11 宿駅にて
遡ること一刻ほど前――。
草原の上に心地よい風が吹く。
その中にある、村と村、町と町を繋げる街道の上をキャラバンの馬車が進む。
「いやぁ~、本当に助かりました……。エイルさんの処置でうちの若い者が死なずに済みました~」
「あなたも、ま……治って、ない。まだ村で、休んでるべき」
「ん~……そうもいかねえんですわ。この積み荷を運ぶのが俺らの仕事なんすよ。そうしねえと食っていけねえ」
「………………そう」
馬車を操るキャラバンの長と、医師である奇女エイルのエルフ同士の会話を颯汰はボウっと聞いていた。
両者とも見た目は十代後半から二十代くらいにしか見えないが片や仕事のリーダーを任され、片や(様子もおかしいが)立派な医者である。颯汰は何だか不思議な感覚を覚える。
この時、彼らはアンバード方面ではなく北東へ進んでいた。野盗に堕ちた騎士たちの襲撃により犠牲者が出た何人かは重傷であるため、仕方がなく一時的に近くの村へ置いてきたが、話によると彼らは王都ベルンを目指していたようである。
颯汰は即刻アンバードへ引き返したい気持ちもあったが、やはり“あの後”ベルンが、新王となった友人がどうなったのかが気になったから医師と魔王の進言を聞き入れ、途中まで同行する事を選んだ。
さすがに王都を騒がせた“張本人”がすぐに現れるとなるとまた要らぬ混乱を招くだろうから、周辺の村か街で様子を聞いてから発つつもりであった。
それに、颯汰たちはウマを持っていない。どうせどこかで調達する必要もある。
紅蓮式輸送方法では傷口がガッツリ開くおそれがあるため、やはりどうしても陸路で帰る以外に手段はない。また、賊に襲われては面倒であるから、安全を考慮した結果の北上でもあった。
穏やかな日差しに吹く優しい風のおかげで、二日前にこことは違う異界にて、尋常じゃない修羅場があった事など、夢か嘘のように思えるほどであった。
「――……このまま、何もなく無事に着けるといいなぁ」
溜息を吐いた後、遠くの景色を見て颯汰は独り言ちる。本当は天井を見ながら横になりたいが、それでは却って酔いが回るため、身体を起こして遠くを眺めていた。この世界に訪れてから……というより身体が幼くなってから嫌に乗り物に酔う体質になった気がすると颯汰は感じている。
このまま北上するルートを通れば、大きな街があって、人の行き来が盛んになり、治安が良いため通常であれば大した問題が起こるはずもない。
しかし、急にフラグを立てたせいで厄介事が向こうからやって来たのであった。
立ち寄ったのは一件の小さな宿駅――近隣のロホ村が管理する場所。
ウマを借りるのではなく買えるかの交渉をしようと考えていたが、何やら騒がしい。
「あ、いやな予感がする」と颯汰が口にした隣で、紅蓮の魔王が目を光らせた。
「あいや~? どうしたんでしょうねぇ?」
キャラバンの長がそう言った瞬間、動き出す黒い影――を颯汰が後ろから飛びついて必死に止める。
血の臭いでもしたのだろうか。
エイルが興奮気味で、文字通り問題に首を突っ込もうとしている。
「待って! あんたが、行くと! ……いろいろ、ビジュアル的にもヤバイから、って力強っ!? おい王さまも止め……あれ? いない……?」
「あぁ、あの神父さんなら。ほれ、もう降りてあっちに」
「ちょっ――!?」
エイルが新たな怪我人を求めて飛び出さんとするのを颯汰が止めていたその横で、さっさと馬車から降りた神父姿の厄災の権化が、その人の群の中にそそっと入っていった。
十数名の人が広場で何かを囲うように立っている中、ガヤガヤと人の喧騒が響く。
どうやら何かもめているようである。
そこに神父……魔王が入り、騒めきが一瞬だけ止んだ。その直後大きな音に、何かがドサリと落ちる音が続く。例えるなら食肉加工用に吊るされた肉塊をバットで思い切り振りぬいて、その衝撃と勢いで肉塊が床へと落ちた感じだろうか。
少しの間の後、人々は散っていく。
人の壁が消えると、そこに転がる何かを魔王は肩に担ぎ、空いた左手でもう一つを引きずりながら歩いてきた。
「うわぁ……」
颯汰はそんな声しか出なかった。
キャラバンの長の細い目が見開くが、恐ろしい光景に唖然としていた。
「――何してんすか?」
荷馬車から降り立った颯汰が問う。後ろで興奮して息が荒々しくなっている人を押さえながら。
「簡単に言えば、彼らは罪人だ」
「………………それで、制裁を?」
「いいや、少しばかり惜しい。あのままだと彼らは村人たちによる私刑で殺されていた。だから私が仲裁に入ったのだ」
それは二人の人族の男。
右肩に胴を乗せられている男は沈黙している。
左手で襟の裏側を掴まれたまま引きずられている男は……泣いていた。
両者とも衣服はズタボロで土埃まみれで、肌が出ている部分――顔に青痣や傷もついていた。
