20 遭逢
耳朶をつんざく、音が響く。
天も地も覆うような爆音が轟く。
「かああああああみぃいいいいいいいッ!!!!」
雲も大地も空気すらビリビリと震わせる声。
それは遠くにある大きな丘から響き渡った。
小さな黒点のように遠い場所から、それは猛然と近づいてくる。
その発せられた地点に、意識のあるものは誰もが反射的に視線を動かした。
獣刃族の集団が現れた場所とは別の、北方からそれはやって来る。
『……――!』
一人二人ではない。
数がどんどん丘の縁から顔を出し現れる。
何十、何百と兵共が武器を携えて。
その中で先陣を切る大男が戦車から降り、駆け出し始めたのが見えた。
『次は、鬼人か!』
黒き獣――立花颯汰の声が通る。
しかし、天地鳴動の叫びがそれを押しつぶす。
まるで戦争をおっ始めようとしているのか、武装した集団が向かってくる。
先頭を走る鬼人族の大男の声が、大き過ぎて何を言っているかわからないが、真っすぐ颯汰の元へ殺到しているのがわかった。
頭を潰せば潰走するだろう。――そうシンプルに答えを出した颯汰は柏手を打つように手を叩き気合を入れた。のだが、
『………………やばっ、邪魔だこれ!』
そんな大声の中、背には耳をへたりと下げて苦しそうな顔のまま寝ているシトリー。
『くそッ、いやマジか!』
彼女を振り落とそうと身体を揺らし始めるが、脇の下から胸へ両手をまわし離れない。
むしろ抵抗するようにぎゅっと、主張するものを押し付けながら密着し始める。
『………………ッ』
――やるしか、ない……!
颯汰は呪われた装備品を無視し、自由である左手を開き、後ろにやって構えた。
“黒獄の顎”の射程距離まで充分に引き付けて、先手を打つ。相手の戦える距離になる前の奇襲は効果てき面のはずだ。
狙うは狂奔する鬼人――彼は和服のような装いの戦士であった。
他の戦士たちは各々装備も面積も素材も異なるが、基本的に何かしら鎧を身に纏っている中、彼だけが和装で、足には草鞋――即ち特別な存在であると颯汰は瞬時に理解した。
先陣を切る勇敢な戦士――倒せば敵の士気を大いに挫く事になるはずだ、と。
しかしさすがに、その鬼人が軍勢を率いるリーダーとは思いもしなかっただろう。
『もっと、――もっとだ……!』
後ろに回した左腕から発せられた炎は縮み、代わりに開いた装甲の隙間から漏れ出た銀は青白く輝きを、勢いよく放つ。
力を溜めた分、形成される顎だけの瘴気は少しずつ大きくなっていき、制御も兼ねる鎖が一本、一本と造られていく。口を開くことを封じるように何重に張られた鎖はギチギチと伸びきり、ひび割れた。
「――ぃいいいいいい!!」
まだ奇声を上げている鬼人。
――加速した!?
