4:王子と騎士
青い空、白い雲、のどかな風。
どこまでも続く丘陵は、なだらかな線を描いて青青しい。
「はぁ」
その景色の中で、シャルハは溜息をついた。
乗馬用の軽装を身にまとい、傍には愛馬が暢気に草を食んでいる。共に戦場を駆け抜けた黒い馬は、心なしかいつもの凛々しさを忘れて浮かれているようだった。
傍では白い馬が、これも浮かれ気分で草原を闊歩している。その騎上には、金髪金眼の天使が乗っていた。
「どうしたんですか、溜息なんてついて」
反対側から話しかけられて、シャルハはそちらを振り返る。
枝ぶりの良い木の下に用意された、木製のテーブルとチェア。その上に並ぶのはアフタヌーンティーセット。
ふっくらと焼きあがったマフィンやスコーン、そして大振りのイチゴを煮詰めたジャム、上品な匂いを漂わせる紅茶。
「こんなにいい天気なのに、溜息なんてついたらもったいないですよ」
隣国の王子、ユスランが微笑みながら紅茶を差し出す。
「退屈だ。ピクニックなんてボクの性分に合わない」
「そうなんですか?メイド長さんが、こんなに色々用意して下さったのに?」
「ボクがお淑やかなことをすると思って、張り切ったんだろう。何も前日にテーブルとチェアまで運ぶことはないのに」
「狩りの方がよかったですか?」
シャルハは小さく肩を竦めた。
婚約者選びのパーティで出会った隣国の王子は、悪い人間ではないものの、シャルハとは性格が異なりすぎる。
「君は狩りが性に合わないのだろう。他国の人間をもてなすのに、苦手なことをさせるわけにはいかない」
「僕は他国の人間というよりも、シャルハ女王の友人としてやってきているだけなのですが」
「そうか。だが周りはそう見ないからな」
黒い馬が低く嘶くと、白い馬が駆け寄ってきた。
互いの鼻先を擦りつける様子を見て、ユスランが嬉しそうにする。
「娘はトリステ君のことが気に入ったようです。トリステ君は彼女は?」
「え……いないんじゃないか。聞いたことも確認したこともない」
「まさか彼氏が」
「それも知らない」
「クレハはお転婆なので、トリステ君くらいどっしりとして落ち着きのある男の子のほうが良いかもしれないですね」
「シャルハー」
白い馬の上に立ち上がったウナが、シャルハに手を振る。
「この馬、とっても可愛いの。ウキウキしながら歩くし、蹄がキュート」
「流石天使様はお目が高い。娘の爪は毎日僕がオイルを塗り込み、手入れをしているんです」
馬を娘と言って憚らないユスランは、ウナの褒め言葉に誇らしげな顔をする。
「そなたは愛情深いね。でも毎日だと大変じゃない?」
「娘のためなら僕の手が多少傷つこうが、大したことではありません」
「だって、シャルハ」
「なぜボクに振る……。その変わり者を基準にされたら、世の中の殆どの馬を持つ人間は愛情深くないことになる」
隣国の王子を変わり者扱いするのは少々問題があるが、当の本人は褒め言葉だと解釈しているし、このところシャルハも遠慮がなくなっていた。
「我が女王も馬の事は大事にしているんだけど、私のことは大事にしてくれない」
「天使様、女王様は少し恥ずかしがり屋なのですよ」
「待て。ボクを置いて勝手に話を膨らませるな。ボクはウナにはこれ以上ないほど丁重に接しているつもりだが?」
ウナは眉間に皺をよせながら、シャルハの隣に飛び移る。
「私にとっても最大の敬意は、愛なの」
「だから、それが出来ないから別の事で補っているじゃないか。ピクニックだって連れてきてやっただろう」
「まぁそれは嬉しいけど。これはそなたの力じゃなくて、ユスランの力だからね」
「まぁまぁ、お二人とも。折角美味しいお菓子があるんですから」
ジャムをたっぷりつけたスコーンを、ユスランがウナに差し出す。
「はぁ……そなたの慈愛の一欠けらでも女王にあればいいのに」
「してもいいが、心は込めないぞ。いいのか」
「それは嫌だ」
「女王様もどうぞ」
同じようにスコーンが手渡される。
シャルハは礼を述べてそれを受け取った。
「しかし、君も物好きだな。隣国とは良好な関係を築いているとはいえ、こちらまで来るのは大変だろうに」
「自国にいてもやることがありませんし、この国には美しい風景が多いですから」
「当然。私の愛する国だもの」
