03 墓標
日が昇ったと同時に、動き始めた。
春はもう終わったはずだが、まだ少しだけ肌寒さを感じるのは明け方で、まだ地表が日光で充分に暖められていないせい……だけではないだろう。
そこは、時が止まった場所。
緑の溢れる村は人族とエルフが共生し、都会ほどヒトは多くないが、それでも人々は笑顔で活気あふれていた場所ではあった。
それが一夜にして惨憺たる地獄と化したのである。
生存者は一人を除いて誰もいない。
すべてが炎と敵意によって死に絶えた。
村を包んだ大火災も、優しき慈雨に鎮まったが、木製の家々は焼け焦げてしまい、辺りは黒ずんだ墓標となってしまった。
戦争が終わった直後、辺境であるこのプロクス村はまだ手を付けられていない。
旧ヴェルミ領・王都ベルンからも直進ではルベル平原や山、森や河川を超える必要があり、また国中がその“黒泥の魔獣”の襲撃を受けたせいで、ここまで手が回らないのが現状だ。
何よりも王都で前王が投獄され、新王――クラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルトが即位し、そのゴタゴタが響いていると言っていい。
国を明け渡そうとした売国奴たる前王とその繋がりを洗い、何人もの貴族も地下牢送りとし、傷ついた領地の回復もまずは王都を中心に始める必要があったのだ。
「……死んだ人間より、今を生きている人の方が優先される。当たり前、か……」
草原に並べられた大き目の石が置かれた簡素な墓たちをすべて作り直し、木製の十字架を立てた新しい墓が並んでいた。
その一つの前で、両手を合わせた“生き残り”はそっと目を開きながらそう言った。仕方がないとはいえ、やるせない気持ちである。
村から少しだけ離れた場所に墓を、村人全員分のものが出来上がっていた。村に訪れ、火が消えた事で再度見つかった遺体の埋葬などで丸二日も費やしたが、同伴者は不思議と文句を言わなかったし、それどころか手伝いもしてくれた。
むしろ彼がいたから作業がここまで早かったと言っていいだろう。
焦げた墓標――家であった物の残骸を幼い子供では自力で持ち上げるのは大変厳しいものがある。いや、大人ですら難しい。
持ち上げ支えても、崩れる可能性だってある。
だがその同伴者の男は軽々と持ち、酸鼻が極まった遺体――魔獣に切り裂かれ損傷し、異臭を放つ死者を可能な限り発掘した。
その遺体たちを埋めれたのも彼のおかげであった。
土を掘り、空いた場所を囲うように木の柵を作り、遺体を埋葬する。そこに木製の十字架を立て、名を彫った木のプレートを添える。
元より百人も満たない村であるが、ただ十字架を立てているだけで骨も何も埋まっていない墓もある。
二人は可能な限り捜索を試みたが、魔獣に喰われたのか、骨すら焼け落ちた建物の下で砕けてしまったのか、見つからない者も出てきた。また、焼死して誰であるかと判別がつかないものは、埋めたが名前も彫ってはいない。
プロクス村は、開発中の中央新都アウィス・イグネアから約二十三スヴァンの距離――すなわちこの世界のウマで平均して二十三日ほど掛かる地点にある。それをたった数日では常識的に、また物理的に不可能であるはずだったが、そこからこの地に立つ者がいた。
少女の名が刻まれたそこから背を向ける。
唯一の生き残りである立花颯汰は待っていた男と目が合った。
「墓作りが終わればアンバードに行く……どういう心境の変化だ?」
声を掛けてきた黒の装束の神父の格好をしている同伴者――紅蓮の魔王。
直後に頭の中に二つの声が響く。
『戦争に至るまでは“奴”の仕業だ』
『お前の復讐も、終わってないぞ』
――……あの言葉が真実かどうか疑わしいが、確かめる価値はあるはずだ。そのために“バーレイ”に戻る必要がある……!
