23 脅迫
吹きすさぶ風に砂が流れる荒野。
熱も全て奪い去られたような緊張が奔りながらも静かに滲む汗が額や頬に伝わって落ちていく。
一万の兵が見つめる先にいる黒き王とその右隣後方付近にいる鬼人の一挙一動すら見逃せまいと無意識に集中していた。
黒に包まれし闇の者――“魔王”が言い放つ。
『マルテ中の獣刃族の解放――“黒真珠”ヴィネを引き渡せ』と。
マルテ王国の王女たるヒルデブルクをその手に収めたこれを交渉と呼ぶには些か乱暴であろう。
だが彼の王国も無理矢理、獣刃族の砂の民の王を奪い、人質にして長年の仕えさせたのだから文句はあっても言える立場ではない。
今この場にてマルテ側の最高位にであるドミニク伯の一存では決められない問題であるのだが、それを計算してでの要求であった。
そして――、
「……要求は、理解した」
オッホン、とわざとらしく咳払いをした後、彼は調子を整えて自身の八の字髭の先をこねるようにいじりながら言った。
一呼吸で焦りを消し去ったドミニク伯の態度から、偽王――颯汰は次の行動を予見できた。
――『やっぱりか』。響く偽王の声。
「だが、その少女が本当に姫だという証拠がない! そうだろう、ネ?」
“魔王”を指さしながら伯爵は言いのける。
騒めきが起こり、次第に兵士たちから賛同の声が上がり始め出す。
「そ、そうだ……!」
「ヒルデブルク様という確証は、ない!」
「俺たちが退くわけには……!」
「確かめなければ!」
挫かれかけた士気が取り戻し始める。
そう彼らは雇われの傭兵ではなく、正規兵として選ばれた戦士たち。国の為、大義の為に戦う猛者である。そんな彼らが敵の――正体不明の存在に脅かされ、その要求を簡単に飲むわけがない。
一瞬“魔王”の登場と『王女』が盾に取られたという事実に平静さを失いかけていたが、力押しで解決する問題であるとドミニク伯は見出す。数では敵の方が圧倒しているし、戦えば間違いなく鬼人族三百人程度では一万の兵に勝てるわけがない、と。
だが、意地でも交戦に持ち込もうとする、と颯汰たちも既に読んでいた。
傍らで縛られた王女が声を上げた後、颯汰を見やる。意図を読み取れた颯汰は口の拘束を解放した。どれも簡単に解けるように細工してあるため、その気になれば手足の拘束も一人で解けるが。
ぷはぁ、と緩いとはいえ拘束された息苦しさから解放され、王女が大きく息を吸って叫んだ。
「無礼者! 私を誰と心得えますの!? マルテ王国第一王女ヒルデブルク=マギウス=ルスト=ピークですわよ!」
一万の沸き立つ喧騒の中へ、懸命に叫ぶ声はファラスの半分も出ていない。
それでも高い少女の声であるから、充分に響き渡っていたように思えた。しかし坂の上にてウマに乗るドミニク伯は耳元に手を置いて聞き澄ます態勢をとっていたのだが、
『「……聞こえませんネ~」……と申してます』
白々しくそう呟いたようだ。
小さな声を獣刃族の一人が獣化で向上した聴力を活かし、颯汰たちへ報告した。ファラスが口であれば、この豹は耳の役割を担っていたのだ。
それを聞き、十三の端正な王女は悲しそうな顔となる。それは彼らマルテの軍勢が退かない場合はこの魔王軍――否、この“魔王”が何をするのかは協議で知っていたからだ。
そんな事を知る由もないマルテ側の戦士たちは熱り立ち、心を滾らせ震わせる。
「まずは邪魔者を排除してから王女を確保、という方向で。では全軍に通達!!」
「通達!」
ドミニク伯は王女と面識があり、遠目でもその麗しい橙の髪からほぼ当人であると断定しているが、敵方の言いなりで「はい、そうですか」で帰れる立場でもない。また相手方が人質を取るという事は、やはり交戦を避けたいとい考えていると読み取れたならば、戦えばこちらが有利になると判断し、号令を掛けた。
「全軍、戦闘準備!!」
「戦闘準備!」
猛る戦士達が各々の武器を雄々しく掲げだす。
我らこそが正義の軍勢であり――、
悪逆を成そうとする魔王を討ち――、
姫を奪還する英雄である――と夢想する。
指揮官の指示で一気に爆ぜそうな戦士たちであったが、流れが渡る前に、王は次の一手を下す。
