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私を愛して王になれ  作者: 淡島かりす
6/7

6:女王と騎士団長

 国が燃えている。

 目に見えない炎が、蛇の舌のように国を舐め上げている。舌先にある王城は心細く、その白い外壁を晒していた。


「静かですね」


 ユスランが小さく呟いた。

 城の中は不気味なほどに静まり返っていた。それはいつも働いていた給仕やメイド達の半分が暇を取ってしまったせいでもある。

 先王から仕えていた者達は城に残っていたが、ただの花嫁修業でやってきたメイドなどは親元が早々に呼び戻してしまった。


「ボクもこんなに静かなのは初めてだ」


 波乱の武闘大会から一夜明けて、王城はかつてない危機を迎えていた。

 先々王の孫であり、王族の一員でもある騎士団長のガーセルが、暗殺者を雇って、女王を殺そうとした。

 女王であるシャルハの命は護られ、暗殺者は弓兵の矢に倒れたが、それで終わりとはならなかった。

 企みが露見したガーセルは、予てより交流を持っていた反女王派の人間と共に謀反を起こし、男の自分こそが王に相応しいと宣言した。


「こうなるとは思っていた。ボクには王の器などない」


 ガーセルは自らの領地である、王都の南で反乱軍を集めていた。

 シャルハも軍を集めたものの、騎士団長であったガーセルがいなくなったことで騎士達は混乱しており、既に何人かは逃げ出していた。


「国の者達も不安がっている。早く事を収束しないと、ガーセルを倒せたとしても、ボクのことを国民達は「出来の悪い女の王」と言うだろう」


 玉座で頭を抱えるシャルハに、隣国の王子であるユスランが溜息交じりに声をかけた。


「女王様らしくないですね。騎士姫とも呼ばれた貴女が」

「君にボクの何がわかる」

「うーん」


 どこか飄々とした性格をしているユスランは困ったように笑った。


「何がと言われても困りますけど、僕が知っている女王様は、意地っ張りで強くて、でも可愛い人です」

「君は能天気な男だな」

「どういたしまして」

「国に帰るなら、兵をつけてやろう。お父上も心配しているだろうから」


 ユスランは頭を掻いて、何度か目を瞬かせた。


「帰りません」

「は?」

「僕は貴女といます」

「君に何かあったら、今度は外交問題になる」

「大丈夫ですよ」


 あっさりとした台詞は、何の根拠もないのに関わらず、誰にも否定されない響きを持っていた。


「僕も男ですから。愛する人を見捨てて自分だけ逃げるなんて真似はしませんよ」

「あ、愛するって……」


 シャルハが思わず言葉に詰まった時、勢いよく扉を開ける音がした。


「シャルハー! 助けてー!」


 金髪金眼の少女が走り込んで来たと思うと、狩猟犬の突進よろしく、シャルハに突っ込んで来た。

 玉座に座っていたシャルハは避けようもなく、真正面からそれを受け止める。


「な、なんだ一体!」


 抗議しようとしたシャルハは、金髪が編み込まれて、リボンで縛られているのに気付く。

 続けて扉から入ってきた老人は、嬉しそうに両手にリボンや花などを持っていた。


「お待ちください、天使様。今度はこちらの髪飾りを試してみましょう」

「嫌! お前は私を髪結い人形だと思ってるでしょ!」

「いやいや、天使様だと思っておりますよ」


 ウナはシャルハの頭の上によじ登り、そこに着座した。

 こうすれば手出し出来ないだろう、と勝ち誇った様子のウナに対して、老人は少し悲しそうな顔をする。


「師匠、ウナで遊ぶのはやめてくれないか」

「失礼しました、女王陛下」


 ベルストンはそこが王前であることに気付くと、背筋を正す。

 危機が去ったことを知ったウナは、髪を解きながらシャルハに話しかけた。


「ねぇ我が女王、何をしょぼくれた顔してるの?」

