29 魔導剣
黒い砂のクレーターにて、立花颯汰は歩みを止めた。左腕にある漆黒の籠手を前にかざし、黒い瘴気を現出させる。靄は無貌の顎を模っていながら不定形のであるように揺らめいていた。
『情報取得完了。作戦内容、把握――。
回答――敵性・自律型機動兵器の排除及び殲滅において、残存魔力量から雑ながら当作戦は有効であると判断。
以上の事から作戦行動に必須である本デバイス:『霊器ボルティセ』の解析作業を開始』
黒獄の顎から機械的な声が響く。颯汰は口に出していない、これからやろうという無茶な策を、これに読み取らせた。颯汰が左手に持ち替えた剣の柄に、腕と重なった――幻覚の如き薄い黒靄が噛みつき、剣の霊器の解析を始める。
『――……雑とは自分でも思うケド、改めて指摘されると腹立つな』
理解しつつも、自分以外のものに欠点やら何かを指摘されれば面白くはないものである。颯汰が不満を口に漏らしたが、瘴気の顎はそれを無視し霊器の解析を終える。
『解析完了――。
警告。当該器のままでは注ぐべき量の魔力に耐え切れず、作戦行動中に破損する確率が86%
推奨――当該器に対し強制接続。
また、システム掌握までに援護の要請を提案』
無機質な音声に問うでも答えるでもなく、颯汰は自分の肩に乗っている白き龍の子の名を呼ぶ。
『シロすけ!』
「きゅぅう!!」
名を呼び、目と目が合っただけだが、聡明なる龍の子であるシロすけは自分が為すべき事を理解して、飛翔する。顔の下半分を覆う仮面の内側で『頼んだぞ』とそう口が動いているのを知覚した者は誰もいない。当人でさえ無自覚である。
家族の一員となって久しい龍の子が飛び去ると、颯汰は一度目を閉じ呼吸を整えた後、目を見開いて瘴気に命令を下した。
『接続!』
颯汰が右手で銀剣を宙に投げる。上空で回転する剣に次は左腕を向けると、実体を持った瘴気たる黒獄の顎が伸びてその柄に喰らいつき、
『強制接続:開始――』
より深く、霊器の侵食を始めた。
敵対者たちが急に訳の分からぬ行動を取っていたため、それの意図や効果を観察していて動かなかったがシロすけが飛んできた事に機械たちが反応を示す。
突如、地面から這い出た謎の蜘蛛型の機械群は、明確に生命に対する殺意を持って攻撃を仕掛けてきた。仙界の龍も例外ではないようだ。
鉄蜘蛛の一体は完全に機能停止したが、未だに八体の怪物が死をもたらさんとしている。
羽ばたく白い翼をもつ龍に、鉄蜘蛛の赤く光る八つの目で捉えるが、至近距離で暴れるもう一人の敵――使徒たる闇の勇者が縦横無尽に躍り出て妨害をする。
先ほどから少女たる勇者リズが囮を担っているが、勢いは衰える様子はない。それどころかさらに動きが良くなっている。
――なんだか、ぎゅっとしてから元気が湧いてくるような……ハッ!!
声を失った少女は、つい先ほど立花颯汰に自身の声が――心の中に思った言葉が悟られたように届くという謎の現象が起きた事をすぐさま思い起こす。
鉄蜘蛛の脚による刺突や薙ぎ払いを避けつつ、恥ずかしく思い、慌てながら視線を庇護すべき対象に向けたが、当の颯汰からは特に目立ったリアクションがない。
その場から動く事なく目の前に浮かんだままの剣に手をかざし、注視していた。
心の声が聞かれなかったのだと安堵しながらも、逆に伝わらなかった事に若干不満感を滲ませた乙女心の複雑さを形容した微妙な表情を一瞬だけ浮かべたリズ。ゆえに横から命を掠め取るように迫った鉄蜘蛛の脚に対し、僅かに反応が遅れた。掻い潜り、寸で回避に成功したが直後に襲い掛かる粘弾。
冷徹な機械兵器が、敵が動揺している事もその理由もわからなくても、ほんの些細な動きの低下は数値で計算され、そこから判断できる。
多方向から猛襲する槍の如き刺突を、薙刀のように砂を巻き上げて振るわれる猛撃を、宙を舞うように後方へアクロバットにその場を離脱するリズであったが、着地地点に既に罠が仕掛けられていた。まさに蜘蛛の巣状にネットが張り巡らされていたのだ。
もしも、この殺戮兵器たちに感情という欠陥が――もし表情という余計な機能が備わっていたならば、きっとほくそ笑んだ事だろう。
では相対する少女はどうだろうか。
