61 統一(前編)
闇の中、輝く光を求めた刹那――、刀剣の如く峻烈なる牙が襲い来る。抗う術もなくただ呑まれた。
「わぁあああああぁ――アダッ!?」
上げた悲鳴が途絶える。あとに受けた強い刺激によって中断させられたのである。
「痛たたた……」
思わず両手で額を押さえ、さする。
強い衝撃で頭がクラクラする。
星が瞬き、頭上で回っている錯覚――。
同時に、夢であったと理解する。
岩塊あるいは鋼鉄に頭を打ち付けたような痛みが眠気を一気に飛ばしてくれたが、お陰でどんな悪夢であったか忘却の彼方へ――直ぐに曖昧なものになってしまっていた。
だがそれはきっとろくでもない夢だったに違いない、と断じた少年はすぐに追憶せずに、現実――眼前の女性に視線を向けた。
「お目覚めデスか。寝坊助野郎。」
「え……あ、はい」
冷めた声で尋ねる石頭の持ち主が覗き見るように顔を近づける。反射的に少年――立花颯汰は大きなベッドの上で布団を掴みながら、後退るように上体を動かした。
体感キングサイズぐらいの大きさはあるが、それに関して何かを想うより先に、見知らぬ少女の方へ意識が向いていた。
ガラス質のような瑠璃色の瞳。
透き通るような赤色の髪。少し長めで分けられた前髪の左目にかかる部分だけは切りそろえられ、右目の方は若干かかっている。後ろ髪は三つ編みのお団子で纏められていた。
黒と白のロングスカートのエプロンドレス。
まるで血が通っていないような青白い肌。
「………………人?」
「初対面で失礼デスね。」
覗き見る顔が近くなる。かなり整っている部類の顔なのだが、それ故にどこか非人間的で――言うなれば芸術的な美しさ、と言うべき何かを感じていた。だからこれは異性による照れではないのだが、得体の知れない人物が急に眼前に近づく事に対しての抵抗であり、颯汰は視線をずらしていた。
「いや寝坊助野郎も充分失礼でしょうが」
少し笑いを含んだ声が聞こえる。
それ颯汰にとって聞き覚えのある声であった。
「あ、魔女の……」
「やぁ、坊や。グレモリーお姉さんだよ」
恰好は出会った時と同じ魔女風の装いではなく、役人のような――派手さはないが小奇麗とした制服を身に纏っていた。デザイン的にはヴェルミの軍服に近いだろうか。無駄な装飾が省かれ少しシンプルなものとなっている。
――このヒトが無事なら、ディムも無事か……
ベルンにて処刑されかかっていたクラィディム王子と魔女グレモリー。王族である彼がこの場にいない事は当然として、彼女が今ここに居るという事はそう結論付ける事が出来た。
右手を振る怪しい女に会釈をしながら、つい近くにいるメイド服の謎の少女と比べていた。
グレモリーも体外肌の色は青白いが、メイド服少女は一層青白い。むしろ灰色に近いとまで言える。さらには磨き抜かれたように艶がある……と言うより光沢すらあったのだ。
頭にはホワイトブリム……だけではなく、前頭部に何やらメカメカしいバイザー。そこに青い光のラインが走っている。
耳の部分を覆う円形のユニット。
「――ロボだこれ」
「そう。メイドさん型ロボット」
「正確にはクォーツ・ロイド、デス。」
「…………いや嘘だぁ」
機械人形――ロボットの類ではないかと颯汰は咄嗟に口走ったが、馬鹿な事を……と頭を横に振って口は「ないない」と声に出さないで否定した。
一方、わざとらしく「ウィーン、ガシャンガシャン」と動きながら口ずさむ少女。ベッドの上で布団に半身埋めながら颯汰は訝し気な目で見る。
すると、メイド服の少女がおもむろに両手で自分の両頬と顎辺りに手を置いて、
「はい。」
「はいぃいッ!?」
すぽっと自分の首を取って掲げるように持ち上げた。
頭が首から外れているのを見て、颯汰は素っ頓狂な声を上げる。毛も逆立ち、目を剥いていた。
少女は何事もなかったように首を元に戻す。一瞬手品の類なのではと目を疑ったが、確かに断面がヒトのそれではなく、機械的で血の通った様子は見受けれなかった。
「まー、これ見たら驚くわよねー」
「あ、えぇ、あぁ、うん……はい。いや、え、何? なん――」
