26 風の行き着く場所
崖の下――広々とした土地が、穿たれた穴となったそんな場所から這い出た奇怪な物体。
それは金属を纏う蜘蛛型の――正真正銘の機械であり、明確な殺意を向けて襲い掛かって来た。
その頭部にある複数ある赤く光る瞳で“敵”を捉え、口は獲物を喰らうためではなく、拘束するために粘着質のある蜘蛛の巣状のネットを放つ。何発も白い粘つく粘着弾を浴びせ、対象を行動不能に陥らせて、後体の部分からは蜘蛛の糸の代わりに光線を発射する機構が備わっている。主にそれで対象を殺すのだろう。
“敵”を殺す――。
しかし、それは何のために?
記録では、捕食した様子は一切ない。
ただ冷たく、殺意を振り撒く機械だ。
生きるためではない。
楽しむためでもなく。
“鉄蜘蛛”は生者を殺す。
彼らは殺すためだけに生きていると言えよう。
狂っているのか、そう設計されていたのか。
壊れているのか、はたまた正常なのか。
誰が何のために造ったのか。外見が真新しさは今もなお、製造されているからか。
その答えを今、知る術はない――。
「ひいいい!!」
黒い蟻地獄のようなクレーターから九つの、命を脅かす光が灯される。
黒く変色した砂から這い出た純白の“鉄蜘蛛”たちは合計が九体となった。
全機体がイレギュラーの排除に動き出す。
蜘蛛と言うよりか、蠍のそれに近い格好で光線の発射口を展開し、エネルギーを溜め始めた。
開いた五つの花びらの真ん中に収束する光。
『……――!』
立花颯汰は考えなしに崖から飛び込んだ。
事実、あのまま何もしなければドミニク伯は哀れにも鉄蜘蛛に殺されていただろう。
だが現状では終わりがほんの少し伸びただけ。
救出に降りた偽りの魔王たる颯汰も、マルテ王国の実力者であるドミニク伯も鉄蜘蛛たちが吐いた粘着ネットを大量に浴びて、態勢を崩せばそのまま中心に転がり落ちてしまう簀巻き状態である。
※ちなみに颯汰が脚を下に向け、ドミニクが頭が下に向いている形だ。
全身が拘束されているドミニク伯と違い、颯汰は右手だけが自由である。懸命にドミニク伯が落とした双剣の一振りを拾い上げようと手を伸ばしているが、砂や空を掴むばかりであった。
自然界では馴染みのない音と共に、光はどんどん強まっていく。そして黒い砂地から全てが真っ赤に染まっていく。目の前が一色に変わるほどの眩しさ。敵も味方も、自分自身すら見えなくなるほどだ。
轟く発射音。九つの発射口からそれぞれ、赤い光線の弾丸が放たれる。
絶体絶命の状況下――。
ドミニク伯は思わず目を瞑り、
『…………!』
颯汰が気配を感じ取り、視線を上に向けた時だ。
風が哭いた。
偽りの王の頬にそっと触れる覚えのある風。
だが他の多くのものは畏怖を感じる冷たき風。
荘厳なる王者が纏うべき風であった。
そしてその直後、遠い空から星が落ちる。
紫色の流星が真っすぐと地面に突き刺さるように、浮かぶ雲を裂いて降り立った。
迫る九つの光は、永遠に届くことはない。
それら全て、降り立つ“剣”に防がれたのだ。
『あ……』
颯汰が短く声を出す。
その後ろ姿に見覚えがあった。
揺れる二本のマフラーと菫色の髪。空から降りたため四つの帯が逆立ったのがゆらりと落ちる。
落下と同時に振るって六発を弾いた後、両手を開くようにして放った双振りで残り全ての光線を叩き落とす。
降りた少女の手には不可視の双鎌剣――。
星に与えられた命の具現化である“星剣”だ。
自ら放った光線が反射し、鉄蜘蛛どもの装甲が焼ける。疎らに飛んだ光は砂地や崖の壁と、鉄蜘蛛三体ほどに命中したのであった。その勢いで後方に押され、敵機が同士がぶつかり合った。
風が鳴く。
浮かんだ砂塵をすぐさま取り払う剣風。
だが唯一人だけは優しさを覚える涼やかな風。
造られし王者を護ると誓った風であった。
そしてその直後、少女は振り向いた。
『…………!』
目と目が合う。普段ならば咄嗟に目を背ける情けない男であるが、この時だけは彼女の視線を受け止める事が出来ていた。
『何故』という問いが驚きの余り出てこない。
じんわりと感じる熱――。それが安堵の感情であると颯汰はすぐに理解ができないでいた。
だがすぐに思考を中断せざるを得ない状況に変わる。どこからともなく声が響いた。
「きゅ!! きゅう! きゅう!」
上空から可愛らしい興奮した鳴き声。聞き覚えがある声に颯汰が反応して上体を起こそうとした途端に、それは矢のように突っ込んできた。
『ちょ、まっ』
「きゅ~~!」
