32 荒野の対話
「ふぅー。まさかこのドミニク、戦場以外で死にかけるとは思ってもみなかったよ……」
「ええ、御無事でなによりです」
返答するのは他所向きの顔――聖職者の優男の雰囲気を醸し出す紅蓮の魔王であった。
砂まみれの八の字髭の男――ドミニク伯はやっと自由の身になれたが、やはりウマに踏み抜かれた左手は異様に腫れ上がって痛々しかった。
颯汰、リズ、シトリーも手を汚しながら全身が埋まっていたドミニクを掘り起こして一息ついた頃――途中まで爆炎撒き散らしながら飛行して、後は超高速移動でやって来た紅蓮の魔王と女医エイルが合流して今に至る。
ドミニク伯は背負われたエイルの風体に多少は驚きはしたが、この中で最も大人でかつ紳士的な対応で挨拶を交わし、砕かれた右手を彼女に診てもらっていた。立ちながらはやりにくいようで患者を座らせながら、長い髪のカーテンを持つ妖怪のような女はせっせと、間から出る白い手を動かして処置を始める。
「ところでボーイ、その姿はなんだネ」
「…………油断させるための擬態?」
片手を医者に任せ、動けないドミニク伯はもはや颯汰が崖の上に君臨した邪悪な“魔王”とは見なしていない口ぶりと気安さで話しかけていた。
何故か手の皮を剥ごうとするエイルを皆で止めたばかりなので(気づかぬ本人以外の)視線は自然とまた何かやらかさないかと心配になってドミニク伯の手へ注がれていく。その為か颯汰も空返事というか余り深く考えずに返答していた。
ドミニク伯は、時折厳しい表情で言葉を詰まらせ、まだ脂汗は引いていない。声だけは余裕そうに努めているのは明白であった。
「なるほど、確かにそんな毒気がない顔だとコロッと騙されてしまうかもしれないネ~…………だがその姿、力も弱まっているのでは?」
まるで値踏みするように颯汰を観察するドミニク伯。その視線に対する不快感よりも、
「どうどうどう」
真顔で不可視の剣を現出させた勇者リズを宥める事の方に意識が向いていた。
「――ま、あんな訳の分からない力を目の前で使われたら、もう成す術もないネ。この手じゃあ満足に戦えないし、仮に万全でも勝つ望みは薄そうどぅ――アウチッ!!」
「…………我慢」
ケガの処置――当て木で骨折箇所を固定し、包帯をぐるぐると巻いていたのだが、強く巻きすぎたエイルは患者に対し、一切悪びれる様子もなく我慢しろと命じながら続ける。
「もう少し手心をだネ――ってイダダっ! 手、心って! わざとじゃないよ!?」
「わざと」
「そっちがかネ!?」
手だけに手心と、つまらない事を言うつもりではなかったと弁明するが、今まさに患者の生殺与奪を握り、心なしか楽しんでいるように映るエイルを見て「何だかこの二人、相性が良さそうだな」と颯汰と紅蓮の魔王は思っていた。
「ぐ、ぅ…………。……ところでボーイ、我が聖剣ボルティセはどこかネ? 君は『借りる』と言って勝手に持ちだしたはずだが?」
痛みに悶えていた男は指摘する。
「あっ」
颯汰は己の左手を見て小さく嘆声を上げた。
リズだけが鉄蜘蛛・九機と交戦している緊急事態であったから有無を聞かずに奪い去り、今の今まで手に握ったままだと思い込んでいたが、神龍の息吹の衝撃によって、どうやら手放していたようであった。さすがに借り物――敵国であれ王から賜ったと言っていた物を失くすのは人としてアウトであるとわかっていた颯汰はすぐに剣を探そうと立ち上がった時であった。
「きゅきゅ~!」
お前の考えと行動は読んでいるぞとばかりに、クレーターの方に飛んで羽をばたつかせて鳴いた。
「! さっすがシロすけ! でかした!」
龍の子の元へ駆け出す颯汰を見送るドミニク伯が一言、「まだ動けるのか……」と驚嘆混じりの呆れた声を発した。
しかし――、行きの調子と随分異なる様子で颯汰は歩いて戻って来た。親に叱られる前の子供の如き足取りは重く、避けられない事柄への苦しさを感じさせる表情でだ。多くの者が首を傾げていたが、その原因はすぐに判明する。
「あの……その……」