ウナが自慢げに言う。シャルハはそれに関しては否定しなかった。
この国はウナによって豊かな実りを約束されており、そのためか国民の気性も穏やかな者が多い。
「で、今回はいつまで滞在を?」
「どうしましょう。クレハがこの国を気に入っているので、一週間ほどはいたいと思います」
「好きにすると良い。お父上から手紙と土産物まで頂いている以上はボクの客人だ」
パーティから二ヶ月が経つが、ユスランは足繁くシャルハの元に赴いていた。
娘を紹介する、と言ってクレハと言う名の白い馬を連れて来たのを皮切りに、何かと理由をつけてはシャルハに会いに来た。
クレハは繊細そうな整った顔立ちをしているため、城にいる馬たちが夢中になって求婚をしているとは馬舎係の言である。
また、珍しい白馬ということもあって、城下町では「白馬の王子様が女王様に会いに来ている」と専らの噂らしい。
「ねぇ、我が女王」
「何だ」
「そなたは料理出来ないの」
「王が料理をする理由はない」
「だから、そなたはまだ王として認められてないってば」
冷静に指摘されて、シャルハは黙り込む。
確かにシャルハは王になったが、それはあくまで人間の間の決め事である。ウナに認められて初めて本物の王になれる。
愛がないと王と認めないウナにとって、まだシャルハは仮初の王に過ぎない。
「シャルハの料理が食べたいなー」
「ボクに料理が出来ると思うのか」
「あれだけ剣捌きが出来るなら、ジャガイモくらい剥けるよ」
「剣でジャガイモが剥けるか。第一なんでボクが料理なんかしなくてはいけないんだ」
「え、だってご飯を作るって究極の愛情表現だよ」
ウナはさも当然と言わんばかりの口調だった。
「人は何か食べないと生きていけないでしょ。自分で作って食べることも出来るけど、それを誰かに委ねることも可能なわけ」
スコーンを齧りながら、ウナは饒舌に話し始めた。いつもながら不思議なことに、作法など無視した食べ方にも関わらず、食べかす一つ零れない。
「誰かにご飯を作る時、そこには相互の信頼関係がある。極端な話、料理を作る人が料理に毒を仕込むことだって出来る。だから毒見、なんてことをする人間もいるわけだけど」
「あぁ、よくありますねぇ」
「相手を信頼していたら、そもそもそういう発想にならない。出されたものを食べるのは、そういう意味で信頼の証とも言える。それに食べた物はその人の命になるわけだから、料理を作る人は、食べる人の命を支えるの」
「じゃあ巷で働く料理人は、実に愛情深いことになるな」
シャルハが茶化すように言うと、ウナは呆れたように眉を寄せた。
「捻くれてるなぁ。仕事は別物だよ」
「天使様、女王様は料理をしたくないので駄々をこねているんですよ」
「知ったような口をきくな。君だって出来ないだろう」
「僕は出来ますよ」
ユスランがなんでもないような調子で言ったので、シャルハは面食らう。
「料理をするのか」
「まぁ料理人のように手際よくは無理ですが。パンぐらいは焼けなければ恥ずかしいでしょう」
「恥ずか……」
「このスコーンを作るのに、小麦がどれだけ必要か、他に何を用意するべきかわかりますか?」
全く想像が付かないので、シャルハが黙り込んでいると、ユスランは優しい口調で続けた。
「王族に献上されるものは高級品が多い。国民が口にする小麦の質が落ちても、王族までそれが伝わることは少ないのです。自分で作ろうとすれば、小麦の値段の変動や、その質の変化もわかる。城下町での流行を知れば、流通の変化だって読むことが出来ます。たかが料理、されど料理です」
「う……」
「あ、勘違いしないでください。僕は女王様を責めているわけではありません。一つの考え方として受け止めていただければ」
天使と王子に切々と諭されて、シャルハは返す言葉もなかった。
幼少期から剣術と馬術に明け暮れて、女らしいことは一切しなかったし、周りもそれに文句を言わなかったから、シャルハの中で料理の価値は非常に低いものとなっていた。
「そなたの得意料理は?」
「お恥ずかしい。得意と言えるものはシチューくらいです」
「シチューは小麦とバターと野菜が入ってる。値段の変動や流通を知るにはいい料理だね」
「えぇ、それに滅多なことでは失敗しませんから」
