24 真相
悪い夢を見ているような光景であった。
眼前に聳え立った闇色の光の柱。
不安を呼ぶ紫と、全てを呑み込む黒と、激しい感情の赤が混じる破滅の光――。
本能が警告した通り、その柱は何もかもを喰らい、焼き尽くすものであった。
兵たちから湧き出た昂る感情を、沸き立つ熱を、騒めきすらをも消し飛ばす爆風に呷られ、兵や騎馬は、塵のように飛んでいく。悲鳴に怒号、鎧や武器などがぶつかり合う不協和音が響いた後には僅かな間だけ、もの寂しい沈黙が残った。
理解し難い現象――まさに神の御業か夢幻の類いとしか思えぬ光景であったが、穿たれた陥穽は光の柱が凄絶なる熱量を持って目の前に確かに存在していたと証明していた。
逃げ遅れた者はいないが、その余波たる爆風によって転んだ多勢の中――いくら屈強な人族の正規兵とはいえ、当たり所が悪く意識を失う者も出ていた。幸い、死者は出ていないのが救い……とは言えぬ状況だ。光を放った“魔王”の言葉がこう続いたからだ。
『即刻兵を引き上げマルテへ帰り、王に伝えろ……もし、抵抗するならば――』
響くは代弁者たる鬼人の声であるが。
“魔王”はもう一本、先ほどよりも巨大な魔槍を既に作り上げ、再度撃ち放ってみせた。
そして今、なだらかな地平の彼方に着弾し、立ち昇る光が伸びては幕となるのが見えた。
『マルテの王都に、この神の裁きを下す!!』
遠き空を、森林を、連山を覆い隠す魔性の光。
明らかに先ほど放ったものより範囲が広がっており、またそれが矢よりも遥か遠くへ放てる事を証明して見せたのだ。同時に、先刻の一撃はかなり加減したモノでありわざと当てずに済ませたものであるとも物語っていた。
兵には無駄口を発する余裕は残されていない。三つに分かれた一万の軍勢に、強い衝撃が物理的にもあったが、何よりも精神的に癒えぬ傷痕を深く刻まれる羽目となる。
あまりにも埒外な出来事に思考は固まり切っていたが、大いなる畏怖――更に“魔王”の手にエネルギーが集まっているのを見て、兵から慄きの声が、恐怖が伝播していく。
「う、狼狽えるな! 者ども! 静まれー!」
呻きを漏らす兵たちを叱咤する指揮官たち。
恐れ、震えが止まらない。兵たちの士気は一気に砕かれる。潰走しないのはマルテ王国の正規兵というプライドではなく、ただ恐怖で足が動かないだけだ。
「ドミニク様、どうかご指示を!」
指揮官の一人が、ドミニク伯に指示を仰ごうとしてウマで近づき声を掛けたが、八の字髭を震わせながら戦慄くドミニク伯はそれが聞こえなかったように、声を大にして崖の上に立つ“魔王”に対し問う。
「馬鹿な……! 馬鹿な!! 我が国を潰す、と!? そんな事をすれば、貴方が欲しがっている獣刃族と、その王たる“黒真珠”ごと――」
『我のモノとならぬのならば、滅ぼすまでだが』
余りに冷めた、独尊的な返答に絶句する。
すぐ傍に獣刃族の黒豹がいるというのに、自分の配下にならないのならば滅ぼすと言いのけた。およそ人の情というものを感じられない。
もはやアレは、人ではない。強大な力の代償に、心というものを持ち合わせていない――あれこそ人外の者であり、魔王であり、無辜の命すら平気で貪り喰らい尽す邪悪であると理解した。
これは交渉ではなく、脅迫だ。
獣刃族の砂の民の返還なぞドミニク伯の一存で決められる事柄ではないが、“魔王”の言う通り一度撤退するのが賢明であろう。この場を退き本国でどう対処すべきか話し合う事は出来る。
「ぐっ……ぐぬぬぬ……」
選択の余地は元よりない。国も、王も、神託士もあの光を見た事であろう。他の貴族の穀潰し共に文句や嫌味は言われるだろうが、
「…………。全軍に通達」
「通達!」
ドミニク伯の言葉を伝令係が大声で復唱し、
「退却、する! 撤退準備を――!」
「撤退準備――!!」
苦渋の決断をした。一万の兵たちはハッとなり、伝令を復唱し始める。
『王への使者としてこのシトリーめを遣わせる。我が書いた親書と共にだ』
“魔王”の代弁者たるファラスの尋常じゃない大声が続いた。
『万が一、返還を拒み――我が同胞に傷でも付いた場合は、それ相応の報いを受けてもらう』
念押しとばかりに三度目の魔槍を現出させては穂先を向けて脅す。慌ただしく兵たちは倒れている仲間を起こし退却を始めた。