それは決定的なものであり、王もまた、それを成さねば正規兵たちが退かぬと予想していた。
偽王は部下であるファラスに命じる。
鬼人の狂信者はもう一度叫ぶ準備に息を大きく吸い、王は塞がっていない左耳にも耳栓を詰め、また王女の耳栓がない左片耳を塞ぐように手を置く。獣刃族の黒豹たちも耳をぺたりと下向きに器用に閉じながら前脚で塞ぐと、怒声が轟いた。
『愚か者どもめ。あくまで抵抗するか――!!』
圧倒的な力が――、堅い意志、結束した想い、積み重ねた矜持をも踏み躙る。
浮足立つ人族の戦士たちから、発せられた熱が急速に奪われていく。上げていた声すら止み、森閑とした。何故なら、魔導に暗い人族ですら、その奇妙な空気の流れを察知したからだ。
「『――ならば、神たる片鱗をここに示そうぞ』――退け! 人族の戦士たちよ! 死にたくなけば全力でだ!!」
崖の上、“魔王”は真っすぐ立ち、左腕を前に翳した。銀の光の後、闇が噴き出す。
『第ニ拘束、限定解除。
左腕リアクター展開――』
王の左腕から浮かんだ瘴気たる『黒獄の顎』が無機質な声で語る。
その声が聞こえる鬼人達はただ佇むのみ――いや、この場を動く事すらかなわない。
“魔王”が王女をファラスの方に預けると瘴気が実体化し左腕と一体となり、腕の先は貌のない“獣”の顎となった。
さらに左腕の装甲が開き、蒼銀の煌めきを有する結晶体が露出した。
目の前で籠手が異形になる様を見て、戦士たちは声を失うしかない。変形なんて文化は持ち合わせていないし、常識はずれも甚だしい。
『左腕リアクター:起動。正常動作確認――。
出力:ロードライブ。殲滅範囲を限定――』
結晶体の内側から発せられる光輪が回転すると、先端の、顎の間に魔力の塊が形成されていく。
そして、その腕を空に向かってと突き出した。
アンバードの王都バーレイで放った時ように、泥に溶けたエネルギーや地脈からの体外魔力を吸い出す事はない。
既に、体内魔力を貰い受けている。
「「「………………!」」」
腕から噴出される紫色のエネルギーが螺旋を描き、すっと縦へ伸びていく。姿容こそ不完全であるが、大きさは七ムート、充分な破壊力を有する。
そして、三百を超える戦士たちが今立つ事しかできないのは、体内のエネルギーの殆どを、この“魔王”へ託したから他ない。
《迫る一万の軍勢の対処》
《獣刃族の砂の民の悲願》
《王女の我儘と望む幸福》
そのすべてを叶える手段が、この暴挙である。
『形態:投槍――。
予想捕捉人数:0を確認――』
「――ァァアアッ!!」
力強く叫んでいる偽王、立花颯汰の願いは――。
◇
前日、魔王軍・協議天幕内――。
「やるよ……。それが一番、皆が……違う、きっと俺自身が、納得できる答えのはずだから。やろう『黒真珠奪還作戦』を……! 戦わないで、勝つんだ!」
「そして『全て奪う』、か。素晴らしいな。実に“魔王”らしいぞ、少年」
◇
願いは《戦わないで勝つ》という驕りが過ぎるものであった。更に言えば、何かを犠牲にして叶えるのではなく『全部掻っ攫う』と宣言して。
一万の兵をできる限り傷つけず降伏させ――、
砂の民と“黒真珠”を奪い取り――、
王女の笑顔を守る――。
前日、天幕内にて行った魔王軍の協議にて。三百の兵で戦っても勝算はないならば、いっそ最初から戦わせないと取り決めた。一万の軍勢と戦えば必ず双方に犠牲者が出る。しかし、それを王女の前にして良いものかと議論を重ねた結果が、この全力の“威嚇行為”である。
他国の姫君など関わるだけ無駄でドウデモイイと斬り捨てようとしながら、結局は「目覚めが悪い」と言って救う道を選んだ。紅蓮の魔王から甘いな、と言われた際には「隣国だし今後も付き合いあるでしょ」と返す。「早々に元の世界に戻るのではないか」と意地の悪い言葉が浮かんだが、紅蓮は口にせず薄く笑って賛同した次第だ。
『収束魔力、規定値をクリア――。
投擲準備完了――』
紫色のエネルギーが天を衝く槍となる。
この力は多くの鬼人達の体内の魔力等のエネルギーを受け取り造られたモノであり、彼らは今、気合と根性で二つの足を立たせている。
前日、戦いに来た戦士たちに『戦うな』という命令は反発があると思っていたが、ファラスの力説もあり、準備が滞りもなく進んでいった。
