58 限定行使
少しだけ時間を遡る。
空と大地が啼く瞬間まで巻き戻そう――。
瞬く星……尾を帯びながら空を翔ける姿はまさに流星の如く――輝く魔龍が無人の山に突き刺さるように堕ちた。
耳が痛くなるくらい大きな破壊音と衝撃、目が眩む白銀の光が奔り、魔光の柱が天を貫いた。
連なる険岨な岩山を、地形ごと、環境を一変させた。
砂や石は飛礫となって舞い、山であった土地は抉れて大穴が空く。
立ち昇る光の柱――。
その抉れた表面の土は光に焼かれ、闇に熱が全て奪われたようにガラス質となって煌めく。その正体は情報結晶体――“ルーン”と呼ばれるものであった。この世界では、海も大地も空気も、ありとあらゆるモノが情報結晶体で出来ている。
見る角度を変えれば異なる光を見せる輝く鉱石は世界を崩し、再構築した重大な要素であるのだが、今語るのはここまでにしておこう。
着弾地点から半径十二クルス一帯が光の柱に呑まれていく。
迸る闇色の光――。
その内部の中心に向かえば向かうほど、濃密な魔力の奔流により刹那の時間が無限に引き延ばされ、色が失われ、的礫と輝く光へ変わっていく。
目を焼き尽くすまでに眩い光の中――。
一人の男を地面の底へ叩きつけ、押さえるように手を当てがっているそのシルエットさえ影となって映る。そんな激しいエネルギーの奔流に焼かれている男は確かに嗤っていた。影でも表情が曇ったのが見て取れる。
だが押さえる手は緩まず、むしろ力がこもる。
――ハッ、熱量だけで魂を焼き尽くす……、魔王を殺せる『魔法』や『星剣』なんて目じゃねえな
耳朶の奥に突き刺さるジェット機のエンジン音のように重く、芯まで震わせる音……エネルギーが周囲を焦がす音の中、確かに敵――迅雷の魔王の声が聞こえた。
四肢の殆どが、不均等であるが消失した魔王は、光の中で笑っていたのだ。
言葉を発した男は、自分を殺そうとしている相手の動揺した様子がおかしくて、さらに笑った後、真面目な声音で付け足した。
――ハハハハ、……さすが俺様の「敵」だけはある。……お前の、勝ちだ
怯えていた感情すら光に焼き尽くされたように穏やかで掠れた声であった。いや、確かに彼の中に巣食う蟠り……邪悪な意思は薄れていた。死を前にして悟ったかのように……。
――じゃあな、“龍”。せいぜい、誰かに利用されねえように、気ぃつけとけ……
消え入る声。それすら光に掻き消されていった。
そして――。
まだ空に向かって光が立ち上っている中、蠢いた。
地獄から這いあがるように、衝突により盛り上がったクレーターの端を掴む右手。
身体をゆっくりと引き起こし、一気に光の外へ飛び出した。
肉体には幾つも傷が生まれていた。全てが攻撃による外傷ではなく、魂への傷が肉体に影響を及ぼしているのである。
地面を擦りながら滑っていき、砂塵を散らす。
面を上げ、握り締めた左手を開いて見つめる。
そこは空、何も残っていない。
「――あぁ、俺の……、俺たちの……勝ちだ……!!」
それを握り締めた瞬間、赤い雷が奔った。
握った手のひらの両端から、目視が出来る雷撃。
同時に、身体中のあちこちに、ビリビリと赤い色をした電気が生じ始めていた。
そして背中からは、一瞬、辺りを照らした光と同じ色の白銀が強く輝きだす。
そっと目を瞑り、深呼吸――。
脳に疑問が幾つも浮かんでくるが、
「――行かなきゃ……!」
ズタボロの勝利者――立花颯汰は大樹の都の方角へ自然と向いて言った。
野性的な第六感が働いたのか、友であるディム王子が近いうちに処刑されると聞き及んでいるからこそ、そう思ったのかもしれない。
体勢を直し、直立すると、遠くの空を見て深く息を吐いた。
「大丈夫だ。出来る。ここまでも飛べた。大丈夫。イケる。イケる。問題ない」
パンパンと両頬を両手で軽く叩いて気合を入れる。