マルテの正規兵たちの足取りは泥濘にはまったように重く、または悪い夢にうなされた面持ちのまま去り始めようとしていた。負傷した仲間を庇いながら、まだ覚めぬ夢に穢された誇りを引きずって、捜索隊は蒼惶したまま帰路に就く。
その様子を、二十ムート弱の崖の上から恐る恐る見下ろしながら偽りの王――立花颯汰は小さく本音を呟いた。
『よっし、さぁ帰った帰った』
耳朶を越えて反響する声には緊張から解放された安堵感が満ちている。
そう、これらはあくまでも威嚇行動である。
「効果てき面でしたな。我が神」
通常の声量で問いかけるファラスに対して労いの言葉よりも先に出たのは小さな文句であった。
『……変なアドリブ入れるのやめてくれません? 「神なるなんちゃら」とか「神の裁き」だとか」
打ち合わせと違う。無論、彼の地を揺らすような低さのある大声と迫力のお陰で威厳ある悪役を演じられ、敵方を騙すに至れたと言えるのだが、颯汰自身はそんな大層な役柄など御免であるし、宗教関係者が聞くだに助走して殴りつけるような“神”なぞ僭称をしたつもりはない。
「これは申し訳ございませぬ、神よ。私のような蒙昧な者では、咄嗟にあの程度しか称える事ができませんでした……!」
そして立花颯汰を心酔している鬼人族の男は礼儀正しいがやはり人とどこかズレていると短いやり取りで颯汰は気づいていた。
『いや、そうじゃなくて…………まぁ、いいや。二射目の調整で本当、疲れたし』
「お見事でした。我が神」
調整――そう、一発目に放ったものは範囲を抑え、誰も巻き込まず死傷者ゼロを目指した威嚇射撃と言える。王女の前で自国の兵が無残に惨たらしく死ぬ姿を見せたくないという甘さからの威嚇だ。
そして二発目の広範囲のモノは言うなれば偽装だ。
確かに光の幕が一面に広がっているが、先ほどの颯汰にも、およそ十数クルスもの範囲を焼き払うほどの魔力などあるはずがない。
それこそ迅雷の魔王を討った時のようなありとあらゆるエネルギーを吸い上げなければ、地形を変えるほどの砲撃は放てない。鬼人族たちたかだか三百名ほどでは足りぬのだ。
紅蓮の魔王は『敵が魔王ではないならば手を貸さない』『民たちの力で乗り越えろ』などと言い、昨晩に出力調整の練習では分け与えてくれた魔力を、本番では与える真似を一切しなかった。無限に魔力を生む《王権》を内に有している癖に薄情者――とはいえ、何故かそれ以外に作戦の提案や司会進行役を担い、また遠くへ飛んで合図を送るなど、十二分に働いていたと言える。
そこで二発目は範囲を横に広げ、縦に狭めるようにして調整して射ったのだ。直前で光の柱――円柱状に伸びたそれにより焼き払われる天幕と抉られたクレーターを見せられた彼らは、遠くに映るそれも同じ円柱として捉えた。
本当は数メルカンほどの薄い線が天上まで立ち昇っただけの『ハリボテ』だ。
柱が“円”ではなく“幕”として横に広がっていただけだなんて、少なくとも敵陣営側で誰も想像すら出来ないであろう。聡い者がいたとしても、衝撃を与えて思考する暇を与えずに、迅速に追い詰めて、要求を通す。少ないエネルギーで効率よく敵を騙し、撤収させたのである。
他種族と比べると短命で魔導に対し蒙い人族の国であるゆえに、この光景を目の当たりにすると効果が絶大であった。
昨晩に紅蓮の魔王に扱かれただけの成果はあったが、かなり神経をすり減らすほどに集中しなければならないので実戦では不向きであり――喋るのと時間稼ぎを他者に任せなければならなかった。
「お疲れさまー」
労いの言葉をいう黒豹化したシトリー。
『ん。じゃあ、頼むよ。脅したけどキチンと返還に応じないかもしれないから、その時は俺をダシにしてでも上手く立ち回って、ヴィネって人と仲間たちを連れて脱出するんだ』
颯汰がシトリーに向かって言う。無論、他国にいきなり攻撃するような真似をするつもりはなく、また今の自分が近づけばより相手を刺激してしまうおそれがあるため、用意した親書を持たせて、脚の速い砂の民の面々で解決すべきだと紅蓮の主張に賛同していた。
「………………あたし抜きじゃあ、ダメぇ?」
首を傾げる黒豹。甘えた声だが見た目がしなやかとはいえ黒豹だと一種のホラーのようだ。
「いや次期族長で実力あるんでしょ? ダメだよ。責任もって仲間を連れてきてください」
