12 護送
気を失い一日が経ち、少女は目を覚ました。
安物のベッドの毛玉にまみれた毛布を起こし、辺りを見回す。
恐ろしい――黒くて髪の長いお化けの姿を想起して、怯えながら視線をキョロキョロと動かした。
薄暗い部屋。木製の両開きの窓の隙間から、薄っすら光が差し込んでくるのが見えた。
怪物は、いない――。
安堵の息を盛らしたとほぼ同時に、部屋の扉が開いた。一瞬、短い悲鳴を漏らし、毛布を被る。
恐る恐る毛布から覗く小動物を前にして、立花颯汰は隣にいる神父服の男と顔を見合わせた。
狼狽する颯汰は両手を必死に振る。
「あ、いや、お俺は……別に怪しいものじゃ……」
「落ち着け少年。それでは逆に不審だ」
金髪の神父――正体は魔王と隠している男が契約者である少年に忠言する。
「あ、あぁそっか。……うん。俺の名前は――」
まずは名乗りから始めようとした時だ。
「お待ちになって」
少女は思い出した。
己が何者であるかを。
それを理解した時には怯えの感情は消える。
少女の可愛らしくも凛とした声。
掴んだ毛布を置いては立ち上がり、ベッドから降りて窓に向かって歩み寄ると――両手でバンと勢いよく開いた。二階の窓から澄んだ空気が流れ込む。
ロホ村の宿を照らす陽光。
そしてその眩いものが後光となって重なる。
橙の美しく艶のある髪を持つ美少女は、
「まずは、私から名乗らせて頂きますわ!」
胸に手を当て、堂々とした佇まいで名を告げる。
「私は、ヒルデブルク! ヒルデブルク=マギウス=ルスト=ピーク……! マルテ王国の王女!」
どやぁ……としたり顔をする姫君。
詳しく言えばエクスクラメーションマークを発する度に目が煌めき、舞い降りる粒子的な何かがキラキラと輝いて、見えた。
悪霊らしき存在もこの二重の光の前に現れる事もあるまい。それにこれはある種の虚勢だ。舐められては王族としての恥であると。
その証拠に、僅かながら足が震えている。
――そ、そう、王女たる者は常に胸を張って! それでこそ私ですわ!
ふふん、と鼻を鳴らす王女。
得意げな顔である。
足の震えも次第に治まり始めた。
「――あなた方が私をお救いになられたのですね。誠にありがとう存じますわ」
ペコリと頭を下げる少女。見た目からそこまで階級は高くない平民なのだろうとすぐに判断できたが、相手がどうあれ、ゴブリンの群れから救われたのは事実であり、意識を失う前に見た姿であるとヒルデブルクはわかっていた。
ならば感謝を示すのが礼儀であるとは齢十三の世間知らずの王女であっても知っている。
神父の方は表情の変化がわかりにくいが確かに驚き、少年の方は眩しさに目が慣れぬのか、顔を逸らし、苦虫を噛み潰したような表情へ変わる。
「……………………ちょっと、相談タイム」
颯汰が手のひらを差し向けて、一旦休みを貰いたいと懇願する。情報を整理する時間が必要だ。
「認めますわ!」
下々の願いを聞くのもまた王族とばかりに胸を張って受け入れる。王女は会話する男たちの背を見送りながら失いつつあった自信を取り戻し始めていた。
「……ふふふ。やっと、理解してくれる方々が!」
――ダロスという村では、誰も全く信じてくれませんでしたが。ちゃんとわかってくれる方はいらっしゃるのですね!