「わからないのか」

「あぁ、ガーセルのこと? 困っちゃうよね」

「所詮、ボクに王など務まるわけはなかったんだ。ウナも、ボクを廃位しなかったことを後悔しているんだろう?」


 この国の守護天使であるウナは、新しい女王であるシャルハから、生きるのに必要な「愛」を受け取れずにいた。

 そのため、力が弱まっており、天使の証である白い羽も出せていない。

この国を守り続けて来た天使を愛せないまま、ここまで来てしまったことが、シャルハにとっては大きな後悔だった。


「私は別に後悔してないけど」

「なんでだ?」

「だってシャルハじゃない場合、あの自己中男でしょ? どっちにせよ愛は貰えないじゃない」

「いや、そうかもしれないが」


 シャルハは黙って控えているベルストンを一瞥した。

 愛を得られない天使は死ぬ。そう言ったのは、この老人だった。

 即位してから三ヶ月という短い期間ではあるが、ウナを自分の不始末で殺してしまうことを、シャルハは恐れていた。


「ボクはウナの愛し方がわからない」

「またその話だ。何度目だろう?」

「何度目でも構うものか。……ボクが思うに、ウナを愛するということは、ユスランがボクを愛しているというのとは別物なんだろう?」

「土壇場で随分冴えて来た。そうだよ、その通り」


 人間達が囁き合う愛と、王が天使に向ける愛は違う。

 それに気が付いたのは、歴代の王が退位の際に、天使を次の王に渡してきた史実を思い出したからだった。

 愛の形は様々にあるが、自らの伴侶のように愛していたとすれば、それを自分の子供に与えることはしない。

 かといって自分の子供のように愛していたならば、そこに尊敬の念は生まれない。


「それに、もし普通の愛であれば、王がその役目を引き受ける必要はない」


 シャルハの言葉に、ウナは頭上で悪戯っぽく笑った。


「私を愛するには、普通の覚悟じゃダメだよ」

「そこまではわかった。その次がわからない。ではボクはウナをどういう意味で愛すればいいんだ?」


 答えはなかった。

 その代わりにベルストンが咳払いをした。


「女王陛下に申し上げます」

「なんだ?」

「天使様の愛の謎を解くより先に、片付けるべき問題はあるかと」

「……確かに、それはそうだな」


 目下の問題は、ガーセルの反乱を収めることだった。

 少々現実逃避していたことを、シャルハは認める。


「師匠は、故郷には戻らないのか」

「……そのことで、話がございます」


 ベルストンは手に持っていた髪飾りを床に置くと、恭しくその場に跪いた。



「どうか、私を今一度騎士団長に任命して頂けませんか」

「……どういうことだ?」

「今はガーセルの阿呆卿がいなくなり、実質騎士団長の座は空位となっております。今のままでは阿呆卿を制圧するにせよ、統率は取れますまい」


 シャルハはその言葉に黙り込んだ。

 ベルストンは数年前まで騎士団長であったが、今は剣を置いた身である。矍鑠としてはいるが、老人であることに変わりはない。

 そのような人間を、急遽騎士団長に取り立てても良いものか、

 悩むシャルハの頭上で、ウナが嬉しそうに口笛を吹く。


「いいよ、ベルストン。それでこそ私が愛した先王の一番槍」

「恐れ入ります」

「おい、ウナ」

「ルーティがいても同じ意見だったと思うけど。というか他に適任者いないでしょ」


 執事であった男の名前に、シャルハは眉を曇らせた。

 暗殺者の凶刃の前に立ちふさがり、シャルハを護ろうとした男。反女王派の振りが板に付きすぎていたため、シャルハは最後までルーティの真意に気付けなかった。


「わかった」


 半ば諦めたような口調で言うと、シャルハは玉座から立ち上がる。

 頭の上に天使を乗せたまま、その言葉を告げた。


「ベルストン、貴殿に騎士団長の任を与える」

「ありがたき幸せにございます」