脳が造り上げた幻想か、真実か――。
迅雷の言葉と謎の男の言葉の真偽を見極めるために彼は一度、魔族たちの国アンバードの王都バーレイに戻ると決めていた。
颯汰は目を瞑る。
夢のように淡く、しかし脳髄に刻まれた光景――殺したはずの憎き男との会話を思い返し始めた。
――……
――……
――……
閉ざされた白い精神世界(?)にて、怨敵である迅雷の魔王はソファに腰かけて語り始めた。
『――戦争に至るまでは“奴”の仕業だ』
殺したはずの怨敵たる迅雷の魔王――怪物はそう言った。
颯汰はその時は高校時代の背丈であるから視線を下に向けていたが、相対するこの男は鬼人族の血を半分引いているため身長が高めであるからきっと幼いままの颯汰であれば視線は同じ位置か少し下になっていただろう。
互いに殺しあった中である筈なのに、それすらまやかしであったかのように緩やかな空気の中、迅雷の魔王は口を開く。
だが、声を一瞬詰まらせ刹那の逡巡の果てに、
『――期待してるようで悪ぃが……』
煮え切らない様子で言う。
『…………――記憶に、無ぇ』
颯汰はテーブルの上に置かれたカップの皿をおもむろに掴み、振りかぶった。
驚いた迅雷は咄嗟に両手を挙げて、
『ちょっ! 待てッ! 落ち着けって! 話は最後まで聞けよ!』
叫んでは制止するように促し、ため息の後に話を続けたのであった。
『はぁ……俺は前世の記憶をきちんと持っている。それにその記憶を思い出す前のシドナイだった頃のもな。だけど“迅雷の魔王”になってから暫くしてからの記憶がおかしいんだよ。断片的で壊れているような――淀んでいて、ノイズまみれだ』
『…………』
『色々と割愛すっが、俺はとあるエルフに殺されかけて前世の記憶を取り戻し――魔王となってその要因となった奴らを皆殺しにした。それは間違いなく俺の意思だった。だがそれ以降がおかしい』
『おかしい?』
『確かにエルフのあいつらは許せねえ。殺しても地獄まで追いかけて八つ裂きにしてやりたい気持ちはまだある。だが、アンバードの王座もヴェルミ侵攻まで考えていなかった……』
『――!?』
『ぶっちゃけエルフが住むヴェルミなんて関係も無えし、さらに他に魔王がいるなら慎重に事を進める方が得策ってもんだろ? まぁ自分でもよく感情的で衝動的で何かやらかす事はあったけどよー、自分の命が掛かってると知りながら何でそんな考えに至ったのかわからねえ……。王座を狙うにしても力づくってのはナンセンスすぎんだろ。それに、勇者の血の秘密も全く知識がなかったが、いつの間にか習得していた。あんな悍ましいもの使う事自体俺らしくねえって思う。誰かに教えられたのは間違いない。それは断言できる。……だけど、その辺りの記憶がごっそり空白に――いや、ある期間――誰かと会ってるはずなんだが、そこがぐちゃぐちゃに塗りつぶされてるって感覚の方が近いな……。でも、その間に“何か”があった……! それに間違いねえ』
『…………何か見当つかないのか?』
『うーん。魔王に対してこのレベルの――ある意味洗脳に近い魔術……。魔人族たち術者の疑似魔法じゃあ不可能だ。奴らからそれなりに呪いを受けた記憶は残っているが無事だった。まぁ、ウザさで言えば虫刺されくらいにはあったけどな。……やっぱ、他の魔王の仕業と考えるのが妥当だろう。それが魔法なのか固有能力かも見当つかん』
『……あんた、他の魔王に会った事あるのか?』
『直接会ったのは紅いのと、たぶんおそらく絶対俺を煽動した“ノイズ”の魔王。あと何処かで武器商人を使って俺と接触してきた奴がいるが――』
『武器商人?』
『まだこの世界でそこまで普及してない銃とかを開発していたようだぞ』
『!』
颯汰の記憶によって蘇らされた映像に、鬼人族の海賊が手にしていた銃の姿が流れた。もしかすると、海賊とも繋がりがある相手の可能性がある。
