『暢気亭主並女房初顔見世乃興行為御報せ』
『暢気亭主並女房初顔見世乃興行為御報せ』
(プロローグ)
謹啓
此度、昨年八月に手前勝手に挙式致しました私共(亭主=葉月太一・女房=葉月ミコ)の初顔見世興行を致し度、ここに御通知申し上げます。年寄衆は、披露宴なる誠に有難い画策を致しておるようですが、我々若衆は、年齢制限を昭和二桁生と致しまして興を咲かす一夜をと願って居る次第です。付きましては、度重なる勝手乍、木戸銭を会費制とさせて頂き、御多忙の所誠に恐縮ですが、是非是非御繰合せの上御出席戴き度、謹んで御案内申し上げます。
謹白
太一とミコは、同棲の時から住んでいる六畳一間の部屋で案内状を手作りした。太一は、『初顔見世興行乃御報』を全て筆で書いた。ミコは封筒の宛名書きをした。二人で、そして夫々で人選して二十人になった。ミコは、二年前に 長崎から上京して来たばかりなので、友達関係で五人にしかならなかった。中退した美術学校、小さい劇団仲間、アルバイト先で知り合った友達だった。東京に出て来ている長崎の同級生は、一人しか連絡が取れなかった。太一は、東京育ちなので中学・高校・大学・演劇学校等で十二人になった。芝居関係で共通の友達が三人で、皆で二十人になった。九月に池袋東口のレストランで、一周年の結婚記念日として「紙婚式」を挙げた。晴れて太一もミコも互いの友人に夫婦として認知された。ミコはすごく喜んだ。今までの式も入籍も住まいもすっきりしてなかったので、太一は「すまない」という気持ちがいつもあった。だから、ミコの喜んだ顔は、本当に嬉しかった。友達の成せる業だな、と思った。
(二年前の五月二十五日)
太一とミコは、練馬区の大泉学園前で同棲していた。太一は二十二才、ミコは十九歳だった。二人は、芝居と学校とアルバイトの毎日だった。ミコは太一と付き合う前に、すでに美術学校を中退していた。親の仕送りが無くなった為だったが、太一には話していなかった。
劇団の合宿の最終日の夜中に、太一は電気スタンドを布団の中に持ち込んで、政治学の本を一生懸命読んでいた。皆が寝静まった後に、ゴソゴソしていた。
「何やってんの?こんな時間に」ミコがヒソヒソ声で聞いた。
「試験勉強だよ、明日追試があるんだ」
「泥縄なんかやったって一緒でしょ」
「教科書持ち込んでいいことになってるから、一緒じゃないんだよ」ミコは、呆れてそのまま寝た。太一は、留年するために一科目単位を落としていた。ところが、太一の父は、「芝居とアルバイトばかりなら、留年したら学費は出さん」と言い出したから、太一は留年を諦めて追試を受けた。太一は、二人とも大学中退は良くないな、と思ったからだ。同棲したり、卒業すれすれの学生生活だったが、太一には幾分か常識があったようだ。
(九月十六日)
ミコの生母が、突然長崎から上京して来た。
田舎の団体旅行の様だったが、一晩泊まるというのだ。太一は、
「僕らは、6畳一間なので、狭いので、外で食事しましょう」と言ったが、狭くても構わないと言って、大泉学園までやってきた。
「太一さん、ミコが心配でね。私は、若い時に武田と離婚したけど、ミコと妹の亜希子が、心配でね。早く結婚して欲しいのよ。」ミコもそう思ってるみたいだった。恐らく、ミコが生母に手紙でも書いたんだろう、と思ったが、ミコには敢えてたださなかった。太一はどうかと言うと、余り切実感は無かった。男と女の違いなのだろう、くらいにしか思わなかった。しかし、そうこうする内に今度は、ミコの父武田誠が上京して来た。彼は、高校の教師なので、教え子の就職先の挨拶回りの状況だった。今度は、二人の6畳間では無く、池袋の割烹屋であった。太一ははっきり言った。「ミコさんとの結婚を許して下さい。ミコさんを幸せにします」
「葉月君は、まだ学生だろう?」
「いえ、ミコさんからどの程度お聞きか解りませんが、六月の追試が通ったので、三月に遡って卒業できました。今は、コロンビアと言う会社の正社員で働いています。」
「娘のミコは、体が非常に弱いがいいか?」
「娘をよろしく」と。
