表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を愛して王になれ  作者: 淡島かりす
5/7

5:執事と女王

 メイドの間では、最近シャルハ女王が綺麗になったという噂話で持ちきりだった。

 元々、凛々しい美しさを持っていたが、それはどちらかと言うと女性らしさが損なわれたがゆえのものであり、少々人間味にかけたところもあった。

 だがこのところ、特に化粧気が出たわけでもなければドレスを身に纏う時間が増えたわけでもないのに、仕草や言動に女性的なものが混じるようになった。


「あの白馬の王子様が来てから、女王様は変わりましたわ」

「隣国の第五王子でしょう。女王様とは全く違うタイプだから、逆に気が合うのでしょうね」

「あの王子様、何かと理由をつけてはこちらにいらっしゃるのよ」


 メイド達が好き勝手にお喋りをしている傍ら、ティアは内心で溜息をついていた。

 シャルハの従兄であるガーセル騎士団長に雇われた暗殺者。それがティアの正体であり、三ヶ月ほど前にメイドとして城に潜入した。だが今のところ、シャルハに掠り傷一つつけるに至らない。


「シャルハ様が最近、香水に興味があるようなの」

「香水!あの女王様が?」

「本当よ。この前、お髪を整えに行ったら聞かれたもの。良い香水はないかって」

「それで何て言ったの?」

「下々がつけるような香水を薦めるわけにいかないわよ。私が使ってるの、城下町で安売りしていたやつだもの」


 ガーセル卿からは連絡を取る度に、シャルハを早く仕留めるように言われている。ティアは別に手を抜いているわけではないのだが、シャルハの傍にはいつも天使や執事がいて、ダガー一本投げることすら容易ではなかった。


「女王様は香水よりも剣という方だったのに、わからないものね」

「ご婚約はいつされるのかしら」

「少なくとも武闘大会が終わるまではお預けじゃない?何しろこれがシャルハ様が即位以来、初めての国家行事ですもの」


 ティアはその台詞に顔を上げた。

 談笑しているメイド達のところに、いつものドジで間抜けなメイドの仮面を被って接近する。


「武闘大会っていつですかぁ?」

「ティアったら知らないの?」


 年の近いメイドが目を丸くする。


「地方の出身だから詳しいことは知らなくて。国で一番の剣士を決めるんでしたっけ?」

「そうよ。国中の腕自慢が集まって戦うの。偶に王室騎士が地方の剣士に負けたりするから楽しいわよ」

「面白そうですね。スルスルッと優勝したら、ご褒美あるんですか?」

「国王から賞金と短剣が渡されるの。これは初代国王が天使様と出会う前に参加した大会に由来しているから、表彰式の時に天使様がいない唯一の行事なのよ」

「そうなんですかー。あたし達も見れますか?」

「来賓の方々への給仕で何人かは出ると思うけど……」


 年上のメイドは言葉を止めた。

 城内でティアは、「城を破壊しながら歩くメイド」として有名である。それはティアがシャルハを油断させるための演技だったが、少々行き過ぎたのか、最近では城にいる殆どの人間にその認識が定着してしまっている。

