10.5 夜襲
荒地――。
岩場にてゴロゴロ転がるものの中で一際大きいものの上、不規則に大きさが異なる岩を次々と飛び乗る必要がある自然の階段では知能が低い野生動物では簡単に登ってこれないであろう。
そんな場所にて野宿が始まった。その岩の台地は結構広く、キャンプするのに適していたのだ。
地面の方がまだ寝心地が良いだろうが贅沢は言っていられない。ボルヴェルグが用意した枯草を集めただけのベッドはないよりマシ程度の心地であった。
揺れ動くとカサカサと音が鳴る。
そうして見上げた暗い空――星の瞬きが輝く。
屋根もない、壁もない生活はこんなにも空が近くなるなんてと立花颯汰は純粋に感動していた。
生憎、満天の星空とは言えず、暗雲に月はその姿を隠していたが、十二分に綺麗な夜であった。
寝る直前までは、
『悪い夢だ……』
『なぜこんな目に合わないといけないんだ?』
『原因は何だ? 何をしたら戻れる?』
『帰りたい……家に、帰りたい……』
と思い悩んでいたのだが、自分の思考だけで答えを見つける事が出来ないと諦めた。
ここがどこだとかも見当もつかない。
ただ、喋る豹や半透明な女体、水を操る女神的な存在を、心が本物だと認識している。
ぼやけた夢ではなく、感じるもの全てが現実だと認めていた。万が一これが夢か幻覚の類で、目が覚めると元に戻っていればと願うが、それも先ほどの体験から叶うまいと理解している。
――それにしても、唐突だ
最後に見た光景を思い出すも、なかなかファンタジーしている。蒼い炎に呑まれて、気づけば幼くなり、ゲームや漫画の世界みたいな普通な日常と無縁な世界の中に堕ちたのだ。
――何か、ヒントでもあればいいけど……
なんとしてでも戻りたい。
確かに現実は汚泥に満ちたようであるが、小説の登場人物たちのように過ごせるとは思えないし、過ごしたいとも思えないと考えている。
それに今や日常の友と呼べるスマートフォンも無ければ電化製品もない、ゲームもない。
何より、戻らなければならない理由がある。
――……一人旅は今は無理だ、あんな豹とかがゴロゴロいる世界で命が幾つあっても足りないよ
それに加えて家事の手伝いをしていた程度のスキルでは、慣れ親しんだ調理器具がない今、まともな生活ができないと知る。
当たり前となったものがない生活がここまで不便だとはと横になりながら星空を眺めていた時である。
不穏な空気を感じた。
虫の知らせのようなものを――嫌な予感がして身体を起こした途端、
「ソウタ、目を閉じなさい」
闇の中、ボルヴェルグの声がした。
驚き、立花少年の口から出た呆けた声は、
「――ぜえええいッ!!」
男の荒々しい声に潰された。
低く男らしいが、穏やかな声で接していた大人から野太く大きな掛け声が発せられていた。
ボルヴェルグ・グレンデルが剣を抜き、見知らぬ男を切り裂いたのだ。
身体から勢いよく血を噴き出しながら倒れ、台地から落下する男。
それを見て、颯汰は茫然自失に固まっていた。
「野盗か……。ソウタ! 目を瞑って伏せてなさい!」
顔は見えないが――、
人であるとわかるものが――、
命が――、
失われる――。
崩れ落ちて、見えなくなった。
全身を外套で覆い隠し、闇に溶け込みながら襲撃を仕掛けた盗賊たち。
まずは一人が犠牲となった。
袈裟切りで左肩から胴まで達する傷により熱き血潮が迸る。
手に握っていたナイフが地面に零れ落ち、その後を追うように、野盗は事切れて仰向けに倒れて落ちて行った。
ドサリと落下し地面に着いた音の後、もっと勢いのある音が響く。
「相手が、悪かったな」
岩場から飛び降りた巨躯。荒地に舞った砂塵も闇の中では一切目立つことはない。
黒い柄を握りしめ、剣身に滴る赤を払い落とした後に、夜闇に紛れる他の野盗たちの集団に切っ先を向けて言う。
「来るか? そのまま引くならば追わぬぞ?」
忠告に一瞬たじろぐ野盗たちであったが、仲間が倒れたとなると黙って帰るわけにはいかぬ、と言わんばかりに一人、二人と刃を剥いて襲い掛かる。
「てっめえ! ぶっ殺してやるぁああ!!」
「そうか……。ならばその覚悟、受け取った!」