ドタドタと走り来る鬼人族の男の姿勢が低くなり、さらに速度が増す。
敵との距離はもう十ムートもない。
限界まで練り上げ、一撃で潰す算段であったが、タイミングがズレてしまった。
颯汰の口から舌打ちを漏れ、殺意が牙を剥いた。
『――行っけぇッ!』
左手を後ろから前に突き出し、叫ぶ。
以前、迅雷の魔王を相手にしたときよりも貌の無い顎は倍以上大きくなり、薄い靄で出来たそれは口に纏わりついた鎖を解き放ち目標の“敵”めがけて飛んでいく。
直進する幻影は肉に喰らい付く――はずだった。
腕を伸ばし、射出された顎は矢のように素早かったが、鬼人の男はそれを躱す――姿勢をより低くしたのだ。
いや、低いどころではない。
一瞬飛び込むように足が地から離れ、鬼人は膝から着地して、走った勢いのまま地を滑る。
草は疎らで土と砂、石が混じる地面を布が擦れ、汚れるだけではなく、きっと奥にある足も相当痛むはずだ。
舞う塵煙。黒い瘴気の顎が解けて消える。
砂埃の煙幕が消滅すると、
『………………!?』
颯汰は困惑し、意識あるもので、魔王とエイル以外は同じく驚き目を見張る。
それは美しいと言わざるを得ないほど、綺麗なフォームの『土下座』であった。
平身低頭の姿勢で鬼人の男は叫ぶ。
「我が、かみぃいいいい!!」
『!?』
地面に反響する絶叫で颯汰はビクリとする。
言葉の意味も、この鬼人の存在すら意味がわからず頭に疑問符が幾つも浮かんでいる。きっと大声だから何を言っているのかわからないのだと颯汰は思ったが、
「お久しゅう、ございます……! 我が“神”……!」
鬼人が涙含んで震えて絞りだした声は先ほどより幾分も小さい声で聴きとれたのに、意味がわからなかった。号泣を始め、懸命に感情を抑えようとしているのはわかるが、何故かがわからない。
なにこれ、と颯汰は無言で紅蓮の方を見やると、助け舟を出しに紅蓮の魔王が歩み寄って声をかけた。
「これはこれは、よくぞ遥々――」
「む!? その声は祭司殿ではありませぬか!?」
顔を上げずに大声で鬼人は神父服の魔王の言葉を遮った。
「なぜ、我らを置いて、神と共に行ったのです!? 我ら“魔王軍”、我が神のために存在するというのに!?」
『魔王、軍……?』
祭司は紅蓮の魔王に向けての言葉と理解できたが、他が相変わらず意味不明であり、それを尋ねるために魔王の方へ再び視線を移す。
「あぁ、ちなみに“魔王”と“神”は少年――貴様の事だ」
『………………………………は?』
本物の魔王の一言でさらに混乱が深まる。
「どうやら彼は、迅雷の魔王を討ち果たした時の少年の姿に“神”を見出したらしい」
『ごめん、よくわかんない』
説明を受けたが、理解できない。
今まで生きてきた中で、他者に認められた覚えもなく、ここまで自分を上位に見る相手に出会った事もないせいで、余計に混乱が生じる。
神と呼ぶからややこしいが、魔王と誤認された颯汰のために戦う軍勢だから魔王軍なのだ。
「あぁ!! 我が神よぉ!! 我らは――」
『いやあんたはもう頭上げて静かに喋ってくんない!?』
未だ額を地面に擦り付けながら絶叫をする男に、颯汰は面を上げるように言う。
鬼人の大男はむくりと起き上がり顔を曝す。
「これは見苦しいところを……神よ、申し訳ございません」
ニムート三十メルカンほどの長身で筋肉もありがっしりとした体形の男は膝を突き、恭しく首を垂れた。
レッドアッシュの髪に額から伸びる二本角、顔はのっぺりとしているが、その瞳からは(狂信に近い)情熱と相反する知性が溢れていたのを感じた。
『いや、あの……見苦しいのはそうだったけど……』
未だ涙含んでめそめそとしているのが気になるが、触れていい案件かどうかわからない颯汰はそこは指摘せず、近くに来た紅蓮の魔王に耳打ちを入れる。
『お久しゅうとか言ってたけど、俺会った記憶ないんですけど?』
「あぁ、少年が気を失ってる間に会っているぞ」
『それ会ったって言うのかな?』
さらにブツブツと小さな独り言を発している危ない鬼人を無視したかったが、彼の後ろに続く武装した鬼人族たちについて聞かねばならぬと、一度そちらを見て、ため息を吐いて訊おうとした時、
「神よ! どうして……!!」
急に声のボリュームと一緒に顔を上げた鬼人。
うわっ、と驚いた颯汰は一歩退いたが鬼人族の狂信者――ファラスは訴え始める。
「どうして、我ら戦士を使わないのですか! 私は、いや我々は! あなたの刃で盾、延いては駒である我らを! 神の道具として使い潰して――」