 ティアは自分に向けられた視線の意味を即座に理解すると、子供っぽく頬を膨らませて見せた。


「あたしだってやれば出来ます」

「でも……」

「普段のは、たまたまなんですぅ」


 ツインテールの茶色い髪を揺らすように首を左右に振る。それから猫に似た灰色の瞳を相手に向けた。


「武闘大会、見てみたいです。メイド長にキュンっと頼んだら大丈夫ですか?」

「メイド長はもっと嫌がると思うけど……」

「でもでも、ここでのお仕事が終わっちゃったら、次はいつ王都に来れるかわからないし。一緒にお願いしてくださいよぉ」


 懇願するように言葉を重ねていると、急に後ろから声を掛けられた。


「武闘大会を見たいのか?」

「あ、女王様!」


 メイドと一緒にティアも頭を下げる。

 そこにはいつものように男装をした、この国の王であるシャルハが立っていた。


「楽しそうだな」

「申し訳ありません、つい」


 年上のメイドが弁解するように言う。

 今は謁見室の掃除の最中であり、私語はあまり好ましくない。

 だがシャルハは大して気にした様子もなかった。


「別に誰かと謁見中ではないのだから気にしなくていい。君たちが楽しそうだと、ボクも嬉しい」


 寛容な口調で言いながら、シャルハはティアに視線を向ける。


「で? 武闘大会を見たいのか?」

「見たいです!」

「だが君に給仕をさせると、ボクの胃が摩滅して無くなってしまうからな」

「シュルンと頑張りますから」

「シュルン……? 給仕は駄目だが賞金と短剣を見張っている仕事なら空いているぞ」


 ティアは目を輝かせて、両手を胸の前で組んだ。


「それやりたいです!」

「ではメイド長に伝えておこう」


 天使が傍にいない大会に、その賞金を見張るだけの役。

 これ以上ない好条件に、ティアは演技ではなく純粋に喜びを露わにした。賞金を見張るということは、それが必要となった時にシャルハに手渡すのも仕事に含まれる。

 賞金と短剣を片手で受け取ることは出来ないから、シャルハの両手は埋まる。つまり、両手が使えない女王の間合いに入ることが出来る。


「女王様、ありがとうございます」

「気にするな。最近は無粋な輩も多いから、見張りは多ければ多いほど良い。それに君は物は壊すが、物は盗まないしな」


 ティアには暗殺者としての自負がある。物を盗めば、それは泥棒という別の犯罪者になる。

 既に暗殺者な時点で犯罪者であることは変わりないのだが、ティアは殺し以外に手を染めるつもりはない。


「そんなことしません。例えカバとかが襲ってきても護って見せます」

「カバが来たら逃げたほうがいいと思うぞ。まぁ仲良く頼む」


 苦笑しながらシャルハが言った言葉に、ティアは違和感を覚えて首を傾げた。


「仲良く? 他に誰かいるんですか?」

「あぁ、ルーティだ。先王の時からあの役目をしていてな。今回も是非にというものだから」


 ティアの脳裏に、常に鉄仮面のように表情を動かさない執事の顔が過ぎった。






「武闘大会は僕も呼んで貰えますよね?」


 当然、と言わんばかりの口ぶりだったのでシャルハは思わず答えに詰まった。

 王城の中庭に用意されたアフタヌーンティ。それを囲むのは二人の人間と一人の天使。そして給仕役として傍に控えている執事が一人だった。


「見たいのか?」


 尋ね返すと、隣国の王子であるユスランは笑顔で頷いた。


「興味があります。女王様も参加したことがあるのでしょう?」

「あぁ、師に言われて何度か。意外といいところまでは行ったのだが、男に比べるとどうしても力や持久力が劣ってしまうから、負けてしまうんだよ」


 騎士姫の異名を持ち、戦場でも大いに武勲を上げて来たシャルハだったが、連戦式の試合というものは苦手だった。

 実戦と違って、正統派であることを求められるので、上手く力をコントロールすることが出来ずに体力を消耗してしまう。

 最後には剣をまともに握るだけで精一杯になり、負ける。それが騎士姫シャルハの定石だった。


「師には随分と怒られたものだ。ボクが真面目だからよくないと言われた。馬鹿正直に男と腕比べをするように剣を使うから負けるのだと」

「師というのは?」

「ガーセルの前の騎士団長だ。父の腹心の部下でもあった。そうだな、ルーティ?」