この偽りの王も浅はかながら計画があり、砂の民の解放と王都バーレイでの合流を望んでいた。
「ぶー……ま、仕方ないか。じゃあね、また後で。絶対だからね!」
文句を言いつつ先に歩いている豹の一団を追いかけ、崖の横へ進み、降りれる足場へ向かっていった。
その背を見つめた後、ファラスの手元からよろよろと離れた王女ヒルデブルクの方を向いて言う。
『これで良いでしょ? 王女さま』
「………………えぇ、褒めて差し上げますわ」
耳栓をしたとはいえ、大声の直下であり頭がくらくらしている様子であった。
『とりあえず最低三年は身を預かる事になるって書いたけど、気が変わったならば直ぐに帰れるように手筈を整えるから、安心してよ』
前日の協議にて決めた事だ。そう、人質交換なんてする気はない。一方的に因縁を付け領土内を侵入した事実から、およそ払えぬだろう賠償金の提示――代わりの条件として王女の身を預かるという親書に書いて渡すという一種のテロリスト染みた手口を使った。
条件を飲まねば国が光の柱に焼き払うと脅したからに余程狂人でなければ飲むだろう。
王が敵たる“魔王”に屈したという事実が国中に広がれば、プライドから剣を取るやもしれないが、王国直属の正規兵が戦わずして敗走するという事実も明るみになるため、兵たちからその噂が広まる事はないだろう。その以前に、民草も貴族たちも、光の柱を見たからに余計な事を口走らないとは思う、と天幕内で予測できていた。
ヴィネの解放のために人質になる事を望んだ王女であったが、柔らかな光るオレンジの髪を垂らし少し落ち込み気なのは、自分の願いのために大勢の人々を巻き込んでしまったという自責の念からだろう。
「やっぱり、私の我儘で……」
『だからと言って、何とか公爵と結婚は嫌なんでしょ?』
「それは……――」
十三の若い少女であっても王族である事、そんな我儘のために様々な人に迷惑がかかってしまう事を自覚した少女には喜びも覇気もなかった。
庶民から偽りの王に仕立て上げられたばかりで、まだ王の自覚がない颯汰はその重みがわからない。だけどこのまま思い悩んでいる姿は見てられないと思ったからこそ、今は忘れて気楽にいこうと声をかけた。
『気が済むまで、親を振り回すのがいいよ。親子とかそういうの良くわかんないけど、子供に嫌な事を強制するのはやっぱ違うと思うし』
どう慰めても立場も、きっと生き方も異なるから寄り添えぬだろうからそれ以上は深く関わらない――絶妙な距離感を、ある程度把握していたのは傍観者ならではの技能と言えるかもしれない。
『まぁ暫くは、どういう生活していたか知らないけど、また野宿とか続くから覚悟しておいて――って天幕は殆どぶっ飛ばしちゃったな……』
敵を油断、また分断させるために置いた三十以上のデコイは、魔光に呑まれ、既に消滅していた。これも敵に与える印象に、非常に有効であったのだが、今の鬼人たちは立っているのがやっとであり、決めた作戦とはいえ颯汰には得も言われぬ罪悪感が生じていた。
『うーん……。どこかの村で三百人ちょっと分の天幕は売ってないだろうし、宿も大人数すぎるから……少しずつ買うしかない、か』
「問題ありません。神と女性用に予備があります」
『女の人と疲れた人を優先しましょうか。……あれ……? なんであの人……』
大勢の兵の群れが去り始め、土煙が残る坂の上、馬上で一人の男だけ残っていた。大将自ら殿を務めるなど馬鹿げた事をしているわけではなさそうだ。
「要求は呑もう。だがしかし、私も手ぶらじゃあ、帰れない身なのだよネ」
他の指揮官などに手を引かれようが払い除け、その場から動かず、仲間たちには撤退を命じている様子はわかるが、何やら叫んでは腰にある二振りの剣を抜き放ち、切っ先を向けている。颯汰は露骨に嫌そうな表情を浮かべてしまうほど、何を叫んでいるか察していた。
「魔王殿下――私ドミニク・ハイドンは、貴殿に決闘を申し込むッ!」
『うわめんどくさ……』
薄っすらと響く声に、颯汰はうんざりとした顔である。会う人間が悉く戦闘民族思考で嫌気がさしてきた頃、地の下で蠢く物と天高く降り立つ剣の存在にまだ誰一人として気づいはいなかった。
バス酔いしましたがギリギリ投稿できました。