颯汰は柄を握った左手を前に出す。
だがそれはもはや剣とも呼べぬ代物に成り果てていた。剣身は半分以下に折れ、鍔も飾りも砕け、柄の先も崩れていた。銀の輝きはくすんでいて、炭化したように黒ずんでいる部分もあった。
颯汰は申し訳なさそうな顔ではあるのだが――見た目年齢相応のいじらしい顔というより、泣きそうではないが反省の色だけはキチンと示した顔であった。
「あの……どうにか、弁償はするんで……」
弁償と言っても当ては一切ない。
聖剣――『霊器』とは金銭で支払えるような価値では収まらない兵装だ。
失われた技術の集大成である霊器――現状でそれを作り出せる鍛冶師に知り合いなどもいない。
ただこの言葉を偽るつもりもなく、借りだけは絶対に返そうとは思っての発言である事は、ドミニク伯も意図を読み取れていたようだ。
王から賜った聖剣が鉄屑同然になっていても、彼は然程 驚いてはいなかった。むしろ納得さえしている様子だ。莫大な量の魔力をねじ込んで、銀剣が耐え切れるはずもない、と。
静かに首を横に振る伯。空いた手で剣だったモノを掴み取り、じっと眺めた後に、
「――……ふむ。まぁ、無傷で帰ればただの脅しに屈した臆病者、と蔑まされ続けることだったろう。だが、こうして傷ついた聖剣と砂で汚れ切った顔、礫が当たった傷を見れば誰も文句や言いがかりは言うまいネ」
そう言いのけた。声を上げずにいる颯汰を見て、ニィっと笑って言う。
「これで戦って、敗れた結果だと言えば王も納得するはずだネ」
闊達に笑った男は同じ調子で続けたのだが、
「だが問題は別だ。君たちの要求は“黒真珠”と砂の民の返還か――うむ、豪胆だな。いや傲慢というべきか。己の力に従わぬものは全て消し去るつもりかネ?」
途中から声音が明らかに変わって、刺すような敵意が顕となっていた。
――フッ、どちらが豪胆か
紅蓮が無感情に心内で呟く。
勇敢な人族戦士とはいえ、魔法関係に疎いはずのマルテの者が、理解の範疇を超えた奇蹟を何度も目の当たりにしているはずなのに、この落ち着きようと、さらにその術を放った男を試すような物言いから、彼の度胸は並外れている事が伺える。
面白い男だがさて――、と紅蓮はその問いに対する答えも気になって視線を移した。
一切の冗談もない大人の敵意――を演じる悪意ある質問に、颯汰は真正面から受けてこう返す。
そこには申し訳なさも狼狽える様子も、怯む感じもなく、ただ真っすぐ受け止めたうえで、研いだ刃の如き視線で静かに言い放ったのだ。
「――俺の、……俺の道を阻むのならば」
ただの童子が持ち合わせているはずのない圧――それは王が持つべきモノとはまた赴きが異なる冷たさを有していた。戦士ともまた違う――自信や熱狂がない。どちらかと言えば暗殺者に近いといえよう。冷たく、ただ目的の為に全てを犠牲にしても構わないという狂気はありありと感じさせたがそれともまた異なる――、
――これは、恐ろしいネェ……
芯から相手を凍てつかせ呑み込まんとする、得体の知れない触れてはいけない忌避すべき――正と邪が入り混じり複雑に絡み合ったこれは……、
「いやぁ恐い恐い。恐ろしいネ。なるほど“神”か。言い得て妙だ」
呟くドミニク伯。鬼人族のファラスの言葉に合点がいったが、今の一瞬で感じ取ったものに気づいている彼と、その様子を尾首も出さない神父服の怪物ぐらいであった。
無論、ドミニクが本物の“神”と呼べる存在に遭遇した試しはないが、それを示す言葉に相応しいとも言えぬが、あえてカテゴライズするならばその箱に押し込めるものであろうと判断した。
怪物の方も、颯汰の返答を聞きつい口で「なるほど」と小さく漏らしていたが、その表情と声色からはどんな感情を有しているのかは推し量れない。
「――あいわかった。……君たちは国にあの“光の柱”を叩き込むと言った。であれば、もし陛下が返還を渋るようであれば、私からも強く進言をしよう。『彼らは本気だ』とネ」
「……! ――」
「これはどうも。ありがとうございます」
「――あ、ありがとうございます」
