31 死線を越えた先の修羅場
憎悪に満ちた轟雷が砂上を流れる水に奔った。
水面を滑る赤い妖精は、“死”を運んでいく。
それは生物を模る機動兵器とて例外はない。
凄まじき嵐に見舞われ、機械の内部を侵食する水や砂埃、さらに回路を電気でズタズタに焼かれればそれは“死”に変わりない。
兵器はその役目を果たせぬまま壊れ、ただ静かに物言わぬ鉄屑に成り果てた。
霊器によって生み出された水は、風に巻かれ驟雨のように降り頻っては止んだ。
荒れ果てた大地に注がれては染み渡る――。
この惨状を作り出した“偽りの王”たる立花颯汰はすでに元の――十歳かそれくらいの体躯へと戻っていた。戻ると不思議と幾分か疲労が軽減されたような感覚がして、まだ立って動く余裕も一瞬の暴雨でびっしゃりと濡れていた髪に滴る水を払うくらいには元気であった。
「ふぅー。一体何だったんだ? こいつら?」
人類に明確な殺意をもって攻撃を仕掛けてきた蜘蛛型機動兵器――通称“鉄蜘蛛”。
勢いで殲滅に成功したものの詳しい事は何もわかっていなかった。
およそ二十年前にボルヴェルグ・グレンデルがこれらの別個体を撃破してから絶滅したものと思われていたが、近年はこの小型(人間よりも大きい)タイプの目撃件数が増えていたという事くらいだ。害なす存在ではあるに違いない。しかし何か言いようのない引っかかりや既視感のようなもの覚えたのだが、
「いや、どうせどこぞの“魔王”が造ったもんでしょ……。……迷惑な奴らだ」
情報が足らず勝手にそう決めつけて息を吐く。元の身体とはいえ疲労から脳に回すエネルギーが足りてないのだ。濡れた砂の上だろうともすぐに横になりたい気分であったが、その前に成すべきことがあって彼はゆったりと顔を上げた。
「おーい、シロすけ~。やめていい――」
もしも雷閃掌で敵を倒せなかった場合、保険を用意していた。ひとつは更に雷の魔法を放ち内部から撃ち貫くもの。もうひとつは、上空で待機しているシロすけによる伝家の宝刀――“神龍の息吹”だ。
後者は確実に敵を葬れる威力を有するが、射つ寸前の隙を敵に妨害されないために派手に暴れて注意を惹く必要があった。洪水も暴風も撹乱のための手段に過ぎなかったのだ。
有効な戦術であるため此度も用いようとしていたが、機能停止した今その必要もなくなった。
だから中止を命じようとしていたのだが、
「あ」
そんな短い声しか颯汰は出せなかった。
僅かに遅かった。
ほんの少しだけ。
既に、零れ落ちていく途中であった。
荒ぶる風と大気を震わす雷撃を内包する弾丸が地に向けて放たれていた。
既に、放たれていた。
地上に向けて――。
一度、穿たれた大穴に向かって――。
「やば……――」
龍の心臓から生み出された無尽の魔力を塊として圧縮し射ち放つそれは、両翼からの扇ぎ風など比べ物にならない破壊力を有する。
一度放たれれば、周囲に爆発的な勢いで破砕の烈風が通り抜けること間違いない砲撃。
緑がかった白い光弾は遠くで見れば思わずその非現実的な美しさに見惚れる者もいるだろう。
葉から滴り落ちる際にその緑を纏いながら落下したように錯覚する麗しさに目を奪われる。
実際、立花颯汰は放心していた。
優美さに触れているのではなく「あ、やばいこれ巻き込まれるやつ」という一種の諦観である。
時間が遅く流れ、スローモーションでゆっくり落ちるように映る。
だが現実は、すぐにそれが地面に到達して、爆ぜたのであった。
刹那であるが、昇り始めた太陽神の灼熱の円盤すら超える閃光が駆け抜けた。
反射的に両目を瞑った颯汰であるが、
「ぐえっ!」
不意を衝かれ、後ろ襟を掴まれた感覚がした。引っ張られた直後に柔らかいものに包まれた。
抵抗する間もなく光の後を追うように爆ぜる風が通り抜ける。砂も大気も押し上げて、息もできない暴風に呷られ、身体が浮き――吹き飛ばされたのだ。
「か、神ぃぃいいいッ!! ――……おぶえっ!!」
崖の上から叫ぶファラスの大声さえ神龍の息吹が生んだ災禍に呑まれていく。
下から殴りつけるような風とそれに運ばれた砂塵が、口と鼻孔、さらには目にまで襲い掛かったものだからファラスは思わず顔を背けて咽せた。
ゴホゴホと咳き込んで自然と出た涙を袖で拭うと、眼前は黒い砂塵によって生じた黒煙で何もかもが包まれていた。
時間が経てば消えるだろう煙を待つ前に、彼は鬼人族の戦士長としての責務を忘れずに果たす。
「皆、平気ですかッ!!」
大声が崖の上を通る。
武闘派集団を率いるこの賢人は、白き龍が上空を舞い、自分たちのいる場所より上に来た段階で即座に仲間たちに命令を下していた。
