33 紅い針
遠く離れていく戦士の背中――。
シトリーの後を遅れて追って来た騎馬に跨がる数十の人族の兵と共に、進んで殿を務めると残った総指揮官は自身の手を踏み砕いて逃げて行ったウマに跨り去っていく。
兵たちも騒ぎ――“神龍の息吹”の轟音と奔る烈風を感じて引き返し、恐慌状態のウマを見つけ「嫌な予感がする」と慌てて戻った時に――女子供ばかりとはいえ囲まれているドミニクを見つけ、あわやまたもや一触即発の空気が流れた。だがドミニク伯の説明のおかげで誤解もなく事は進み、渋るシトリーとも別れ――彼らはマルテ本国へ向かって行った。
その背を見送り、残った者たちもやっと緊張の糸が途切れたように身体から力を抜く事が出来た。
崖の上の兵たちは力が抜け鈍重に感じる身を動かし、岩の隙間に手や足を置いて降りていく。
鬼人の長は急いで“神”の下へ行きたい気持ちをグッと抑えつつ部隊の指揮を執り、兵たちと王女の安全を最優先させた。
一方で、遠くに離れて待機をしている荷馬車とエルフの客人たちも交渉という名の脅迫が終わった、と動き出した鬼人たちを見て理解していた。
颯汰たちも合流をしようとするが、まずはクレーターの方へ歩き出していた。
抉られた砂地に沈んでいた残骸を紅蓮の魔王が拾い上げ、粒子が零れ落ちる。
コツコツとそれを軽く叩き始める紅蓮の魔王。
その様子を後ろから窺っていた颯汰が問う。
「……で、何か知ってます?」
「過去に似たようなもの――鉄の蜻蛉のようなものは屠った事はある。ある魔王が使役していたやつだ」
「やっぱ魔王関係か……屠ったって事は……」
「前回の魔王だ」
人を従えるだけの埒外な力と常識外れの固有能力を持つ“魔王”。
一度死んだ者――地球にいた頃の記憶が蘇り『魔王』として目覚める転生者。頭に響く“声”と欲望のまま奪い合い、殺し合いに興じる存在。
誰が何のために彼らが呼び起こされたかは謎のままであるが、過去にも“魔王”と呼ばれる者たちによる殺し合いが起きていた。そしてその“魔王”に対するジョーカーでありながら、魔王となった元・光の勇者がこの神父服の男である。
「知りたいような顔つきだが後の方がいい。私よりあの魔女めの方が詳しいぞ」
過去の戦いについて、興味がないと言えば嘘となる。颯汰も資料を集めたがほとんどが『伝説』として残り現実味がなく、魔王を殺す術も自分が元の世界に戻るためのヒントは見つけられなかった。抽象的であったり断片的で、「いや都市が土地ごと吹き飛んだり大陸が沈むとかないわー」と思っていたくらいであった。
前回の魔王というワードに引っ掛かったのだと解釈をした紅蓮であるがそれも間違っていない。半分以上はそうである。しかし颯汰は別の件――紅蓮の魔王についても知りたいと思い始めていた。“契約者”として繋がりがあるものの、彼についてあまりにも知らなすぎる、と自覚していた。
願いは異なるが目的が合致しているため互いに協力している関係に過ぎない。しかし、彼の掲げる理想は素晴らしく、本心なのかもしれないがそれを納得――あるいは信用し切るには彼の事をもっと知る必要があると判断した。
目的の為ならば悪魔とだって手を組んでも構わないが破滅する気はサラサラない。
いや、単にこの男は他人を信用するのが怖い小心者でもあるのだが。
紅蓮の魔王には謎が多い――。
勇者でありながら魔王でもあるイレギュラー。
彼は――最初から“魔王”として前世の記憶が封印されながら勇者として育ち、魔王として目覚めたのか。何故、囚われて封印されていたのか。
だが――、
『ねぇねぇ? 何で勇者から魔王になったのー? 奥さんがどうとか言ってたけど関係あるのー? 教えてー教えてー!』
――……なんて聞けるはずもない。
知りたいとはいえ安易に踏み込んでいい問題ではない事ぐらい、幼くなった颯汰でもわかる。
大切な人の死が関わっている辺り、無関係な者が軽い気持ちで詮索していい事柄ではない。地雷原でわざわざタップダンスを踊る馬鹿な真似はしないのが賢明である。
――聞くにしてもタイミングが重要だな
颯汰も伊達に人間観察を欠かさず生きてきた訳ではない。人の心を完全に理解するのは誰にだって不可能ではあるが空気を読み解く事はできる。
教室というコミュニティ内において場の空気を乱す、迎合を拒絶する事は“死”に直結する。認められねばカースト上位のグループに弾圧され、最悪の場合“要らぬ者”として排除される。だからある意味で命がけであった。