 紅茶のポットを手にして控えていた執事は、平淡な声で肯定を返した。


「前騎士団長は若い時分から国王に仕え、ビスト境界戦争の際には一番槍として敵地に向かったほどの勇猛の持ち主です」

「今もこちらにいるんですか?」

「いえ、ガーセル卿にその座を譲った後に騎士を辞めて、今は故郷の村におります。陛下、ご即位してから挨拶も済んでおりませんし、招待してはどうでしょう」


 ルーティの提案に、シャルハは良い思い付きだとばかりに微笑んだ。


「それはいい。師への挨拶をしていなかったことはボクも罪悪感があったしな。相手は武闘大会で三回もの優勝を果たした名誉騎士だ。特等席を用意しよう」

「お言葉ながら、陛下。前騎士団長はそのような華美は好まれません」

「誰が華美だと言った? どうせなら一緒に見たいからボクの隣に席を用意しろという意味だ」


 シャルハがそう言うと、ユスランが驚いた声を上げた。


「え、じゃあ僕はどこから見ればいいんですか?」

「君は来賓席に決まっているだろう。対外的にはただの隣国の王子なんだから」

「残念です……」

「泣かないで、ユスラン。代わりに私が隣にいてあげる」


 スコーンを頬張りながらウナが慰める。

 当初山積みだったスコーンは、今や半分以上がウナの体内に収まっていた。


「ありがとうございます、天使様」

「授与式以外はシャルハと一緒にいてもいいんだけど、ベルストンはちょっと苦手」

「ベルストン?」

「今言ってた、シャルハの剣の師だよ。悪い人間じゃないけど、私の扱いが気に入らない」


 ウナはスコーンをもう一つ摘み上げて、口の中に押し込むようにして頬張る。口の周りをジャムで染めながら、ウナは金色の瞳をルーティへ向けた。


「というわけだから、私の席はユスランの隣ね」

「かしこまりました。しかし前騎士団長はウナ様に会いたがると思うのですが」


 その言葉に、ウナは鼻で笑った。


「天使は人間の接待なんかしませーん。シャルハ、そっちのケーキ頂戴」

「はいはい。最近、よく食べるな。成長期か?」

「これ以上、私が愛され天使として成長を極めたらどうするの?」

「どうもしない」

「冷たい」


 大袈裟に泣き真似をしながら、それでもしっかりケーキを受け取ったウナは、生クリームとイチゴをたっぷり使ったそれを口に運ぶ。


「ユスラン、ユスラン。そなたが好きなシャルハは、私のことが嫌いみたいだよ。不平等じゃないかな」

「安心してください、天使様。女王様は不器用なのです。ウナ様への愛情表現が下手なんですよ。現に僕にも冷たいです」

「冷たくなんかしていないだろう」


 シャルハは紅茶を飲みながら反論する。


「君が勝手に城に来ようと、ボクの愛馬を連れ出そうとも、多めに見てやってるじゃないか」

「トリステ君がうちの娘とデートしたいというので仕方なく」

「馬の言葉が理解出来てたまるか」

「いやー、餌の人参を食べないでクレハに差し出してきた時点で、僕にはわかりましたね。お付き合いの申し込みだと」


 ユスランが愛娘だと言う白馬は、シャルハの愛馬の黒馬と、近頃良い雰囲気になっている。

 城にユスランが来ると、馬小屋の一角を貸してクレハを入れておく。一頭ずつに区切られているにも関わらず、何処に入れてもいつの間にかクレハは、トリステのいる場所の隣に移動している。

 目撃談によれば、他の馬たちと話し合いらしきものをして移動しているようなのだが、そこまで来ると怪談に近い。


「トリステ君が何時間も悩んでから人参をクレハに上げたときには感動しましたね」

「何時間もって……君は何処で見てたんだ」

「彼らの目の前です。いつも僕はクレハに子守唄を聞かせるのですが、その日は全然寝てくれなくて。今思えば僕が野暮でした。トリステ君も僕が見ている前ではお付き合いを申し込みにくかったでしょう」

「君が帰らないので、トリステも覚悟を決めたんだな」


 最初の頃は、馬を娘だと言い張るユスランのことが理解出来なかったシャルハだが、今はもう半分諦めて受け入れていた。

 馬が娘でも、シャルハには何の関係もないことだし、自分には愛さなければいけない天使がいる。つまるところ、あまりクレハについて突っ込むと、自分自身にそれがそのまま返ってくることに気付いてしまったせいでもある。


