05 強襲
今にも張り詰めていて、ほんの小さな刺激で爆ぜては辺り一帯を崩しかねないような空気の中――。
二体の魔神が相対し、瞬間、激突する。
森の奥から、矢風を纏うように現れた仙女。
姿勢を低く、尋常じゃない速度でドレスと髪を揺らしながら地を滑るようにして襲撃を始めた。
その手には凍らせた清水を切り抜いたような刃。
普段使っている淡く光る宝剣ではないが、それでも人界の鉄剣とは比べ物にならない硬度を誇るであろう剣を握りしめ、魔王を斬りつけたのだ――。
片や世界を滅ぼそうとした元・勇者の魔王。片や仙界きっての剣鬼。どちらも人外の強さを有する実力者である。
光の勇者の『光速』で文字通り奔る閃光の如き速度で駆け、重大剣による斬撃を放つ。さらに撒き散らす災禍の魔法は辺りを容赦なく焼き尽くすだろう。
天鏡流剣術――流れる水のように美しく静謐でありながら、時に滂沱を思わせる程に苛烈となる剣戟。縮地の走法と併せればまさに神速と呼べる。
双方の戦いを見てきた颯汰でも、ぶつかり合えばどうなるか予測できないのは彼らが本気で戦う場面を、実は一度も見ていないからである。
……否、本当は残酷なほどに冷めた脳が状況と過去の戦闘記録を分析、演算し、答えを算出していた。
颯汰はゴクリと息を飲む。濡れた身体であるのに、いつの間にか汗が滲む。
この二人――扱う得物の大きさ、使う流派も異なれど、戦闘スタイルはかなり類似している。
『速さ』を軸に闘うのだ。
剣術も魔法も、相手が抵抗する間を与えずに先手を取る。余程の状況か道楽でもない限り『一撃必殺』、隙を与えず『多撃必倒』を狙う。
そうなると嫌でも、認めたくなくてもある程度は予想がついてしまうものだ。より速度が速い方が、より一撃が重い方が有利であると――。
湖の貴婦人は紅蓮の魔王の、装甲が薄い首辺りに目掛け、一切の躊躇いもない一撃を放った。
しかし――。
『――笑わせる』
「……ッ!?」
響く甲高い金属音。
剣は確かに鎧の隙間を狙ったが、届いていない。
紅い甲冑の騎士は鼻で笑って、易々とその刃を左手で受け止めていた。
さらにグッと手に力を込めると、刃はまさに氷のように脆く、砕けてしまった。
驚愕の顔を刹那に切り替え、女は間合いを取るために後退する。
――ダメだ! それじゃあ……!
颯汰が思わず手を伸ばし、言葉に出す前に、後方へ下がった仙女に向けて紅い騎士は大きく跳躍して右足を女の胴へめり込ませる。例え姿かたちが若い女性であろうと、この男は敵であれば情け容赦なく攻撃する。
貴婦人は身体がくの字になった後、勢いよく頭から転がって灌木の茂みへ入っていく。
「あぁ! ……!?」
颯汰の口から咄嗟に出る声。
視線が茂みの先へ向かおうとした矢先、視界に映る影に驚きすぐにそちらを注視する。
師匠たる仙女……湖の貴婦人が全く別の場所から現れたのだ。魔王の死角――背後から奇襲をかける。
『下らん』
背中へ向けた渾身の刺突であったが、紅蓮の魔王は右手を背にやると、その手のひらから星剣『カーディナル・ディザスター』を出現させて、その厚い剣身を盾にして防ぎ、
「ッガ――!?」
紅蓮の魔王はそのまま身体ごと星剣を振り回すと、横に両断したではないか。
真っ二つにされた仙女は短い悲鳴も上げ、ジジジと掻き消える。
「ッ!? …………は?」
颯汰から血の気が引く。頭でその情報を理解を拒もうとしている。認めたくないと思考する事を放棄し始めたせいだろうか。
真っ白になった頭に、惑乱が訪れる。
さらに別の角度から、上半身と下半身がサヨウナラして消滅したはずの女が再度、現出したのだ。
『くどい』
紅蓮の魔王は無感情に、上空から現れた女の兜割りを星剣を大きく振っては弾き、浮いたままの身体に向かって左手を向ける。手のひらに紅い魔方陣が形成されると、火柱が一気に立ち昇った。
「――!」
仙女もそれに対応しようと水を前面に、バリアのように展開するも――無駄である。
灼熱の炎が水ごと飲み込み火達磨に変える。
水は火を剋すると言うが、それは自然であればこそ。常識も、道理をも越えた魔王の焔――たかが麗水如きでは鎮まりはしない。
以前、彼女自身が言っていた。――魔王と呼ばれる転生者が放つ魔法は、精霊である自身のものより苛烈である、と。
その言葉通り、あっという間に影は塵となり、消し炭が風に流されて散っていった。
――動きに、キレがない……?
