08 目的(後編)
“精霊戦争”というまた新しい単語が出てきた。
それが何なのか疑問に浮かんだが言及を避ける。
――よくわかんないけど、話の流れから『大昔、人間が精霊の力が宿った霊器? を使って起こした戦争』……っぽいなぁ
颯汰は何となく察しがついたため無用な言葉を吐かない。雨の中、地から浮かぶ光がいつの間にか沈んでいた事にやっと気づくくらいに場は治まり始めていたから、それを乱すような話題は避けるべきだ。
心と知性のある生物であれば何であれ触れられたくない事柄があるものだ、と知っていた。“戦争”とまで言っているのだからその傷は計り知れない。
これ以上、また言い争いから殺し合いになられては困る、穏便に話を終えて早々にアンバードに戻ろうと颯汰は考えていたため、僅かの間考え込んでいた魔王の次に吐いた言葉に少し驚いた。
『では、いつでも離脱できるように「檻の刻印」は付けさせない……というのはどうだ? 霊器としての性能の低下はどうでもいい』
また聞きなれぬワードが出てきたが、霊器に関するものであると察することは容易であった。
紅蓮の魔王は一応、謝罪の言葉を吐いたが、本当に悪気はないし悪びれる様子もなかったようだ。「それはそれとして」と空気を一切読まず、この地“白亜の森”の管理者たる精霊――『湖の貴婦人』に霊器になるように交渉を始めようとした。
「! ……なぜそこまで?」
『貴様が優れた剣士であるからだ』
魔王が精霊の剣術を真っ向から認めた。
『たった五年、しかも別段、毎日仙界に招いた訳ではないのであろう? それであれだけの剣を教え込める技術を持つものは中々いない。それにその最速の剣技を受けて分かった。アンバードやヴェルミ側の剣士でも適当に見繕っても良かったが、師である管理者の方が適任であるとな』
私の剣を余裕で受け止めてよく言うわ、とぼやく精霊に、弱った身体で創り出した分身ではな、と魔王は静かに返す。心なしか精霊の目が泳いでいる。その好機を見逃す光の元勇者ではない。
『それに毎度この空間に行き来させるのは面倒だ。しかし、さすがに地上を異界化させるのは拙いであろう? 南部まで足を運ぶとなると送り迎えでどれほど時間が掛かるとやらな。……何よりこいつは起きていると乗り物酔いが酷いし、高所が苦手ゆえに投げ飛ばすと機嫌も悪くなるだろう。はぁ……我儘な奴で本当に困る』
「隙あれば俺の事をディスるの、いい加減にやめてもらえませんかね?」
颯汰の忠言は無視するが、
『――何よりこの少年が生きて帰るためには身を守る相応の“力”が必要だろう。どうだ?』
魔王は突然、颯汰に話を振り始める。
一瞬の困惑と呆れ、その後に諦観の嘆息を吐いた後に少年はきちんと答える。
「……そうっすね。要ると思いますよ。それにぶっちゃけると、この身体になってから剣を振ってないせいか、今までの動きがちゃんとできるか自信がないです……」
これは本音であった。これから荒事全てを紅蓮の魔王に押し付けるつもりではあるが、そうであっても自分の身を守る手段はあって越したことはない。
いくら修業が辛いものであったとしても、それを避けて死んでは元も子もない。颯汰にとっても湖の貴婦人に教わった方が良いと感じている。
しかし――、
「………………別に、私がいなくても剣の鍛錬は出来るでしょう?」
貴婦人としてはこの二人から目を離すと、本当に何をしでかすかわからないから一緒にいたいという気持ちがあるのだが、ただこのまま紅蓮の魔王の言いなり事が進むのが嫌であったから、こんな風に少し拗ねたような声を出して顔を逸らし始めた。
――ますます、人間味がある精霊だな