「女王様にも人参をあげましょうか」

「いらない」

「ではもっといい物を探してきましょう」


 嬉しそうに言うユスランに対して、シャルハは少しだけ顔を赤くして視線を外した。

 その様子をウナは愉快そうに、ルーティは笑みを堪えながら見守っていたのだが、シャルハにそれを察する余裕はなかった。




「武闘大会か。忘れていたが、確かにうってつけだな」

「はい。私と一緒に賞金を見張る役目には、執事のルーティが」

「ルーティか。奴は反女王派ではあるはずだが、積極的に関わってこないから、協力は期待できないな」


 実際にはルーティは、反女王派を演じているだけだが、持前の無表情とその態度でガーセル達には気付かれていない。

 だがあくまで演技なので、ガーセルや他の人間がシャルハへの妨害行為を行おうとしても、それに乗ることはなかった。


「シャルハの首を獲れなければ、今度こそお前は解雇だ」

「……心得ていますわ」


 失敗続きのティアに、ガーセルはそろそろ失望していた。

 だが、ティアがシャルハに好かれていることや、自然に王城のメイドの中に溶け込んでいることから、渋々見逃してきた。


「シャルハに近づいてきた、隣国の王子。天使が彼を認めたと言う話を聞いた。ということは、天使がまだシャルハを認めていないにせよ、時間の問題だ」

「今度こそ、必ず」

「死んでもあの女の首を獲って来い!」


 ティアは下唇を噛みしめる。

 殺し屋の仕事は、言うまでもなく人を殺すことである。それが達成できないならば、ティアは現状ただのメイドの成り損ないだった。

 自己のプライドのために、ティアはシャルハを殺さなければならない。だがそのために死ぬなんてことは、ティアにとっては不名誉なことだった。殺し屋が命を捨てて他者を殺すほど、馬鹿げたことはない。


「わかりました」


 口先では肯定を返しながらも、ティアは内心で舌打ちする。

 命を捨ててまで殺すほど、ティアはシャルハという人間を嫌っていない。あくまで仕事で命を狙っているだけで、あの凛々しくて鈍い女王のことなど、どうだって良かった。


「武闘大会は、どこで行われるのでしょうか。下調べをしたいのですが」

「そのぐらい自分で調べておけ。北側にある闘技場だ」


 ティアは反射的に北側を見たが、城の裏庭からだと塀に阻まれてしまって、闘技場はおろか外の景色すらも見えなかった。

 ガーセルは苛立った様子で言葉を続ける。


「あの大会は嫌いだ。ベルストンも先王も、私のことを軽んじて、シャルハばかりを持ち上げた。あの女のほうが私より強いなど、冗談ではない。不当な評価を下して、私に恥をかかせたあんな大会など、私が王になったら即刻廃止してやる」


 陰険さが滲み出る独白は、ティアを無視して延々と続く。

 それを聞きながらティアは、例えシャルハが死んでガーセルが王座についても、王にはなれないだろうと悟っていた。





 建設を命じた王の名を取り、「リグラス闘技場」と呼ばれている建築物は、巨大な円柱型をしていた。諸国にも多く見られる円形闘技場だが、この国ほど大きなものは珍しい。

 試合用のフィールドを中心として、坩堝型に観客席が周りを囲んでいる。フィールドに一番近い場所には、国内外から集められた来賓用の席が用意されており、それ以外は国民達が個別に席を購入して観戦出来るようになっていた。

