01 望まぬ再会
目蓋を開けると、瞳には何も映らなかった。
厳密に言えば映っているが、“何もない”。
一面が降り頻る雪の如く白に染まった空間。
「…………はぁ」
思わず、ため息を吐いた立花颯汰。
重力が働いている事も知覚できる。また光が満ちているわけではないが、一定の明るさが保たれているのもわかる。上はどこまでも白であり、下も先も延々と続いて果てが無く感じる。
現在進行形で真っ逆さまに、緩徐であるものの頭から落ちている最中というのに、颯汰は妙に落ち着いていた。
嘆息は落下死を悟った諦観によるものではない。
あまりにも緩やかであるこの速度であるならば死ぬこともないだろうし、無限に続く白の中――現実ではないとすぐに理解できたからこそ、この後もどうせ碌な目に合わないのだろうな、と予感がしたからこそ息が漏れたのであった。
そして、直後、唐突に、止んだ――。
重力が、反転し、ふわりと着地する。
次は一体何が起きるんだ? と颯汰は訝る顔で辺りを見渡した。依然辺りは白い景色のまま、と思った矢先――カチャリと音がする背後へ振り返る。
「――ッ!? お、お前は……」
驚き、声を失う。
短い間であるが修羅場と呼べるものを乗り越えてきた颯汰であっても、さすがに面を喰らう状況であったのだ。
※
立花颯汰は異世界――日本に住むごく普通の高校生であった。しかし彼は十字路の横から突っ込む車両に対し、後輩である枝島冬華を救おうと手を伸ばした瞬間、蒼い炎に飲まれてしまった。
そうして意識が戻った際、彼はこの世界に転移……身体が何歳か幼くなって堕ちていたのであった。
昏睡状態のまま眠る幼馴染で年上の女子、朱堂美雪と再会するために立花颯汰は元の世界へ脱出する方法を探そうと足掻き始める。
その身に宿る“獣”の正体に気づかぬまま――。
十歳ほどの子供の姿となった颯汰を保護し、共にヴェルミ領内で旅を続けた男――ボルヴェルグ・グレンデル。
彼と共に旅を続けたある日、ボルヴェルグは祖国アンバードから妻と子を連れ出してヴェルミへ移り住み、颯汰に「一緒に暮らさないか」と提案する。
一向に元の世界に戻る手掛かりが見つからず、さらに子供のままでは野盗などのせいで一人で旅を続ける事が困難極まりないという現実を前に、また本物の暖かさを知ってしまった少年は、プロクス村で彼とその家族を待つ事を選んだ。
しかし、彼がその温もりを享受する事は永遠に叶わぬものとなる。
新たな王『迅雷の魔王』がアンバードをその手に収めた事により状況が悪化した。
新王は、一度死んで蘇った「転生者」と呼ばれる者たちの一柱であった。
転生者は与えられた強大なその力で王座を簒奪し、反乱分子や気に入らぬ者を弾圧――次々と処刑していったのだ。
そして迅雷の命によって執行された処刑――ボルヴェルグの死を引金に、颯汰は復讐にその身を投じたのであった。
プロクス村では竜の子シロすけとエルフの少女シャーロット、その父と祖父と日々生活を送りながら村の外れにある森の中――仙界と呼ばれる異次元の住人「湖の貴婦人」から剣を学び、明くる日も剣を振るい続け五年の歳月が過ぎた。
怨讐が颯汰を構築する中、闇は蠕動し世界を脅かす。
魔族と呼ばれる者たちが住む『アンバード』と、エルフと人族の国『ヴェルミ』との戦争が始まってしまったのである。
友であるクラィディム王子は、魔女グレモリーと結託し、国を明け渡そうとするダナン国王への“剣”、国を奪おうとする迅雷の魔王への“盾”として――異界に封じられた元勇者「紅蓮の魔王」の召喚に成功するが、既にヴェルミ領内全域に邪悪な軍勢が襲撃を始めた――それは颯汰が住んでいた村も例外ではなかったのだ。