それを看破し心の中で苦笑する魔王。口を挟めて煽ってこちらの言い分に乗せてやろうかと考えていたが、颯汰の方は何も迷いなく、師からの問いに真剣に答えたのであった。
「俺には、師匠が必要だよ」
「えっ」
淀みなく、迷いなくそう宣言され、師は素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて口を手で塞ぐ。
彼女自身、確かに剣術をこの少年に叩き込んだが、プロクス村で剣の修業を必要としない生活を送れればいいと願いながら、半ば無茶というか無理難題を吹っ掛けてきた場面が多々あったのだ。
師自らそれを認めていたし、愛弟子は元よりそれに薄々勘付いている様子であるからその言葉が信じられなかった。
「……うん。やっぱり俺には師匠が必要だ。だって天鏡流剣術は魔王が認めるくらいに最強でしょ」
「臆面もなく良く言いますね!」
師匠――湖の貴婦人が若干照れ始めてそれを隠そうと声を荒げるが“自称鋭い”馬鹿弟子は気づかず続ける。
「俺はそんな他の流派知らないけど、精霊のヒトが教える剣術の方が絶対強いよ」
『うむ。百理ある』
「――あなたは茶化したいだけでしょ!?」
空気を読まずに口を挟んできた紅蓮の魔王に対し、精霊は噛みつくが、どこか先ほどまでとは別の意味で余裕が見られない。
「それに、俺が迅雷に勝てたのは間違いなく師匠のお陰だ。無影迅がなければもっと前に死んでたかもしれないし――」
「あの、その呼び名は知らないのですが……」
縮地の走法である無影迅を含め、颯汰は他の剣技や奥義も変な呼び方をしている。男の子だから仕方がないと諦めたが、やはり面と向かって言われると師としては少し思うところがあった。
その小声の呟きが聞こえなかったのか、颯汰は真っすぐと師を見つめて続ける。
「――迅雷を討てたのは、俺だけの力じゃない。当然だ。みんなが力を貸してくれたから奇跡……、そう奇跡を掴めたんだ。その中で一番大きいのは、間違いなく師匠が教えてくれた事なんだよ」
訴えかけるのではなく、諭すような穏やかな声。何故だか聞いている方が恥ずかしくなっていた。
ヒトと関わり合う事が少ない精霊――ゆえにヒトから褒められ慣れていないのだ。顔に出す赤さは懸命に抑え始めたが、耳の辺りは熱を帯びていた。
「で、でも! それは“あの力”のお陰で――」
『だがそれも、生きる為に教えられた技術があったからこそ、であろう?』
魔王の援護攻撃に対し、颯汰は頷く。
異常な“獣”の力とて、実のところ魔王の《王権》以下の性能である。もし正面から殺し合いとなれば一方的に敗北するのが自然の摂理。前回の争いはまさに奇蹟の賜物であったと言えるが、それこそ彼女の教えが活きたと言える。
「お願いだ師匠! 正直この魔王と一緒だと安心感以上に何をするか読めないから不安なんだ! たぶんさっきの考えは偽ってないと思う……。無理しないで欲しいけど、出来れば、また、まともな剣の修業を……」
前半部分が本当の願いであるからか語気が強めだったが、途中から少し声が弱くなる。例えるなら幼子が親に怒られるのを恐れたような声色である。
師とこの魔王の関係が、どう見ても劣悪で、その願いが我儘であると改めて気づいたゆえに。
颯汰は師を畏れてはいたが、嫌悪した事は一瞬たりともなかった。修業の中には理解し難いものはあったが、それでも復讐心に憑りつかれながらもヒトじゃない「精霊」から教わる剣技こそ魔王に届く牙となると信じて疑わなかった。
そうして迅雷の魔王と戦えたのである。