『紅いのもそうだが、どんな固有能力を持ってるかもわかんねえ。だけど武器商人の方は違うだろうな。わざわざ商売なんてまどろっこしすぎる。人を操れる、あるいは記憶を消せるならもっと上手く立ち回れるだろ。そうなれば紅いバケモンもそうだ。わざわざ戦う必要がない――それにあいつ、なんか俺が誰かに操られてたの見破ってたし』
『……で結局、正体不明ってオチか』
期待していなかったと言えば嘘である。それが颯汰の表情に現れる。迅雷はカップを置いて座りながら腕を組み、少し唸った後に言う。
『いやひとつ、かなり望みは薄いが、奴を辿るヒントに……なり得るかもしれない奴がいる』
『! 誰だ……!?』
『そいつはアンバードに残っているはずだ。生きていればな。そいつの名は――』
……――
……――
……――
意識を現在に向ける。
話を全く鵜呑みにする訳ではないが、颯汰はその人物に会う算段をつけていた。仮初であろうと王となれば、探すのも会うのもただの子供よりも遥かに容易なものとなるだろう。
「別に……。どうせ逃げても無駄なんでしょう?」
目を見開いて、紅蓮の魔王の問いに颯汰は返した。
言い方は大人の諦観も子供染みている拗ねた感じもない。
迅雷との会話内容を話しても構わなかったが、確証もないし何よりあれが本当に現実ではなく、自分の都合のいい妄想の類ではない、と断言できなかった颯汰はあえて口にするのを拒んだのだのである。
「無論だ。……しかし、また『なぜ王なんかにならなきゃいけない』と言って暴れるものかと思ったのだが」
実際は抵抗する間もなく、颯汰は紅蓮の魔王によって一撃で伸されたわけだが、それについては細かいツッコミを入れることは辞めていた。
息を吸って、颯汰は呆れ混じりの空気を吐いてから言う。
「…………俺一人じゃあ、皆を、……墓を作ってやれなかった」
ちらりと並ぶ墓を見た後に正面を見据える。
そこに意外にも本心があった。
「それに迅雷を――、……俺一人では絶対に倒せなかった。……だからそのお礼」
様々な要素が重なったゆえに、颯汰は己に宿った災厄の力に振り回されかけながらも宿敵を討つに至れた。それを自分一人だけでは到底成し得なかった勝利であると自覚している。
「言っておきますが俺は王なんか向いてない。政治に関する知識もなければ、人の前に立つ器もない」
「そうだな」
紅蓮の魔王からノータイムでの返答を受け、颯汰は立ちながらずっこけそうになった。
「…………そこはせめて持ち上げて、やる気出させるのが普通じゃないですか?」
颯汰の一言に紅蓮の魔王は握り拳を空いた手にポンと置くように叩いて「たしかに」と口だけを動かした後、
「生まれてはじめて、真に王となるべき才覚を宿した貴重な人材を見つけた……!」
今更取り繕ろい始めた。
「うっわ、白々しぃー」
――……だけど、これで分かった。この人はとりあえず誰でもい良いから『国王』を置きたいんだ。理由はわからないけど。……それで今、たまたま迅雷を殺した俺が条件として相応しいのだろう。だったら、早めに本物の王様を代わりに見つければいい。それにこんな子供が王をやると言って反対しない勢力が生まれないはずがないし、野心家が現れて取り入ろうとするに違いない。一時的に『国王』という権力を使い、元の世界に戻るヒントを集め……あとは全部押し付ければいいだけだ
具体的に何をやるのか全く分からないが、ただ闇雲に世界を旅するよりも、拠点を作りそこで情報を様々な方面から集めた方が効率がいいと判断した颯汰は紅蓮の魔王の誘いに乗ることにしたのだ。
「……一時的に、魔王、あんたの願いをきいて偽者の王をやってやりますよ。だけど最優先はこっちの事情――つまりは元の世界に戻る方法を探る事ですから。こっちも善処しますが、そっちもちゃんと協力してください」
颯汰の心は決まった。その真意に気づかぬ様子で紅蓮の魔王は薄笑いを浮かべて言う。
「…………少年。君は他人に素直じゃないってよく言われないか?」