この地まで飛んだ時と同じ躊躇いが生じていたが、同じ度合の覚悟を決めると、地を蹴って緩やかな斜面を下り走り出した。
少しずつ速度が上がり、幻影迅で急加速する。蹴った地面に赤い電気の残滓が見えた。瞬間、姿が消える――否、上空へ一気に跳躍したのだ。
「――ックァ!?」
声に成らぬ叫び。高所から身体が落ちる感覚で腕には鳥肌が立ち、髪は逆立つ。
歯を食いしばり、身体が落ちていく恐怖を噛み殺す。
この感覚はきっと慣れることはないだろう、と思いながら。
「ァア、アア……!! ――うぉおおおおッ!! 跳っべぇぇえええッ!!」
宙に堕ちながら、右足があった地点に赤い電気がまた映ると、何も無い場所を足場としてさらに颯汰が跳んだ。
雷瞬――。
迅雷の魔王が得意とした走法でありを我が物として“喰らい”、己の力とした。
空を飛ぶなんて高度な真似は出来ないが、これで障害物を無視して一直線でベルンを目指せる。だが、それには些か時間が掛かり過ぎる。
胸を焼くような焦燥感と、遠い目的地の真上に黒い靄が燻された煙のように立ち昇るのが颯汰の目には見えたのだ。
――視える……でも、今更……? いや、いい……。視えるって事は、それこそ、……覚悟を決めなきゃいけないだろうなッ!!
自分の持ち前の危機察知能力は、この世界に堕ちてから使えなくなっているとさえ戦闘中に何となく“理解”していた。
何が原因かは……まぁ、おそらくこの“獣”が影響しているのだろうとそこまで深く考えていない。
だが、それが取り戻された。限定的なのか、力を得た結果なのかすら見当がつかないが、そこへ向かうという事は何か『不幸』がそこに降りかかるという事実が待っている。関わって良かった試しは一度たりともない。心にも身体にも傷を負わす天災がどういう形か見えないが待っている。
だからこそ、向かわねばならないという使命感が心と魂に火をつけた。
そこへ行けば自分に最悪に近い『不幸』が起こるというならば、他人には被害が最小限で済むのではないかという答えが出たからには、身体は前へと衝き動かされる。
何が起こるかはわからないが、きっとクラィディム王子の身に何かが起きているに違いないと断じた颯汰は死力を尽くして跳んでいく。
一度の跳躍で三ムート(約三メートル)から、段々跳躍速度と距離を伸ばしていく。既に約十ムートまで一瞬で通過していく。宙を蹴る場所にその都度赤い電気が飛散した。
「――ッ……! このままじゃ……!!」
火災とは異なる独特な気配を持つ黒煙であるが、それが段々色濃くなって映る。今までとは違う反応であるが、予感が急がねばならないと叫び声を上げている。
だが、速度が足りない。今までで最も速く跳んでもまだ足りない。
迅雷を追い、殺す事に全力を注いだため、大気や泥から吸収したエネルギーがもう、尽きかけている。
「いや、まだだ……! 来い『ファング』!!」
呼び掛けに応えるように黒獄の顎が左腕から瘴気と共に現出する。
主の命令を既に理解している獣の顎は口の中にエネルギーを溜め、ある物を精製を始める。
今、彼がここまで動けるのもある種の奇蹟であるのは間違いない、それでも、この少年は更に強請る。己の限界をとうに超えたその先を――。
『作製完了:レガリア・レプリカ――』
無機質な音声と共に、顎から放たれたのは白銀と黒鉄を無理矢理合わせたような、急増で造った紛い物であった。あしらわれた宝玉部分もただ無骨に金属で再現された王冠――。
迅雷の魔王が手にした金色の王冠のレプリカだ。
だが、魔王以外が王権を身に纏う事は出来ない。
その機構の再現は出来ても模造品では真の実力の半分も発揮できないはずだ。現に迅雷が星輝晶を破壊され王権が使用不能となり、代わりに創った模造品であっても他者から魔力を吸収しなければ保てない劣化版であった。何しろ王権は魔力を生み続ける器官でもあるのだから。