三百を超える戦士たちの全てが颯汰に魔力を捧げたために立っているのがやっとであった。
そんな彼らに地面に伏せさせ、手持ちの武器を地面に刺して踏ん張れと指示しなかったならば、きっと今の風によって何人かが崖から転落していただろう。戦士たちは混乱しながら手を挙げるが返答する余裕はなかった。
王女ヒルデブルクも耳から手を離し、一人の戦士の腕の中から這い出て立ち上がってファラスに近づく。
「な、なにが起きたんですの……?」
「………………」
少女の問いにファラスも状況が上手く説明できず小さく唸るだけであった。
モクモクと昇る黒煙が少しずつ晴れていく。
凝視するファラス。護れと主に命じられた王女が崖の近くで見下ろすのを注意する、あるいは首根っこを掴んででも遠ざけるべきなのを忘れて見入っていた。
地上の闇が消え、景色がまた変化を見せる。
天幕があった広い台地は一度クレーターに変わり、変質した土壌の上を災害が三つ通り過ぎたことによって――鉄屑たちの墓標となった。
地面から出てきた謎の機械たちは全て破壊され、完全なスクラップに成り果てていた。ねじ切られた脚が地面から逆さに生え、ひしゃげた装甲の一部が露出し砂に塗れる。鉄蜘蛛たちは自己再生機能まで持っていたが、ここまで破壊されれば誰がどう見ても二度と動かないと断じる事だろう。
「…………!?」
だが、新たな死を迎えた荒涼の地に生者の姿は見当たらない。
ファラスは目を凝らして、主たる少年と他の生存者を隅無く探す。
募る焦燥感で視界が余計に揺れ動く。
「! あそこにいますわ!」
王女の声。指をさした方向を追いかけると、遠くクレーターの外に横たわる姿を捉えた。
全身が砂で汚れながら、突風に吹き飛びながらも颯汰を捕まえ抱きしめて護った――勇者リズが颯汰を起こして立ち上がった。
「おぉ!! 我が神ぃぃいいいいいッ!!!!」
歓喜の声が轟くが、崖の遥か下の者たちはそれに関心を示す事はなかった。
二人ともケホケホと咳き込み、髪や身体に付いた汚れを払う。
濡れたせいで全身に砂がこびり付いていたが大まかに落とした後、
「あ、あの……、ありがと――ムギュッ?」
照れ臭そうに頬を指先で掻きながら礼の言葉を吐こうとした立花少年であったが、言葉はリズの両手によって途絶えさせられた。
彼女はおもむろに両手で彼の頬を掴んでちょっと揉むように引っ張り始めたのだ。
「あにょ……り、リズしゃん?」
餅とまではいかないが幼い子供の頬は柔らかく、肌触りもまさに玉のようで滑らかである。
暫し夢中になってみょんみょんと玩弄するが如く弄くりまわしたリズが手を離し、
《…………ほんもの?》
首を傾げてリズは心内で呟く。
「……俺もよくわかってないけど、本物だよ」
急に縮まれば当然自分の目を疑うというもの。あるいは先ほどの衝撃によって気を失った際に見ている夢か何かと。それを確かめるのが何故相手の頬に触れる行為なのかは彼女にしかわからない。
どう説明すべきか、むしろ何から話し何を聞くべきかなどと考えようとした時に、上空から煌めきを感じ取り――、
「おっとォ!!」
地を蹴り、降り立った流星を颯汰は回避する。
斜めから突き刺さるように落ちたそれは地面すれすれで土煙を巻き上げながら上昇し、頭とほぼ同じ高さまで上がるとそこでくるりと身体を回転させてブレーキを掛けた。
「きゅう! きゅきゅ、きゅう!」
「いや今の状態でお前のダイブを顔面から受けたら死ぬから」
何故避けたのがという抗議(に聞こえた)に対して颯汰は呆れた声で返す。
落ちた流星――羽ばたく白き龍の子シロすけは姿形が変わってもお構いなしと言わんばかりに、あくまでもマイペースで颯汰の頭に顔を乗せて羽を休め始めるのであった。成龍となればまさに息を吸って吐くような感覚であの龍術を休憩なしで何発も射てるようになるが、今はまだ幼く、まだ甘えたいざかりなのだろう。
「きゅ~♪」
「…………改めてこのサイズだと、お前も少しは成長してたんだなって実感できるよ」
少しだけずしりと重みを感じながら右の人差し指で龍の子をつつく。
「というかお前、危うく死ぬところだったんだぞ~?」
「もきゅう?」
悪びれもない声に呆れながらも、少し吹き出して叱る気にもなれない様子であった。
その様子を茫然と眺めるリズ。
その脇を黒い影が躍り出た。
「シャーッ!!」
「おわっ!?」
想定外の事象に颯汰は驚きの声を上げる。
やって来たのは黒豹――獣刃族のシトリーである。さすがにその体躯でのしかかるような真似は自重し、前脚を上げて脅すだけで済ませたが、颯汰には何が何だかわからないで頭に何度も疑問符が飛び出ていた。