師が眼前で蒸発した事よりも、その剣技に颯汰は違和感を見出した。戦いの結果は正直言えば予想通りであるが、それにしてもおかしいと心が感じる。
森から溢れる、強く突き刺さるような敵意は未だ消えてない。
すると、紅い甲冑の騎士は嘆息を吐いて言う。
『幻霊……。今にも消えそうなほど脆弱な身体で使役するとは……そこまで無理をするか』
「ッ! 消えそう……!?」
《………………》
颯汰が呆けた声を上げ、気配を感じる方向を見つめる。精霊は黙り込む。それが答えであった。
師の弱った姿を想像できないというのもあるが、確かになぜ今まで姿を隠していたのかも納得がいき、そして違和感の正体に気づけた。
幻霊と呼ばれる自身の分身を召喚し、それが代わりに戦っていた。完璧なコピーが造れるほど体調が優れていないからこそ、動きに粗が見えたのだ。
『今の貴様では指を切り落とす事も出来ぬだろう。……それに、“契約者”である私が死ねば、少年もまた死ぬと知らぬわけではなかろう』
「…………え」
《………………》
一層、気が抜けたような声を上げる立花颯汰。湖の貴婦人もまた、それを知っているようで声にならぬ声を吐くだけだ。
「ちょっ、待った!! えぇ何? 王さま? 死ぬの? 王さま死んだら、俺も!?」
『……逆に貴様が死ねば私も死ぬ。用心しろよ?』
「っえぇー……」
このやり取りで毒気が抜かれたのか、穏やかとは言い難いが、幾分元の森の空気へと変わり始める。その証拠に“管理者”の声も元の調子に近づいていた。
《…………殺すつもりはありませんでした。契約を切ってこの子を解放して貰いたかっただけです》
『やはり脅しのつもりだったか』
《…………脅すどころか、予想以上に歯が立たなくて、情けない限りですが……》
『本気の貴様の刃ではこうも行くまい。あの時、降らせた雨は精霊たる貴様のものであろう? 魔力も練られていた。……であれば相応の報いを受けているはずだ』
「報い……? 雨……、ッ……! まさかあの時、プロクス村に降った雨は師匠が……!?」
《………………はい》
貴婦人は静かに肯定する。
あの時とは勿論、プロクス村が燃えてこの世の地獄と呼ぶに相応しい惨状に包まれ、颯汰の心が折れていた時である。
大事な家族であると気づかず殺し、発狂して意識を失っている間に振り出した慈雨。
そして今、淡く白い世界にもポツポツと静かに雨が降り始める――。
『あの一帯に魔力を込めた雨を降らせれば寿命も縮んだであろうに』
《…………精霊である私は、少し長く生き過ぎたかもしれません。だから丁度いいのです……」
スーッと、何もない場所から“本体”が現れる。
麗しいプラチナブロンドヘアに紅い宝石のサークレット。揺れる碧い瞳。白い絹のような艶やかなマーメイドドレスの美女――しかし、その姿はかなり薄れていた。身体のあちこちにジジジ……とノイズが走り、いつ消滅してもおかしくない事を物語っている。
「フッ――笑いますか?」
自嘲気味な笑みを浮かべるが、紅蓮も颯汰も黙って首を振る。沈痛な面持ちとなられたせいか、女は少し下を向いて目を伏せてしまう。
仙女――湖の貴婦人は、突如プロクス村を襲った魔獣によって生み出された火災を鎮め、泥たちを抑えるために雨に魔力を練りこんだせいで身体に甚大な負荷がかかってしまった。精霊は仙界――体外魔力が満ちた世界でしか生きられない。大気に含まれるマナが減少した地上ではすぐに存在が保てずに消滅してしまう。
そこへ異界から無理やり魔法で干渉したのだが、その結果、今も存在を保つのがやっとなほど弱り切っている。
『地上へ雨を降らせ死にかけ、休んでいれば良いものを自身の幻霊を召喚する……消滅していない事がもはや奇蹟というのに。管理者――貴様の気迫は凄まじいが、無茶が過ぎるぞ。それほどこの少年を引き離したかったか』
「えぇ。貴方は危険です。それに、止められたのにこの子を巻き込みました」
紅蓮の問いに貴婦人は睨みながら迷いなく答える。
それは明確な敵意を露わにしていた。
その答えに引っ掛かりを覚えた颯汰が口を挟めるも――、
「……巻き込まれたというか俺は自発的に――」
「あなたは少し黙っていてください」
――っえぇええ……!?
当事者であり、当人であるのに関わらず、発言権を奪われてしまう。それは親同士の子供の今後の方針について、口喧嘩に発展し子供が何か言うも、母親が理不尽に突っぱねる様子に酷似していた。
つづく。
短め。
一話で8000字越えたのでわけました。
さらに後半部分は未完成なので
次話は来週でございます。
またTwitterでも呟いたように
00~03辺りを修正したいと考えております。