 中心に近づくほど、席の値段は二倍三倍と跳ね上がっていくが、毎年会場は満席で、どうしても入れなかった者達が会場の外で耳を澄ましているような状態だった。


「全く、久々に来るとうるさくてかなわん」


 白髪の老人が不満そうに言いながら来賓席を通り過ぎて、玉座の方へ向かう。

 前方を歩く執事は、涼しい表情でそれに応じた。


「かつては此処で、その煩さの原因を作っていた身でしょう」

「昔は昔だ。老兵はただ去るのみ。昔のことを自慢して振り回すようでは、剣士としておしまいだ」

「貴方は昔からそういう人でしたね。正直、来ていただけるとは思いませんでした」

「ふん」


 老人は厳めしい顔を歪める。年こそ取っているが、背筋は伸びて肌のツヤも良く、実年齢よりも遥かに若々しい。

 かつて騎士団長であったベルストンは、剣を置いた今も、昔と変わらぬ眼光を秘めていた。


「姫様が呼ぶのだから行かねば損だろう。お前がちゃんと先王のいいつけ通り働いているかも気になったしな」

「心配されるような仕事はしません。ご安心を」


 ルーティは玉座に向かう途中、フィールドを挟んで反対側を見た。

 仮設置の小さなテントの下には、箱の中に厳重に保管された賞金と短剣がある。

 その傍らに控えているのは、メイド姿のティア一人だけだった。

 殺し屋である彼女が、天使の関わらないこの日を見逃すはずがない。絶対に何か仕掛けてくるはずだった。


「ところでルーティ。天使様は何処だ」


 老人に問われて、ルーティは我に返る。

 自然な仕草で視線をティアから外し、首だけで相手に振り返った。


「今日は会えませんよ。別の人間の元にいますので」

「なんだと?」


 老人は雷に打たれたかのように、ショックを受けた顔になった。


「それはないだろう、ルーティ。天使様のお髪を三つ編みにしたい一心で、ここまで来たのに」

「姫に呼ばれたから来た、というのは何処に消えたのですか」

「それも嘘ではないが、十年ぶりに天使様の髪の毛で遊ぶほうが楽しみだったのだ」

「心底嫌がってましたよ」


 ウナがベルストンを苦手とするのは、まるで人間の幼女を相手にするかのような扱いをするせいだった。

 本人なりにウナへの敬意は払っているし、危害を加えるわけでもなかったから、天罰を食らうまでには至っていない。それでもウナにしたら、自分のたかだか百分の一しか生きていないような人間に、子供みたいな扱いを受けるのは耐え難い。


「別の人間とは? まさかガーセルではないだろうな」

「姫の婚約者候補である、隣国の王子のユスラン様です」

「……あぁ、あの馬好きの変わり者王子か」

「伯父上には言われたくないと思いますが。まぁ姫もあの方には同じ感想を持っているようですけれど」


 石段を少し昇った先にある玉座の前では、騎士装束のシャルハが待っていた。

 国王が身に着けるビロードのマントが、風に少しはためいている。即位してから三ヶ月、段々と王らしくなってきたシャルハだが、まだそのマントは持て余している様子だった。


「師匠」

「姫殿下、いえ女王陛下。本日はお招きいただいて光栄です」

「こちらこそ挨拶にも行かず申し訳なかった。今日は存分に楽しんでいって欲しい。師匠の好きなワインも用意している」

「師匠などと。この老いぼれ、剣は置いて久しうございます」

「さぁ、此処に。ルーティ、お前は持ち場へ入れ」

「はい」


 ルーティがその場を去った後、シャルハはベルストンを用意した席に座らせた。玉座には劣るが立派な装飾を施した椅子は、本来は王族が座るようなものだった。


「こんな椅子に座って良いものか……」

「何を仰いますか。ガーセル騎士団長の前任たる貴方を、一介の騎士の席と同等にしてしまえば、彼の名も下がるというものです」

「それでは遠慮なく。ガーセル卿は?」

「騎士団長は今日は何かと忙しい。後でご挨拶に伺うとは言っていましたが」

「ふむ。確かに武闘大会は騎士には大事ですからな」


 それにしても、とベルストンはシャルハの顔を改めて確認して、何度か頷いた。


「あの小さかった姫殿下が立派な国王になられて。先王もお喜びでしょう」

「まだウナには認められていないがな」

「天使様に愛を示せていないからですかな」


 老人の言葉に、シャルハは困ったような表情で頷いた。


「愛を示せと言われても、ボクはまだ方法がわからないんだ」

「女王は、どうして天使様が愛を求めるかは知っていますか?」

「それがウナの力となるからだろう」

「そう、その通り。愛情は天使様が最も必要とする力です。それが失われれば、天使様は死んでしまう」

「それは」


 どういう意味かとシャルハが聞き返そうとした時、開幕を知らせるラッパの音が高らかに響いた。





 剣の音が円形状の闘技場に響き、観客達は興奮しながらその行方を見守る。この日のために鍛えて来た数多の剣が、そこで全ての力を出さんとしていた。

 

