儀式
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
幼い子供が走っていた。ただただ必死で森を駆け抜けていた。走って走って、やっと自分の村が見えてくる。子供は目の前の家のドアを叩いた。
「助けて!助けてよ!!嫌だよ!死にたくない!!!」
子供は必死に叫んだ。けれどその助けを求める声に応える者は誰もいない。
――助けてよ!!どうして僕がこんな……嫌だよ……死にたくない……開けてよ!早くしないとあいつらが来ちゃうよ!
子供の心の叫びが誰かに届くことはなく、すぐそばまで『あいつら』が来ていた。
ガサッ
「ひぃっ……」
不気味な足音が聞こえ、その音は子供を恐怖に陥れる。
――もうだめだ……もう逃げられない……もっと生きたかった……もっといろんなことしたかった!
子供があきらめかけたその時、子供が叩いていた扉が開いた。
「俊!!」
そう叫んで出てきたのは一人の男だった。子供の父親だ。父親は泣きながら子供を強く抱きしめる。
「ごめんな、俊ごめんな……」
「おやじ……」
父親が出てきてくれたことに安心したのか、それまで一粒も涙を流さなかった子供の目から涙があふれた。そして恐怖と不安から解放されたように泣き叫ぶ。けれどその安心は一瞬に過ぎなかった。
ガサッ
その不気味な足音は泣いている親子のすぐ後ろから聞こえ、親子の泣き声が止まる。
「なにをしている」
ドス黒い声が親子の頭上に降りかかる。父親がゆっくり顔を上げるとそこには黒装束に身を包み、黒と書かれた仮面をつけた男が5人で親子を囲んでいた。そして声をかけたと思われる男が仮面の向こうから父親を睨む。
「儀式中に外に出てはいけない。殺されたいのか」
その言葉に子供はもちろん大の大人の父親でさえも恐怖で震え出す。それでも父親は子供を背にかばい、震えながら目の前の男を睨みつけた。
「じ、自分の子供を守って何が悪い!!俊は俺の子だ!生贄になんてさせてたまるか!」
男は父親の言葉に反応せず、子供を見る。
「儀式を始める、来い」
男が子供に手を伸ばすと父親はそれを払った。
「帰れ!俊を生贄になんて……」
子供をかばって叫んだ父親の言葉は途中で途切れた。それと同時に父親は地面に倒れ、子供が父親に目を向ける。ピクリとも動かない父親に触れようと手を地面につくとピチャッと何かが手についた。ゆっくりと手を挙げ目を落とすと手の平は赤黒い液体で染まっていた。
「おやじ……?」
子供の小さな声に父親が答えることはなく、倒れている体をよく見てみると首元に何かが刺さっている。
「おや……じ…」
目の前で起きたことが理解しきれず、固まっている子供の意識を戻したのは男の声だった。
「バカな人間だ。行くぞ!黒神さまがお待ちだ」
男は隣の男に子供を抱えさせると子供が逃げてきた森へ向かって歩き出す。けれど抵抗するかと思われていた子供は驚くほど静かだった。父親が死んだという事実がまだ信じられないのだ。
――親父が倒れた……首には何か刺さっていて……親父は…死んだ?…親父は、殺された?…………こいつらに……………
男達が森の入口に差し掛かった時、子供の中に怒りの炎が宿った。そして子供は自分を抱えている男の脳天に自分の肘を叩き下ろす。
「いっ……!このがき!!!!」
男はとっさに子供を殴り気絶させると再び抱えて歩き出した。子供の意識が途絶える寸前、一筋の涙が頬を伝う。男たちが向かった先は森の奥にある神社だった。神社の鳥居をくぐると社の前には黒い布を敷いた台のようなものがある。子供を抱えていた男はその台に子供を寝かせると台の横にあった斧を手にした。けれどそれを構えることはしなかった。
「何をしてる、予定より遅れている。早くしろ」
幼い子供を切ることをためらっていた男はせかされると覚悟を決めて斧を振り上げる。
ドサッ
と鈍い音がその場に響くと男は斧の先を見た。けれどそこに子供はおらず、斧が布を切り裂いただけだった。