「ボクと共に剣を取り、反逆者ガーセルの軍を制圧しろ」


 ベルストンの顔に赤みが差し、両の瞳に光が灯る。

 百戦錬磨の老兵は、干からびた場所から引きずり出されて、戦いと言う名の水を与えられた。


「御意」


 昨日までとは比べ物にならない活気のある声で応じ、ベルストンは意気揚々と部屋を去る。

 その後姿は、老兵とはとても思えぬ若さを持っていた。


「で、君は本当に帰らないのか?」


 再び、シャルハがユスランに確認する。

 ユスランは愚問だとばかりに肩を竦めた。


「天使様、女王様がこんなことを言います」

「それだけそなたのことが心配なんだから許してあげて」

「人の頭の上で勝手なことを言うな!」

「じゃあ降りようっと」


 ウナは身軽に床に降りて、シャルハを見上げた。

 幼い顔には似合わない、酸いも甘いも噛み分けた表情を作って、右手の人差し指を突き付ける。


「さて、我が女王。此処が正念場だよ。そなたが本当に王になれるかどうか、私は見ていてあげる」

「それは心強いな。ユスラン、ウナを頼む」


 悩んでいる時間が勿体ないほどに、ウナもユスランもいつも通りだった。

 昨日までと変わらぬ目で、シャルハを見ていた。そこには国を燃やす炎どころか、不安すらも存在しない。

 二人が信じているのなら、王であるシャルハは剣を取るだけだった。


「死んだら、花でも供えてくれ。庭師がこの前、綺麗な赤い花を咲かせただろう?」

「冗談じゃありません。あれは婚礼用です」


 ユスランの冗談に、シャルハは少しだけ笑って部屋を後にした。

 残された天使と王子は、暫く黙り込んでいたが、やがてウナの方が口を開いた。


「何企んでるの、ユスラン」

「天使様に隠し事は出来ませんね。大人しく、此処で待っているわけないでしょう?」


 ウインクをしたユスランに、ウナも同じ表情を作った。










 国を雨が濡らしている。

 目に見えない雨が、国の行く末を嘆いているかのように降り続けている。雨に濡れた王城は、きっとそのまま溶けてしまう。


「若き兵達よ!」


 しかし憂いも悲しみも、老兵の前では実に無力だった。

 王城のバルコニーに立った老兵は、力強い声を張り上げる。


「この哀れな老人を見るが良い! お前達よりも老いぼれて力はなく、剣を持たせれば、幼子のような有様だ!」


 王城の庭に集められた騎士や兵士達は、伝説の騎士団長を前にして、驚けば良いのか笑えば良いのか決めかねていた。

 鎧に身を包み、先王より賜った剣を携えた姿は、その熱弁が語る言葉に何一つそぐわない。


「しかし! この老兵でも矢の一本くらいなら受け止められよう! 貴様らは安心して、この老体を盾にして進めば良いのだ!」


 女王派の諸侯達もその場には揃っていたが、彼らとて自分より身分が低いはずの老人相手に、存在感一つ示せなかった。


「私に従えとは言わない! だがこの国を愛しているなら、女王陛下を愛しているのであれば、あの卑怯なガーセルなどに負けるなどという選択肢はないはずだ!」


 剣を抜き、天に掲げた姿を見て、兵達は一斉に声を上げる。


「流石は伝説の騎士団長。士気を上げるのは得意だな」

「いいえ、女王陛下のお力があればこそ。陛下が本当に王に相応しくないなら、この場に兵などいません」


 ベルストンが身を引くと、シャルハは代わりにそこに立つ。

 見下ろした光景は、即位式の時の華やかさなど何処かに消え失せて、ただ兵士の熱気だけが渦巻いていた。

 こういう光景は、ウナやユスランは苦手だろうと思いつつ、しかし騎士姫と呼ばれてきた彼女を奮い立たせるには十分だった。


「愛するボクの兵達よ。半人前の女王に此処までついてきてくれて感謝する。多くは語らない。だが、ボクはガーセルに王位を渡すつもりはない。例え、ボクの命運尽きても、奴の喉笛を切り裂いてみせる!」


