57 執行前
朝日が昇る。
太陽が東の海の地平線から顔を出せば、草葉の上の露に曙光が反射してキラキラと輝き出し、木々の上から目覚めた鳥の鳴き声が一日の始まりを告げる。
だが、昏き底の牢獄ではそれを見る事は叶わない。
朝露の煌めきも、忙しない囀りも何もない。
血の匂いとカビ臭さが満ちた暗所で独り、クラィディム王子は目を覚ました。
天井も壁も重苦しく――自由との極致にある部屋の中、時間の感覚が狂ってしまう牢獄の中で、見えない空と友、民たちを想う。
ついに処刑の執行日を迎えてしまったのだ。
「む……遠くの空が……、やはり不吉。不吉よ不吉。皆に愛されたクラィディム王子が処刑なぞ……。魔の王を呼び起こしたのも、きっと、……何か考えがあってのこと。何より今、それを強行する国王のお考えがわからぬ」
ベルン居住層――。
占卜に長けた人族の老人が路地裏で西の空を見て呟く。隣にいたエルフの少年が「そんな事言ったら捕まっちゃうよ!」と注意をする。
だが彼の気持ちも同じであった。いや、この国のほとんどの者が同じ考えにある。
――何故、クラィディム王子が殺されなければならないのか……!
『古文書を用いて、魔王を召喚した罪』……。
窃盗に加え、罪状としては充分に重いのは確かである。
魔王どころか魔法の存在自体に懐疑的なマルテ王国とは違って、ヴェルミ王室では伝承からその存在を認めていた。
ゆえに民に愛された王子――よく人民の前で顔を見せていた若き王子が、自ら魔王を召喚したという事実を信じられずにいる者の方が多い。
何かの間違いなのではないか、そもそも『転生者』という存在が本当にいるのだろうか、とすら密かに囁かれていた。
ヴェルミにおいてクラィディム王子の人気は非常に高い。
その美貌と知性、多才さと性格の良さ――己の地位を鼻に掛けない柔和な態度が女のみならず、男でさえ支持する程である。仕事や階級で差別する事はなく接し、馬術も上手く、琴の弾き語りをすればヒトを魅了する。
勝手に抜け出しては狩りをやって帰ってくる姿は王族のそれではないが、見ている人間の心を惹きつける“光”を持っていたのだ。
逆に言えばダナン国王の評価は下がりつつある。
先王ウィルフレッドが急死し、まだ若い王子には王政に無理があると代わりに即位した――証拠こそ残していないが、ダナンこそ王を病死に見せかけ暗殺した張本人であり、最近となって民からも疑いの目を掛けられている程だ。……最初のころは正体を上手く隠していたダナン王であるが、次第に本性を現し出した。
圧政――権力による弾圧で逆らう民を排除する姿勢を露にし出したのである。
また彼が積極的に行ったのは、軍事力の強化。
そのために税を増やし、村々から無理矢理若い男を徴集もしていた――。
確かに国を守るには重要な事であるが、王は必要以上に徴兵を募り始めたのだ。
緊急時に戦力はあるに越したことはない、しかし王は平和なヴェルミで自ら戦争を仕掛ける準備しているように民の目からは映っていた。実際、一部の貴族しか知らなかったが版図を広げるため、王はマルテやアンバードを奇襲する作戦を企てていた。
歴史に名を刻もうと野心に火が着いていたのだ。
そして反対する者には権力を振りかざし黙らせる。
また、自分へ向かう不平不満は外部の敵――アンバードやマルテ王国へ向かうように仕向け、もしくは先王の愚策や不手際であったと擦り付けていた。
そう言ったやり口に民の不満が爆発する寸前で綱渡りをし続け、現在に至る。
今もなお、緊張状態であり――もし王子を処刑をしようとするならば、炎は一気に燃え広がるのは明らかであるのだが、現王はその事に気づいていない――いや、認めようとしていない。
自身こそが正しいと信じて疑っていない。民も国も「全ては王のため」にあると本気で思い込んでいる男であるから、権力争いに勝利してやっと王座に辿り着けたというのに正統後継者が今となってしゃしゃり出てきたのも、それを支持する国民にも憎しみに近い感情が沸々と煮え滾っていた。
全てが優れている王子が目の上のタンコブとなっていたと言えよう。
また近年、会議に王子が参加するようになってからいつも言い争いが絶えなかったのも腹が立つ。
認めたくないが王子の案の方が優れている、もしくは現実的な問題の解決に向いていた事が官吏たちにも高く評価されていたのが目に見えていた。
ダナン王は必ずしも民を苦しめようと行動を起こしていた訳ではない。彼なりに真摯に向き合おうとしていた。……その野心と短気、能力の低さが致命的に足を引っ張ったと言っても過言ではない。感情的で短絡的、我欲だけは人一倍強い彼は、元より為政者の器ではなかったというのが正しい。