口数は一切ないものの、感情という知的生命体にはなくてはならない大事なものは備えている。
幼き日に欠落しかけたが、周囲から注がれた愛情により失わずに済んだ大切なもの。
だが彼女は平静であり驚きすら表情に現れていない。その答えはすぐわかる。迫る烈風と気配から焦りを微塵も感じていなかったのだと。
《っと!》
宙返りで踏みしめるのは粘着物でも砂でもない。
龍の子がその両翼で生み出した風の魔法――新緑の円盤にリズは乗った。
直後に荒ぶる風のボードを自分の脚のようにリズは操り発進する。地上から三十メルカンほど浮かんだそれは風の力で進んでいく。生成する時にだけ魔力が必要であるが、一度生成すれば自ら発した風とさらに周囲の風を取り込むことで術者が解除しない限り、半永久的に動き続ける事が可能な代物。
接近する敵に対し鉄蜘蛛は相変わらず脚を振り回すが、柳の如きしなやかさに触れる事は叶わない。
《えいっ!》
風に乗って加速して動き回り、敵の一体の目の前で緊急停止したリズ。円盤の後ろ部分に置いた左足に、体重を掛けるようにしてボードをやや立てる。それは顔に砂を掛けるなんて生易しいものではない。ボードの荒ぶる風が砂を巻き上げ、頭部にあるカメラアイ目掛けて多量の砂が飛んできた。砂塵が敵の視界を奪い、吹く風よりも自由で軽やかに敵を翻弄する勇者リズ。
無防備であった颯汰を襲おうとする鉄蜘蛛は勿論いたのだが、リズはそれらすべてを阻む事に成功していた。
『接続完了。システム正常動作を確認。
刻印、上書き。
拘束具、強制解除を確認』
黒い瘴気に掴まれ、宙に浮かぶ銀の剣。
鍔の宝石のような装飾物に浮かぶ刻印こそ、精霊を内部に閉じ込める《檻の刻印》と呼ばれる呪物であるがそれが硝子の如く砕け散る。すると剣に薄っすらと青い光に包まれるのが目視できた。
精霊を閉じ込め魔法を放つだけの道具にするだけではなく、性能の向上の助けにもなる刻印でもあるが、あえて外す。それは対価であった。
浮かぶ剣の柄を、飛び掛かる勢いで颯汰が左手で掴み、強く短く叫んだ。
『やれッ!』
『承知。システム起動――
第五拘束、限定解除』
銀の光が背中の傷口から後光のように漏れ出すと、それは始まった。
両腕部を包んだ籠手が光に還り、霧散すると、次は両脚部を包むブーツも消え去った。……否、全ては一ヵ所へ集め始めたのだ。
『ぐッ……、ご、ぉぉおおッ……!」
颯汰から苦悶の声が漏れる。全身に電気が奔るような痛みがあった。生身では耐えられぬ負荷を軽減し、抑えるための器具を担うそれを剥がせば、多少弱めているとはいえ肉体に影響がある。
伴う痛みに歯を食い縛っていると、次は半面が消失し、颯汰の全身が闇色に包まれた。
瞳が蒼く、鬼火のように揺らめき、目から頬にかけて回路のような亀裂が枝分かれしている。
懸命に堪えて殺す――声にならぬ叫び。
空に向かって吠えそうになる。
ついに、身を包む装甲が剥がれ出した。
足元から濃紺の闇が剥がれ落ち、光に溶ける。
「――あぁッ……!」
ガクン、と力が抜けて、颯汰はそのまま前のめりに倒れそうになったがなんとか堪える。
元の姿――あどけなさが残る小さな少年の姿には戻らない。まだ十代後半の背丈を維持していた。声の調子も変わらぬが響き方が先ほどまでとは異なりエコーが消えて、聞こえるようになった。颯汰は顔を少しだけ上げて、上目で睨み付けるように前を見据える。
魔力の流れの変化に気づいたのか、鉄蜘蛛たちは優先すべき排除対象を変え、そこへ光線を次々と発射しようとした。だがどれも颯汰を捉える事はない。リズが阻止し、さらにいつの間にか黒豹が――獣刃族のシトリーまでが乱入し敵機の邪魔をしていた。
それでも敵は八体。一斉にターゲットを一つに絞られると、さすがにこの二人であっても全てを押さえるのは無理があり、二、三本の光線は颯汰に向かって飛来する。直撃すると思われた光線が、当たる寸前に浮かび上がった青い光の障壁。それが光線を防ぎ、光を吸収したように波を打った。
謎のバリアの存在に敵味方問わずに驚く中、剣に注がれた災厄の力が目を覚ます――。
颯汰が掴んだ剣を上向きに掲げて、そっと左手を放すと、剣はほんの少し上へ浮かんだ。