金切り声を上げる野盗に、ボルヴェルグは応えた。
素早い身のこなしで、二手に分かれた野盗たち。
腰を低くして、片や空いた左手を前にして進み、片や両手のナイフを逆手に持って奇襲を始める。
痩せた地面の砂地を蹴り、背には台地の大岩がある単独の敵を、二方向から攻める。
コンビネーションで追い詰めようと試みるが、
「遅いッ!」
ニムート(約二メートル)越えの巨躯が躍り出る。
どんな小細工すら、圧倒的な力の前では捻り潰される運命にある――。
それがこの世界の、残酷な世界の常識であった。
その長身を活かし、振るわれる刃は広く、
「――何ッ!?」
真っ暗な夜に、星の光を一瞬だけ受けた銀の煌めきが奔るとまた一人、命が奪い去られた。
全身を使って振り回された長剣の一撃を耐えられるような人間はこの大陸にいないだろう。
目測を誤り、回避しようとして上体が吹き飛ばされなかったせいで却って苦痛が襲う。だが、それもすぐに終わる。
「っ、つ、強ぇ……!」
斬られた男は血を吐きながらそう言うと絶命した。
「……残りは、貴様だけだな」
「ひ、ヒィぃい!! お、お助けぇえ!」
最後の一人に、ボルヴェルグが声を掛けると、野盗の男は情けない声を上げて尻を突いて倒れこんでいた。右手を前にして勢いよく振り、降参するから命だけは見逃してくれと懇願したのだ。
「…………戦う意志がなくなったならば、どことでも消え失せるがいい。そして真っ当に働いて日銭を稼げ」
鼻から息を吐いた後、男は長剣の鞘を取り出し、剣を収めて言う。戦意がないものであれば追いかけて殺すなんて真似はしないのが彼の流儀なのだろう。しかしそれは――、
「……ヒヒ、ヒヒヒヒ」
この世界において、
「……ヒヒヒヒヒ!!」
甘いと言わざるを得ない。
「シャアアアアッ!!」
「ッ――!? 何っ!?」
奇声を上げた男は、勢いよく跳ねた。
奇襲が来ると思って構えたボルヴェルグを無視して横を通り、岩から岩へと登っていく。
すぐにその意図に気づいたボルヴェルグが巨体を揺らし、追う。
――見えない。どこだ?
台地の縁に手を置いて、戦う様子を上から見ていた颯汰。
ここは道を照らす街灯も、夜遅くまで人を縛るビルの明かりさえもない。あるのは原初の光たる星々だけ。
一瞬の勝負を辛うじて目で追えていたが、急速に動いたせいで、その姿が見えなくなった。
「見ぃ、つけ、たぁ!」
ちょうど背後に、岩の段差を飛び越えてやって来た。
現れたのと同時に発せられた掛け声と共に、闇の中を疾駆するナイフ。
狙ったのは敵の眼前で剣を収めた男ではなく、無防備な同伴者――小さな子供であった。
仲間の仇を討つどころか返り討ちにあい、戦えば勝てぬのは道理だと理解した野盗の男は、せめて一矢報いる気持ちで、子供を狙った。
理不尽な死が、刃を以て飛来する。
迫りくる死が、吹く風よりも早くやって来た。
退路が絶たれていた。
身体が向いていた方向に進めば、落下死。だからといってこのままでは投擲物が刺さって死ぬ。
投げられたナイフは、ヒトに突き刺さるには充分な速度なのに、ゆっくりと見えるのは避けられぬ死と判断した脳が見せる現象なのだろうか。
なればこそ酷なものだ。
――……そうか
喋る黒豹の子供に襲われたときに、気づいていた事を、改めて認識する。
――ここは、命が保証された世界じゃあない
死や暴虐が、少なくとも自分が知るセカイより近しい――隣りあわせなのだ、と。
ヒトが簡単に死ぬし、ヒトを簡単に殺す。
生きるため、奪うため、満たすために。
――それが、どうした
静かに、そう口が動く。
関係ない。殺されて、たまるものか。
生きる。死ぬわけにはいかない。
生きて、戻らなければならない。
脳裏に一瞬だけ映るのは、河川敷の後ろ姿――。
夏祭りの時だろうか。
長い髪を束ねた浴衣姿の奥に花火が舞い散る。
次は冬、コートにマフラー。降り頻る雪の中を歩き、寒そうに息を吐いている。
春の桜と季節を無視して、次々と思い出がフラッシュバックする。
浮かぶ夢幻の映像たち。
そして最後に映るのは、病室で眠り続ける姿。
――俺は、生きる!