そう、これはただの側だけの再現した品。
一種の鍵――或いは起動スイッチの役割を担うだけ。
だが、それで充分だ。
颯汰が出来上がった王冠を左手で掴むと、それは粒子となって溶けては、腕の中に吸い込まれていった。
赫雷が左腕に迸る。そして颯汰はその手を開いて前に突き出して叫んだ。
「デザイア・フォース!! そして――」
身体から溢れ出た闇が装甲となる。先程までの、迅雷と相対した時と同じ姿だが、両腕に巻き付いた鎖は一度壊れたためか消えていた。
「限定行使、『時間停止』発動ッ――!!」
残響が遠退き、途絶える。
色も失われ、全てがモノクロームに沈みゆく。
万象が時の狭間に閉ざされ凍り付く。
時が、止まったのだ――。
言葉にした名前こそ違うが、それは紛れもなく迅雷の魔王が使った固有能力と全く同じものであった。
そして、そのまま颯汰は翔ける。
全く同じ……つまりペナルティも同様に訪れる。
『グァッ!? ……痛ッゥ!!』
止まった時の中での攻撃――移動の際であっても使う魔力が“攻撃行動”とカテゴライズされ、その魂に傷を付ける制約が発動する。
身体の内側から、刃で突き刺され抉られるような、絶え間ぬ痛みが襲い掛かる。
超高速移動で生じる衝撃波の傷は外装によって護られるが、魂の傷は防げない。
魂と肉体は繋がっているため、傷が生まれては血が流れ出す。
それでも、脚を止めるつもりは颯汰にはない。顔の半分を覆う装甲の下で、歯を食いしばって耐え抜くつもりだ。
復讐を果たした颯汰は、『ここで終わってもいい』とすら考えたのかもしれない。
ただ無我夢中で、その手を伸ばす。
自分が前に出て、助けられる命がそこにある限り、彼は歩みを決して止めないのだ。それは一種の狂気――不変の、彼の生き方となっているのだ。
そうして、傷だらけのまま、時間を止め――いや、その向こう側へ刹那の合間だけ到達した少年は、時間の概念を飛び越え……僅かな時間でヴェルミ国の王都ベルンに辿り着いた。
上空から貴族層に向かって、顎からとある物を取り出しながら落ちた。
そうして、現在に至る。
王子に刑を執行する直前、魔の波動が天まで伸び、消えるまでほんの僅かな時間――その方角に、見ていたハズなのにいなかった“闇”――突如、宙より降り立った災厄――立花颯汰が現れたのであった。
紅く、紅い、自らの血に濡れた少年。
明らかに出血量が致死を迎えているが、それでも彼は、まだ生きていた。
手足の蒼い炎は消えたが、背からは奇異な白銀の光が眩く漏れている。
あれが何なのか民も王にも、誰にもわからない。
そんな異様な空気を造り出した当人が、静かに動いて処刑台の方を見上げ出す。
「…………!?」
目が合ったダナンは思わず息を呑む。たかが人族の少年。だがその凄みは初めて迅雷の魔王と出会った時に感じた戦慄に似ていた。
言葉に詰まり何か言い淀む王に対して、血塗れの闖入者――立花颯汰は手に持った物を見せつけるようにして言った。その息は荒く、喉は掠れていたが、はっきりとエルフたちの耳朶へと届く。
「――はぁ、はぁ……、迅雷の、魔王は……俺たちが討った……! だから、その処刑は中止だ……!!」
風に靡く黒は、アンバードの古城ピュロボロスの王旗と、その旗に描かれた化け物と同じ意匠の兜を突き出して宣言する。
「なッ!? そんな馬鹿な――ハッ!!」
思わず身を乗り出す勢いで踏み出したダナンであったが、それは間違いなくアンバードの王旗であり、色こそ違えど《神滅の雷帝》の兜であった。
そして、即座にダナンに電流が奔る。
――ま、まさか……、この小僧……、い、いや……この男がもしや……!!
纏う濃密な魔の波動、身体から発した“紅い”電気。
真っ赤に染まる血はもはやヒトなら流しすぎて致死量を越えているが、それがもし他人のものであるというならば――他者の返り血?