「…………仲裁、ねぇ」
一人は意識を失っている状態であるが、きっとこの男が手を下したのだろうと瞬時に理解できる。
引かれている男の態度から安易に想像できた。
「どうやら、この者たちは組合の証を持たずに商売を勝手にやっていたようだ。――それに加え、以前から村々から人を攫って他国に奴隷として売り払う、最低の組織の一員だったらしい」
颯汰と長の表情が曇る。傷だけ見ていたら痛々しくて可哀想であるが、彼らがやった事が事実ならば当然の報いであると言える。
言えるのだが、
「あの……その……、大の大人の男の人が全力で泣いてる姿はちょっと……さすがにキツイというか、見苦しいというか……見てて辛いものがあるんですケド……」
片手で引かれていた意識のある男は号泣している。瞳からは熱い涙を流し、口から嗚咽混じりの釈明の言葉が出てきた。
「うぅうう……!! お、俺は……、騙されて、人攫いなんて、知゛ら゛な゛か゛っ゛た゛ん゛だよ゛ぉおおおおおッッ!! うぅう……ヒック。ヒ、ヒトが、殴られて鳴る音じゃねえ……! 怖えぇ、恐ぇえよぉ……!」
尋常じゃない怯えた姿に、颯汰が魔王に尋ねる。
「――何したんすか?」
「とりあえず話を聞いたのだが、どうやらこっちの寝ている愚か者は入って日が浅く、こちらの男はこの愚者に仕事を手伝って欲しいと頼まれたばかりのようだ――それが『人身売買』だとは知らずにな」
ブツブツと『俺はやってない』『知らなかったんだ』と泣きながら男が言い続けている。哀れ。
「……それは、まぁ、何んというか……本当なら気の毒っすね。で、何やったんすか?」
泣きじゃくる大人。それにしても異様に畏れている様子から間違いなくこの魔王に何かされたようであるのでそれを一応追及すると、
「……。人々に殴られ、棒で叩かれていたのでな。事情を聴いたら泣き付かれた。救済を求められては神父として見過ごせなかったわけだ」
と何も問題ないように言うが、意識のある男の方が真相を語りだした。
「『神はあなたを赦すだろう。だが拳が許すかな?』って、いきなり、コイツの顔をぶん殴って……!! 殴られ、その勢いで空中を高速回転して地面に落ちてから動かねえ……。殺される……! 俺もきっと殺される……! う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!」
コイツとは魔王が肩に乗せている人族の男の事だ。
しかし大泣きしている大人を見ると心が幾分も切ない気持ちになるのは何故だろうか。
「…………何やってんすか」
「一応、かなり加減したさ。派手さに反して威力は抑え目でな。おかげで村人たちも怒りが治まったようでなによりだ」
似たような出来事が頭にチラつく。強者は得てして同じような発想に至るのだろうかと颯汰は考える。
何となく、したり顔をしてるように見えるのがちょっと腹立たしい。
「……どうりで村人の顔がなんか引き攣ってる感じだと思ったんですよね~! そらそんな殴殺(死んでない)現場を見たらもう手ぇ出せなくなるわ。……というか神父が暴力沙汰ってどうなの? 神サマは赦すんじゃあねーんですかぁ?」
「私が立ち上げるのは今は廃れた“マナ教”だからな。三女神の『女神教』や源老神の『星界大神教』だと規模が大きすぎる。横の繋がりがあって面倒だ」
「マナ教ねぇ……。神サマじゃなくてエネルギー自体を神聖視して崇拝する、アニミズムってやつ?」
「万物に感謝を捧げる、宗教の中でも割かしまともな部類でもある――っと、話が脱線したな」
だからって暴力行為と神云々ってのは……、と颯汰はツッコもうと思ったが止めた。話が進まない。
「どうやら、売買のグループで移動中に、ゴブリンの群れに襲われたらしい。それでこんなに恐れているようだ。人目につかぬように森の中を通ったのが仇となったのだな」
「…………ゴブリンが、ヒトを?」
亜人はヒトの前に中々姿を見せない、と颯汰は聞いていた。現に森の近くに住んでいたが今まで出会ったことがなく、アンバードで会ったあの異様なオークが初めて見た亜人種であった。
「あぁ、珍しい。……いや、不可解と言ってもいいだろう。臆病と言うよりか、聡明な判断でヒトから一線を引いて近づこうとしない亜人種が、積極的にヒトを襲うなど……」
意外にも落ち着いている女医は首を傾げ、颯汰と魔王が唸る。そこでキャラバンの長が「あぁそれなら」と語り始めた。
「実は最近、亜人種の――ゴブリンの目撃例が増えているんですよ。他の村や町でも見たヒトがちらほらと。……私も先週だけでも三度も見かけました。てっきり、おとぎ話の存在かと思ってたんですがね……」
そして小さく「ここだけの話ですが……」と声のボリュームを若干だけ落として続ける。耳打ちするほどではないが、それでも念のために、だろう。
