62 統一(後編)
それは春は終わり、雨雲が近づく――月の変わり目に差し掛かったとある日の午後の出来事であった。
「………………もうツッコまねえ」
やって来た人物の服装を見て、颯汰は言葉の後に嘆息が勝手に出てしまう。
これまでも情報が多すぎて混乱しているというのに、全身でボケに回られても困るし正直疲れる、というのが颯汰の気持ちであった。
「一月ぶりか?」
現れた人物が口を開くと、『クォーツ・ロイド』と名乗ったメイド少女ロボが代わりに答える。
「ご主人様が眠りついてから正確には二十三日の目覚めのはずデス。旦那サマ。」
「ふむ、その間飲まず食わずで寝たままであったのに、そこまで動けるというのならば重畳」
自分の言葉に鷹揚と頷き納得している男。扉の向こうから現れた“魔王”。鋭く獲物を捉えるような翡翠の目に、髪は一時期赤みがかっていたが、元の金の長髪に戻っていた。
端整な顔立ちで長身の人族――。
“紅蓮の魔王”と称される強き男である……のだが、問題は彼の恰好にある。
「あぁ、これか。見ての通り。――神父だ」
全身黒の装束に首にかける十字架――聖職者の類のつもりなのだろう。何の冗談だろうか、と彼を表面上で知る人間はそう言わざるを得ない状況であるのだが、立花颯汰はもはや疲れてそれを放棄する事を決意する。
神を信仰するどころか真っ先に神がいるならば殴り倒しに行くであろう人物である事を“契約”の繋がりのある颯汰は理解していた。むしろこの世界にて魔王や勇者などという災厄を生み出した存在であればなおのこと彼は滾るに違いない。
ツッコまないって言ってるのに、と小さく呟いた颯汰であったが、また一つの疑念が生まれて問いただす。
「二十……三日? 嘘だ、そんなに眠ったままで人が生きれるはずがない。点滴がなきゃ栄養が足りなくて――」
「知らん。大方、中にいる“獣”の仕業だろう」
ぴしゃりと颯汰の問いに投げ槍に答える。
彼自身、正しい答えを知らぬのか、本当は知っていて誤魔化しているのか。
なぜ颯汰に“獣”が宿ったのか、そもそもその“獣”とは何なのかと問おうとするが、紅蓮の魔王は続けて言う。
「それより、二週――いや、一週間後にここを発つ。それまで少年はしっかり療養していろ。私は食事の準備をしてくる」
「ちょ、ちょっと! ここはどこで、どこに向かうって?」
黒のローブを翻して部屋から出ようとする魔王を呼び止めた。そこへ魔女が代わりに答えた。
「ここは『統一都市アウィス・イグネア(仮)』。エリュトロン山脈南部の、山があった場所よ。……あ、ピンときてないわね。わかりやすく言えば坊やがぶっ放した光の柱の跡地ね」
「――!!」
(仮)の部分も気になるが、ヴェルミの王都ベルンからは結構な距離がある場所である。
そこを経った一月もしないで開拓するなんて不可能なはずと頭の中にまた一つの要素が混乱を招く。
「まだ都市とは世辞でも言えん状態だ。……ヴェルミもアンバードも被害がそこそこあるからな。まずは両都市を回復させ、それが済み次第、この中央都市に人材を増やしていくつもりだ」
「ご主人様が山や森ごと破壊――蹂躙し、抉られた山塊から噴き出した水が溜まって出来た湖……その北部に建設中デス。」
「蹂躙なんて――。……ん? マスター?」
メイドロボが颯汰に向けて言う。その言葉に反応し、颯汰は彼女の方をチラリと見たが、
「ってエリュトロン山脈ってヴェルミとアンバードの国境――その真ん中に……都市?」
敵対する二国の間に都市を築き上げているという事実の方がウェイトが大きくそちらの方に意識が移りそれを問う事にした。
「あぁ、アンバードとヴェルミを統一する」
何気なく、また自然に堂々と紅蓮の魔王は言い放つ。颯汰は一瞬その毅然とした態度に声を失くした。
「………………できるの?」
「するのだ。多くの種族が住む国を――種族の垣根を超えた統一都市を造る。種族間の齟齬や誤解を埋め、互いに理解し合える世界に――」
――言葉に、嘘はない……か。本気? そんな絵空事みたいな。……意外にロマンチストなのか?