「素晴らしいですわね。剣を振るう男性は好きですわ」


 賞金を入れた箱の右側に立ったティアが口を開く。

 左側のルーティはその口調を聞いて、少しだけ視線を相手に向けた。


「ドジなメイドの演技は止めたのですか」

「何のことだか、キュルッとわかりません。……私、今日は本気ですから。邪魔をしても無駄ですわよ」

「そうですか」

「貴方、言いましたわね。自分の仕事の邪魔をしなければ良いと。貴方の仕事……この賞金を見張ることは邪魔しませんからご安心を」


 ティアは愛らしい口元で微笑む。


「それに貴方に私は止められません」

「大した自信ですね。ガーセル卿にクビでも宣告されましたか」

「それもありますけど、ドジなメイドの役はうんざりですの」


 剣が弾かれる音がして、観客が湧きたつ。

 熟練の騎士から剣を奪ったのは、地方貴族の庶子だった。思わぬ番狂わせに、騎士団の人間達も驚いた表情をしている。

 その騎士に混じって、ガーセルだけはルーティ達の方を見ていた。


「あんな男のために仕事をするなんて馬鹿げていませんか」

「それについては同感ですけど、私にもプライドがありますから」

「プライドですか」

「私はガーセル卿のためではなく、自身のためにするのです」


 ルーティはその言葉を聞いて、初めてティアの前で自然な笑みを覗かせた。

 それは一瞬のことだったが、ティアの虚を突くには十分だった。それまでティアが見たルーティの笑顔と言えば、最初に正体を看過された時の嘲笑しかなかったからだった。


「貴女のそういうところは、嫌いではありませんね」

「貴方に私を評価してくれなどと、頼んでおりませんわ」

「単なる感想ですよ」


 次の試合が始まり、再び闘技場に熱が籠る。


「貴方、前の騎士団長の甥なんですってね」

「よく調べましたね」

「剣は苦手で執事になったとか?」

「そうですね。私には執事の方が向いています」

「でしたら、余計に私の邪魔をしないほうが良いわ。怪我はしたくないでしょう?」


 気遣っているような、そして同時に馬鹿にしているような声の響きだったが、ルーティはそれに一切答えることはなく、背筋を正しただけだった。




「天使様、次は何を食べますか?」

「林檎!」


 来賓席の一番隅で、ユスランはウナのために食べ物を取り分けていた。

 他の席にも酒や料理が用意されているものの、ユスランの席だけ明らかに量が異なる。

 先ほどから絶え間なく食事を運んでくるメイドや執事たちは、その半分をユスランの席に置きに来ていた。


「ユスラン、別に私のことは放っておいてもいいよ。試合、見てないでしょ」

「見てますよ」


 ユスランはイチゴを指で摘まんで、それを口に運んだ。


「戦争はしないに越したことはないですが、軍隊は必要ですからね。勉強になります」

「そなたは平和主義かと思ったけど」

「……平和は好きです。馬が人間のせいで傷つくこともない。でも雇用や経済のことを考えると、軍隊を持たないわけにはいかない。突然軍を失くせば、他国に攻め入られて、国が滅んで、多くの国民や罪のない動物が死んでしまうかもしれない」

「そうなんだよね。平和のために軍事力が必要というのは、矛盾しているようで、結構正しい部分もある」


 難しいね、と言いながらウナは分厚いステーキ肉を大口を開けて頬張った。


「世界を平和にするのはね、愛なんだよ」

「天使様は愛の力でこの国を守ると言いますが、それほどまでに愛というのは強いものなのですか?」

「シャルハ一人が私を愛したって、意味ないよ」

「え?」






「天使が死んでしまうとは、どういう意味ですか?」


 開会の挨拶を終えてから、暫くは黙って試合を見ていたシャルハだったが、遂に耐え切れなくなってベルストンに尋ねた。


「ボクがウナを愛さなければ、ウナは死んでしまうと?」

「天使様は愛がなければ生きていけない。過去に天使様を愛さなかった王が廃されたのは、そういう理由です。この国は王よりも天使のほうが価値がある。しかしその天使を生かすのは王なのですよ」


 老人の言葉を、シャルハは必死に理解しようとする。

 ウナは我儘で自分勝手な振る舞いが多いが、シャルハは決してウナを嫌ってはいない。どうやったら愛せるかわからずに、三ヶ月も経ってしまったが、自分の責務を放棄したわけではなかった。


「天使を愛するのは歴代の王に与えられた試練でございます。だからこそ、その意味は代々の王が自分たちで答えを導いてきました。それも天使様を愛するための努力です。三ヶ月経っても天使様が女王陛下を廃さないのは、その努力を買っているのでしょう」

「三ヶ月では遅いということか?」


 老人は試合を真剣な表情で見つめながら、ゆっくりと頷いた。


「天使の羽を、女王陛下はご覧になりましたか?」

「……何故」

「これは先王から教えていただいたことですが、天使様には本来美しい羽があるのです。しかしそれを出すのには愛の力を多く必要とする。天使様はその身に残った先王の愛で生き延びている。それが尽きる前に、女王陛下は愛を示さなければならないのです」