ミコの父誠は、その場で二人の事を認めた。今の時期になるとミコの父誠は、毎年、教え子の就職の事で上京するので、ミコはひと月程前に父に手紙を書いていたのだった。太一もミコも素直に喜んだ。そして三人で祝杯を交わした。太一の気持ちは、生母にあった頃とは違っていた。太一は、ミコと早く結婚しようと思った。ところが、太一のほうは父親の葉月利輔が反対した。継母タミは、利輔に同意した。普段から余り意見を言はなかった。
「若過ぎる!」の一点張りだった。
「若過ぎる!大学をやっと出たと思った矢先に、、、何考えているんだ!結婚はママゴトじゃないんだ。芝居仲間だって?喰って行けるのか!」
けんもほろろであった。太一は、ミコに本当に申し訳ないと思った。ミコのご両親は、長崎から来て賛成してくれたのに、、、。太一は、何としてでもミコと結婚してミコを幸せにしてやるんだと思った。太一は、子供の頃里子に出されたことがある。太一に言わせれば、「親父は俺を捨てた事があるんだ。今度は、俺が親父を捨ててやるんだ」
(一年前の三月三日)
三月三日、太一とミコは、
「わかりやすい日だね。お雛様の日は女の子の節句、五月五日は男の子の節句、どっちも解りやすいけど、間を取って四月四日もいいね。四月四日の方がユニークね。」
「ううん、どれもいいが、早く入籍しよう。」
太一とミコは、三月三日に練馬区役所に婚姻届を出した。婚姻届には、保証人二人の署名押印欄がある。通常はそれぞれの父親の署名が多いが、成人の署名押印であれば、誰でも受け付けてもらえる。続柄蘭は「知人」でも良いのだ。ミコの保証人蘭は、父親の武田誠の署名と押印があった。しかし、太一の保証人蘭には、相場幸恵という名前だった。父親の葉月利輔ではなかった。太一の職場の先輩の相場さんが署名してくれたのだった。太一の父は、依然として反対していたのだ。また、太一は本籍の件でも父と喧嘩した。婚姻届の時に、本籍を尋ねられたので、「文京区真砂町、、、」と答えたら、区役所の係りは「町名変更があって、真砂町は本郷1丁目か三丁目になりました。どちらにしますか?」と尋ねられたので、太一は「一丁目」と答えた。これが原因で喧嘩になった。後日、太一に父からの怒りの電話があった。
「お前は勝手に本籍を抜いたのか?結婚に賛成しないからと言って、あてつけか!」と。
太一の父は、町名変更では、「三丁目」を選んだらしい。新しい戸籍謄本を見たら、太一の名前がない。調べてもらったら、太一は「一丁目」で、新しい戸籍をミコと二人で作っていたのだ。「親の許可も無く、勝手に籍を抜いて、新しい戸籍を二人で作っている」と、怒り心頭だったのだ。
「今の時代は、本籍なんてそんなに大事じゃないんだよ。それに、元々結婚したら誰でも新戸籍になるんだから、仕方ないだろう。籍を抜いたとは意味が違うんだよ」と言っても怒りはおさまらなかった。父利輔は、三丁目じゃなく、自分に相談せずに勝手に一丁目にしたのも気にいらなかった。
(五月二十六日)
新婚旅行は、千葉県九十九里浜の国民宿舎に二泊三日で行った。
(八月二十八日)
太一はミコの生まれた長崎を知らない。
2017年7月1日 太一は机に向かった何かを書いている。ミコは背後から、
「単なる私小説なんて詰まらん。書く方は書き易いだろうけど、読む方は、よっぽど何かの劇的なことが無い限りは、嫌気が差すね。詰まんないと言うこと。そんなもん、今、書いているんだったら、すぐ止めた方が良いんじゃない?」
「確かにそれは言えるな。でも書き始めたから、この構想は、一応最後まで書いてみよう。そして次からは、『いろいろ策を練ろう』と思う。
太一はミコの生まれた長崎を知らない。そもそも、大阪や京都より西へ行った事がない。勿論九州に渡った事もない。夜行列車で二十時間かかる。「寝台列車のさくらが良いよ」とミコは教えた。太一とミコは夏に二人で長崎に行くことにした。ミコの生母が、
「籍を入れたからには、結婚式を挙げる。」と言って聞かなかった。
「葉月さんにも武田にも内緒で、長崎で式を挙げさせて、お願いだから」