 兵たちが雄たけびに近い声を上げた。

 庭が、城が、全てが震えていた。


「女王様、万歳! シャルハ女王様、万歳!!」













 シチューを作った日があった。

 生まれて初めての料理で、人参はゴボウみたいに細かったし、ゴボウは木の枝のように固かった。ジャガイモは煮崩れて姿かたちもなくて、焦げてしまった牛乳が妙な苦みを出していた。


「美味しいですよ」


 ユスランはそれを食べながら言った。


「嘘をつくな」


 シャルハは不味いと言っても、まだお世辞になりそうなそれを匙で掬ってすする。


「とても不味い。不味すぎてうんざりする」

「そうですか?」

「君の舌が馬鹿なんじゃないのか」

「では馬鹿で結構です」


 ユスランはゴボウを思い切り噛んでしまって、小さく悲鳴を上げた。


「ほら」

「これは不意打ちに驚いただけです。この固さもアクセントで良いですね」

「別にボクは褒めてほしいなんて言ってない。無理しなくていいんだぞ」

「無理なんてしてませんよ」


 今度は人参を苦戦して食べながら、ユスランは憮然とした様子で言った。


「もー、我が女王はデリカシーがないね。男心がわかってない。あとシチューは不味い」


 ウナが、これもユスランと同じようにシチューを食べながら言った。


「ウナこそ、無理して食べなくてもいいぞ。というか、どうせ失敗すると思って、お茶会の準備までしたんだから、そっちのスコーンとか食べればいいだろう」


 チョコが入ったスコーン、ラズベリーのパイ。

 それらは美しく、行儀よく皿に並んでいる。

 二人はそれに一瞥をくれただけで、視線をすぐに逸らした。


「お断りします」

「嫌だ」

「なんなんだ、一体。あぁ、この前の料理は愛とかそういう話か? 愛がここまで不味くては意味がないだろう」


 シャルハの言葉に、ウナはまるで聞き分けのない子供相手にするように肩を竦めた。


「どうして我が女王は、そうやって杓子定規かなぁ。あのね、この世に定型の愛なんて存在しないんだよ。「こうしてこうするのが愛ですよ」なんて馬鹿げた教本も存在しない」

「それはそうだろう、世の中色んな人間がいる」

「でも愛には定型はないけど、共通して持つ定義がある」

「定義?」


 ウナは焦げたシチューを匙に掬いながら話し続ける。


「この焦げてぐちゃぐちゃで不味い物体、これが何かと聞かれたら、味や見た目の是非は兎に角として、皆はシチューだと言うでしょ」

「……少なくともシチューの条件は満たしているからな」

「そう。これはシチューとして認められる条件をクリアしている。愛も同じだよ。姿かたちは様々でも、他の人が見て「愛」と思うものが愛なわけ」

「よくわからない」

「愛とは」


 渋い顔をして人参を齧りながら、ウナは指を一本ずつ立てていく。


「誰かのために、純粋に、見返りを求めず、傷つけない。この四つを満たしたものが愛」

「……傷ついていないか、現在進行形で」

「まぁ不味いのは確かなんだけど、料理したことがないシャルハが、私達のために、見返りを求めずに、一生懸命作ってくれたものだからね。多少不味いのは想定内だよ」


 その横でユスランは黙々とシチューを食べ続けていたが、ふと思いついたように顔を上げた。


「しかし天使様。この国の王は、天使様を愛することで守護の力を得た。つまり見返りが発生しているわけでしょう?矛盾していませんか?」

「あれは、違うんだよ。初代国王の優しさ」

「優しさ、ですか?」

「私に守護の力があるのは事実だけど、所詮はこの国は人間のものだからね。……シャルハ、これ塩どのぐらい入れたの」

「塩は大匙一杯入れておいた」


 ウナが行儀悪く出した舌の上には塩がたっぷりついていた。


「女王様、念のため聞きますが、大匙とはどのぐらいのものでしょう」


 塩を思い切り飲んでしまったユスランが鼻頭を押さえながら尋ねる。