少女は小声で呟き、小さく跳ねて右拳を握りしめたガッツポーズを取った。
ダロス村では世話になった人々から全く相手にされず、親切にしてくれた旅商人のリーダーには「皆が驚くから止めてくれ」と諌められていた。
一人ホクホクと満足気な少女を余所に、男たち二人は背を向けて密談を始めていた。
「――貴族どころか王女って言ってますけど!?」
小声に抑えているが、調子は感情に合わせ、強め。
着ている服がそこら辺の民が着る安物であるが、嘘ではない事くらい、その王族特有の醸し出す上品な空気が物語っている。
ド平民である颯汰でも勘付いてしまうほどだ。
「あぁ。そうだな。所持品からは予想できたが」
魔王が何処からともなく袋を取り出したのだ。
革袋には何十枚もの見た事のない柄の金貨に、マルテ王家の紋章が象られたペンダントが入っているのを見せてきた。
「森で拾った。あの医師の話ではマルテの王族であるのは間違いないらしい」
「は? そんなの聞いてない……!」
「言ってないからな」
「うわこの魔王殴りたい……」
「しかし、まさか自ら名告るとは。驚いた」
そもそも、決して友好国ではない――啀み合う仲であるはずのヴェルミとアンバード、マルテの三国の、仮にも王女がその他所の国にいるという自殺行為にも似た状態で名告るなど、暴挙というより気狂いの所業だと言っていい。
相談中に、背後――部屋の奥から声が掛かる。
「あのー、ご相談中恐れ入りますが、お尋ねしてもよろしい?」
少女が思い出し、尋ねようとする。魔王と颯汰は振り返ってはいいよと頷くと少女は言葉を紡ぐ。
「私、王都ベルンに向かっていたはずが、……亜人たちの群れに襲われてしまい……。あの……他の方々が無事かどうか、ご存知?」
親切にしてくれた旅商人たち一行の身を案じていた。その点は非常に好感が持てる。王族でありながらも彼女は彼女の考えをきちんと持っていると言えよう。だがそこよりも驚くべき箇所があったのだ。
「いや待って? えッ? 何? 何でベルンを目指していた!?……の、ですか?」
相手がまだ若い少女であるから、驚いてつい敬語を忘れかけてしまう颯汰が逆に尋ねた。
質問を質問で返すのは失礼であると重々承知であるのだが、それでも知っておくべき事象であった。
てっきりマルテの王都であるロッソに向かっているとばかり考えていたからだ。それが何をまかり間違って敵国の王都へ単身で向かおうとしているのか。何やら深い訳があるに違いない。……王女の返答が出るまではそう思っていた。
「私、家出中ですの」
「……………………は?」
聞き間違いだろうかと耳を疑ってしまった。
「だ、か、ら! 私はぁ! 家、出、中、なのです!」
ちょっとだけ憤慨するが、直後に何故マルテに戻らないかが疑問なのだなと察する王女。
「マルテには、しばらく帰るつもりはありませんわ」
腕を組みそっぽ向く王女。
――うーん、なるほど。このお姫様もしかしてアホなのかな?
家出で国境を越える阿呆がいるとはと逆に感心してしまう。それに「家出=他国の王都へ向かう」……一般的には結びつかない。
「何故、王都へ?」
今度は魔王が問う。
「ヴェルミの新しい王様は、人族にも寛容であると伺いましたわ。なれば、私がお会いになってもよろしくなくて?」
――いやあんた友好国じゃないじゃん!?
颯汰が心内で呟くと、言いたい事が表情に出ていたらしく、少女もそれを容易に読み取った。
「会ってどうする、と言いたげな視線ですわね。良いでしょう。答えま――」
「………………ん?」
口を開いた王女が、止まってしまった。
だいたい展開が予想できる颯汰は彼女の慄きに満ちた視線の先――自分の背後を見やると、幽鬼の如き、夜の森に潜む魔魅のような存在がいた。
「しゅぅうう……」
空気を吸う音が生きるヒトの者ではないが、彼女は紛れもなく人間であった。
「あー、……おかえりなさーい」
颯汰が少し困った顔をしたが挨拶をすると、エイルも一揖した。慣れってのも恐ろしい。
タイミングがまぁあまりよろしくないが、彼女もまたヒルデブルクを救った恩人である。
長く垂れ下がった柳にも似た黒髪から覗かせる赤い瞳を、誰が生者と、誰がエルフと思うだろうか。
「治療は済んだようだな」
神父の問いにエイルは頷く。
その治療する相手が神父がボコした民間人であるのはもはや面倒なのでいちいちツッコまないが、何か言いたげな表情をする颯汰は嘆息を吐いて正面を見ると、先ほどまで威勢よく王家に連なるものの貫禄を見せていた少女は、牙を抜かれた子犬のようにベッドの上で毛布を盾にして身を隠していた。その毛布を掴む手がぶるぶると震えるのがわかる。
「まぁこうなるわな」
予想通りではあった。
「大丈夫だよ。ちゃんと生身だから」
颯汰がエイルの手を引っ張り部屋の中に入れ、その細くて白い左手を操り人形みたいに振って見せる。
ふりふりと振っていると、エイルも自主的に右手で手を振り始める。それはそれで不気味な絵面ではあったが、ヒルデブルクは警戒しつつもその様子をじっと観察していた。
「あとこの人がゴブリン追っ払ったんだぞ」
「…………がおー」
威嚇というよりは呟きレベルの声量でノリが良いエルフの女医。ますます掴みどころがわからない人物であるなと改めて思ったが、それが意外にもいい方面で働いたのか、少女はパッと毛布を離してベッドから後ろ向きで降りる。微妙に距離感はあるが、どうやら彼女がちゃんと実在すると認識できたようである。