少し笑いながら言ったグレモリーに対し、状況が全く呑み込めず、颯汰は混乱しながら、一体何がどうなっているのかと問い詰めようとした時だ。
バァン、と破裂音にも似た大きな音――その方向である彼女たちの裏である扉に視線をやって、物凄い勢いで木造の扉が開かれた事がわかった。
「患者ァァア!!」
「今度は何だッ!?」
まさに蹴破る勢いでやってきたのは――、
「医者ァァ……」
「………………いや嘘だぁ」
自分を指さしながら医者と称する女。いきなり現れた謎の女性に対し、立花颯汰は疑念を越えた感情が喉元から零れ出していた。
彼女の特徴は長すぎる黒髪だろう。
髪の手入れなど一切せず、ただ自然に伸ばしたような毛の樹林。生きる毛女郎がそこにいる。
白衣は少し埃で黒く汚れ、謎の赤い染みについては見なかった事にしたかったが、一度視線に入れてしまえばそれが目についてしまう。
白く細い枯れ枝の指が拍車をかける。もはや怪しい人物――完全な不審者か妖の類であった。心なしか室内の温度も少し下がったように感じる。得体の知れないざらつきと肌寒さが気持ち悪い。
「患者ァ、目覚め、た……!!」
「何だこのヒト!?」
「だから医者だって」
「むしろ彼女が医者に診てもらうべきデスね。」
他者の言葉に耳を傾けず、肩を揺らさず摺り足で瞬時にベッドへと近づく女医。そのおどろおどろしさにビクリと颯汰は身体を跳ね上げらせる。
あっという間にもはや顔が目の前にあり、身体が凍り付く。それなのに冷や汗が止まらない。
長い髪から僅かに見える瞳が赤く、恐怖を煽る。
「触診……おぅけー?」
「うわっ!? え? …………た、食べない?」
「食べない食べない」
颯汰本人に触れる事に許可を求める医者。そこへグレモリーが笑って手を横に振りながら颯汰の考えを否定した。
了承と判断したのか女はずいっと顔に触れ、嫌がる颯汰を余所に触診を始める。腕、腹にひんやりとした感触が少し気味が悪い。
「各裂傷、やはり再生済みィ……。脈拍、ちょっと早いケド、許容範囲ィ……」
「ねぇ! このヒト本当、大丈夫!? いろんな意味で! マジで生きてるヒトなの!?」
「大丈夫ダイジョーブ! ちょっと女子力と生活能力が著しく低いだけのエルフだから」
「ァァ……」
「女子力以前に人かどうか怪しいデスけどね。」
「あんたもヒトじゃないけどね。……こう見てもたぶんこの世界で一番の医者よ?」
「…………本当ぉ?」
腹から胸へ登ろうとする手を簡素な服の上から両手で押さえながら、颯汰は問う。
「医療に関しては超一流なのは確かよ。……まぁ信じられないでしょうけどね」
ホラー映画かゲームの病院内に出てくるタイプに近い見た目をした人物に何を冗談をと颯汰は訝る。
「瀉血、おぅけー?」
「――!? おい! 瀉血ってアレでしょ!? 切って血抜く全く医学的に効果がなかったってやつ! 絶対ダメだろこいつ!!」
「実は三度飯より血が好きらしくて――」
「――何故そんな輩が医者に!? 絶対不要な施術とかするタイプだろこれ!!」
頭の中に医療ミスと偽ってわざと患者を弄繰り回す醜悪な犯罪者の姿がイメージされる。その幻想を打ち破るように躍り出る女医は、
「のぅ。患者の了承、絶対」
手でバッテンを描き、悪霊のような女の動きは少し可愛らしく微笑ましい。だが垂れ下がった髪の間から見下ろしてくる瞳は、こわい。ホラーそのもの。
「そこんところは護るから大丈夫よ(たぶん)」
「どういった経緯で医者に……? というか医者の免許とかそういうのないんでしょ? この世界」
「ぶっちゃけ、そこまで医療技術も発達してないのよねー。切る手術自体が珍しいというか異端というか……」
「異端……うん、異端である事は間違いないな。納得納得。…………?」
うんうんと女医を見て頷いた後、ここに来て颯汰は自身の声に違和感を覚え首を傾げる。
試しに咳払いをした後に発声し、調子を確かめる。声に妙な高さがあり、喉に手を当てて「これこそ不調」なのではと考え耽ようとしたが、
「……ん? …………ん!?」