制止を振り切り、簀巻きとなった颯汰に最高速度でスキンシップをしに突っ込んだ。
起こした身体が一撃で斜めになった砂地に打ち付けられる。
『げふっ』
「きゅう! きゅうぅ~~!」
後頭部を打ち付けた颯汰の顔を覆うように――細い身体と手足と両翼……全身を使って抱きしめて歓喜していた謎の物体であったが、
「……ぎゅぎゅぎゅ……きゅう」
左腕と顔付近を固定した粘着ネットに尻尾が引っ付けば、絡みつくのは道理であった。ジタバタするが取れず、粘着物が餅のように伸びた。
横たわる颯汰の真上で翼をばたつかせて必死に剥がそうとし、付着した面積が小さいお陰ですぐに剥がせた。
『ッォ!』
だがその代償として、粘着ネットが外れた反動で小さき物の身体が宙でぐるりと回転する。その尾が颯汰の顔面を掠めた。
『……感動の再会ありがとよ。お前ならきっとどこにいても来てくれると思ったよ。シロすけ』
「きゅーきゅきゅ~」
声にならない叫びをあげた後に痛みに悶えた後に、置いてきてしまった龍の子の名を呼ぶ。
白いしなやかな身体に羽がある幼龍も再会を心から喜んでいる様子であった。
それを見て、微笑ましそうに思わず笑う少女。だが余韻に浸る間を与えてくれそうにない。
「――……ジジ、……ビビ……」
鉄蜘蛛からノイズ混じりの電子音が響く。まるで本当に生きているような、生物らしい動揺した反応を示し、仲間と信号による交信を始めていた。
少女が一瞬、颯汰の顔を見つめる。
視線に気づき反応してそちらを向いた時には、少女は正面を見据えて、慈愛が籠った瞳は相手を射抜くような鋭さを持って駆け出していた。
アンノウンの出現に混乱する鉄蜘蛛たち。
敵か味方か判別する前に、紫星が動き出す。
砂を蹴って跳び上がり、一気に距離を詰めた。
二ムート強ほどの巨体に対して少女は何の恐れも迷いもなく飛び掛かる。
反応が遅れた鉄蜘蛛の、並んで光る目のすぐ後ろの焼き傷に突っ込んだ不可視の剣。
刺した剣を掴んだ右手を軸に空を舞うように側転しながら、傷口にもう一刀を差し込んで、一気に切り裂いては巨蜘蛛を飛び越えていく。
胴が裂かれた機械はバチバチと電気を放ちながら、瞳の赤いランプが点滅し、停止したと同時に機能まで止めたのであった。
それを一瞥もせず、少女は既に次の敵を見据えていた。
動き出す敵機は粘着弾を吐き出すものの、少女は砂上を滑り、身体を伏せて鉄蜘蛛の下を潜り抜けた。その際に砂に埋まりつつある脚部に向けて双刃を振るったが、金属音が響いた割には目立った傷は付かなかった。
下から飛び出た直後、別の機体が脚部――先端が鋭利な物となっているそれを突き刺してきた。
砂に左の剣を刺して減速し、敵の攻撃のタイミングをずらした。右手の見えない鎌型の刃を敵機の脚に引っ掛けて方向転換を図る――柱に手を掛けてグルグル回る要領で加速し、危機を脱した。
敵機の多数が胴体を下げて対策を取ろうと動いた。下を通させまいと牙を開くが、少女は双剣を投げ捨てた両手で砂地を突くと勢いと腕の膂力で跳び、放物線を描いては敵機の上に飛び乗った。
「お、おぉ……」
突如現れた謎の少女が敵機を翻弄し善戦をしているように映り、嘆声がドミニク伯から漏れ出た。
まるで舞を踊るように攻撃を躱しては蜘蛛の上や砂の斜面を縦横無尽に駆け抜けて、敵の攻撃を防ぎ、反撃もきちんと行っている。
徒手に映るが何やら武器らしきものを現出させている――自らが持つ聖剣とは異なる奇蹟を有するのだとドミニクは勝手に解釈をしていた。
だが、決定打が足りない。
敵の装甲が堅く、簡単に傷が付かない。
あの少女の剣でだ。
光線の反射で生じた傷も、今しがたやっとの思いで付けた攻撃の痕も、装甲の内側から噴出する煙に当たると修復され始めている。
近距離戦となり、光線が放てなくなった鉄蜘蛛が取る選択は鋭い脚による刺突に限定されているが、手数が多くしかも当たれば命がない。巨体を近づかせ逃げ場を奪われ、少女は敵の胴体に乗っかる。敵機を踏みながら足場を変えて攻撃をするものの、やはり深いダメージが見込めなかった。
「!!」
様々な箇所に攻撃を試みていると光線が撃たれる。上ならば同士討ちにならない角度で攻撃できると判断したのだろう。斜めに飛ぶ赤い光や挟み込むような小癪な技まで使い始めた。
素早く砂地に降り、また迫る脚を回避して別の一機に登ろうとした時である。
着地の隙を狙って鉄蜘蛛が口から物を飛ばす。またもや粘着弾かと思ったが違う。口から糸を吐いた。粘着弾以外にも糸まで吐ける機能まであるようだ。