急いで村へと翔けつけた立花颯汰。しかし、既に村は炎に包まれていた。そこで暴れまわる元凶の醜悪な魔獣を討ち取った颯汰であったが、その正体が共に過ごした少女シャーロットであると知る。
迅雷の魔王が捕らえた勇者から採取し、加工した“勇者の血”を用いたのだ。常人ではその血の力がとても耐え切れず、身体と精神がヒトのカタチを保てなくなる。
知らずの内であるが、大切な少女を手に掛けたという事実に発狂し、精神が壊れかけた颯汰。
同時に、“獣”の胎動が始まったのである――。
魔獣や漆黒の兵が“勇者の血”を用いていると看破した『紅蓮の魔王』。壊れかけていた少年は憎悪を燃やし再び立ち上がる。
颯汰は紅蓮と共にアンバードへ攻め入る算段を立て、二手に分かれて進んだ。
颯汰は魔人族の少女ラウムと共に協力者である獣刃族のアモンと合流した。アンバードの王都バーレイにて機を伺っていた最中、クラィディム王子と魔女グレモリーが魔王を召喚した罪により投獄されたという情報を知り、なおの事、早急に迅雷の魔王を討ちとり、ダナンを止めなければならないと奮起する。
一方、紅蓮の魔王はヴェルミ中の“勇者の血”を用いた兵器たちを破壊し、直接バーレイに殴り込みをかけた。
迅雷の魔王が紅蓮に気を取られている間、血の製造元である囚われの勇者の救出に成功した颯汰一行。そのまま気づかれぬ内に迅雷の『星輝晶』を破壊すれば、迅雷は一気に弱体化し紅蓮の魔王に敗北するのは必至であるため勇者リズを連れ、玉座の間の後ろの隠し部屋に辿り着いた。
王の右腕であるビム・インフェルートがそれを阻止しに現れたが勇者として完全覚醒に至ったリズがそれを撃退、竜の子シロすけの羽ばたきが起こした旋風に乗り『星輝晶』の破壊に成功する。
迅雷の魔王の弱体化は確かにしたが迅雷は自身の身体に“勇者の血”を取り入れ、颯汰たちを強襲する。
強敵の前に、颯汰の中に宿りし“獣”の力が目覚め始め、抵抗するものの……迅雷の魔王が放った雷の槍が颯汰目掛けて投擲されてしまうのであった。
絶体絶命の危機、疲労から回避不能であった槍の一撃を勇者リズ――幼いころに颯汰に恋した少女リーゼロッテが身代わりとなって受け、絶命してしまう。
感情が暴走し、身体の支配権を完全に“獣”に譲った颯汰は荒れ狂いながら迅雷を追い詰めたのであった。だが迅雷が仲間であるエリゴスを人質に取り、迫り来る颯汰に対する壁代わりに押し付け、生まれた隙に奥義『絶雷』を捻じ込もうとした。
その時、颯汰は“獣”が自身の中で情報を喰らい力を増幅させている事、身体を乗っ取ろうとしていた事を知覚し、大切な記憶――朱堂美雪の記憶を焼却されかけ、『声』が聞こえた。
『生きろ』という他者から贈られた暖かな願いを思い出し、闘いを“獣”だけに任せないと覚悟した颯汰は新たな力『デザイア・フォース』を己のものとする。
颯汰は受け継いだ想いを力に変え、迅雷の魔王を自分の意思で圧倒し、ついに撃破した。相反する“勇者の血”を身体に取り入れていた迅雷の魔王はとっくの昔に狂い、壊れていたのだ。
血の力が過剰な魔力と魔王の存在に反応し、暴走――迅雷の魔王は目を背けたくなるグロテスクな巨大な黒い肉塊となり自ら王都を破壊し、民を貪り始める。
紅蓮の魔王と颯汰が協力し、肉塊を破壊――したのも束のまま、内部でまだ残っていた本体が生存本能により飛び去った。
そこへ立花颯汰が大気中と地脈に流れる魔力、バラバラとなった肉塊に残る膨大な魔力を吸いながら自らを弾丸と変換し、一部だけ残して飛翔する。
弾丸が纏うエネルギーは龍の姿を模しながら迅雷を追走、遥か上空から喰らい、地上へと落下する。
