13 天の導き
戦士を率いる族長は焦っていた。
誉れ高き鬼人族たちを奮い立たせ、再起させた男は悔しさで噛みしめた口から血が零れた。
だが、これもまた試練であると胸に手を当て理解した時、兵を率いて動き始める……。
二年前――。
従わぬ者を徹底的に排除しようとしたアンバードの王である“迅雷の魔王”――同族の半分の血を有する忌まわしき“混血”に逐われ、壊滅寸前だった鬼人族。
鬼人の戦士たちは、基本力任せで集団戦の心得を持たぬ大男たちであった。自由に闘い、自由に奪い、自由に生きる――それでこそ“鬼”である、と。
ゆえに敗北し続けた。
多くの血は流れ続けた。
それを止めたのが、族長ファラスであった。
かつて、鬼人族は彼の魔王に幾度も挑むも、先代が死して勢いが弱まり、粛清が強まっていく。
刃は折れ、
命は砕け、
ついに、居場所は焼かれた。
女子供は匿っていたが全ては不可能であった。
街を囲ったのは五百も満たない兵であるが、実際に戦ったのは一人の“王”――迅雷の魔王だけ。
しかし、誰しも勝てやしなかった。
圧倒的、敗北感が苛む――。
連れ去られる、守るべき者たちの悲鳴。
戦士としての、漢としての矜持さえ、奪わていく。
武人としての魂はもはや風前の灯火であった。
そこでファラスは立ち上がった。
元より知性もあり誠実な男であるが、信心深く温和な態度は逆に一族では浮いていた。
そんなファラスを、当初誰も相手にしなかった。
二百三十メルカンの巨躯も、他の鬼人たちと然程変わらず、レッドアッシュの髪色も同族では珍しくもないが、その盲信的な態度が惰弱と見下され続けていた。
『必ず、神がお救いになる』
彼が言う神は、三大宗教の主神たちでも、語り継がれる神話の神――太陽や月、蛮神などではなかった。
半年後、また迅雷は兵を次の隠れ家へ派遣し、残党を己の軍門に下らせようとした。
しかし、奇跡が起こる――。
その敵を、狂人とまで揶揄された男は受けた天啓に従い、撃退するに至ったのだ。
地形を利用し、罠を張り、時に雄々しく敵を正面から打ち破る。ゲリラ戦を用い、『策』を覚えた彼らは以前の鬼人とは訳が違ったのだ。
まさに、破竹の勢いで勝利を収めたからに、残った戦士たちも次第に彼を認めるようになる。
時は流れていき、今年である醒刻歴四四三の「龍の月」が終わり「王の月」となった頃合い。
“魔王”がついに支配を諦め、標的を隣国――ヴェルミに見定めたという噂が立った。
諦めた、のではなく飽きた、というのが本心なのではと新たな族長は見切っていた。
戦士たちは今こそ好機だと声をあげたが、それを許さない。
何故なら、まだ足りないからだ。
奪われたものを取り返すには、圧倒的な力が――。
鬼人の戦士たちは“新たな族長”の命令を待った。
族長ファラスは『神の声』を待っていた。
その間は祈るだけではなく、兵の練度を上げ、武器を作りと余念はない。バラバラとなっていた他の鬼人たちとも合流を果たし、兵の増強もした。
だが現実問題、幾ら兵を募っても、届かないのは明白であった。だから、祈るしかない。
『神よ、我らを救いたまえ』
その言葉は、神に届いた……――。
と、彼は思い込んでいる。
遠くから感じた風には、強い感情が帯びていた気がした。そうして見えた星空が見える山の向こうで、紅い流星が翔けていくのが見えたとき、
『――……!! 今、なのですね!』
ファラスは再度、天啓に従い、今度は守りではなく、侵攻を開始した。
鎧を着込む者たちがいる中、伝統であり廃れかけていた民族衣装――布を着込み、帯を結ぶ衣服をファラスは羽織っていた。
その背には彼が信ずる神――“龍神”の姿があった。
そうして魔王に屈した、与する者の村や町、要塞を襲撃して、王都バーレイを目指していく。
兵の数は減るどころか、増えていった。
皆が、好きで狂王に手を貸していた訳ではなかったのだと知れば、共に戦える。
そうして、三十も満たなかった戦士たちが三千を超す軍勢となった頃、バーレイにも異変が起きていた。
もう一柱、“魔王”が現れたのだ。
それを知り、急ぐファラスたち。
だがその戦には、彼らは間に合わなかった。
そして、見たのだ。
王都では紅蓮の炎が立ち昇る。
暴れ狂う黒く這う肉塊が民を貪る。
この世を地獄に貶めようとする悪意の姿と、
それを鎮めし善なる化身が昇る姿を――。
『…………――ぁあ、ああああああッ!!』
ファラスは、迸る感情を口から出す以外の術を持ち合わせていなかった。
息をするのさえ、苦しく思えるほど昂奮した。
天へと昇る、龍の姿がそこにはあったのだ。
蒼銀の瞳は瞋恚に燃え、凄まじい魔力の光を内包した夜闇の化身が、穿たれた雲の陥穽を突き抜けていく。