「なんすかそれ?」
何を言っているんだコイツという目で颯汰は投げかけられた言葉を振り払って返し、息を吐く。
実は結構な頻度で妹たちと幼馴染、それに姉にも言われていた言葉であった。
承諾を得たと認識した紅蓮の魔王は腕を組み鷹揚に頷いて見せた。
「何度か言ったが、私も少年が元の世界に帰られるように協力を惜しむつもりはない。だから君も“王”の職務をできる限り全力で取り組んで貰いたい」
「…………あぁ、右も左もよくわかんないけど、やれるだけやってやりますよ」
――正直、この魔王が何を考えているのか全くわからない。……俺を何かに利用するつもりなら、俺だってあんたを利用してやる
心の奥で静かに湧きたつ感情は闘志にも似た決意の炎。風に吹かれて揺らめきながら、儚く、燃ゆる。
颯汰は見た目こそ十歳そこらの少年であるが、中身は子供ほど他人を信用できていない。この男は主に日本で過ごした子供時代の影響で、そういう風に歪んで育ってしまったのだから、簡単にそこは変えられない。屹立する氷塊は昇る日すら隠したままなのだ。
名残惜しいが、いつまでも感傷に浸っていられない。
最終目標である元の世界への帰還と、未だ終わっていないらしい復讐が歪に絡む道を、颯汰は歩き始めたのであった。
ふと紅蓮の魔王が颯汰の真後ろとなった墓に視線をやって尋ね始める。
「ところで少年。その墓の少女――戦いの心得といったものがあったのか?」
「? いや、姉さんは家事とかは完壁だったけど……戦いはむしろ嫌っていた感じだったかな」
「では、何か変わった点はなかったか?」
「変わった点? 背がちっちゃいくらいだけど……」
エルフゆえなのか、出会って五年から一切背丈が伸びた様子はないどころか、そこで時を止められたかの如く少女は久遠にその可憐さを切り取られたまま固定されていた。成長した颯汰が容易に背負えるくらいには軽いお子様体型のままの年上の少女であったシャーロット。
他の村人同様に、彼女は異形の魔獣へと変貌した後に、荒れ狂う暴獣として村人を虐殺し村を破壊し始めた。そして、その正体に気づかず、家族同然であった彼女を、颯汰を討ったのである。
「ふむ……」
考え込む魔王に何事かと颯汰は顔を伺う。
基本的に空気を読まずに破壊する歩く災害と称された男であるが、この事ばかりは口に出すべきかと考え込むに至ったのは、それを聞けば颯汰がまた勝手に飛び出す可能性があると考えたからである。
なので、彼なりに慎重に問いを重ねていく。
「――ではその少女は心臓に何か病を持っていなかったか?」
「…………え?」
質問の意味がわからなかった颯汰が一体何を聞きたいのかと口に出す……その途中の出来事であった。
「――!?」
足元が泥濘始めた。
しっかり踏んでいたはずの土が多量の雨を受けたというより、そこだけ沼にすり替えられたという表現の方が近しい。
水と呼ぶには粘度があり、しかし泥と呼ぶには滑らかなモノの色合いはこの世の物とは思えない。プリズムの乱反射ような鮮やかな七色の煌めき。異界へのゲートが開いたのだ。
――ある一定まで足が埋まると、足元を踏んでいたはずの何かが消える感覚の後にすぐに下方向に重力が働き始めた。
即ち、颯汰はその突如出現した穴に落ちていく。
何かを掴む間もなく、触った地面すら溶けて、陥穽へ落ちていく――。
紅蓮の魔王はそれをただ眺めているだけであった。驚いて動かなかったわけではない。むしろこうなる可能性があると予見さえしていた。
「仙界に連れていかれたか」
だからこそ、泰然たる態度で対応し始める。
胸に右の握り拳を当ててから前に差し出す。眩い赤い光が零れ始め周囲を染め上げる。手を開くとそこには収束した光が小さな王冠を形成した。
「《王権》……!」
そう呟き、紅蓮の魔王はその王冠を握りつぶした。
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