 シャルハは自信満々でその問いに応じた。


「大匙、つまり大きな匙だろう? 祝賀会などで使うプディング用のスプーンを使った」

「それ違うの」

「あぁ……すみません。今度は大匙小匙の違いも教えますね」


 嘆く二人を見て、シャルハは自分が何か間違えたことに気が付いた。


「……えーっと、すまない?」

「いいんですよ」


 ナプキンで顔を覆いながら、ユスランは枯れた声で慰めた。


「これ以上不味くはならないでしょうから、次は美味しいものを食べられると期待しています」

「やっぱり不味いんじゃないか!」












 何故、そんなことを思い出したのか、シャルハは馬を走らせながら考えていた。

 幼い頃から染み付いた馬術は、少しの想起でも揺らぐことは無い。

 王国軍を引き連れて、王都の街道を南下する。これまでは国境で戦をするために進んだ道だが、今日の目的地はそれより遥かに近い。

 にも関わらず、いつもより遠く思えるのは、緊張感のせいでもあった。


「女王陛下、どうしました」


 並走するベルストンを、シャルハは一瞥する。


「なんでもない」

「阿呆卿が仕掛けるとすれば、南の領地に入ったところです。王に成り上がりたい彼が、天使の住まう王都を無下に攻撃するとも思えません」

「もし奴が王になったとして、ウナは奴を認めるだろうか?」

「……それはないでしょう」


 馬の蹄が地面を蹴る音が響き、乾いた道に砂埃を巻き上げる。

 賑やかだった王都は、今は静まり返っていて、行軍の音が殊更に目立った。


「女王様はもっと自信を持つべきです。貴女が王として相応しくないのなら、甥のルーティは早々に見切りをつけていたでしょう。あいつはそういう人間です」

「ルーティには悪いことをした」

「でしたら、せめて王で在り続けて下さい。そうでなければ、ルーティは納得しないでしょう」


 手綱を握りしめた手に、本物の雨が一滴降り注いだ。

 雨が降れば視界が悪くなる。シャルハは雨が激しくならないことを祈りながら、自らが跨る黒馬を励ますように、軽く撫でた。


「トリステ。お前は雨が嫌いだろうが我慢してくれ。可愛い恋人が待っているのだろう?」


 愛馬は低く嘶いただけで、足取りは衰えることもなく一直線に先を目指していた。

 弧を描いた道の先に、南の領地は迫っていた。









 ガーセルの集めた反乱軍は、ベルストンの読み通りに南の領地に入ってすぐの丘陵で待ち構えていた。

 先王から、騎士団長襲名の際に受け取った甲冑に身を包んだガーセルは、その先頭で語気も荒く熱弁を振るう。


「女の王など何の役にも立たないことを、我らは国民達に知らしめるべきだ! 現に天使を見よ。女王を認めたか? シャルハはその地位にしがみつくのみで、一向に天使に愛されてはいない!」


 降り始めた雨の中でも、反乱軍の熱気は冷めない。


「栄えある王国の未来のため、そして国民のため、資格なき王の冠を奪うことが、我々の使命だ!」


 ガーセルを讃える声が四方から上がる。

 その台詞が口先だけか本心だけかは、実際のところ彼らの半分も気にしていなかった。

 地方諸侯と保守派を集めた軍隊は、ガーセルが王となった場合の利益のみを目的としていた。

 元々、男の王が続いていたのだから、ここでガーセルが王になったところで、劇的な変化は訪れない。そして直系ではないガーセルが王になれば、地方諸侯達がそこに取り入る隙が生じる。


「ガーセル新王!」

「共に新しい時代を作りましょうぞ!」


 湧きたつ喝采にガーセルは満足をしていた。

 先々王の孫の中で最初の男児として生まれたのはガーセルだった。

 この国の王は、その殆どが妾を持たず、仮に婚外子がいたとしてもそれを王室に入れることはなかったため、先王の妃がシャルハのみを産んで亡くなった際、ガーセルの母親は自分の子供こそが次の王になると信じていた。