そして迅雷の魔王と“使者”との出会いにより、ダナンの願いも潰えたと言えよう。今や強大な力に屈し、裏から国を引き渡すように操り、自分と仲間だけ助かろうとしていた。今起きている戦争自体が結果が決まり切った茶番に過ぎなかったのである。
時間が経ち、陽が頭天を通り抜けようとしていた。
だが、アンバード側から忍び寄っていた重い色をした雲が徐々に速度を上げていったせいで、その姿を見る事をかなわなくなってしまっていた。
どんよりとした重い空気が色を奪って見える。
解放された貴族層の中央部に木で組み上げた処刑台があり、その周りに既に人々が集まっている。
一定の距離で武装した兵が並び立ち、ヒトの侵入を防ぐ。処刑を取り止めるように暴れ出す輩を排除するのも彼らの仕事である。
また王を、弓による狙撃から防ぐために建物の上など様々な位置で監視する兵がいた。彼らも弓を携帯し、また頭部の兜には、兵がいるというけん制の意味合いのある羽飾りをつけていた。
あと四半刻もしないうちに、王子の処刑が始まる。
処刑台の前――雑踏から騒めきが生まれ、おびただしい数のヒトの連なりが波となる。
何人たりとも通さないために槍を持った兵が警備を務めているが、この波が勢いよく流れ出し、いつ決壊してもおかしくない張り詰めた空気を感じながら、緊張した面持ちでいた。
暴動こそ起きないように事前に反対勢力の見せしめの粛清や重税による弾圧を加えていたため、表立った反対の姿勢は見られなくなった。加えてエリュトロン山脈前に構える国防の拠点「城塞都市ロッサ」に駐留していたヴェルミきっての戦闘集団――黒狼騎士団が敗れ去り、迅雷の魔王ではなく紅蓮の魔王の手に堕ちたという情報をベルン中に流していた。性質が悪いのは嘘ではないという事だろう。やはり王子の行動が間違いであったのでは、という考えも民の中で生まれ始めていた。
そして、ついに刑が執行される。
王宮から憲兵に運ばれる王子が四層目の階段から姿を見せると、騒めきが一斉に止み、一瞬の沈黙のあと、爆発的に声が上がったのだ。
「うわあああ! 王子殿下~~!!」
「処刑反対ー!!」
「やめろやめろー!!」
「クラィディム王子ぃ~~!」
「独裁者ダナンを許すな!」
兵が必死に槍を構えて離れろと威嚇をするが、その声は勢いに押し潰されていた。
兵に連れられ処刑台へ向かう王子。
その足取りは重く……なっていない。両手に枷があるというのに、堂々と毅然とした態度で歩く姿は若くてもまさに王者の貫禄があった。それを見た者たちはその強い輝きに惹かれるか、得体の知れない恐怖を感じるかの二つに一つであろう。
これから殺されるとは露にも知らぬ訳ではない。
ましてや生を諦めたような様子も見られない。
無論、彼も死ぬのが怖くない訳がない。
だが無理してそれを誤魔化している様子も見られないから、一部の者からは不気味にしか映らないだろう。死刑という終わりが待っているのに――、そこへ向かって今歩いているというのに、流れる雲のように威風堂々と、またはそれを見つめる猫のような柔軟で軽やかさを有しているのがこのクラィディム王子であるのだ。
次に魔女グレモリーも同じように運ばれる。
王子と同じく小汚い薄い生地による簡素な服装で、さらに何か怪しげな術を使わぬように一層厳重に拘束されている。具体的に言えば両手を後ろに回し、全身が縄により巻かれ、さらに口の中に布を突っ込まれ、更に外側も布で縛られ喋る事すら出来ない。――魔法を使うのではと恐れられていたからだ。
しかし、見た目は妙齢の女であり拘束されていても、いやむしろされているからこそ妖美に映り、そこはまさに魔女と呼ばれる所以が感じられる。
そんな魔女グレモリーであるが、王子と違ってその嫣然な顔を振り撒く余裕はなかった。
「あれが魔女……」
「王子を誑かした女……」
「なんかエロい」
「あの女のせいで……」
「でかい」
元・魔王で魔女と呼ばれた女であっても鉄ような精神の持ち主というわけではない。表に出さないように努めているが謂われない言葉と奇異の視線を受ければそれなりに傷つく。
(ちなみにエロい等は誉め言葉として受け止めている)。
そして次に現れたのは執行者と現王ダナンだ。
上がっていた声がまるで事前に合わせていたかのように消え入った。
執行者――ブラッドリー家の処刑人の男は黒の正装に顔を覆う黒のマスクを装着している。その両手には断首用の大斧を携えていた。
ダナンも正装をし、堂々と歩く。
この沈黙すら王の威厳によるものと勘違いしているのかもしれない。
「フッ……、静まれという手間が省けたわ」
「………………」
王と無口な執行者も処刑台へ登壇を終えた。