邪悪な魔王の気配を、魔光は追走し始めたのだ。
頭上の雲を、一瞬で飛び越して行ったのを感じる。
そしてほんの僅かな間の後、光は里のあった方角から少しズレた箇所、国境たるエリュトロン山脈の南部へ突き刺さった。
凄まじき波動は熱を持ち、衝撃の風と共に一気に駆け抜けていく。
雷の如き轟きが、全てを掻き消し、響き渡る。
眩い光の柱が天へと屹立したのだ。
そんな光景に、男は目を剥いて、全身を震わせながら狂おしさに駆られて叫んだ。
『ああ、あぁぁああ!! あなたが、あなたこそが、“神”、だったのですね……!!』
ファラスは槍を捨て、跪いて、祈った。
ほぼ同時に、里に残った者たちも祈りを捧げた。
他に親衛隊だけではなく、多くの者も、跪く。それを見て、その存在を認めざるを得なくなった
そして現在――。
ファラスは苦しんでいた。
やっと見つけた。探し続け、求め続けた“神”。
心臓の鼓動で高鳴り、それで内側から自分が押しつぶされてしまうのではないかと思うほど、脈打つ血管は熱された血を全身へと巡らせていた。
ついに、神に邂える……と思っていた。
「あぁ、あの坊やならいないわよ?」
絶句。
一瞬、世界の全てが闇へ亡失したように思えた。
運命のいたずらを憎む。
「ちょっと南部に行ったみたいね。うちのボス……神父さまとすぐ合流するでしょうから、たぶんすぐにバーレイに向かう――って、どこ行くのかしら?」
だが、それは逆にチャンスだと捉え方を変えた。
妖美な人族が言う。ファラスは、“神”も人族に似た容姿であると聞き及んでいるのでここに人族がいても、その言葉も、疑う事はなかった。
「決まっています。我が神は南部へ、逆賊たるマルテの連中を排除しに行ったに違いありません。ならば今度こそ、我らの力を示すのみです」
大柄で強面、上に向かう二本角の男から発せられる声は紳士的であったが、狂気が僅かに垣間見える。
南部は時折、マルテから兵が来る。神は我らのためにわざわざマルテを潰しに動いてくださったに違いない、と本気でファラスは思い込んでいた。
「兵を纏めて、行きますよ!! 今度こそは、間に合わせるッ!! 我らが神が、待っています!!!!」
三頭のウマが引く戦車を駆り、ファラスはせっかく訪れたアウィス・イグネアをあとにして、南へと進路を定めた。
数百の鬼人たちは全員が戦車持ちではないが、徒歩であっても文句を言わずに歩き始める。
それを遠目で見つめる妖美な女こと――魔女グレモリーは、
「………………ま、なんとかなるでしょ」
考える事を止めて丸投げした。
自身もそろそろ王都へ向かう準備を整え出発する前であったのだ。
――……
――……
――……
「ねぇソウタ、あれはなぁに?」
「え知らない」
「まぁ! 見ないで判断するなんて!」
二匹のウマが引く幌馬車が走る。
布の留め具を開けた窓から横に流れる景色を見てはしゃぐ少女の姿は年相応よりも幼く映った。以前より小綺麗ではあるが豪奢とは程遠い、リボン付きの白っぽいカジュアルドレスを着ているこの少女は正真正銘の王族――マルテ王国の王女である。
一方、彼女よりも背丈は若干小さく、さらに幼い少年――立花颯汰は揺れる馬車の中で突っ伏して横になっていた。疲労が溜まってお眠なのである。
ヒルデブルク王女は外の世界に触れ初め、感動が抑えきれない。
見るものすべてが大抵新しく、馬車の手綱を握る神父(魔王)と畏怖の対象である女医より、歳も比較的近い颯汰に語り掛けて尋ねるのは仕方がない事だ。その好奇心に輝く瞳の純真さは尊いものだが、颯汰にとって面倒以外何物でもない。
子供のお守りは得意ではない。……今や自分も何故か幼くなっているが。
しかし相手は王族であるから最低限の礼儀をもって無視はやめておいた。
「走ってる鳥ぃ? ガルカーゴ車でしょうか。もさもさした灰色っぽい羽毛のやつの。後ろに馬車が付いて走ってるんでしょう? 赤い毛のもいるらしいですよ」
「血は、幼少の、方が、甘い……」
「「その情報は聞いてないです(ませんわ)」」
血に甘いも辛いもあるのかと疑問が浮かぶが、それをいちいち確かめたくもない問題であった。生で食すほど飢えてなければ、知性も理性も失ってはいない。
「肉は、ちょっと、堅め。でも、……子供には、肉も良く火を通さないと、ちょっとだけ毒があるから……」
「え、なにそれは」
ちょっとだけ興味が湧いて颯汰は思わずムクりと起き上がった。
ヒルデブルクは視線を恐ろしい事を言い放った見た目も恐ろしい怪物から動かし、再度窓から外を見て叫ぶ。
「えぇ、灰色の鳥さんですわ! ちょっと小さいけどキラキラしたキャリッジをお引きになられてます!」