 シャルハは来賓席の方に視線を向ける。

 ウナはユスランの隣で食べ物を頬張っているが、その背中に羽はない。即位してから一度も見たことは無いし、見たいと言っても断られた。


「じゃあそう言えばいいじゃないか。なんでウナはボクに何も言わないんだ」

「それはわかりかねますが、天使様は女王陛下を信じているのでしょう。きっと自分を愛してくれると」

「でも、ボクはまだ……」


 シャルハの言葉を、ベルストンは静かに遮った。


「天使様が女王陛下を廃さないのは、既に愛を見出しているからです。そもそも天使様に愛情を微塵も抱いていないのであれば、既に身動きすらとれなくなっているでしょう。後は女王様がご自身で、愛を理解するだけ。それだけです」

「それだけと言われても、どうすればいいんだ?」

「私は王ではありませんからな。先王や先々王の言葉からぼんやりと理解しているだけですが、一つ助言をいたしましょう」


 フィールドでは剣が混じり合い、火花が散っている。

 ベルストンは一瞬それを見ながら「なんとまずい剣だ」と呟いた。


「……天使様の宝物の話を聞きましたかな?」

「あぁ。教えてくれなかったが」

「先王に頂いたと言っていたでしょう」

「言っていた。師匠は御存知なのか?」


 力任せの剣が鈍い風切り音を立てる。相手を力だけでねじ伏せんとする剣は、しかしそれを迎撃した刃によりあっさりと砕かれた。

 折れた剣の先がフィールドに落ちて、乾いた音を立てる。


「天使様の宝物は――」





 優勝者が決まった瞬間、闘技場は割れんばかりの喝采と歓声に揺れた。

 騎士団の若き伍長は、照れくさそうにしながら、四方に騎士流の挨拶をする。


「決まりましたね」


 ルーティがそう言うと、ティアは無邪気な笑顔を見せた。

 それは無論、優勝者を讃えているわけではなく、自らの仕事が出来ることへの期待と安堵だった。


「あぁ、本当に長かった。待った甲斐がありましたわ」


 箱を開き、賞金と短剣を取り出したティアは、こちらに向かってくるシャルハにお辞儀をする。


「ご苦労だった」

「はい、かちっと待ってました」


 最後の演技をするティアを、ルーティは冷たい目で見守っていた。

 シャルハが賞金と短剣を受け取ろうとした時に、その眼差しを向けたまま、静かに口を開いた。


「ティア。私の仕事の邪魔をするなと言ったはずですよ」

「邪魔なんてしてませんよぅ」

「いいえ」


 ルーティは右の腰に手を回すと、そこに仕込んでいた何かを掴んで引き抜いた。

 鋭く風を斬る音がして、ティアの左手に痛みが走る。思わぬ一撃にティアは賞金の入った袋と、短剣と、そして左手首に仕込んでいたダガーをその場に落としてしまった。


「言い忘れていましたが、私の仕事は「シャルハ姫の護衛」です」


 革を編んだ強靭な戦闘鞭、バトルウィップを構えたルーティはシャルハに向かって叫ぶ。長い鞭は何度も手入れされた痕跡があり、しなやかな動きを見せていた。


「姫、お下がりください! この女はガーセル卿の雇った暗殺者です」


 鞭の二撃目は、ティアが横に飛んだことにより空振りに終わった。だが下の石床に当たった鞭の音は、それが直撃していれば裂傷で済まないことを示していた。


「ガーセルだと?」


 シャルハが、フィールドの隅にいる騎士団達を見る。そこには苦々しい表情のガーセルが、殺意に満ちた眼差しを向けていた。


「この役立たずが……!」

「ガーセル! どういうつもり……」

「姫!」


 左側からダガーが飛来して、シャルハの銀髪の一部を奪う。

 咄嗟に避けたため、切られた髪は少量だったが、まだ高い太陽の下でそれが反射しながら散っていった。


「女王様、避けないで下さいよぉ」


 ティアは残念そうな口調で言ったが、その目は凶悪に歪んでいる。ティアをただのメイドだと思っていたシャルハは、冷や汗が流れ落ちるのを感じた。


「本業はあくまで暗殺なのですが、仕方ありません。ここでその首を頂きます」

「ティア……」

「ごめんなさい、女王様。私はメイドでもなければ、貴族の末子でもなく、ましてティアという名ですらないのです」


 謝罪の言葉と共に、ティアは右手の指の間に挟んだダガーを、腕を払う勢いで投擲した。