王は横目でクラィディム王子を見て言う。
「ふん、気味の悪い男だ。死が怖くないのか」
処刑を前にして泰然自若の態度で、強がりにも見えない王子にダナンは尋ねると、
「――いいえ、そんな事はありません」
きっぱりと王子は答える。
下らぬ強がりかと鼻を鳴らし、吐き棄てようとしたが王子は続けた。
「死ぬのは恐ろしいです。このまま民の安全が脅かされたまま、終わってしまうのは恐くて堪らない」
「――ッ!! 貴様……!」
ディムはニコリと皮肉めいた笑みを浮かべ、それを受けた王の額には青筋が浮かんだ。この場で衝動的に手を上げれば拙い事はダナンでもわかりきっている。明らかな挑発であるがそれに乗ってたまるかと胸に手を置いて息を吐いて心を落ち着かせようと努めたところ、王子は更に言った。
「僕には、責任がある」
それは今までと変わらない抑揚でありながら確かな強い意志が宿った言葉であった。
「僕は、王という役柄から逃げようとしました。権力者たちの無用な駆け引きで血塗られる事が常とする世界が嫌だった……。だから公爵、貴方にに全て押し付けて逃げ出そうとした」
先王である父ウィルフレッドの死後、後継者であるクラィディム王子はその後悔を胸に抱きながら生きてきた。簡単に責任を投げ出したことにより苦しんだ民がいた事を二度と忘れやしないだろう。
「でも、その結果が今のベルンでありヴェルミです。……僕は、それを正す責任がある。死んでも死にきれない……民が安心して暮らせる世界に戻すまで――生きなきゃダメなんです」
「ハッ――、世迷い事を。貴様の死は決定している。今更覆せやしないわ」
やはり可愛げもない輩だな、と話しかけた事を若干後悔した国王は苦い顔を正し、前向いて一歩進む。
集まったベルン中の人間を前にして国王は宣言しようとする。
「これより逆賊! クラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルトの死刑を執行す――うぉッ!?」
しかし、ダナンの言葉が中断されてしまった。
別段、反逆者が出たわけではない。
立っていられない程の揺れが国中に襲い掛かったのだ。
体勢を崩し手を突いて倒れる王。
拘束されている王子は倒れる寸前に執行者が手で支え、魔女は連れの兵が支えた。
前に広がる人の海も揺れに耐え切れず倒れる者が出てきたが、本当の異変はその直後に起きた。
魔の気配に敏感な者と通じていない者ですら肌で直接感じ取れる。その方向に誰もが視線を送った直後、世界は啼いた。
大地が揺れ轟音が響く。
雲が引き裂かれ光が宙の果てまで伸びていく。
国境を担う、エリュトロン山脈の方角だ。
誰もが一度も見たことのないほど奇妙で荘厳で、恐ろしく、また禍々しい。
つんざく音の正体は、収束した光の粒子が加速して得たエネルギー。それは地を砕き、雲を払って空の果てまで焼き尽くそうと屹立した――光の柱である。
しかしそれは光と呼ぶには余りに暗く、凶悪な魔の波動であった。
その柱がたっぷり二十ほど数えた後に消失する。
誰もが唖然としている中、“闇”が訪れた。
視界にいなかった存在が、瞬きも一切していないのに現れたのだ。
柱が消えた方角の上空で、突如出現した黒は、濃密な魔の気配を発しながら――ベルン貴族層、処刑台のあるここへ紅い光を発しながら落ちてきた。
民は悲鳴を上げ、着弾予想地点から逃げ始める。台の上の人間は全員固まったままそれを見つめる事しかできなくなっていた。
そして、石材を高い位置から落としたような音がした。それと同時に塵煙が舞い上がり、周囲が煙に包まれる。
誰もが言葉が出せずに煙の中から立ち上がるシルエットを見つめていた。白煙の中から紅い稲妻の迸りがジリジリと映る。
そして黒はその身に着けた“布”を思いきり広げて煙を払い除け、煙の中からヒトの姿が現れた。
一瞬、凍り付いたように時間が閉ざされる。
誰もが頭に慄きと疑問符を浮かべている中、王子が静かに、驚嘆した声音で呟く。
「…………ソウタ?」
上半身は裸であるが、それ以上に目につくのはその身体に生じる無数の傷から流れる赤色だ。
何十もの生命を切り崩して浴びたのではないかというほど髪も下に履いたズボンも真っ赤な血に染まっている。
黒い布を左手に、黒い兜を右で抱えるように持っていた男は、まだ僅かにあどけなさが残る少年――立花颯汰であった。
実は地下牢のくだりが二話くらい続きそうだったのですが、
あまりにも冗長だなと判断し、全カットしました。
2018/10/12
脱字の修正及び一部ルビの追加しました。
タイトル番号間違ってたので修正。
数字も数えられない