掲げた理想は美しい。美しいゆえに遠く、実現は困難極まりないものだ。想いだけや武力だけでは、真にその明るい未来が訪れる事はないだろう。
だが、『魔王』であれば――前世の記憶と知識、他を追随させない強大な力があればもしや……と颯汰はその“美しいだけの夢”を不可能なモノではないと思えてしまっていた。――その瞳には強い意志と妙な説得力が宿っていたからだ。
すごいな、と感心しか生まれない。
王でもなければ英雄でもない自分には関係ない事であるが、それがもし本当に叶えられるならば……と期待にも似た感情が湧いた時である――。
「――……お前が」
「………………………………はい?」
台無し。
空気が凍り、時が止まったと錯覚するほどの沈黙が流れた。時間停止の固有能力を持つ迅雷の魔王は死に、その能力を“使い潰した”颯汰も他の誰かが時間を止めたのではとあり得ない考えが浮かぶほどその言葉を受け入れていない。
紅蓮の魔王の続く言葉に、理解が出来ず“おまえは何を言っているんだ”と目で語るだけだ。
そんな視線を受けても神父姿の王は恬然としたまま事実を述べる。
「現在、アンバードとヴェルミを支配しているのはお前なのだ。少年」
その一言を聞き、颯汰は鏡から離れそそくさとベッドの中へ戻っていき、横たわりながら大きな枕を使って両耳を塞ぎ不貞寝を試み始めたのであった。
「黙って二度寝を決め込もうとするな」
カツカツとベッドに近づき枕を片手で引っ張り取り上げる。その勢いでぐるりとベッドの上で右に回転する立花颯汰。
「うわっ!! ――――いやだって、え? 何? どうなって、……は? えぇ!?」
「お前がこのヴァーミリアル大陸二大国を制した王だ。とはいえ全てを任せるつもりはない。ヴェルミ地方は王子――いや今は国王か、……が治める。少年はまず、アンバードを立て直すのが仕事となる」
「ごめん何言ってるか意味がわからない」
「ヴェルミでは少年を『紅蓮の魔王』、アンバードでは私が『従者』で少年が『魔王』と認識されていてだな」
「うん、もう訳わからない。何でそうなった?」
答えは各国に生きる民の勘違いである。
赤く切り刻まれた身体を晒したゆえに、迸る魔力の奔流で迅雷の魔王を討ったという事実――天も地も焼き払う破壊の光を生み出したゆえに。
それらを目の当たりにすれば、そう思う者が出て来ても何らおかしくない。
それに“魔王”という強大な存在――力による統制でなければ、アンバードも立て直しが利かずヴェルミも収まらないのだ。
「此度の戦、攻め込んだのは西のアンバードではあるが、東のヴェルミの被害はそこまで大きくはない。……あくまでも比較的であるが。死者は当然出ているがベルンまで侵略は及んでいないのだ。しかしアンバードは王都が戦場となり、さらに迅雷の魔王の暴走により死者犠牲者が相当数出てしまった。元より国民がヴェルミより少ないうえ、これはかなりの痛手だろう。加えてどうやら後継者たる男も殺されていたようだ。だから今、アンバードを治める者が必要だ。
多くの者が、あの“魔竜”と“柱”を見た――お前が放ったと知っているのだ」
――…………まぁ、王都に侵入した俺たちが切欠であり、だから紅蓮の魔王はそれがわかっているからアンバードの復興を手伝おうと考えているんだな。混乱を鎮めるために“魔王”という力で統制を図る、と……なるほど
脳裏に浮かぶ勇者の血が暴走した怨敵――迅雷の魔王。醜悪な肉塊となった彼が放った光線や、泥の肉による捕食により亡くなった者は多い。
だが、その気持ちはわかるが自分である理由がわからない。なぜ紅蓮の魔王自身が支配者とならないのだ、と問うた。民の勘違いも力を証明すれば正せるはずだし、“獣”の力は魔王のそれと違い、いつでも行使できるものではない、と使った当人がよくわかっている。それに『憎悪』或いは『憤怒』が斃すべき敵を滅ぼす力を与えてくれた。あれはあくまでも与えられた力であるのだ。要するに“獣”次第であり不安定なもの。彼(?)が敵だと認識していない相手に力を貸してくれるとは思えないのだ。
「私はどうも、王という役職――為政者には向いていないのだ。こればかりは大昔に嫌というほど痛感している。どうにも裏目になってしまうのだ。恥ずかしい限りだがそのせいで、大勢の犠牲が生まれた。私はやはり、座するよりも剣を持って戦場を駆け抜ける方が性に合っている。誰かの前に立つのではなく、等しく戦場で華を散らす――それしかできぬのだ。
それに私は結局、迅雷を殺せなかったからな」
「………………」
「ハッハッハ」と闊達に笑い飛ばす魔王。だが普段から笑わない男であるからか、その笑いがわざと吐いたものだと誰でも理解できるだろう。
――本当は殺せたんだな……。俺に、復讐のために譲ってくれたのかも……
颯汰は思う。
自分が迅雷の魔王を殺せるに至ったのは殆ど紅蓮の魔王がお膳立てをしてくれたからであると気づいていた。そもそも星輝晶を破壊し弱体化を図る際に彼は囮となって直接相手をし、破壊後に使った迅雷の魔王の《王権》は贋作の劣化版であり、“勇者の血”の制御が不安定ゆえに暴走――取り込まれた紅蓮は核を内部から破壊してみせたのも彼だ。そういった意味では彼には恩があるのは確かだ。
――だからと言って、それとこれは違う! このヒトに関しては何かを言った後にすぐ行動に移るから、言われた方はだいたい選択の余地がないパターンに陥る……! 俺が“王”だって? 冗談じゃない! そんなの時間がどこまで取られる!? 早く、早く帰らなきゃいけないんだ! どうせ去る世界なのに、……そんな事に付き合えるわけがない!