魔王は同じ転生者が発する高い魔力か勇者の星剣でしか殺せない。
吸収した膨大な魔力を用い、魂ごと滅却する――強大なエネルギーは魔光の柱となり、周囲の地形を変えるほどの規模と威力を持ち、全世界に「魔王同士の殺し合いが始まった」と告げたのだ。
残りの力を振り絞り、颯汰はヴェルミの王都ベルンへ最速で移動し、クラィディム王子が紅蓮の魔王を召喚した罪の斬首を阻止を図った。
魔光の柱の出現と、ベルンに血塗れの少年が現れ動揺する民たち――既に力を使い果たした颯汰は気を失って倒れてしまう寸前、生まれた隙と時間を用いて協力者たる魔女グレモリーが紅蓮の魔王の星剣を召喚し、剣が彼をこの場に転移させた。
そうして紅蓮の魔王はその力を以て単独で場を制圧した。その上で両国を支配すると宣言し、二つの国を繋げ、他種族同士で分かり合える国を築くと標榜したのだ。
それ自体はあまりに甘く、だが尊い目標であり美しいとさえ言える。
だが、彼の魔王は何を思ったのか、立花颯汰をその統一した国の“王”にすると勝手に決めたのである。
確かに紅蓮の魔王には色々な面で協力をしてもらったという恩を感じている颯汰であるが、世界的に余所者である自分が王などやってる暇はないと反発し、脱出を試みて魔王と対峙した――ところまで颯汰が記憶している。
数多の修羅場と強烈な死線を越えた先でも、立花颯汰は自分の心のまま、見えない未来を手探りで選んでいく。
決められた道など歩まないと傲岸な態度で新たな試練を越えようとしていた。
※
「よぉ、邪魔してるぜ~」
気さくな態度と声音で、颯汰に声を掛ける。
それまで、確かにそこに存在しなかったはずの白を基調としたちょっと豪奢なソファに、これまた真鍮で装飾されたテーブルが置かれていた。
声の主たる男は、そのソファに背を預けながら寛ぎ、カップを握っては中の飲物に口をつけていた。
この世界に訪れてから妙な夢を見る事はあったが、その経験を踏まえても颯汰は理解ができなかった。
「なん、で…………?」
ソファに座る男はニヤニヤと笑った。整った顔にはサングラス、下品に曲がった口に額には二つのツノ。白の毛皮付きのコートを羽織る逆立つ金髪を持つ男は颯汰もよく知る人物であった。
「やっぱ麦茶はいいな~、緑茶は腹壊すからダメだ」
カップに視線を映し、受け皿に置き、再び陶器同士がぶつかる音が響く。
「馬鹿な……! お前は死んだはず――」
「――死んだっつーか、殺されたんだけどな、お前に」
驚く颯汰に向かって、冷めた声色で返す。
数秒、時が止まったように凛冽で険悪な空気が流れる。それはそのはず、――彼らは互いを“敵”と知っているからだ。
「……迅雷の、魔王――!!」
間違いなく、殺した――葬り去ったはずの男。
その手で掴み叩きつけ、光の柱で焼き払った仇敵――鬼人族とエルフの混血の魔王が眼前にいる。迅雷からすれば、自分を殺した怨敵であるだろう。戦いは避けられないと颯汰は瞬時に警戒するが、
「おう、坊主。シドナイでも、――――でも、好きに呼んでくれや」
元の声で不敵に笑う男。
何を考えているか理解が出来ない。
また、彼の言葉の一部がノイズにより聞き取れなかった。変だなと思いつつ、特に気になりもしなかった颯汰は深く考えずに応答する。
「…………じゃあ、かませ犬」
「容赦ねえな!? なんか別なのにしてくんない!?」
思わず迅雷の魔王はそこから立ち上がって訴えた。
同時にどこからともなく剣を出現させた颯汰。
それを見て迅雷は、嘆息を吐いてゆっくりとまたソファに身体を預け始めた。
「――ったく、まぁ負けたのは事実だからなー」