空気を読まずに生き残れるのは突出した才能を持ち、他者の関心を気にしない天才ぐらいで、自分がその部類であると思い込む事もまた危険である、と颯汰は身をもって知っていた。
少し遠い過去となった記憶が過って脱線しかけた颯汰を現実へと引き戻したのは魔王の言葉であった。
「その蜘蛛が九体もいた、と……ふむ。他にもいるやもしれんな」
ハッと現実に戻った颯汰は小さく咳払いをしてから本題について語る。
「……、普通の剣や槍じゃあ切れないような硬度でした。あんなの一体でも襲われでもしたら小さな村じゃきっと一溜りもないと思うんですけど」
普通に生活をしている場所に、粘着弾にビームを撃って来るうえに堅い装甲を持つ機械が襲撃すれば……どうなるかは想像に難くない。
例によって「去る世界だからと言って見て見ぬふりで放置は目覚めが悪い」という理由から、どう対策を練るべきかと意見を求めようとした。
「わかった。対策は立てておく。人材の目星も付いているからな」
眺めていた金属片を興味を失せたように放り投げた紅蓮の魔王の答えに首を傾げる。
「人、材? ……あの、アンバードの軍隊を編制してとかじゃなく?」
てっきり軍隊を派遣した方がいいのではと安易に考えていたが、
「あぁ。そもそもそんな余力はないだろう」
「……確かに」
王都バーレイは甚大な被害を受けていた事を思い出す。眺めている余裕はなかったが――街は熱線で崩れ、河川も黒い泥に穢されていたはずだ。
復興にも時間が掛かるに違いない。もし軍が健在だとしても――幾ら鉄蜘蛛が脅威だからと傷ついた王都を無防備にしろという命令を下し納得する者はまずいないだろう。
それに、鉄蜘蛛複数体を闇の勇者と竜種の子供の協力もあってなんとか殲滅に至れたくらいである。軍隊で迎え撃ったとしてもこの時代の装備の観点から分が悪そうである事にも気が付いた。
「じゃあ、あれを素で倒せるようなヒトが?」
いくら武術に秀でていいる戦士であっても刃を通さぬ――まさに鋼の肉体を持つ兵器をヒトが倒す姿が想像できない。あの機動兵器たちを一人で倒せるであろうバケモノの知り合いは、この眼前の紅蓮の魔王と師たる湖の貴婦人くらいである。
精霊である彼女は論外で、この男が自身が守衛を務める口ぶりではない。
「フッ……任せておけ。但しバーレイに戻ってからだ。幸い近くの村は結構な距離がある。到着次第、村人に警告を。そして常に男たちにでも偵察をさせ、いつでも避難できるように準備を整えさせるのが良いだろう。人手が足りぬならば鬼人たちに頼み駐留してもらおう」
あえて答えず楽しみにしておけとばかりに濁す魔王。嘘を吐く理由もなければその間のカバーも理にかなっている。他に手だてはないため反論はせずに次に気になった事を問う事にした。
「…………わかりました。ところで――」
「何だ?」
「王さま。もしかして遠隔でこっちに魔力流しませんでした?」
それは廃滅の魔導剣発動後、追い打ちを放とうとした時の話である。
現れた幻覚に対する苛つきや命の凌ぎ合いに思いを馳せて熱を得た――のではなく、乾いた洞窟に地下水が滲み出て潤うように、湧き出したエネルギーを感じていた。
竜種や魔王ではない颯汰は――たとえ怪物染みた力を手にしても、まだ真なる王者の足元には及ばず――魔力を回復する手段を有していないのである。ゆえに感覚的に、紅蓮の魔王が遠くから流しているのではと勘付いたのだ。
質問に対し魔王は、あっさりと認めた。
「あぁ。試してみたが、中々難しくてな。手間取った割に効率もよくないようだ」
「……!」
そして手を動かすなどの予備動作もなく、颯汰の中に活力が満ちる感覚――答え合わせのつもりなのだろう。確かに直接触れるより幾分か回復量が少ないような気がするが問題はそこではない。
颯汰は睨むというより呆れて蔑むように目を細め、溜息を吐いた後に言った。
「……最初からこっちに渡してくれれば鬼人族の人たち三百人ちょっととの握手会みたいな真似しなくて済んだのでは?」
協議が終えた後。前日から頑なに本番時には魔力は与えんと言っていたからこそ――空がまだ暗く星が瞬き、境界線が淡くなり始める前から崖の上で分厚い漢の手を握り、魔力を吸い取る作業をする羽目となっていた。
紅蓮から触れればものの数秒で終わる作業であり、吸われた鬼人族の兵たちは戦力にならず、もしマルテの兵が恐怖に打ち勝ち、戦うという選択を取りでもしたならば一巻の終わりという博打であった。
非効率でありデメリットの方が大きいのだが、紅蓮の魔王は首を横に振る。
「いいや。彼らが渡す事に意味があるのだ」
「?」