「わ、わわ私は――」
「大丈、夫。知っ、てる」
ぎこちない声で少女の名乗りをキャンセル。
「そ、そうですの……」
しゅん、とする王女。そのせいで沈黙が場を満たし、若干気まずい空気が流れるが、
「相談タイム、セカンドー」
神父服の魔王はそんなもの関係なしに話を進めるつもり
「み、認めましょう!」
王女は再び答える。
ここの人間わりと全員ノリがいいなぁ、と場違いな事を思いながら颯汰はエイルを連れてすぐ後ろの神父に合流してコソコソと内緒話を始める。
「――このまま誰か王都に行く商人のヒトたちとかに、預けちゃあマズい?」
「それが楽ではあるが、道中で何が起こるかわからん。耳長の王と謁見したとして、その後、無事にマルテに帰れる保証はない。もしそうなれば無駄な争いは避けられん。それに、あの王女は「家出」と申したからには、わかるな?」
「…………今頃マルテ王国の連中が血眼になって探してる、っすよねえ」
「すぐ死んだ事にはしまい。それに話によると、南部でマルテの兵を目撃した者がいるようだ」
「……どんな理由で家出したかはわからないケド、ここは大人しくお家に帰って貰うのが吉、ですかね――となると、また寄り道になりますか」
肺の空気をすべて出し切る勢いで吐いた溜息。話し合いで結局エイルは一言も口に出していなかったが、同意見だと態度から察する事ができる。今後の方針が決まった颯汰たちは彼女と交渉を始めた。
神父が前に出て、王女を前にして跪く。
「度重なるご無礼、どうかお許しください姫様」
普段と異なる声音と口調であった。
「――我々も王都へ向かう途中であります。つきましては、是非とも我々とご同行頂ければと。我々も貴女様を、命を賭して守り抜く所存でございます」
神父姿の魔王が跪き、懇願した。颯汰は「うわこいつの敬語、似合わねえ」と思いながら急いで魔王の真似をして跪き、エイルも真似し始める。
「そうですわね……あの、そちらのご婦人のお名前は何んと?」
「エイ、ル……です」
「そう。エイルさん。聞けば貴女のお陰で私が亜人の魔の手から救われたそうで……恐れ入ります。それに、私も勘違いで貴女を傷つける失礼な物言いばかりで……」
「いやそれはまぁ仕方ないや――ってちょっと痛い痛い」
余計な事を言う少年の頬をつねるエイル。
個性が行き過ぎているが、彼女もちゃんとした人間であるとわかる。それに森ではすぐに気を失ったが、彼らの実力があればきっと亜人も魔物も寄り付かないだろうとも想像できる。
神父たちの申し出は願っても無い。
「――神父様。あなたのおっしゃる通りですわ。いえ、こちらからも是非ともお願いいたします。私を王都ベルンへお連れになってくださいまし」
やはり自分の幸運は絶対であるとヒルデブルクは再認してその提案に飛びついたのであった。
「えぇ、必ずや」
ニコリと笑う神父。嘘つきの微笑み。
――王都は王都でも母国のダケドネー
颯汰が小さく漏らす。どういう理由で家を出て、どういった訳でベルンを目指しているかはさておき、彼女がここにいる事自体が問題であるからして、早々に帰国して貰えば無駄な争いも起こらずに済む。
そこに少女の自由意思は存在しない――それが王族の枷であり宿命であると呪う他なく、同情の余地はあるが、諦めてもらうしかない。
彼女の存在が起爆剤となり、今度は南北で戦争が引き起こされては堪ったものではないのだ。
幌馬車を調達し旅の支度を充分に整えた翌日、彼らはロホから出発した。
進路は西南西。魔物や亜人、盗賊を警戒するために森から離れつつゆっくり南下し、マルテ王国に王女を引き渡して王女とおさらばする計画。分かれた後は外敵に気を付けながら北上してアウィス・イグネア経由でバーレイへ行くと決めた。
しばらくは馬車で四人旅。
すぐに人数は変わる運命にある。
揺られる幌馬車の両脇にある留め金具を外し、窓として外を見つめるが、意識は内側にあった。
颯汰は『面倒の沼』に片足どころか両足からズブズブと埋まっていく感覚がしたが、もうこればかりは放っておけないから仕方がないと自分に言い聞かせることにした。元は脱走という自ら選んだ行動を起点としているが、問題が起こり、どんどん目標から遠回りをしている感覚に焦燥感ともどかしさを感じずにいられない。
――俺は、ちゃんと元の世界に帰れるのかな……
行き場のないその思いは胸の内でぐるぐると廻る。
こればかりは、誰に問うても望む答えは返ってこないから、この不安を中で留めるしかない。それでも――きっと帰れると信じ、突き進むしかない。
それが支え、究極の目標。
見えぬ先――あるかどうかわからぬ願い。
考えれば考えるほどマイナスのイメージがこびりついてしまうから、その夢を掲げるだけで颯汰は無意識ではあるが「それ以上、深く、考えない」ようにしている。気が付けば最後――その「絶望」に呑まれてしまう。
髪を撫でる風に溜息は掻っ攫われていった。
遠くを走る黒き獣たちの俊敏なる影。
南から姫を捜索する為に遣わされた兵士たち。
すべてが同じ空の下、等しく同じ風を感じていた。
「ところで三人は……親子ですの?」
「パパダヨー」
「……マ、ママダヨー?」
「化け物の子かな?」
次話は来週。
外伝ではなく本編を更新予定です。