 それを聞かされていたガーセルは、当然自分が王になるものだと決めつけていた。

 シャルハが王になると決まるまでは、ガーセルは比較的友好的だった。自分が王になっても、何らかの厚遇は与えてやろうと思っていた。

 だが先王はその期待を裏切った。


「私こそが王に相応しい。私が王となれば、貴君らに相応の褒美は与えよう!」


 勿論先王は、ガーセルを王にするなど一度も言ったことはなく、裏切ったことにはならないのだが、もはや思い込みと刷り込みがすぎたガーセルに、その理屈は通じなかった。

 自分が王になると思っていたからこそ、自分より年下で、しかも女であるシャルハが武勲を上げて、剣の腕も上であることを良しとしてきた。

 それが無くなった途端、ガーセルの中でシャルハは、ただ邪魔な者となり果てた。


「女王軍は混乱している。シャルハは私を反逆軍として捕らえて、罰を与えるつもりだろう。しかし! 我らが反逆軍ではなく王国軍となるチャンスは今しかない!」

「その通り!」

「女王シャルハを廃位に!」


 士気が絶頂に達した時、女王軍が南の領地に入ったことを知らせる笛の音が鳴り響いた。

 それほど遠くもない場所から、馬の蹄の音が聞こえる。

 ガーセルは自分の馬に跨ると、王都から続く街道より向かってくる、女王軍の姿を見た。

 先頭を走るのは、予想した通りシャルハだった。

 甲冑で身を護っているが、その体躯は周りの男達よりも小さいので、顔を見ずともすぐにわかる。

 しかし、そのすぐ後ろにいる老兵を見つけると、ガーセルは我が目を疑った。


「ベルストン……!」


 他の者も同じことに気付き、軍に動揺が走る。

 その厳しさと勇猛から、戦神とすら言われた前騎士団長。三年前にその座を退いたが、当時のことは皆の記憶に新しかった。


「ええい、怯むな! 所詮は老人! 女王軍は彼に頼るしかないほど、追いつめられていると考えろ!」


 動揺が広がり切らぬうちに、ガーセルは全員を叱咤する。

 向かってくる女王軍に、右手に握った剣の先を突き付けた。


「全軍突撃せよ!」


 その声が届いたのか、シャルハもまた同じように剣を向ける。


「反逆軍を鎮圧せよ!」


 互いの軍の馬の蹄の音と、怒号が丘陵を支配する。

 ガーセルは真っ先にシャルハの方に馬を走らせた。

 飛び交う弓を剣で斬り落とし、力強く地面を蹴る馬の蹄の音にのみ集中する。誰もが、その意図を悟ったかのように、その行く手を阻まない。

 視線の先にいるシャルハだけが、ガーセルの求める戦果だった。







 剣同士が衝突し、その音が互いの耳に届く。

 シャルハは、力だけなら自分より上であるガーセルに対して、正面からその攻撃を受け止める愚行を避けていた。

 ベルストンに叩き込まれた剣技は、シャルハを男並みに強くすることではなく、シャルハ自身として強くするためのものだった。


「ガーセル卿! ボクの国を汚す真似は許さないぞ!」

「お前など王ではない! 私の軍を見ろ! これがお前に対する評価だ!」


 雨で濡れた地面を、シャルハを乗せたトリステは巧みに動く。ユスランに連れ出されて、様々なところに訪れた経験が、雨を有利へと導いていた。


「ボクの評価などどうでも良い! ボクが許せないのは、お前が国に血を流そうとすることだ!」


 ガーセルの馬も負けてはいなかった。騎士団長の馬として数々の試練を乗り越えて来たその脚は、濡れた草も地面も、全く意に介していない。

 馬の性能はほぼ互角。二人の剣は力と技術の差はあるが、全体として捉えれば、そう変わらない。


「ベルストンのような老兵を連れてくるとは、負けを認めたようなものだぞ、シャルハ!」


 ガーセルの攻撃がシャルハの剣を弾く。

 だがシャルハは弾かれた勢いで後ろに引っ張られた剣を、宙で即座に持ち直した。逆手握りにして下から斬り上げ、ガーセルと間合いを取る。