颯汰は自身の左手を見やる。小さくなった手には努力の証である血豆すら消えていたが、あの日の大きくて痛々しい手のひらを幻視する。腕から零れ、溢れ出す白銀の光と全てを喰らう闇色のオーラ、蒼い炎。狂気に彩られた瞳と剣先を煌かせながら早く、速く、疾く、奔る姿――。
全てが幻であった訳ではない。
過去の産物であり、成果であった。
颯汰はハッとして気が付く。色々あったが一番に言わなければならない言葉があったのを思い出す。
言いなれてない訳ではない。ただ心を込めて本心から言う機会がこれまで幾つもなかったのだ。
「――……遅くなりましたが、師匠……。あなたのお陰で、俺はとうさ、――ボルヴェルグさん、シャーロット姉さん、ジョージさんとグライドさん……村のみんなの仇を討てました……。復讐を、師匠が望んでいなかったとしても、今こうして俺が生きているのは師匠が俺に、生きる希望を与えてくれたからなんです……! 師匠、本当にありがとうございました……!!」
頭を下げて感謝の言葉を述べた。
少し感情が乱れ、頭を起こし涙ぐむ幼き少年。
自分でも何故だろうと不思議に思いながらそっと目尻に触れる。正体不明の感情に困惑していると、雨は静かに止み、湿った風が吹き始める。
光の調子が地上と異なるから、虹こそかからないが、元の和やかな空気を取り戻していく。その証拠に蛍の光のようなものが地面から浮かび上がった。
「もし……もしも良かったら! これからも剣を、いや剣だけじゃなく、色んなことを教えて欲しい! 師匠の力も、師匠も絶対に必要なんだ!」
必死に訴えかけた。
座り込んで俯いていた精霊はふるふると震えている。
一瞬、颯汰は先ほどの激情に駆られる姿を思い起こして青ざめた。颯汰の願いは虫のいい話であり、巻き込まれる管理者たる精霊に何のメリットもない。
精霊から大きな溜息が漏れ出すと、彼女はすっと立ち上がった。
「………………そう、ですか。……無理が祟ったのか疲れました。暫く大人しく休むとします」
「師匠……――」
背を向けて、消えかかっている身体を起こした湖の貴婦人は振り返る事なく白い森の中へ歩き始める。
ダメだったかと落ち込む顔をする颯汰。
そこで紅蓮の魔王は確認を取る。
『それは治ったあかつきには霊器となると判断していいのだな?』
空気を読まずに壊すのが魔王たる者であるが、この場合良い方向に働いたと言えるだろう。
懸命に紡いだ言葉は拙くても、想いが本物であれば届くというもの。颯汰は顔を驚き上げた。
師は足を止め暫しの間の後に、静かな声音で言う。
「…………あくまでも、この子を守るためです。もしあなたの考えが今話した事と別の場合……無用な争いを引き起こそうとするならば、その時は絶対に斬ります。…………最悪の場合、この子を殺して私も死にます」
勘違いするな、と背を向けているのに、師は太刀風のように鋭い殺気をビュンビュン飛ばす。
「え、ちょっと!?」
『ハハハ、“契約”をしているから私を殺すにはそれが手っ取り早いか』
「アンタは何でそう余裕そうに……!」
『そう恐れるな。魔王をその手で殺したであろうに』
「それとこれとは別だっての! 恐いもんは恐いわ! 絶対師匠の目ぇ、今、本気でしょ!? 出会って一秒も掛からず斬り殺される未来が見えるんですけど!?」
そうはならないから大丈夫だ、と紅蓮は言うが不安感は拭えない。彼女が殺意を抱いた瞬間に負けは確定する。仮に《デザイア・フォース》を発動しようとしてもその一瞬の間を見逃すようでは、最強最速の剣術の名が廃るというもの。本気であれば瞬時に首が飛ぶであろう。思わず颯汰は両手で自分の首を押さえて守るような形をとって叫んだ。
歩みを止めたがこちらを見向きもしない精霊であるが元の調子で、でもどこかぶっきらぼうに話す。