「…………はぁ、女の子の次は竜種を侍らせるんですかそうですか」
「? なになに?」
若干冷めた口調で小さく独り言ちるシトリーに、半ば声が聞こえなかったのと聞き取れた部分だけでも颯汰にとって意味不明なものであった。
獣から人の姿に戻るシトリー。初めて見るのかもしくは慣れていないのか、黒豹から人に変身してちょっと驚いて一歩だけ退いたリズを余所に、シトリーは颯汰の前までズカズカと歩いて近づき、リズに向けて指さして問い始める。
「まず最初に! その子! 誰?」
颯汰はズイッと近づかれて上体を反らし、制止するように無意識に両手を前に出した。何故自分にとは思ったが、颯汰は妙な気迫に気圧されて素直に受け答えをする。
「誰って…………勇者?」
「関係は!?」
本来は彼女が勇者だという事実に常人なら飛び跳ねるくらいに驚くところだが、黒髪の上の獣片耳に入っては、もう片方から抜けて行ったようだ。
「? …………(元は迅雷を殺すために利用しようとしただけだったけど、庇ってもらったし……)恩人? あるいは仲間……? 仲間なのか?」
思えば勢いで共闘したが、なぜ彼女が生きているのか、またここにいるのかすらわかっていない。
勇者である以上、自分の目的の障害となる可能性は捨てきれていないが、まだそこまで考えつかないのは眼前の圧のせいであった。またこの男、仲間という言葉に少し抵抗もあったのだが、それを考えさせずに跳ねのけるさせる――獣刃族の次期族長たる乙女から発せられるプレッシャーはただものではないとも言えよう。
視線をリズに向けて確認を取ろうとしたが、
――あれ? なにその不満げな顔
物言わぬ少女からも強い目力を受けて、颯汰は目をパチクリさせて視線を泳がせる。
そっと下がるシトリー、声の調子は幾分か落ち着きを取り戻しているように感じたが、聡い者ならばその口調に含まれる冷たさを感じ取れていた事だろう。つまりは今の颯汰には無理。
「…………なんだ。ただの仲間。そう。ふっ、安心したー」
なぜ敵意を、と思ったが口に出さずいた颯汰にまたシトリーが距離を詰めて問う。
「あたしとの関係は!?」
「えっ? …………勝者と敗者で……今は……協力者で――」
「――色気ない回答!」
間違ってないはずなのに遮られ、黒衣のケモミミ女は続けて言う。
「あたしは君と戦って、負けたあたしは君に全てを捧げると誓ったよね」
「一方的にな」
不都合な抗議の声は受け付けないとばかりに、今度は自身の胸に手を当ててリズの方へ振り返ってシトリーは堂々と宣言し始めた。
「そう、つまりは手下とか仲間とか、ただの他人じゃあないのよっ! あたしたちは!!」
「!!」
衝撃を受けたように口を開き目を剥いたリズ。
「……………………どういうこと?」
よくわかっていない、あるいはわかりたくない颯汰が零す言葉に対するシトリーの返答は、
「ご主人様とペットでしょうが!!」
かなり的が外れ、頭のネジが数本抜けたような台詞であった。
「どういうことー!?」
理解不能で叫ぶしかできない颯汰。目線を外した間に近づかれ左腕を引かれて声を上げる。その腕を引っ張る正体は闇の勇者リズ。
「………………」
引き寄せられたと思った瞬間、またしても温もりを受けた。後ろからのハグ――所謂あすなろ抱きとも呼ばれるものある。
「あの急に何を」
縮んだ為に約二十五メルカンほどの身長差があり、引き寄せられた颯汰は顔を上げて見上げる。
「なっ!!?? ず、ずるーい!! 独占禁止ィー!」
シトリーがギャーギャーと喚きはするものの、暴力に至らない辺りは理性的ではある。
――な、なんだこの状況……。ど、どうにか……どうにかこの状況から脱しなければ、なんか色々とマズイ!
しかし自分の手で解決できる問題ではないと思考を放棄している彼は、誰でもいいからと状況を打開してほしいと願った。人間関係の問題にすこぶる弱い颯汰の悪癖とも言えよう。
ただ、その願いはすぐに届く。
救いの主はすぐ側にいたのだ。
およそ五ムートほど後方――シロすけの一撃により吹き飛ばされて、クレーター外に盛られた黒い砂の地面。そこで急に砂が上に飛散し、ひょっこりと顔だけが出てきたではないか。
「君たち! ストロベリーなところ悪いけど! いい加減! 助けてもらえないかネ!!」
ドミニク伯の丁寧な懇願に苛立ちが混ざった声。
目は血走り額に青筋が浮かんでいた。
未だ簀巻きのまま自力で脱出が不可能のドミニク伯の救出へ、三人は年上に叱られ急かされた足取りで駆け出したのであった。
(消えたんで休もうかと思いましたが投稿できました)