今やらせようとしている事に関しては、何としても阻止すべきである。颯汰にとって人前で目立つ事は得意ではない。むしろ積極的に避けてきたし、異世界で国王なんてやっている暇はないのだ。それに王の仕事の経験も知識なんて皆無だ。
早々に元の世界に帰りたい――帰るだけの理由がある。こんなところで無駄な時間を掛けている余裕はないからこそ、必死に脳内で逃げ道を模索する。
「そういう訳だ。傷も癒えただろうが……、あれだけ無茶をしたのだ。何かがあると面倒だから少し休め。アンバードへの馬車には医師を同伴させるとはいえ無理が祟れば――」
「ゥゥ……患者ァ、安静、絶対……!!」
「――私がこの医師に祟られるかもしれん」
真顔でおかしな発言をし、その小粋なジョークなのか天然なのかわからぬそれに吹き出すのは魔女だけであった。
「さて、少年が目覚めたとなれば私は動ける。先に用事を済ませてからアンバードに向かう。少年は休み次第馬車で行け。いいな?」
「ちょ、無理! 何で決定事項に!? 俺の意思は!? いきなり王様なんて出来る訳がない! 不可能だ!」
短時間では逃げる術が思いつかなかった。
仮病も通じると思えず、それに先延ばしにしても根本的な解決に至らない。
ならば素直に正面から王になる事は出来ないと抗拒するしかないのだが……無論、それが通じる相手ではないと颯汰はわかっていた。
「この場で死ぬか、王として生きるか選べ」
「ッ…………ぇ、えぇー」
首元に、星剣の切っ先が燃える。困惑の声を上げたものの、やはりこの暴君ならば力業で意見をねじ伏せてくるだろうと予感はしていた。しかし、まさか本気で大剣をこんな室内で現出させるとは埒外にも程があるだろうという呆れがその漏らした声の内に多大に含まれていた。
「案ずるな。少年が元の世界に戻れるよう協力は惜しむつもりはない。私が代わりに手足となって資料を集めよう――貴様が走り回るより確実だろう」
剣を光に還し、男は背を向けて歩き出して部屋から出て行った。階段を下り木が少し軋む音が聞こえ、遠退く。どうやらこのログハウスは二階建てのようだな、ととても重大で衝撃的で――勝手に押し付けられた大役から逃れるように意識まで光差す窓の外へ逃れようとしていた。
「ご主人様、旦那様が決められた事を反するのは推奨しまセン。」
「そうね。彼は強引で……私もお陰でヴェルミじゃなくてアンバード行きよ。まぁしばらくよろしくね。坊や――いえ、『国王陛下』、それとも『魔王』? 『総帥』の方がお好みかしら?」
「――止してくれマジで」
魔女もまた、紅蓮の魔王に強引に連れていかれるようだ。余裕のある大人の女に対し、立花颯汰は、まさに不貞腐れた子供のように、布団を掴む指だけ残し――被って全てを遮ろうとする。
だが、待ち受ける試練からは逃れられない。
英雄を継ぐものゆえの宿命か、或いは――何者かの意思か。
悪意が錯綜し、闘争の火種は静かに灯される。
そんな中、ヴェルミとアンバードの戦争は終結し、いがみ合う二国は“王”の下一つとなり始めた。
あと数日で“人の月”から“雲の月”に移り変わるこの日に、新たな支配者が生まれたのであった。
寝ます。
誤字などの修正や何やらは後で行います。
次話は外伝を挟み、その後新章となる予定です。
おやすみなさい。
2018/11/18
脱字の修正。