 しかしルーティが間に入り、鞭を振るってそれらの刃を叩き落す。執事とメイド、否、護衛と暗殺者は静かに睨み合っていた。


「姫、メイド長と共にお逃げください。彼女は反女王派ではありません」

「ルーティ、お前は……」

「先王は私に、貴女を護るように言いました。それには反女王派を装った方が何かと都合がよかったのです。無礼をお許しください」


 ルーティの鞭がティアの頭を狙って横凪ぎに払われる。

 ティアは体を大きく反らしてそれを避けると、体を後ろへ倒す力で足を振り上げた。鞭を蹴り飛ばしながら、その爪先を天に向け、更に円を描くように勢いをつける。柔らかくしなる体を反らして、両手を地面につけたかと思うと、そのまま体を一回転した。

 回転しながら、左足の腿に仕込んでいたナイフを取っていたティアは、間髪入れずに刃先を振るう。


「女王様を渡してくださいませ」

「断ります」


 ティアはあくまでシャルハを殺すことに神経を集中させていた。

 ルーティはシャルハを逃がそうとするが、それに気を取られるとティアの刃が鞭を切り裂こうとする。護衛として鞭の使い方を仕込まれていたが、ティアと比べるとルーティの実戦経験はあまりに少なかった。

 余裕を装った表情でそれを誤魔化していたが、長続きするわけもなく、ティアはそれを何度目かの攻防で見破った。


「場数の差が歴然ですわね」


 振り上げた足が鞭の軌道を逸らす。それはわずかな物ではあったが、鞭の命とも言える速度を失った先端は威力が激減する。

 反射的にルーティはその軌道を戻そうとしたが、それが隙を生んだ。ティアが間合いへと入り、右手でルーティの鞭を掴む。そして左手に持ったナイフの刃先を首元に当てた。


「さようなら」


 ナイフの先がルーティの首を裂く。鮮血が飛び散り、散らばったままだった賞金の金貨にも降り注いだ。

 ルーティは倒れ込みながら、それでも鋭い眼光でティアを睨みつける。その目はまだ諦めていなかった。


「貴女に場数で負けるのは想定内です……!」


 ティアが握るナイフの刃先に、ルーティは自身の右手を自ら突き刺した。激痛に顔を歪めながら右手に力を入れてナイフの柄を掴む。


「何を……」

「ダガーが、十本に、ナイフ。ナイフを仕込んでいるのが左足だけ、なのは先ほど確認しました」


 ルーティの手から流れる血がナイフを濡らし、ティアの握力を鈍らせる。あまりに突然の出来事に反応が遅れたティアは、相手がナイフを奪い取るまで、殆ど思考を停止していた。

 右手を犠牲にしてナイフを奪ったルーティは、ナイフごと右手を抱え込むようにして地面に崩れ落ちる。


「私は、貴女から……武器と時間を奪えれば、良かった」


 ルーティの血が石畳の隙間へ染み込んでいく。

 我に返ったティアが顔を上げると、騎士団の弓兵達が、その鏃をティアに向けて構えていた。


「……貴方には確かに、執事のほうが向いていますわ」


 ティアは小さく呟いた。

 視線を動かすと、シャルハが蒼ざめた顔をしてルーティと、そしてティアを見ていた。

 闘技場は混乱に満ちて、逃げようとする群衆達の怒号が響き渡っている。その中で血まみれのメイドは微笑んだ。


「私の負けです」


 足元には、賞金と一緒に手渡されるはずだった短剣が落ちていたが、ティアはそれを手に取らなかった。

 シャルハの瞳は短剣を捉え警戒の色を帯びている。ティアはそれに気付くと、首を左右に振った。


「私はそれを使いません。私は暗殺者。泥棒ではないのです」


 仕事に失敗した暗殺者の最後のプライドだった。

 短剣を取ったところで、弓兵が矢を放てば終わりである。泥棒となって死ぬぐらいなら、暗殺者として命を終える。覚悟を決めたティアは、何処か晴れやかな表情を浮かべていた。


「女王様、人のことはもう少し疑ったほうが良いですわ。本当にメイドなのか、本当に反女王派なのか、……本当に騎士団長に相応しい人物なのか」


 親切心でそう告げたティアは、血に汚れたスカートの両端を摘み上げて、優雅にお辞儀をした。


「それでは、ごきげんよう」


 矢が空を切り裂き、何かを貫く音がしたのは、その一秒後のことだった。


END

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