もし、その“主”か関係者に聞かれでもしたら不敬罪で自分がどうなるか、わからないからだ。
「――なんでも、あの“柱”が……。新しく現れた魔王サマの魔法でおっ立てた、あの禍々しい光の柱が出た日から、どうにも亜人たちだけではなく魔物たちも、活発になったって話なんです」
「………………………………へぇ」
颯汰の目が泳ぐ。
長い間の後、やっと出た声は少し震えていた。
二方向から突き刺さる保護者達の視線が煩わしい。
柱とは勿論、颯汰が迅雷を討伐した時に都中から奪った魔力を解き放った魔光の柱である。
屹立する柱の迸る熱量は魔王すら溶かし、山を砕いて地形を変え、天を裂いては雲を焦がした。その強烈な魔の波動は人々の心に恐怖を与えただけではなく、実害も与えていたのだ。
「……いや、あの、その、えっと……ただ偶然が重なっただけ、……じゃあ?」
「いやいやいや! 間違いなくアレが原因ですって! 魔物も目に見えて凶暴化してるんですよ! さすがに自分の縄張りから離れようとはしませんが、縄張り意識のない魔物や亜人たちがどんどんエリュトロン山脈の南――柱がおっ立った場所に向かってるって話なんですよ!」
「――!!!!」
颯汰の顔が引き攣る。口から出そうとなった声を懸命に閉じて抑えてる。汗がじわっと溢れ出てきた。
それをなんとか飲み込み、息を整えて何んとか言葉を絞り出す。
「……ほ、ほへぇ~。すっごい、ぐうぜんもあったものだなぁ~」
そう口走る颯汰の肩を、ポンと叩き首を横に振るエイル。心なしか髪の間から見える紅い目も諭すような優し気に満ちていた。何だよその目は、と颯汰が手を払うように身体を引いて除けると、
「それで少年。どうする?」
魔王が問い始めた。
「どうする……って言ったって……何が何だか――」
混乱する少年王に、さすがにまだ荷が重いかと悟った神父姿の魔王は意識のある男に問いかけた。
「ふむ……。ところで貴様、他の仲間や攫った人間はどうなった?」
泣きじゃくる男が吃りながら答えた。
「うぅう……。みんなぁ……森の中で、バラバラになっちゃったよ……。猪に乗ったゴブリンに、追われて! ……仲間は、他は人族とエルフの男だけ、で。でもその旅に、小さい、女の子が……。格好は俺たち平民と同じだったけど、貴族っぽい綺麗な子がいたんだ……。俺てっきりその子を護衛して送り届けるもんだと思ってたんだ……! まさか、奴隷として売るなんて……!」
「……貴族!?」
長が驚く。よりにもよって貴族の子を拉致したとなれば、例え故意ではないとしても、この者たちの極刑は免れない。それに彼自身も気づいているから嘆いているのだろう。
「いや、わかんねぇ。……でも、みんなで警護しろって言われてよぉ。俺、田舎から、親父の畑を継ぐのが嫌で出てきたばかりだから……。でも、こんな事になるなんて……!」
「……チッ、参ったなぁ」
颯汰が舌打ちをする。
曖昧だったものが鮮明となったからには、自然と答えが導き出される。何故自分がここまで“それ”を求めてしまうのかはわからないが、心が――きっと内に宿っている“獣”の意思なのだろう。
力があるのなら、伸ばせる手があるのならば見捨てるなんて簡単にできやしない。
ましてや、ゴブリンたちが活発となったのが自分が原因である可能性があるのなら尚更だ。
「決まったか?」
魔王の問いに颯汰は応じる。
「…………寄り道、いいです?」
「――あぁ、いいとも」
「じゃあ、準備を急いでしましょう。――襲われてるんじゃあ、もう間に合わないかもしれないけど」
……――
……――
……――
そうして、颯汰たちは少女――ヒルデブルク王女と合流し救出するに至る。まだ彼女の正体がわからぬ今、ロホ村に戻り、漆喰の宿で目覚めるのを待っていた。……厳密に言えば森の前で待機させてもらったキャラバンの荷馬車一台で帰っている最中に一度、目を覚ましたのだが、エイルの姿を見て再び眠りについてしまった。
漂う気配の高貴さに、地位の高い娘である事は間違いないが、周辺の住民からは目ぼしい情報は得られなかったが、借りた部屋に魔王と颯汰が戻った時にちょうど少女は自力で目を覚ました。
これで『良かった、安心だ』と颯汰は安堵していた。
遠くからやってくる獣たちの足音と、その後ろに並び立つ軍靴の音に気づく由もなく――。
試練は、まだ始まってもいなかったのだ。
※ちなみに移動手段はウマでは間に合わないと考え魔王に二人が乗っかって森まで走りました。その後をキャラバンの長が八台中、一台だけ荷を他に預けた荷馬車で付いてきてくれました。
泣いた男を颯汰が慰めるシーンと、
台詞を某元議員風にしていましたが長いのでカット。
次話は来週です。
2018/03/13
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