と言って、長崎の大島村で結婚式の準備をしたのだった。ミコの生母は、若い頃に佐賀の唐津で身に就けた洋裁の技術で、娘のウエディングドレスを作って待っていた。葉月家と武田家の結婚になったら、娘の結婚式に自分は出席できないので、という切ない思いからのようだった。長崎県北松浦郡大島村天降神社で二人の結婚式が挙行された。葉月家の出席者は太一だけであった。東京から親友の後田君が駆けつけることになっていたが、何故か来なかった。ミコの方は、生母の実家の南原家から多数出席した。新郎新婦を入れて三十人人ぐらいになった。披露宴は賑やかだった。田舎の披露宴は、ご本尊たちはそっちのけの感があった。次の日、太一とミコは、昼の村営船大島丸で長崎に帰った。太一は、原爆資料館だけは観なければと言って、一泊したが、ミコの父武田誠には会わずに東京に帰った。大島の結婚式の事は話していなかったし、ミコが継母の民子に会うことを嫌がっていたから、そのまま帰京した。
(十月十日)
太一とミコは九月に入ってから、二人の友達を集めて披露宴をする事にした。太一もミコも周りから異口同音に「嫁さんに会わせろ」とか「旦那さんてどんな人?」とか言われることが多くなっていた。
「そうだ、同棲して一年になるんだから、ペーパーウエディングをやろう」
「ペーパーウエディングッてなに?」
「日本語では紙婚式と言って、一年目の結婚記念日のセレモニーだよ。日本の結婚記念日と言うと、銀婚式や金婚式だけみたいだが、欧米では毎年やるんだ。二十年目までは、毎年の結婚記念日に名前が付いてるんだ。そして、一年目が紙婚式って訳だ」
「毎年、結婚記念日ね。やろう、やろう」
「十五年目の水晶婚式まで毎年名前があるみたいだが、十五年目以降は、五年毎みたい。」
そして、十月十五日に太一とミコは、池袋のレストランの紙婚式に友達を呼んだ。
この事は、プロローグにも書いたのでここで留めるが、イギリスの結婚記念日について列挙しておきたい。
結婚記念日 イギリス式
よく考えたら、二十六もの記念日名を列挙するのはしんどい。
1周年―紙婚式 二周年―綿婚式
三周年―革婚式 四周年―果実婚式
五周年―木婚式 鉄婚式 銅婚式
青銅婚式 陶器婚式 アルミ婚式
鋼鉄婚式 絹婚式 レース婚式
象牙婚式 十五周年―水晶婚式
これ以降は五年毎です。
十五周年―水晶婚式
二十周年―磁器婚式
二十五周年―銀婚式
三十周年―珊瑚婚式
四十周年―ルビー婚式
五十周年―金婚式
六十周年―ダイヤモンド婚式
七十周年―プラチナ婚式
八十周年―樫婚式
八十五周年―ワイン婚式
(十二月七日)
秋ごろ、太一に父葉月利輔から電話があった。
「相談したいことがあるから、出て来れないか?」
「こっちには用はない」
とつっけんどんに答えようとしたが、父の語調がいつもと違ってやわらかかった。
「話があるから、ちょっと来い」とは違っていた。太一はミコと話して、渋々行くことに
した。案の定、太一の父はニコニコしながら太一を迎えた。
「久しぶりだな。元気か?ミコさんはどうだ?元気にしているか?」
太一はいぶかしりながら生返事をしていた。
継母のタミは相変わらず無口だった。
「実はなあ」と利輔は切り出した。内容はこうだった。二人の熱は、いずれ冷めるだろうと思っていたが、同棲して一年にもなる。籍も入れて二人で頑張っているようだから、
「二人の結婚式を考えているんだが、どうかな?」
「別に」
「別にって、どういう意味だ?」
「もう済ましたから、ご心配無用と言うこと」
「やっぱりそうか。長崎で式を挙げて、池袋では、友達を集めて披露宴をしたと聞いたが、やっぱりそうだったのか」
「誰に?」
「誰でもいい。勝手にしやがって」太一の父利輔は、非常に不機嫌になった。しかし、今日はそれを承知の上で呼んでいる。継母のタミは、そばで利輔の興奮を抑えている。血圧にも良くないのだ。三人は、しばらく無言だった。もとより太一は話したくなかったので、だんまりを決め込んでいた。利輔は気を取り
直して、太一に話しかけた。
「二人の披露宴をやろう」
「何で?披露宴はもう済ました。二回も」
「二回?」
「そう、長崎の大島で式の後で一回。池袋で、友達を集めて一回でもう二回やった。」
「そう言うな。世間体もあるし、親戚もうるさい。太一ちゃんのお嫁さんて、どういう人?って言われるんだよ」珍しく継母のタミも一緒になって、太一を説得にかかる。
「お父さんが、田舎からやいのやいのと言われて困ってるんだから、披露宴挙げさせて」
「そう、俺たちが金を出す。二人は出てくるだけでいい。何もかも俺たちがする」