「…………何故あんたが生きている?」
「これ、生きてんのかねー」
鼻で笑いながら両手を見つめて迅雷は言う。
「?」
「ここはお前の精神世界ってやつだろ? たぶん」
「…………」
無言を肯定として受け止めた迅雷が続ける。
颯汰自身もそう決めつけていたが、改めて考える。
――よくゲームやアニメ、漫画とかで出てくるけど『精神世界』って一体何なんだろう……
意識と無意識の狭間――記憶と思考が散在するココロのセカイ。
当たり前のようにそれがあり、慣れ始めて余裕が出来たゆえに颯汰はそんな疑問が頭に浮かんだのだろう。
「個人の心の中にだけ存在し、他者の介入は不可能な領域――それならそんなところに俺がいるのがおかしいだろ? お前は俺を嫌悪してんだから。…………え、実は好きだった?」
「ねーよ」
「はいはい。……俺も目が覚めたらと言うべきか意識が戻ったというか――気付いたらここにいた。確かにお前に殺された。それは間違いない。だけど天国ってわりには殺風景で何も無え。音楽もないなんてある意味、地獄同然だぜ。これこそ本当の“死”って奴で、だからこそ妙に落ち着いてるのかねって思ってたところだぜ。死後の世界などなくあるのは『無』だけとかいう話。……恐ろしいが納得できた。でもそれじゃあとてもつまらねえ。って思って叫んだのさ『せめて何か寛げるものくれ』ってな。そしたらなんかこんな素敵なマイルームになって。で、その直後にお前が現れたわけさ」
部屋どころかずっと続く白の空間に、ただソファとテーブルにティーセットが置かれただけである。
――“獣”の仕業か? 何のために? 何故俺と迅雷を合わせた……?
迅雷をもてなした件ではなく、この夢幻の世界に自身と迅雷を呼び寄せた事についてだ。
「何で俺がここに居るか、何故お前も呼び出されたか……それは知らんが、お前に話さなきゃならない話があるってのは頭に浮かんでいる。どうやら、それを話せって事なんだろう」
颯汰は剣を下ろす。何を話すつもりだろうかと、ただし一切の油断をせずに睨めつけ訝し気に見ていた。
本気でこちらに敵対――殺すつもりならば、話し合う必要はない。魔王であるなら一対一での策略は無駄だ。シンプルに殺しかかればいい。それをしない、あるいは出来ないのであれば、話を聞く価値はゼロではないだろう、と判断したのだ。
それに、不思議と敵である最低の悪魔の口から出た言葉であるのに、嘘ではないと思えていた。
「…………俺を操り――いや、煽動し、“勇者の血”の秘密を教えた奴がいる」
「――!?」
――『お前の復讐も、終わってないぞ』
いつぞやの言葉が颯汰の頭の中でリフレインされる。背筋や腕などがブルっと震えるような寒気を感じて鳥肌が立つ。
そんな颯汰に気づかず、迅雷は続けて忌々し気に言った。
「そうだ。戦争を起こしたのは『俺』だ。だが“勇者の血”について教え――戦争に至るまでは“奴”の仕業だ」
“勇者の血”の秘密――。此度の戦争で使われた兵器たるドロイド兵や魔獣、死兵。それが存在しなければ、戦火は広がらず、もしかしたらプロクス村に悲劇は起きなかったかもしれない。
「――詳しく」
もし普通の戦争であれば、国境たるエリュトロン山脈から遠く離れた僻地たる故郷は、無事だったはずなのだ。
憤りを隠すためか、もしくは強すぎる怒りが一周まわっておかしく作用したのか、少年は口角を上げて問う。短く、だが強い語調で。
その表情を見て、まるで哂う悪魔だな、と迅雷も内心で笑い、それでこそ俺を殺したバケモノだと称賛する気持ちすら湧いていた。
新章入りました。
読んでくれている皆様のおかげです。
次話は来週の予定です。