それが不可視の剣ごと絡み付いた。ぐるぐると白く一見すると羊毛か綿菓子の類いにも似ている。粘りつく不快感が剣と腕を掴んで離さない。
さらに両脚にも絡みつき四方向で自由を奪う。
ただでさえ足場の悪いクレーターの砂場である。糸を断ち切れるとしても四肢を拘束されれば、どんな猛者であっても僅かばかりでも遅れが生じるものである。そこへ鉄蜘蛛たちは追撃を始める。確実に対象を仕留めようと尾を伸ばし、光線の発射口を展開した。
しまった、と思った時にはもう光は放たれる寸前であった。耳障りな高音に禍々しい赤い光が発射口に溜る。一度手に持っている双鎌剣を霧散させ、再度現出させる暇はない。
襲い来る殺意に少女は目をギュッと瞑った次の瞬間――、
『――イグニション!』
蒼く薄暗い色をした炎が昂り、飛翔した。
『蒼炎の衝鎚……ッ! ぶっ飛べぇええええッ!!』
少女が時間を稼いでいる間に、簀巻き状態から脱した立花颯汰が溢れる感情と力を振り絞って敵を殴りつけた。
蜘蛛の後部で尾の付け根辺りを真横から、無影迅で加速してさらに手甲のジェット噴射で殴ったため敵機は物凄い勢いで回転しながら他の機体を二機ほど巻き込んでごろごろと転がっていく。バチバチと火花を関節の間や穴の開いた箇所から発生させながら中破していた。
その間に少女は剣を光に還し、逃れた瞬間に剣で糸を切って脱して敵機に攻撃を加えていた。
『大丈夫か!?』
叫ぶ颯汰の右手にはドミニク伯が落とした銀剣。
柄の頭に四角い物体――飾りと呼ぶには無骨で用途がイマイチわからない物が付いている以外は普通の剣であった。柄よりも大きく、成人男性の握り拳二つ分ほどでずっしりとした重さがある。
『――ハァッ!』
両手に持ち直して鉄蜘蛛を斬りつける……というよりも鈍器で強引に叩いているようにも見えた。ドミニク伯は聖剣と呼んでいたが、普通の剣かそれよりも切れ味がよろしくない。
『やっぱ金属なんて、剣じゃあ斬れないわ……』
敵をだいたい一箇所に追いやって、そう零しながら少女と合流を果たす。
そこにいるはずのない少女――。
彼女は王都バーレイにて“死んだはず”であった。
それも迅雷の魔王の攻撃から、颯汰を庇ってだ。
格好に変化は見られない。ホットパンツから覗かせる白い足も健康そうであり、腰から伸びる後ろだけ長いスカート部分や胸や臍を覆う特殊な生地も各部位の魔力装甲も健在である。
再び大丈夫かと問う颯汰に対し、少女は肯く。
『本当に……、リズ……、勇者、なんだよ、な……?』
雷の魔槍による明らかに致命的な一撃であったはずなのに、ここにいる少女。
颯汰は恐る恐る質問を口にし終えた直後に、彼女に答えを聞かずに臨戦態勢に戻る。
今すべきなのは彼女が何故生きているのかを問う事ではなく、この危機的状況を乗り越え、生き延びる事であると考えを改めたのだ。
『いや今はいい、か。さっきはありがとう。それより今はこのロボットたちだ。あ、でも大丈夫。もうちょっと粘れば“王さま”が……紅蓮の魔王さまが来るか――……ら……』
闇の勇者であるリズは静かに近づき、敵機体がまだ完全にスクラップになっていないのに彼女は、ただ感情のままに己を振るうと決めていたように動いた。
颯汰の言葉が驚きの余り、途中で止まり、語尾は消え入るように小さく弱々しくなっていた。
それは、まさに不意討ちであったと言える。
普段なら警戒し回避していただろう強大な一撃を、そこにいないはずの恩人である勇者リズがいた事で、颯汰がその行動に対して反応が遅れたのは無理がないとも言えなくない。
身体が熱くなる。精神も熱を帯びる。
焦りは当然あるはずなのに、一瞬どこか他人事のように思えて、目の前の状況と乖離する。
上から見ていてファラスも、異様な気配を感じて単身で戻って来た命令違反者のシトリーも、ドミニク伯も思わず目を剥く光景であった。
『………………えっ』
「…………」
少女は再度、徒手となり、颯汰にそっと近づいて――正面から抱きしめ始めていたのだ。
「――……ガガ、……ビビ……ジジジ……」
吹き飛んだ鉄蜘蛛たちからノイズ混じりの電子音が響いた。赤いセンサーカメラで捉えた敵方の行動の意図が全く読めず、エラーを吐いていた事に気付けるものはいない。
遅れて申し訳ございませんでした。
修正(2019/06/27)
『やっぱ鉄なんて、剣じゃあ斬れないわ……』×
『やっぱ金属なんて、剣じゃあ斬れないわ……』〇
変えたと思ったら変わってなかったので訂正を