投げられた刃を、颯汰が振り向きざまに、己の左腕で弾いた。
「――!」
驚く野盗。星以外に光のない地上で、投げナイフを――およそ十かそれ以下の年齢の子供が目で見て、振り払ったのだ。
「ッ……!!」
左腕から出血し、痛みに声が漏れるが、絶体絶命を回避した事で感じられる痛みを、歯を食いしばり必死に堪えた。
目標が死ななかった事に驚いた野盗。
そこへ、鬼神の腕が伸びる。
着地した岩場の下から足首をグイっと捕まれ、引きずり込まれ、彼の肉体は地面まで落ちた。
衝撃で骨が軋み、痛みで喘ぐ。
立ち上がろうとする右手に刃が刺さる。
目を見開いた時、真の絶望がそこにあった。
岩と岩の間で狭い空、雲の隙間から覗かせた月の光を受けた姿は、紛れもなく鬼神であった。
「外道め……! もはや問答無用ッ!」
月の影に隠れ、表情も輪郭もはっきりしない中、怒りに滾る炯眼だけが浮かんで見えた。
……――
……――
……――
「大丈夫か!? ソウタ!」
「大丈夫で……す。ちょっとだけ切れただけ――」
「――し、止血を! 火、また火を起こして灯りを! おぉおおお!?」
目に見えてテンパり出す大男。
剣を握り、賊を斬り倒した時とはまるで別人であった。
暗闇で革袋を見つけ出し、すぐさま火打石で火を起こす。集めた草木がボゥッと燃えて、辺りは昼とまでは言わないが、それなりに頼もしい明かりとなった。
「塗り薬だ。……少し沁みるが我慢してくれ」
「っっ……!」
止血効果もあるらしい肌色のクリームは確かに少し沁みて痛みが現れたが懸命に堪える。そして包帯でグルグル巻いて処置が終わった。
「……騒がしくなったが、夜はまだ長い。だから寝なさい」
そう言うと岩からまた飛び降り、肩を貸すような形で転がる物体を運んでいく。夜遅くで埋葬する余裕はないが、臭いもするし、せめて子供の目から遠ざけようとしたのだろう。
命だったものを、抜け殻を、運んで闇に溶ける。
降りる姿を見送り、颯汰は考え耽ていた。
……――
……――
……――
「…………寝てなさいと言っただろうに」
暫くして戻って来たボルヴェルグが火の前で少年は待っていた。その表情は揺れる火の加減の翳りで深刻そうな面持ちが一層暗く映える。
ボルヴェルグは『失敗した』、と思った。
夜襲とはいえ、子供の目の前で人を殺めてしまったのだ。暗闇でハッキリ見えなかっただろうが、目を瞑るようにとも言ったが、彼はずっと見ていたのだ。きっと恐怖で目に焼き付いたのだろう、ただじっと、その光景を見ていた。
血を流す様も、切り裂かれて零れるものたちも。
そこまで動揺した様子は見受けられないが、それも時間が経てばどうなるかわからない。冷静さを取り戻した後は、トラウマに苛まれるはずであるとボルヴェルグは確信する。
生きる為に殺す事が当たり前の環境で産まれた彼であっても、“初めて”は未だ忘れられないし、他にも強烈に記憶に焼き付いているものだってある。これ以上この少年には辛いものは不要であると、彼の背の異様な傷を見て思う。
だが、目にしてしまったものはもう仕方がないとはいえ、子供には酷な光景を見せてしまったかと後悔の念で目頭を押さえる魔人の大男。
「あの……」
パチパチと音を立てて炸ける焚き火にすら負けそうな小さな声を出す颯汰。
首を振って決意を固めて、改めて言う。
「あの……、俺に、……剣を、戦い方を教えてくだ――」
「――ダメだ!」
ぴしゃりとボルヴェルグが遮った。
言葉の意味を一瞬わからなかったが、理性が即座にその願いを断った。
「…………」
どうしてとは思ったが、言えなかった。
禿頭で顎鬚に顔と頭に入れ墨のある褐色肌、背丈も筋肉もある中年男性の顔が恐かったというのも勿論あるが、何よりも彼の目の真剣さに負けそうになった。強い意思のある眼力に、すぐさま目を伏せた颯汰に対し、
「…………今はもう寝なさい」
ボルヴェルグはそう言って鍋に入れていた水をかけて光源を奪うと、明るさに慣れ始めた目が、急に暗くなったせいでより暗く、見えなくなる。
元より口数がそう多くない立花颯汰は黙り込み、また男は何も言わなかった。
そうして夜は更けていき、昇るアルオス神の戦車が引く円盤の光が山を縁取り始めた。一日の始まりの光が地平線から顔を出すまでそう長くはない。
岩塊の上の枯草のベッドで寝転がる少年と、その少し離れたところ、眠る愛馬の胴に身体を預けて目を瞑る男も心内に何か考えを抱えたまま朝を迎えたのであった。
こっそり追加しながらこっそり修正をしてます。
展開の遅さから焦って話をはしょり過ぎた感があったので、後に書こうと思っていた話もこれからこっそり付け足していきます。