『ごめん盛り上がってるところ悪いんですけど……何の話ですそれ?』
どこか演説チックに大仰に身振り手振りをして叫ぶファラスに対し当然の疑問をぶつけると、一瞬面を食らったような顔の後、静かに独り考え込むように顎に手を当て、暫くしてから静かに言う。
「…………神よ。あなたは南へマルテを潰しに赴いたのではないのですか?」
「「――!?」」
ファラスの衝撃的な一言に、獣刃族たちとマルテ王国の王女たるヒルデブルクが声を失う。
『いやなにそれこわい』
そんな気が一切ない元・脱走者である颯汰は素直に感情を吐露した。マルテ王国に決して友好的な関係があるわけではないが、攻め落とす気なぞない。戦争したばかりで兵力も物資も余裕がないのが現状であり、また颯汰は実質ヴェルミとアンバードを手中に治めているが、まだそんな支配者としての自覚などもない。
『別にマルテ王国に喧嘩を売るつもりはねえですよ。今は帰りの途中です。というか神って呼ぶのやめてくれません? 違うし』
相手は年上なのは間違いない。がたいのいいおじさんが泣いてる姿は目に毒であるし、崇められても気持ちがいいものではないと颯汰は思う。
離れでほっと胸を撫で下ろすマルテ側の人々。
敵を殲滅するために南下したとばかりに思い込んでいた狂信者たるファラスは混乱し、早口で言葉に詰まりながら問う。
「も、ももしや、かか神は領土を荒らしまわる、敵を滅ぼし、裏切りの――マルテに尾を振ったケダモノたちを粛清しに赴いたのではな――」
『だから違うってば』
ただ“王”となるのが嫌だった――そんな事する暇がなく、一刻も早く元の世界に戻りたいという願いがあったための脱走してたまたま南部に来ただけである。
「なんと……! 私めの勘違いでしたか! なんという愚かしさか! どうぞ! その爪で我が心臓を抉りください!!」
両手で羽織る上着を開けさせ、心の臓がある胸を曝け出した。
『いや気持ち悪いよ二重の意味で!』
何が嬉しくておっさんの胸筋を見せつけられなければいけないのかと、しまうように命じた。
いそいそと帯を一度解き、また結び直していた時、ふとファラスが神々しい姿の裏にいる存在にようやく気づいたのであった。
「…………神、その背中にいるのは!?」
颯汰の背をがっちりホールドしている黒い女。
あぁ、面倒な事になるぞと颯汰がばつの悪い表情に変わるのとほぼ同時に、それは目を覚ます。
「うぅう、るっさあああああい!!」
寝入っていた女は両手を上げながら叫んだ。
颯汰の右手が背負うシトリーを押さえているとはいえ、彼女の足はしっかり颯汰の胴に絡みついて身を固定していた。
「…………? あれ? あたし、なんで?」
叫んだ理由も、気を失い現状を把握していない女戦士はぼんやりと寝ぼけ眼で周囲を見渡す。
何か視線がいつもより高いなぁと思った矢先、
『…………目ぇ覚めたなら居りてくれません?』
自分の身を預けていた相手――立花颯汰が呆れながらも降りるように催促する。押さえていた片手が離れるが、
「…………」
シトリーは無言で颯汰の背にまた抱き着く。
『いや、あの、降り……、降りろ。降りなさい』
身体を横に揺すり、足を手でペシペシと叩くがもっと密着してくる。免疫がない颯汰には辛い。
そこへファラスが声を裏返しながら指さした。
「貴ーっ様ァ!! マルテに下った砂の民の娘だな! 神が降りろと命ぜらた! 即刻降りなさい!」
「えー、やだー」
「『えー、やだー』っ、じゃあ、ないッ!!」
気色悪い声マネの後、発狂したように甲高い金切り声の超音波ボイスを発するファラス。鬼人族の大声も相まって破壊力が絶大である。反射的に颯汰は自身の耳朶に人差し指で栓を、シトリーは頭の上にある豹耳をぺたりと倒して音から身を守る。
「貴様、我が神に不遜にも触れるのに飽き足らず、その偉大な背に身を預けるだとぅ……なんたる不遜! なんたる冒涜! キィェエエエエッ!!」
怒りに戦慄くファラスに向かってシトリーはニヤリと笑い、挑発するようにもっと颯汰に身を寄せ擦りつけた。
直後に煩悩を消し去るために素数を数えている颯汰の耳にはおよそ人生で聞き及んだ事のない鳴き声が、その背には柔らかく暖かな感触を強く覚えていた。
2020/03/15
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