それ以上に驚くべき事態が、起きていた事に気づく。今まで気付けなかったのは確かにおかしな話であるが――目を覚ますと知らぬ人間たち、しかも個性が異様に強い女たちが近くにいるというある種暴力的までの情報の多さに困惑し、気付くのに遅れたのは仕方がないことなのかもしれない。
ベッドの上に立ち上がり、全身を手で触り見渡したと同時に、部屋の隅に置いてあった全身を映せるスタンドミラーを魔女が持ってきていた。
鏡面に一瞬、ギラリと差し込む斜光が反射し颯汰は眩く目を細めたが、すぐにベッドから鏡に向かって飛びつき、自分の姿を改めて網膜に焼き付ける。
「な……ななっ……!?」
見開いた瞳は揺れ、頭の中まで揺れ動く。
ペタペタと小さな手で顔に触れる。
あり得ないと脳がその現実を否定したくても、それは紛れもなく自分自身であった。
「なんじゃあ、こりゃあ……!!」
自分の顔をちゃんと見たのはいつ以来だったかは定かではないが、これは違うと颯汰の心が言う。
自身がまだ大人と呼べるものではないと自覚しつつも、それでも子供と呼べるほど幼くはないと思っていた。戦う覚悟を以て、顔も身体つきも日本に済んでいた頃よりも少し異なってきたが、これはそれ以前の問題であろう。
「――先に言うけど、私たちも原因がわからないわ。坊やがずっと眠っていて、突然そうなったのよ」
「…………いや、そうなったのよって、どうなってこうなったのよ――?」
混乱で口調までおかしくなる。それほどの異常事態。
鏡に映る顔をまじまじと見る。映るその瞳に、復讐に全てを捧げていた邪気が去っていた。
否、戻っていた――憎悪を経験しない過去まで。
同じ床に立ち上がっているのに、目線が女たちと合わない。彼女たちから見下ろされる視線と、颯汰は顔を上げて合わすしかない。
「身体が、縮んでいる………!」
再び正面の鏡――そこにはあどけない子供の顔があったのだ。それは十代半ばを過ぎた男の顔ではなく、まだ十代かそれに満たない幼げがくっきりと現れている顔であったのだ。四肢も短く細く――いや年齢に相応のものとなっている。
――!! この世界に堕ちた時と同じ………!!
小さく漏らす声は誰にも悟られていない。
さらに気付いた。着せられている簡素な病衣であるが、顔と背丈は、最初にこの世界に来たと認識した時と同じであると。
「子供だ……。たぶん十歳か、それくらいの。何で……? ――ッ! “力”を使った代償か……!?」
全てを捧げ、あの場で『迅雷の魔王』を殺せるならば、全て捨ててもいいとは確かに思った。
身の丈を越えた――世界を滅ぼす力。それを無条件で代償もなく、行使できるほど摂理は甘くはないものだと、誰もが理解している。当人であれば尚更の事だ。ゆえに、この変化に訝し気であった。
あまりにも、罰が優しい。死すら覚悟したつもりであった。当然死ぬのは嫌ではあるが。
――恩情でこの程度で済んだ? それとも……。
身体をくまなく探すが、目立った怪我や欠損は見当たらない。若さゆえの玉のような肌には擦り傷すら残っていない。何か理由があったに違いないが、それがイマイチ思い出せないでいた。
実は自分では気づかない変化もあるのではと考えていた矢先、また開いた扉の方から誰かがやってきた。どうやらこの部屋――木造のログハウスは結構な広さがあるらしく、扉の先はすぐ外……ではないようだった。
大きなベッドの真正面の扉から現れたのは颯汰の知る人物――人外率が異様に高い部屋に更に一柱、人外の力を有する者がやって来たのであった。
先週休んだので二話掲載。
というか長くなったので分割です。
新キャラの性格と容姿は随分変えました。
というか容姿disが強めで、
書いてる本人がちょっと引いて修正。
このご時世は気をつけないと……。
結果、ほぼ真逆なキャラへ変貌しました。
個性は強いですが。
章が終わり次話から
比較的平和でノーバイオレンスで
暖かい世界にしたいという事で
雰囲気を変えるべく会話を多めで
若干コメディチックにしようとして上手くいってないヤツです。