きっと中には不満を持つ者もいただろう。何故このような弱そうな子供の命じる事に付き合わねばならぬ、と侮る者もいたに違いない。
力を明け渡すのを躇いながら、周りがやるから仕方がないと流され後悔した者もいただろう。
しかし、今、眼前で振るわれるこの力を目の当たりにした事で考えを改めたはずだ。
「ッ!」
『オーバー・デザイア……――』
「行っけぇッ!!」
鋭い音と共に、掲げた腕から放たれた魔槍は天へ突き進み、空を割って翔け昇る。
矢を空に向けて射たような速度であっという間に見えなくなった直後に煌めき、落下した。
猛然と純粋な力の塊が、破壊の具現が槍の形を成し、真っすぐと崖の下――天幕が張られた広場の中央付近へ突き刺さった。
「そ、総員!! 退避ッ――!!」
ドミニク伯の叫びを聞き、三隊に分かれた全軍に指示が伝わる前に、本能でそこから離れようと皆が動き始めていた。
歩兵も騎兵も全速力で後退する。空から降り注ぐ災厄から、逃れるためにひた走る。ガシャガシャと鎧が擦れて鳴る騒音など気にする余裕などとてもなかった。
瞬間、眩い光が駆け抜ける。
向かい立つ日輪よりも眩い白銀が世界を覆い、次いで闇色の光が屹立する。
耳をつんざく轟音は、ファラスの叫びよりも近いせいで大きく聞こえた。
凄まじいエネルギーの奔流が柱となりその余波たる風が多くの兵を押し飛ばす。草木は葉の擦れる音で一気に騒めき、人々は路傍の石の如く吹き飛んでいく。
ウマで後退しながら光の柱に魅入られるように目が離せなかったのはドミニク伯だけではないが、彼らはすぐにそれが、一度北方に姿を現したモノ――逃亡する迅雷の魔王を仕留めるため、エリュトロン山脈の地形を変えたモノと同じ、紫に黒、赤が混じった色の魔光だと断じた。
規模こそはかなり縮小しているが、それでも眼前を覆うほどの範囲で空の果てまで伸びる柱を――発せられる驚異的な熱量を感じれば、遠い空で見たモノと同じ性質を持つと嫌でも理解できた。
あれも魔王の仕業であったと認めねばならない。
余波たる爆風に呷られ、多くの兵士や騎馬が倒れこむ。頑丈な人族とこの世界のウマならば、これで死に至る事はないが、多少なりとも怪我人が生まれる。
全速力で後退したため、衝撃を受けながらも何とか無傷で脱する事だ出来たドミニク伯が、たっぷり八つ数える頃に消えた光の柱があった地点を見て驚愕に震える。三十以上あったであろう天幕の、広々とした地形は更地どころか、抉れてクレーターが出来上がっていた事も恐ろしい。
同時に視界に入った、その崖の上に立った男を見て、真に恐怖を覚える事となる。
『理解したか? 愚かな人間ども』
ファラスの声。そして偽王の手には先ほどよりも少しばかり大きくなった魔槍が既に生成されていたのだ。もう一射、放てるという事実を突きつけて言う。
『貴様らに選択の余地なぞ、ない』
そうこれは初めから、人質交換を求める交渉ではなく一方的な蹂躙、あるいは搾取であったのだと知る。身体を起こす兵士たちの顔色がどんどん悪くなっていくのが伺える。
『即刻兵を引き上げマルテへ帰り、王に伝えろ』
睥睨する魔王――実は立花颯汰の視線は彼らより僅かに上を向いていた。
遠い平原の向こうの合図が上がったのを見た。
『もし、抵抗するならば――』
東に六クルト(約六キロメートル)先の平原にて、紅蓮の魔王とエルフの女医たるエイルが「周辺に巻き込まれるものがない」と確認し、魔王の火柱で合図を送って見せたのだ。
確認した颯汰は狙いを定め、伸ばした腕を斜めにして魔槍を射ち放つ。
『マルテの王都に、この神の裁きを下す!!』
第二射は角度がついて飛んでいく。ミサイルのように飛んでいくそれは、目標地点に着弾すると先ほどと比べものにならない大きさ――凄まじい勢いで飛んでいくそれを目で追いかけて振り返った数瞬後、空が魔光に覆われる。
東の空、昇る太陽の円盤を覆い隠す陰気な光。多くの者がこの世の終わりを感じた。
「馬鹿な……」
そんな感想しかドミニク伯の口からは出なかった。
長くなったのでカット。
2019/06/03
ルビの修正