「いずれ、分かる時がくる。……一人で突っ走ると民はついて来なくなる、だそうだ」
伝聞風に言う魔王。自分の言葉ではなく誰かの教えだろうか。あまり納得がいっていない――というより理解できていないような表情ではあるが、結果的に上手くいき、もう終わった事であるから追及しないで次の疑問を口にする。
「じゃあ次は……」
シロすけを肩に乗せてじゃれる闇の勇者――リズの方をチラリとつい視線を向けて、小声で耳打ちするように言う。
「あの、……勇者が生きてるんですけど」
急にヒソヒソと話し出す男衆に首を傾げる少女――闇の勇者であるリズ。
「そうだな」
「そうだなって……え何? 知ってた? ……何で教えてくれなかったんです?」
「聞かれなかったからな」
「うわこの魔王ほんと殴りたい」
知らぬ事をどう聞けとという若干の苛つきを覚えたが、むしろ紅蓮の魔王は表情こそ変化が乏しいが、不可解そうな声で問うてきた。
「……? むしろ少年。貴様が知っているべき事柄であろう」
「なんで」
「貴様が王都バーレイで飛翔した際、周囲からエネルギーを根こそぎ奪い、あの“紅い針”を造ったのはそういう意図だったのでは?」
「…………なにそれ?」
迅雷の魔王――であった本能だけのケダモノが最後の力を振り絞り逃走を図った時、颯汰は魔王たちの戦いによりバーレイの大気に満ちる魔力や地面に流れる龍脈からのエネルギーを吸い取り、自身ごと魔力の弾丸として射ち放って飛びだった。
業風を纏う闇の波動は 魔王を殺せるだけの熱量を有しながら突き進み、その際にさらに、王都中に転がる――大勢の人民を吸収して魔力へ変換していた泥の残骸から“闇の勇者の血”と魔力を奪い取り、凝縮し一本の“針”を生み落とした。
そして――、翔る大蛇の姿を模る波動は天へ還るのではなく、邪悪を喰らい尽さんと怪物のなれの果てを追い空高く雲を越えた先まで昇って行ったのである。
「少年が泥を濾した深紅の螺旋から精製したあの針を、胸の大穴に刺したからあの娘の回復の助けとなったが」
紅蓮の魔王は崩れた城の庭にいるリズとエリゴスの前に現れると問答無用で針を突き刺した。剣のような大きさではあるが穴よりは細身であり、突き刺すというより空洞の間に置くと言った方が正しかったかもしれない。すると針は赤く輝きを放ち、光が肉体へ溶け込み、傷口を再生させて、眠ったままではあったがリズは息を吹き返したのであった。
「………………いやでも、あれ明らか心臓まで貫いてたでしょ?」
「その程度で勇者が死ぬものか」
「いやいやいや」
真顔でふざけているのか真面目に答えているのか判断しかねる魔王の言葉に翻弄されつつ、静かに黙り込んで頭で考え始める。治ったのは事実であり彼女が倒れた時は本当に心からの喪失感があった。だが針など全く記憶にない。汚泥の怪物を追いかけ、その手で仕留め――さらにヴェルミの王都ベルンまで跳ぶようにまた走った事は若干ぼやけ気味ではあるが記憶しているが……。
――……“獣”は確か、リズと誰かを重ねていた。だから、……助けたのか?
自身の胸にそっと手を置く。想起するのは自分を庇って、彼女が貫かれた時に見えた幻影。
ノイズが混じり、色が失われた世界にて――。
病衣のような服を着た幼き少女が、割れた地面の陥穽に落とされた光景。謎の巨塔に、長刀を持つ“男”。うつ伏せで足を踏まれ、胴はその長刀に貫かれた感覚があり、顔も姿も見えなかったが不思議と“男”と認識は出来た。
心の中へ問いかけたが答えは返ってこない。
ダメか、と颯汰が諦めると、
「なるほど無意識か……。喜べ勇者よ。この男、無意識に貴様を救わんとしたようだぞ、無意識に」
振り返り――真顔と無表情、声音も抑揚がないのだが、どこかヒトを小馬鹿にしたような含みを感じる声で本人に報告を始めたではないか。
《えっ……、ぁ、…………》
急に振られながらも意味をすぐに理解したリズの白い顔がわかりやすいほど赤くなる。
すぐに自分の首に巻かれたマフラーを顔の半分を隠すように上げて背を向け始めた。
「誤解を生むようなニュアンスで言うのやめろぉ!」
乙女の反応を見て、颯汰も気恥ずかしくて声を荒げる。鼻で笑う魔王をとっちめたいが、誤解であるとリズに弁明したい。だが人間、テンパると自分でも何を優先すべきかわからずオロオロしてしまうものだ。両方向へ手足が伸びかけては引いてを繰り返す。
「きゅう?」
まだ幼く色恋も知らぬであろう龍の子供は、惑う愚かな人間の様に首を傾げるようにして小さく鳴いた。
投稿遅れて大変申し訳ございませんでした。




