも耳にしているはずです」
「支配してませんけど?」
前を向き始めたがまた変な事を言いだすファラスに颯汰は平静にツッコむ。
「もはやマルテも手中に収めているとは言える状況ではあるがな」
「聞き捨てなりませんわよ!?」
まだマルテが残っている。紅蓮の発言に真面目な話をし始めたから黙り始めた王女ヒルデブルクが立ち上がって大声を出す。
リズが急に立つのは危ないと手を引き、颯汰と一緒に宥める。当の元凶は感情がない声の調子で「ハッハッハ」と笑った後に続けて言った。
「そう思えば、マルテの軍を迎え撃った頃合い。あの街の者だろうな――見られていたぞ」
「!?」
驚き、御者台の方を見やる。マルテの万の軍勢に対しての放った光の柱を立てた瞬間をコックムの斥候に見られていたと急に言い始めた。
「聞かれなかったからな」
「蹴とばしていいですか?」
別段見られたとしても、実害はないに等しい。それを何故すぐに教えなかったのかと――返答内容が読めていたからあえて問わなかったのに、わざと語り出した事に微妙に苛立ちを覚える。
「要するにあの街はすでに“王”の存在を認知している――どうする? 先ほどと同じように脅せば、損失もなく楽に手に入るぞ?」
さも当然のように倫理観が疑われるような手段を提案する紅蓮の魔王。それに颯汰が飛びつくように反論をした。
「いやいやそりゃダメでしょ!? それもう強盗と同じっ! さっきのはマルテの軍でやって来て、戦いを避ける為にやったんです。それを武力を突き付けて無理矢理従わせたり物を取るなんてしたらそれこそ“迅雷”の所業と同じじゃないですか!」
この世界の常識と照らし合わせれば被支配者が力づくで従わされるのが正しいのかもしれないが、少なくとも現代社会の記憶を有する颯汰にとってそれは簡単に容認できる事柄ではなかった。
立ち上がって近づいた先から音がする。
パチパチと叩く音――柏手を打つように、片手で馬車を牽くウマと繋がった革紐を持ち、その甲を叩いていた。
「――素晴らしい。それでこそ真の王者だ」
ウマに乗って前を進む護衛の兵たちの先――前方を見据えつつ紅蓮の魔王が無表情のまま、颯汰を称賛し始めた。
「王の為の民ではない。民の為の王である。さすがは搾取するだけの“悪”を滅ぼし、自ら矢面に立ち、万の軍勢を退けただけはあるな」
「………………」
急に持ち上げだした紅蓮に対し颯汰は不審な目で見ている。隣の並走している戦車から感涙のすすり泣く声が聞こえるが、聞こえないふりをした。
「あの街の者も“王”の存在と力を見知っている。あの簒奪者に降伏をしたのだ。それを倒した者であればすぐに従うだろう」
“迅雷の魔王”という怪物を恐れ――あるいは正しくその危うさを見極めたゆえに即座に降伏を選んだのであれば、それを討った者――偽りの王たる立花颯汰であれ、その力を認めるに違いないという神父の言葉にファラスも鷹揚に肯いていた。
馬車内がシン、と静まり返り、つい辺りを見渡せば視線が全て自分へと突き刺さっていた事に気づいた者が言う。
「…………待って。それ、俺が行く流れ?」
颯汰は自分を指さして嫌な顔で辺りを見回す。誰かに尋ねるようにだが、答えるのは神父だけ。
「天幕を破壊した張本人であるからな」
「はっ倒すぞ」
いい加減にしろよ、と恐ろしく冷たいがまだ子供らしさが残る声で颯汰は紅蓮に言い放ったものの、
「……いや、でも……あぁー、仕方、ないのかな……」
彼のいう事に一理あり、唸る。
颯汰は人と合わせるのは『出来てしまう』ようになっていたが、実際のところ苦手である。見知らぬ他人と話すのはコミュ障を患っているため苦痛であるが、やろうと思えばそれを尾首にも出さずに会話する事も可能という、イヤな器用さを持っていたのであった。
しかしこの比較的物騒な世界で見知らぬ土地に足を踏み入れるのは、それなりに勇気がいる。だがリターンとして結果的に行軍速度は確実に速くなるのと、心に掛かる責が取り除かれるのは大きい。天幕にウマがあれば最悪、紅蓮式輸送方法(巨腕による投げ飛ばし)で王都まで急ぎ、兵たちを置いて行っても心残りはなくなる。
「一度ここらへんで止まり、誰と行くか話し合うべきだな。他の兵にも説明しなければ。では鬼人の頭領にして信仰者よ。号令を頼む」
自分が確定である事に颯汰は少し目を細めるように睨んで抗議するが魔王は颯汰の方をチラリと見ては何も言わなかった。
そして紅蓮は天然の拡声器たるファラスを用いて戦士たちを止めに掛かる。
「任されました祭司殿ッ! スゥーッ……――」
ファラスが大きく息を吸い込み始めた段階で、近くにいる者は慌てて自分の耳に栓を詰める。鬼人族の大声に慣れているウマであっても、最初から耳に大きな栓を詰めていたものが殆どであった。
「――全軍ッ停止ィイイイッ!!!!」
ファラスの号令が大地を震わし、近くのウマは嘶き、暴れそうになるのを騎手や御者たちは抑え、宥める必要があった。
そして――北上し始めたばかりの連なる軍勢は轟音によって動きを止めたのであった。
そして軍議とまでいかないが、人々が囲い、円となっての話し合いが行われる。
馬車が完全に停止し、颯汰は地面に降りて軽く伸びをすると、静かに独り言ちる。
「……今度こそ、トラブルなしでいくといいな」
切実な願いをつい口にしていた。
それを聞いた神父の格好をした羅刹の如き魔王が顎に手を当て考え込む。過去に誰かから聞いた言葉を思い起こして口ずさむ。
「なんと言ったか……? そういう台詞を――確か……『ふらぐ』?」
「おいばかやめろっ」
言葉の意味を理解していないようであったが、的確でかつ最悪な使われ方をされ、颯汰が静かに早口で、吐き捨てるように毒づいた。
無論――そのフラグは回収されるのは言うまでもない。だが誰しも――悪意と純粋な願いが同期した末に起きた惨劇の、幕が開けるとは予想が出来なかった事だろう。
贄を待ち構える門は口を開けて、何も知らぬ愚か者たちを喰らわんとしていた――。