「僕らは見世物じゃない。二人で、それなりにお願いに来たときは、けんもほろろだった。ミコはいまだに悔しがっている。俺だって同じだ。憤りすら感じたよ。ミコと武田家に申し訳ないと思っている。その話は、この場できっぱり断る。二人の顔つくりの為の見世物にはならない」
太一はその場では返事をしなかった。そして帰りかけた時、利輔は、今度は頼み調で、
「なあ頼む。二人は、ただ出るだけでいい。何もしなくていいから」
最後は、太一が折れてこう言った。
「今日は僕が一人出来た。ミコも一緒にと思ったが、ミコは具合が悪いから行かないと言った。たぶん来たくなかったんだろう。また、父さんの話の内容も解らんかったで、、、、、、、、、、。恐らくさっきの話の返事は、ノーとなるだろう。帰って、ミコと二人で話してみる。それから連絡するよ。」
「いつまでか?」
「来週にまた来るよ」
帰り際母民子は、「ミコさんとよく話してね」と言った。利輔からあたられたりしているのだろうと、太一は思った。
太一は交代勤務で、夜中勤務もある。夕方の五時に家を出て、翌朝の五時ごろ帰ってくる。赤坂見附の地下鉄の一番に乗って、池袋で西武池袋線に乗る。そして、五時過ぎに家に着く。でも、ミコは八時から五時までの工場勤めなので、朝は満足に話す事は少ない。夜勤のときは五時ごろに出て行くので、夕方も話せない。ゆっくり話せるのは日曜日しかないが、ミコは芝居の集まりで忙しい。とはいえ、厄介な話なので、太一としては結論は見えてるとはいえ、ミコとゆっくり話すべきだと思った。勿論、ミコがノーと言ったら太
一はそれ以上話すつもりはない。ミコは日曜日の芝居仲間の集まりは午後からで、太一は夕方の五時に出ればよい。ミコには前もって話しておいて、太一は朝の六時前に帰ってきた。ミコは、朝御飯を作ってくれていた。
「二人の披露宴のことだったよ。僕らが、長崎の大島や池袋でやったことも風の便りで知っていたよ。」
「何で知ってるの?誰が言ったの?」
「聞いたけど言わなかった。それ以上は聞かなかった。何せ、世間体だの、親戚の手前だのって話なんで、嫌んなったよ。勿論、その場でノーと言った。ミコや武田さんにも失礼な事や不愉快な思いをさせておきながら、今更、形式だけの披露宴なんてやらない。お断りだ、と言ってやった」
「ふうん、そうだったの。意外だったね。お金のことかと思った。」
「お金?何だ、それは?」
「タイチは、お父さんにお金を借りてたでしょう。まだ返していなかったでしょう」
「何の金だ?」
「資格試験を受けるって言って、通信教育のお金よ。十万位じゃなかった?」
「ああ、あの金か、、、忘れてた。ミコはよく覚えているなあ」
「覚えているわよ。親子の間で借用書を取り交わしたんでしょう。あたし、その話を聞いた時びっくりしたんだから。」
「あれは、なああ、親父の教育なんだって、僕だって、何や?と思ったさ、借用書なんか、と思ったさ、でも、金は欲しかったからな。あんな事はもう忘れた。とにかく、用件は披露宴のことだった。」
「ふうん、それから?」
「それからって?」
「ことわったんでしょう。それで終わりなんでしょう」
「うーん」
「どうしたの?」
「話が進むうちにさ、親父がやけに低調になってさ、依頼調と言うか、頼むから、みたいになってね。普段は何もしゃべらない母さんまでが哀願調だよ。俺たちのことで、あたられたりしてるのかなと思ったりしてね。」
「ふうん、それで?」
「間違いなくノーと言う返事になると思うが、帰って、ミコと二人で話してから連絡すると言って帰ってきた」
「いつまで?」
「来週。つまり明後日までだ」
「わかった。お話はもうわかったわ。で、ど
うするの?」
「だから、こうして話し合うんだよ」
「そうじゃないの。タイチの考えはもう決まってるんじゃないの?」
太一とミコの二人の結論は、OKとなった。ただし条件を提示することにした。オール・
オア・ナッシングの条件提示である。その条件とはこうだ。
太一もミコも演劇を志す二人である。太一は劇作家と演出家を志し、ミコは役者を志す。従って、今回の披露宴は「見世物」でも構わない。故に、二人の役者は
出演料を要求する。
この様なことを二人で話し合って、太一は一週間後に父のもとを尋ねた。