「子供はどこへ行った!?探せ!」
指揮をとっていると思われる男が叫び、男たちに指示を出す。そして自分も探そうと一歩足を踏み出すとシュッと男の頬を何かがかすめ、頬から血が垂れた。
「あれ、外しちゃった……」
聞き覚えのない女の声にその場にいた全員が声のした方向を向く。そこには黒髪碧眼の少女が子供を抱えて立っていた。
「皆さんの探し物って…これ?」
少女は子供を抱えなおして、その場にいる全員に見えるようにする。すると子供を確認した全員に力が入ったのが分かった。
「女、その子供を引き渡せば命だけは助けてやろう」
「命ねぇ…ねぇ、なんでこの子死ななきゃいけないの?」
少女は男をバカにしたように聞く。
「黒神様への生贄だ。その子供は黒神様がこれからも生きていくために今日ここで死ぬ」
男は表情を変えることなく堂々と答えた。男にとってはそれが正義であり、絶対なのである。それはこの村の住人もみな同じなのだ。それが正義だとはその男を除けば誰一人思っていないものの、この儀式が絶対であるというのは全員がわかっていたことである。だからこそ、逃げてきた子供を助けようと動いたのは子供の肉親である父親だけであった。事実父親は逆らったばかりに殺されている。村の人間は自分がそうならないよう、儀式に背くことはしなかった。けれど、それを知って黙っていられるほど男たちの前に立つ少女の正義は曲がっていない。
「ずいぶん勝手なことを言う神様ね」
少女の声は無意識のうちに低くなっていた。けれど少女の怒りに気付いているものは一人もいない。
「なんでもいい、その子供を渡せ。さもなくば力ずくで行くぞ。それとも力ずくで傷物にされたいか?」
男はいやらしく笑うと周りにいる男4人に合図を出した。すると男たちはゆっくり少女に近づいていく。少女はその様子を見て抱えていた子供を静かに自分の足元におろした。
男はそれを降参の合図だと思い顔に笑みをこぼす。けれど、子供を渡そうが渡すまいが少女を襲うことは男の中で初めから決まっていた。そして男は少女の一番近くにいた男に目を向ける。
「おい、お前子供を取ってこい。相手は女一人だ、ここは平等に行こうじゃないか。姉ちゃん」
男はわざとらしくでかい声を出し、指示を受けた男がゆっくりと少女に近づいていくのを見ながら少女をとらえる算段を練る。そして最終的に儀式が終わってからでも遅くないか、と結論を出した。
少女に近づいていく男は子供の前まで来ると子供を抱えようと手を伸ばした。
が―――――――――
「うっ…………」
小さなうめき声とともに男が子供の横に倒れると、少女はその転がった死体を蹴飛ばした。その姿にその場にいた全員が背筋を凍らせる。少女の目は酷く冷たいもので、転がった死体を軽蔑の眼差しで睨んだ。そしてその手には小太刀が握られている。よく見ると彼女の腰に大太刀も刺さっていた。全員油断していて誰も気が付かなかったのだ。少女は刀を構えることはせず、冷たい眼差しのまま男たちを見る。
「何気安く触ろうとしてんの?」
冷酷さをまとい怒りと軽蔑に満ちたその瞳は男に恐怖を与えるには十分だった。恐怖で歯をカチカチ鳴らしながらも男は口を開く。
「こ、こんなことして、黒神様に……」
「神?バカじゃないの?」
少女は刀を男に向け言葉をつづける。
「人を殺して生きながらえて何が神だ、それは神じゃない、ただの人殺しだ」
静かに、けれど力強い言葉とともに血しぶきが彼女の頬につく。そして少女は男が死んだことを確認すると他3人の男たちに向き直る。すると男の一人が手を上げた。
「や、やめてくれ…俺は脅されていただけだ……」
一人の言葉に他2人が同意すると少女は刀を下した。その姿に安心して手を降した男が「ありがとう」と言おうと口を開くと―――――
ドサッという音とともに男たちの体が倒れた。全員首が落ちており、誰一人声は上げなかった。
「クズが」
少女は刀についた血をはらうと鞘にしまい、子供を抱え上げ村のほうへ歩き出した。