柄から剣身まで銀色の剣が宙で動きを止めると、その柄の頭にある瘴気の塊が形を失い、ただの黒い靄へと姿を変わる。一瞬の間の後、勢いよくそれが銀剣を蝕むように闇が包み込んだ。
下からばっくり口を開き両端から喰らうように瘴気が踊り、剣を円形が覆う。
球体を模りながら高速で回転し、僅かな亀裂が奔り強い銀光の煌めきが漏れ出ている。
最後に全体が銀に輝くと『魔剣』は完成した。
それは独りでに向きを変え、颯汰の前に落ちた。砂の地面に深々と刺さる銀剣は、颯汰が身に包んでいた“獣”の力たる《デザイア・フォース》を注がれて変貌していた。――彼らは銀剣に改造を施したのだ。
颯汰が疲労を隠せない顔で、必死にその剣に触れて、持ち上げた。
銀で何か文字が書かれた剣身は黒く、柄に対して短く見える。元の剣よりも短いかもしれない。
颯汰がその変化した魔剣の柄を両手で握り、頭の上辺りから思いきり縦に振るうと、濃い蒼の透明な刃が出現した。元の黒い刃を覆う氷のような結晶が、真なる刃だ。
それは、師である仙界の住人――湖の貴婦人が持つ剣を模したものであった。しかし、あくまでもこれは表面だけを真似た贋作であり、穢れなき聖氷の如き刃には程遠く、またこの改造霊器をもってしても鉄蜘蛛の装甲は貫けないという事も颯汰自身がよくわかっている。
右足を前に出し、オリジナルよりも大きく造られた両手剣を下に構えた。
構えた魔剣は斬るために非ず――。
この造られた魔剣は武器としては使わない。
“霊器”として使う。
黒獄の顎――“獣”と繋がっている颯汰にとって、使い方はもう手に取るようにわかっていた。
時折、自身が知らぬはずの知識がさも当たり前のように備わっている事が、颯汰がこの世界に訪れてから幾度かあった。その情報の出自がこの“獣”であると知ったからには以前よりも不気味さは減ったが、自分の中を勝手に漁られているような釈然としない不快感は覚え始めていた。
その感情は読み取っていないのか無視しているのか“獣”は構わず工程を進める。
『リアクター起動開始。
フルドライブ――神鬼解放、疑似発動確認』
鍔の飾り宝石が青く輝くと、剣全体が纏う青いオーラの色合いが濃く、強くなり始め、触れている颯汰までもがその恩恵を受けて包み込まれる。
『収束魔力規定値をクリア――』
「一気に畳みかけるッ……!」
剣からそっと左手を引くと、手のひらから四メルカン離れてバレーボール大の青く光る二重の円が描かれ、さらに線が組み合わさり多角形や芒星が浮かび上がった。前に掲げたそれに右手で擦るように触れ、交差する両手――古の文字が刻まれた青の魔法陣としてそれぞれが形成された。
両手を使い大きく半円を描くようにそれぞれの手を動かすと、残光が線となり、両手の陣が消滅すると同時に魔剣の後ろに巨大な魔法陣が現出する。
霊器が媒介となり、体外魔力や詠唱の必要はない。
「『タイダル・ウェイブ』発動ッ!」
『承認、術式起動準備完了――
オーバーデザイア……』
魔法陣が放つ燐光が眩しく光り始めた後、誰もが自身の目を疑う現象が起きた。その不可解さと美しさに多くの者が動きを止め、呼吸すら忘れる。
砂に刺さる魔剣の前に、雄々しく羽ばたく姿を見せる青い角鴟。
羽を広げた猛禽類――半ば透けている身体に羽角を持つ青い梟雄こそ、剣に閉じ込められていた水の精霊であったのだ。
地上では体外魔力不足により顕現が出来なくなってしまった精霊――。
この場に居合わせた者たちの中で、颯汰以外は初めて精霊を目にした事となる。
魔法陣と共に青いシルエットはすぐに光に解け、残る魔剣に手を伸ばす立花颯汰。
アンノウンの出現にエラーを吐きつつ警戒対象を排除しようと鉄蜘蛛は絶えず赤い光線を放つ。
引っ手繰るように掴み取った剣で飛来する光線を縦一閃、横一閃と弾いた後、颯汰は剣を逆手に持ち替え、叫びながら再び地面へと突き刺した。
「廃滅の、魔導剣ッ……! 行っけぇぇえッ!!」
青く輝く魔剣――廃滅の魔導剣。
突き刺した剣と黒い砂の隙間から凄まじい音と共に溢れ出す――水だ。
絶え間なく噴き出す波濤の如き激流は、氾濫した河川、掘り起こされた間欠泉、あるいは決壊したダムのような勢いで荒れた大地を潤し、浸す。
残り八機の鉄蜘蛛を一網打尽にするべく第一手が、今、打たれたのであった。