「貴族さまが乗る用でしょうからね。脚は確かに速いんですけど、ガルカーゴは臆病な鳥なんで、魔物とかがいると直に逃げようと迂回を始めちゃうんですよ。だから確実な旅をするなら馬車で充分なんです」
「――……そう、ですの……」
――絶対に乗りたいって言いだすだろうと思ったので、大人げなく選択肢を潰してやりましたー
大人じゃないから大丈夫、とは言えないが意地の悪い先手を打たれ、聡明な姫は諦めるしかない。
何も嫌がらせで言った訳ではない、颯汰は元の世界へ戻るヒントを手に入れるためにアンバードへ戻る必要があり、またグズグズしてマルテがヒルデブルク王女を捜索するために兵を遣わし、もしヴェルミ及びアンバードの兵とぶつかり合ってでもしたら、無駄な死人が出てしまう。
確実に起こるとは限らないが、モタモタしたせいで誰かが犠牲になったと知れば目覚めも悪い。
穏便に事を終わらせるには、彼女をマルテ王国の王都ロッソに届ける必要がある。
「神父様、このペースだとどれくらいでベルンに到着するのでしょう?」
ただ、彼女だけはヴェルミの王都に向かっていると信じ込んでいたが。
「そうですね。だいたい七日でしょうか」
先頭で手綱を引く神父姿の『紅蓮の魔王』が答える。
「むぅ……出発からもう八日。宿は四日前と三日前、それから野宿が続いて……」
――さすがにお姫様にはキツイ、よなぁ
「とても素敵な体験ですわ!」
――う~ん、強フィジカル&メンタルの持ち主
思いのほか楽しんでいる姫。
何でもかんでも興味があるせいで質問は多いが、我儘は少なく、人族の驚異の順応性を発揮していたのであった。
その目の輝きは尊き純真さを宿している。
同じ年齢の頃の自分では耐えられなかっただろう、と颯汰は思いながら颯汰は再び目を瞑った。
「……少年、気を抜いているな?」
「…………、そりゃあ抜きますよ。どうせ戻ったら忙しくなるんでしょう? だったら、休める時に休むのが一番」
一瞬、魔王の問いを眠ったふりして無視しようか考えたが、きちんと答える。王都バーレイへ行けば「偽りの王」として君臨し、アンバードが立て直るまではそこにいなければならないのだ。
その代わりにこの魔王が、持ち前の“速さ”で資料をかき集めてくてるとはいえ、それをどこまで信用できるかとも颯汰は考え迷っていた。
それでも、彼もまた、自由に選択する余地はない。
王なんて真っ平御免と一度は逃げ出した(成功したのが一度で何度も逃げようとしていた)が、必ず元の世界に帰ると決めたからにはどんな事だってやってやる、という気概で『王様ごっこ』だろうとやり抜いて見せると意気込んでいた。だからこれは忙しくなる前に取っておくべき必要な休憩――いわば充電期間というやつだ、と自分を正当化する。今、気を急いで何になる。
『少しくらい相手をして(あげても)良いじゃない』という視線が刺さっている気もするが閉じた目蓋を開けずに、今度こそ不貞寝を決め込もうとする。
――どうせ、すぐに別れるんだ。仲良くしても意味はない
深く干渉するのは一切の得がない。下手に同情しても、まさに無駄だ、と。
「まぁ! ソウタ! あれをご覧になって!」
――大声で呼ばないでー
狸寝入りを始めようとしたが、そうもいかない。
運命は彼を何度も呼び止めては試すのだ。
そういった宿星の下にいるのやも知れない。
「鳥さんたちが急に方向を変えて、奥の方へ……!」
――ふ~ん……………………えっ?
ガルカーゴが、進路を、変えた。
その意味を理解した時、颯汰はバッと起き上がる。前のウマを操る魔王と目が合った。
「――ッ!!」
颯汰は飛び上がるように、動いてる馬車の中を駆けては、魔王の肩に掴むようにして幌馬車の先頭部分から魔王が指さした方向を見た。
「旅は、王都に着くまでだ。それまで気を抜いてはいられんぞ」
南下した結果、周りは今までのヴェルミ領内と比べると、やや緑は減って色褪せているが、まだアンバードやマルテとは異なり荒野とも呼べぬくらいには豊かさがある。
背の高い林だってあるが色は黄色っぽい。
そんな中、岩や土色を覗かせる小高い丘の上に、それはいた。
佇むは一匹の獣であった。
毛は真っ黒で、瞳は金色。
しなやかな身体に薄っすらと見える斑点。
開けた口には白く鋭い牙に赤い舌。
黒い耳と白い髭をピンと立たせた猛獣。
「――……ッ! マジかよ……」
颯汰は嫌な顔で呟いた。
過去のトラウマが形作って現れた、幻かと思うほど、黒き影は真昼の空の下に浮いていた。
猛獣は嗤う。
馬車の中から顔を覗かせる少女を確認できた。
「そうだったな。マルテは獣刃族を……!」
熱くなり始める心の奥で、遠い昔を思い出すように呟いた。
分けずに削って1話にしました。
次話は来週です。