(十二月十四日)
「ミコさんは元気か?ミコさんは何ていった?どうだった?」
太一の父利輔は、ミコと武田家の事が気がかりのようだった。太一は、単刀直入に話した。
「結論から言うよ。披露宴はしよう」
「おう、そうか。良かった。ミコさんは了解したんだな。良かった。」
利輔と民子はほっとした顔をした。そして、利輔はすぐ段取りの話に入ろうとした。
「武田さんの方は、長崎から何人来るのかな?葉月の方は、東京や岩手等からで十人くらいかな。」
「父さん、待ってよ。勿体振りたくないから結論から言ったけど、条件があるんだ。オール・オア・ナッシングの条件があるんだ」
「何だい?それ、オールオア何とかって」
「今から言う条件を全て飲まなかったら、この話はチャラだと言うこと」
「チャラ?」
「そう、やらないと言うこと」
「何だ、その条件とは」
利輔はイラつき出したが、民子はそばで、利輔の袖を引いたので、深く一呼吸した。そして、太一の条件を聞くことにした。
「ゆっくり、話を聞いてよ。落ち着いて、、。」
「、、、、、、、、、、、、」
「披露宴をやるにあたって、次の事を約束して欲しいいんだ。まず、僕ら二人は芝居仲間だ。だから、今回は、葉月家・武田家両家のの披露宴に新婚夫婦として出演する。従って、二人の出演料を払ってほしい。出演料を出してくれるなら、『見世物』でも良しとする。この点はいいね。」
「うん、まあ、解った。先を話せ。」
「その出演料とは、一つ、全ての費用は葉月家が負担する。つまり僕等は出さない分が、一つ目の出演料になる。」
「勿論そのつもりだったから、それはよし」
「披露宴費用と出席者の旅費や宿泊費もだ。特に武田家は長崎から来る。恐らく二人だけと思うが、、、、ミコの妹は、東京にいるから旅費は要らない。」
「うん、解った。」
「それから、案内状や各種手配なども葉月家が行う。そして衣装の件だが、僕らは普段着で出席する。色々な衣装は要らない。」
「普段着で?、、、、、、、うん、解った。それで、出演料は?」
「そして、二人の出演料は、来て頂く人の御祝儀のお金とお祝い品の全てを頂く。以上」
「え、それだけでいいのか?何十万か何百万のギャラでないのか?」
「いや、これで結構です。ついては宜しくお願いします。」
と言って、太一はそのまま直ぐ帰った。利輔は、何か拍子抜けしたようだが、ホッとして民子と共に喜んだ。
(三月三日 その二) 綿婚式
翌年の三月三日、立川の子猫と云う小料理屋で二人の披露宴が行われた。三月三日は二人が入籍した日である。一年目の結婚記念日、つまり紙婚式である。しかし、参列者は誰もその事は知らない。参列者は、ミコの方は、長崎から両親と妹が来た。太一の方は、秋田や福島や茨城からも来た。太一とミコを入れて二十人ばかりだった。二人の出演料はというと、予想以上の祝い金と沢山のお祝い品になった。6畳一間には入り切れないほどだった。初めての共演は、無事に終わった。
後日、太一とミコは赤羽に挨拶に行った。
親子は仲直りした訳ではなかったが、ミコも「挨拶に行こう」と言ったので、太一は快諾した。四人は、白々しさも含みながらも和気藹々と話していたが、突然利輔は切り出した。
「ところで、太一よ、俺は会社を閉める事にした」
利輔は、小さな会社を経営していた。
「車と電話の処分が残っているが、好きな方を二人にやるが、どっちがいい?」
利輔は閉める理由も何もいわずに、のっけからである。
「どっちがいい?」
太一も敢えて聞かない。どうせ、親父が勝手に興して勝手に閉めるんだからと、、、。
太一は、車の免許を持っていないので、車をもらっても仕様が無いなと思った。ミコは、即座に電話が欲しいと思った。電話があれば、長崎にいつでも電話が出来るからだ。二人は考える余地もなく同時に、
「電話」と答えた。
「電話でいいのか?車の方が何十倍も高いぞ。車じゃないのか?電話でいいのか?」
二人は、また同時に
「電話」と答えた。
父母は呆れたようだった。
帰りすがら、太一はミコに聞いた。
「ミコはほんとに電話で良かったのか?」
「うん、長崎にいつでも好きな時に電話を掛けれるのがいい。」とニコニコしながら答えた。
太一は、いつまでもミコを大事にしようと思った。
完