連鎖的に想像が膨らみ、一つの誤った解答へ辿り着く。それはこの場で彼の存在を知らない者たち全員が同じ結論が導き出されてしまった。
――「「「紅蓮の、魔王……!?」」」
空から舞い降りた災厄の化身。
紅い衣の王だというイメージが、他者の血を浴びたために真っ赤となった恐怖の王という恐ろしいものへ変わっていく。
そんな勘違いも露にも知らぬ颯汰は、血走った獣のような瞳で一切ダナンから視線を外さない。
ダナンには、颯汰の佇まいが既に狂気に満ちているが、その言葉が狂言であるとは思えなかった。
迅雷が死んだ証拠がないだろうと糾弾できない、もしそうであれこの目の前の“魔王”がどう動くか、何を考えているかもわからないのだ。
理解不能の状況と知らぬが故に、皆がそのような答えに至った。人混みの中で小さく「あれが、魔王……?」と声がし、誤解が伝播していく。
「ディムを、降ろせ! アンバードの簒奪者、……敵の魔王は殺した! アンバードに、もうこの国を襲う余力は、ない!」
ガランと、落した兜が石畳に当たる。
敵の魔王という物言いが、勘違いを加速させた。
響く音が引き金となり、騒ぎと混乱が爆発した。
悲鳴。啼泣。怒号。絶叫。
ヒトの波が揺らめき、その場から我先にと離れようと人々が流れ出す。
あっという間に、静謐と真逆の喧騒に満ちた世界となった。
それでも動かないのが、降り立った騒ぎの原因たる立花颯汰であった。
そこに緊張がはらみ、ダナンは脂汗を流し、顔色が悪くなっていた。
だが、今にもダナンの喉元を喰らい付かんばかりの目をしてた颯汰が、ふらつき始めた。
王旗を持つ手の力も入らず、それも手から零れ落ちる。少し前のめりの体勢のまま早くしろと目で訴え出すが、それを見てダナンは希望の光を見出した。
――奴め! よく見ればもはや虫の息ではないか!
迅雷の魔王が死んでいた場合、王子を処刑する意味はなくなる。迅雷に捧げようとした王子の首が、ダナン(とその仲間たち)の命と地位を守る盾であったからだ。
その脅威が去ったゆえに王子が死ぬ意味は失われるはずであった。
だがそれが真に失われるのは、迅雷より力のある紅蓮の魔王がその力を見せつけた時だ。新たな死への恐怖が身体を縛り付ける枷となる。
それが証明できない場合、――答えは簡単だ。
邪魔な王子を殺さない理由とならない。
真偽がどうあれ、ダナンがこの地位にいる限り、王子を生かしておいて得になる事はない。むしろ王座が危うく、もし王子が王となった暁には、間違いなく自分は処断されるだろうとわかりきっているのだから、真っ先に、今の流れで殺しておくのが手っ取り早いのである。
加えて、現れた正体不明の敵が満身創痍。であればなおの事、都合がいい。ここで魔王を捕らえる、もしくは殺し、邪魔な王子を消せばアンバードの王の生死の真偽がどちらであっても、自分が有利に状況が転ぶと答えが出た。
「今だ!! 兵よ! あの小僧を殺せ! 奴こそが王子が呼び出した“大罪の申し子”たる魔王であるぞ!!」
ダナンが颯汰に向かって指をさして力いっぱい叫ぶ。その叫びに気が抜けていた兵は我に返り、槍を構えて突撃し始めた。
颯汰は、急速に力が抜け、立っているのがやっととなっていた。
視界がボヤける。頭の中で立て、立てと叫んでも、どんどん視界が白に満ち始める。ディムを助けなければと思いながらも視界が完全にホワイトアウトし、立花颯汰の意識は消えてしまった。
颯汰に向かって兵が殺到する。遠くの弓兵は逃がさぬように弓弦を引き、矢を当てがったまま睨みを利かせていた。
――勝った!
兵が颯汰へ迫る。おそらく迅雷との死闘による疲労であるだろうとダナンは想像しながら、己の幸運に感謝しながら勝利を心の中で叫ぶ。
もはや人生にすら負ける要素はない、と。
次の瞬間、今にも倒れようとする颯汰の前に何かが落ちてきては地面へと刺さる。
そして、甲高い音が響き渡った。
サブタイ何にしようか考えたまま忘れてて
投稿が遅れました。
次話は来週だと思います
タイトル番号間違ってたので修正。
恥ずかしい。
2018/02/17
ルビの追加