「負けかどうかは、負けた時にだけ決まる。師匠はお前より、ずっと長く騎士団長の地位にいた。軍の指揮はお前よりも上だ」


 二人の周りでは、今も激しい戦いが繰り広げられていた。

 同じ国の同じ兵法。軍の数もほぼ同等となれば、あとはその戦力の精度が物を言う。


「それに師匠は怒っている。ボク達が何度叱られたか覚えていないのか?」

「あぁ、あの嘘吐き執事のことか? 馬鹿な奴だ。私に従えばよかったものを」


 甲冑の下で、ガーセルは怒りを堪えた声を出す。


「私は嘘吐きは嫌いだ。先王もベルストンも、執事もメイドも、嘘吐きの馬鹿ばかりだ! 私が王になったら、先王とお前の名を歴史から消去してやる」

「ボクの国で好き勝手はさせない。ボクはこの国の全てを愛している。嘘吐きも馬鹿も皆好きだ。だが、お前のように自分だけ好きな奴は御免被る!」


 トリステの前足が地面を蹴る。

 間合いに入ると同時に、ガーセルが剣を横に薙いだ。シャルハは馬の背に殆ど体を接するようにして、それを紙一重で避ける。

 手綱を操って、ガーセルの右側に回り込み、剣で相手の利き腕を叩きつけた。腕甲に阻まれはしたものの、十分な衝撃が与えられた手ごたえが伝わる。

 ガーセルは剣を落とすかと思われたが、左手で右手を支えるようにしながら、再びシャルハと距離を取った。


「国を愛する? 馬鹿馬鹿しい。やはりお前には王の資格はない。王の義務は天使を愛することだろう。後手に回すから、お前は天使を愛さないし、愛されもしない」

「違う。ボクは――」


 その時、敵陣から飛来した矢がシャルハの正面に飛んで来た。

 咄嗟に剣で払うも、それがガーセルに隙を与えた。

 両手で剣を構えたガーセルは、馬の腹を足で蹴って合図し、一気に間合いに入り込む。

 右手の力を半減させたとは言え、男の両手で振りかぶられた剣を受け止める力は、シャルハにはない。


「くそっ!」


 シャルハは手綱を取り、トリステに右に避けるように指示する。

 剣の振り下ろされた先から馬を退避させることは出来たが、剣の切っ先が左肩から腕を斬りつけた。

 肩と腕の境目にある、甲冑のない部分に刃が入り、その下の鎖帷子へ達する。威力が削がれても十分に重い一撃が鎖を断ち、シャルハの肌に食い込んだ。


「トリステ! 下がれ!」


 肩から流れる血を押さえ、シャルハはガーセルから離れる。

 銀色の甲冑に血が伝って、地面に落ちた。傷は深くないが、皮膚の表面を削ぐような怪我だったために出血量が多い。


「私が王だ」


 ガーセルが剣を向けたまま、何かに憑りつかれたかのように言った。

 王であれ、と言われて育てられて、誰にもその真偽を正されないまま生きて来た男にとって、王こそが全ての価値のようだった。


「お前を倒して、私は王になる!」


 ガーセルが剣を振りかぶった時、二人の間を白い影が横切った。

 それが白い馬だとシャルハが気付いた時には、馬の上から飛び立った何かが、ガーセルの剣の上に立っていた。


「ウナ!」


 剣の上に立った天使は、ガーセルを冷たい目で見下ろしていた。

 王の証を目の前にして硬直した男は、何も言葉を紡げず、かといって剣を下ろせずにいた。

 裸足で剣の上に立っているにも関わらず、掠り傷一つ作らずにウナは立っている。その唇がやがて、静かに言葉を発した。


「私の「宝物」を傷つけたね」









「天使様の宝物は、シャルハ様です」


 闘技大会で、ベルストンはシャルハにそう言った。


「ボク?」

「先王がウナ様に与えた、たった一つの宝物です。そして先王もまた、先々王からウナ様が貰った宝物。この意味がわかりますかな?」


 シャルハは顎に手をかけて考え込む。

 やがて一つの答えに行きつくと、戸惑いながらも口を開いた。


「王になる人間が、ウナの宝物なのか?」

「だと思います。でも天使様は国を護る存在です。なのに何故、宝物が個人なんでしょうな?」









「あ……、あぁ……」