「はぁ、私はもう休みますよー。…………では、地上に返す門を開けますからそこから帰ってください。また乱暴に空間を切り裂かれては堪りませんからねー」
『そうか、では有難く使わせてもらおう。医者を回収しなければならないから場所は元の位置でいい』
「……ったく、この魔王は」
星剣で無理矢理、仙界に突入して追ってきた魔王であるがそれさえ悪びれる様子はない。
それどころか更に煽るような言葉を吐き出す無神経さはもはや驚嘆に値するだろう。
『感謝するぞ管理者。貴様も早く癒すがいい。私も長い間生きて老いた。つい、口を滑らせるやもしれんからな』
その言葉を聞いて、一瞬周りの景色が再び騒めき出し、消えかかっている湖の貴婦人の放つ今まで以上の強烈な殺気に颯汰は驚きのあまりに目を剥いた。
仙女は彼の魔王が何を言おうとしていたのか直に理解できた。紅蓮の魔王が颯汰に尋ねた問いを遮らせるのが真の目的――死んだ少女についての会話をして欲しくなかったのが理由であった。
もし知れば、この少年はきっとまた暴走、狂奔する。我を忘れて行動を起こすだろうと師と魔王、保護者二名は考えている。
大切な者については自分を差し出すような真似を、厄介なこの少年は平然とすると認識していた。
ゆえに聞かせない。
ゆえに知らせたくない。
――もしシャーロットの遺体に、心臓が無かったと知れば、普通なら「何故だろう?」と疑問に思っても、魔獣となった影響で消えたと考えるのが普通でしょう。だけどこの子ならきっと、その先まで思考が飛んで、走り出してしまう……!
紅蓮の魔王が、精神的に参って壊れかけた颯汰に代わり、彼女の遺体を埋葬しようとした際に気づいた。颯汰が斬った――腹部の外傷とは異なり、エルフの(外見は)幼い少女の背が大きく開き、心の臓が抜き取られている事を。傷は貫通し、胸部まで達していたが、抉り潰した痕はない。
『何者かが、少女の心臓を奪って消えた』。
炎に焼かれた村であるから、何も証拠はない。
理由もわからない。
何故、シャーロットだけを?
そもそも村で何が起きたかの詳細は誰にも知られず燃え尽きてしまった。
だけど、精霊と魔王はそう考えている。他の魔獣や死兵の残骸にはそういった特徴は見られなかった。
その事実を知れば、立花颯汰は理性を失う危険性がある。たった五年であっても、心を僅かでも許した大事な家族だ。何も考えずに飛び出すだろう。
何よりも弟子の双眸の奥――熱にも似た狂気は未だ燻っている事を聡い精霊が気づかぬ訳がない。放っておけば、必ずまた憎悪に囚われるに違いない。その時は私が抑えねばならない、と精霊は覚悟を決めるしかない。
「…………本ッ当、下劣で最低の、蛇の化身ですね」
『それは傷つくが、……蛇の仲間という意味では悪くはないな』
こんな危険な魔王の口車に乗せられるのは癪で堪らないわ、と精霊が苦虫を潰したような顔で言いつつ、地上へ繋がる門を開いた。
颯汰は何の事か理解してないまま、再度感謝を言葉にすると頭を下げて門を潜り抜け、契約の線で繋がった紅い甲冑の騎士もそっと手を上げて会釈のような事をすると契約者の後を追って仙界から立ち去ったのであった。
“白亜の森”の奥へ溶けていく。精霊が再会を祈り、傷ついた己を癒すために。
《――……地上に顕現できたら、まず第一にあの魔王の首を切り落としましょう》
嘆息の後、穏やかでありながら過激な発言に森に住む他の精霊たちは慄きつつも、管理者の眠りを妨げぬように声を抑える事に努めていた。
長かったのでカットしまくっても長いという。
ようやく地上に戻ります。
新たな仲間が(たぶん)増えるよ! やったね!
次話は再来週ぐらいです。