紅蓮が偽王の代わりに礼を述べ、その後に小さく礼を言いながら頭を下げていた。
それを見て苦笑するドミニク。調子が狂うとはまさにこの事を言うのだろうと思いつつ、また何も確実に願いが叶う訳ではないと釘を刺す。
「もっとも、それで陛下が首を縦に振るかどうかはわからんけどネ。さっきの光の柱も直接見たわけでもなしに。それに一国の王だ。王威の失墜は避けたいだろうさ。脅しに屈したと民に知られでもしたらもう……」
「え、じゃあ(国の)すぐ近くで撃ちます?」
真顔で突き出した左手から黒い靄がぶわっと噴き出させて言う、げに恐ろしき魔少年に対して、ドミニク伯は一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったが、破顔して言う。
「いや本当、恐ろしいネ! 心臓が止まるよ!」
笑っているが、マルテ中がパニックになること間違いない。それこそ“魔王”に敗北したと認めた事となり、王の威光は陰りを見せるに違いない。
そうなれば最悪、国は崩れ去る――。
そもそも、王女を取り戻すためにも、彼らの要求を呑む以外の選択はあり得なく――獣刃族の解放を民に知られるのはどうあっても避けられない。ならばせめて無用な混乱だけは避けるべきであり、もう一射の必要はない。むしろ御免蒙る。
「――……ゴホン。ともかくだ。あぁ、包帯どうもありがとネ。この礼も必ず、と。私がマルテに戻り、責任をもって“黒真珠”と砂の民を引き連れてみせよう。ま、領内までだけどネ」
大人の人外二人組を除き驚き目を見張る中、処置が終わったドミニク伯はエイルに感謝を述べながら壊れた霊器を鞘に収めると、伯の顔から笑みは消え、一人の忠臣――漢の顔で臨み始めた。
「ボーイ……いや、魔王殿下」
姿勢を変え、跪いて首を垂らし懇願する。
「姫を……どうかヒルデブルク様をお頼み申します……!」
「……(この人、まさか――……)」
「姫は初めて、自らの意思で国から出て行きました――その理由の善悪は置いておくとして」
「……はい」
「王家の血筋を持つ姫が、政略結婚を拒み、逃げ出したなど言語道断ではあります。が、……………………その気持ちは、痛いほどわかりますネ」
「……そんなに酷い相手なのですか?」
既にオズバルド公爵の容姿について聞き及んでいたが、つい確認を取る颯汰に、ドミニクは舌鋒火を吹かんばかりに語り出す。
「商才に全能力を注いだ醜悪の極み、ですネ。一時期ウチの侍女の一人にしつこく付きまとって大変でした……。内面の醜さが表面まで及んだからこそあんな見た目に……あぁ、そんな感じ――……って絵ぇ上手ッ!?」
シトリーは無言で自分の描いた似顔絵を広げて見せつけ、意外な才能にドミニク伯は声を荒げてた。素人目でも王都ロッソの宮廷画家と呼ばれる者たちにも引けを取らないレベルであり、絵だけで食っていけそうと思わせるほどの腕前である。
脱線しかけたのをドミニクは咳払いをして方向を正してまた語り始めた。
「――……何が国の為、延いては姫様の為になるか、無知な我が身では正直わかりません。しかし、この機会に広く世界を見る事は何も悪い事ではないと思うのです。姫様――ヒルデブルク様はまだ若い。婚姻なんて二年、三年先であっても問題ないでしょうしネ。その間に我が国王も考えを改める可能性だってあるでしょう」
「…………全部お見通しだったり?」
「いやぁ、何も? ただ、ヒルデブルク様は最も力のある“魔王”の手の中――であれば逆に安心ではあると思えただけですよ。それに、魔王殿下は私めの為に崖から降り、敵を蹴散らしただけではなくケガの治療さえしてくれた恩人ならば任せられるとも思いましてネ」
問いにあくまでも白を切る漢は、人知れずかなり評価が高まっている事を知らない。
――やだこのおじさん、格好いい……!
思わず颯汰も心の中で震えるほど称賛し、
――この男……使えそうだな
神父の皮を被った紅い怪物には、使える人材としてロックオンされたとはさすがの伯も、露程も思ってはいなかった。