 ガーセルはどうすれば良いかわからないまま、剣を中途半端に振り上げた格好で、間抜けた声を出す。


「無事ですか、女王様」

「ユスラン! なんで来たんだ!」


 白馬に乗ったユスランは、城にあった甲冑を借りて来たらしく、少々似合わない格好だった。


「天使様が暇だというので連れてきました」

「だって、お城に誰もいないんだもん。つまらないよ」


 剣の上で振り返ったウナは、拗ねた子供のように口を尖らせた。

 しかし、思い直したように真面目な表情になると、真っ直ぐにシャルハを見下ろした。


「我が女王。私を愛する覚悟は出来た?」

「……あぁ」


 フェイスガードを押し下げて、雨に顔を晒したシャルハは、迷いのない瞳でウナを見た。


「恐らく、だけどね。出来たと思うよ」

「それではシャルハ。我が女王」


 さぁ、とウナは言葉を促し、両手を広げた。


「私を愛して王になれ」


 周りの喧騒が遠ざかり、シャルハの視界にはウナしか映らなくなる。

 実際には状況も景色も目には入っているが、それら全ては愛を告げるのには無用とばかりに霞んでいた。

 二人しかいない静かな空間で、シャルハは三ヶ月越しの答えを告げた。


「ボクはこの国を愛している」


 晴れの日も雨の日も、病める時も健やかなる時も。

 結婚式の誓いの言葉を思い出しながら愛を囁く。


「この国を代表して、王が誓おう。天使よ、ボクの国に愛されてくれ」


 ウナは暫く黙っていたが、その顔が満面の笑みに変わった。


「大正解!」


 その背中に大きな白い翼が出現する。

 剣を蹴って宙に飛び上がった天使を、女王軍も反乱軍も呆気に取られて見上げていた。


 今より遥か昔、ウナはこの国を愛し、其処に住みたいと願った。初代国王はそれを受け入れた。

 だが人間の国で、天使は余りに異端すぎる。初代国王は迷った末に、ウナに国を護る守護天使になって欲しいと言った。

 守護をする天使という名目があれば、異端であれど人々に受け入れてもらえる。それが初代国王の「優しさ」だった。


 しかし、王が変われば、当然の如く天使という異端が目立つ。

 ウナがこの国にいられるよう、初代国王は、天使を愛することを王の義務とした。そしてウナは王への試練を与える役を受け持った。

 王はこの国の全てを受け止める覚悟をしなければならない。その覚悟があって、初めて天使へ「愛」を示せる。国に愛してもらったウナは、また其処に住むことが出来る。

 それがこの国の、王と天使の真実だった。


「天の兄弟よ、女王に高らかな祝福を!」


 ウナの声が空の雨雲を散らし、その向こうに隠れていた太陽を曝け出した。

 千切れた雲の隙間から差し込む陽の光に照らされ、天使は美しい羽を揺らす。神殿のステンドグラスに描かれた姿より、遥かに美しい天使がそこにいた。


「此処に王は決まった。シャルハ女王を正式にこの国の王と認める!」


 その言葉を聞いたガーセルが、剣を地面に落とし、馬の上で項垂れた。それを見た女王軍の面々が、即座に捕縛にかかる。

 他の反逆軍たちも次々に武器を捨てる中、ベルストンが馬でシャルハの元に駆け寄った。


「女王様、お怪我は」

「大したことはない。良い肉でも食えば回復する。それより死者は出していないだろうな?」

「元々戦力が互角だったのが幸いして、怪我人が多いですが死者は殆ど出ておりません」

「そうか。怪我人は城に戻り手当を。反逆者達はとりあえずガーセルの城にでも入れておこう。これから忙しくなるだろうが……」


 シャルハはウナを見上げてから、明るい声で言った。


「まぁどうにかなるだろう。ボクはこの国の王だからな」


 天使を愛した女王は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。


END

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