「シャルハに教えてあげてよ。それで私はそのシチューを食べるの」
パーティの時のように二人で盛り上がるのを見て、シャルハは少し不機嫌になった。
それがウナに対するものなのか、ユスランに対するものなのかは不明だった。
「仲が良くて結構だな」
「あれ、妬いてるの?」
「妬いてなどいない」
「女王が料理出来ないことなんて予測してたから、そんなに落ち込まなくてもいいよ」
「どうせボクは剣術ぐらいしか取り柄がない、可愛げのない女だ」
テーブルに頬杖をついて、二人から顔を逸らす。
その様子を見て、ウナが困ったような声を出した。
「拗ねちゃった」
「僕が失礼なことを言ったせいでしょうか」
「人間って劣等感とか優越感で、いちいち浮き沈みするから、天使からすると、偶に不可解なんだよね。料理が出来ない劣等感を刺激しちゃったんだと思うけど」
「うーん……でも別に女らしくなくても、女王様は可愛らしいと思うのですが」
ユスランの言葉の後、暫く沈黙が流れた。
それを打ち破ったのは、呆気にとられたシャルハの声だった。
「何だって?」
「え?」
「今、なんて言った?」
「女王様は可愛らしいなぁと」
「はぁあああ!?」
草原にシャルハの声が響き渡る。
二頭の馬が、何事かと動きを止めて、自分たちの主人を振り返った。
「正気か」
「正気も何も……、そうじゃなければわざわざ国を越えて会いに来たりしません」
「君は国王にボクの婚約者として選ばれるために通っているのではないのか」
「え?」
ユスランはきょとんとした後で、「あー」と呻くように言った。
「僕は婚約者のパーティに呼ばれたわけではなく、父に挨拶に行くように言われただけですが。お会いした時にも、そう言いませんでしたか?」
「言ってたね」
ウナが今度はケーキに手を伸ばしながら言う。
「シャルハはコルセットがきつくて、あまり覚えてないみたいだけど」
「今更結婚などしなくても、この国とは国交が盛んですし。第一それが目的なら、パーティであんなに隅にいません」
「それはそうだが……だからパーティの時にいまいち話が合わなかったのか?」
「なるほど、やけに兄のことなど聞くから変だとは思っていました」
シャルハは思わず脱力して、テーブルに臥した。
「じゃあなんで君は此処に来るんだ」
「はぁ。それを僕の口から言わせるとは、女王様は罪深いですね」
「だってボクはこの通り、女性らしくもなければウナに王とも認められていない半人前だぞ。君にとって利益などないはずだ」
「利益がないと女王様に会ってはいけないのでしょうか。というかそれなら、そちらも一緒でしょう。第五王子などと会う必要などない。僕の誘いなんて簡単に断れるはずです」
「……そういえばそうだな」
そこでシャルハは違和感に気付いた。
何故、この男の誘いに乗って、あちこちに出かけているのか。特に深い考えもなく応じてきたが、どうして断らないのか。
自分で自分の行動に疑問を持つ。
「何故、ボクは君と出かけているんだろう」
「何ででしょうね」
ユスランはのんびりとした口調で言いながら、紅茶を注ぎなおす。
「でも女王様は僕のことを嫌いではないのでしょう?」
「……嫌いではないが」
「よかった」
笑みを浮かべる相手に、シャルハは自分の頬が少し熱を持つのを感じた。
よくわからないが、このまま此処にいることに脳が警告を出している気がした。
「少し散歩をしてくる」
そう言って立ち上がったシャルハに、ユスランが視線を上げる。
「あ、この先に素敵な花畑があるそうですよ」
「花畑よりもボクは滝のほうが好きだ」
「では滝に行きましょう」
「待て。なんでついてくることが前提なんだ」
「一緒に見た方が楽しいですよ」
ユスランが口笛を吹くと、クレハが近づいてきた。
「さぁ、滝に行こうね。素晴らしい滝だそうだから、きっとお前も気に入るよ」
「私も行く!今度はトリステに乗ろうっと」
シャルハが止める間もなく、二人は出発の準備を始めてしまった。
先に黒馬に乗ったウナが、シャルハを促したので、仕方なく馬に跨る。馬同士も何か友好を深めたのか、愛馬のトリステは上機嫌だった。
「調子が狂う……」
シャルハは手綱を引きつつ呟いたが、誰もそれを聞いてくれる者はいなかった。
この国にはいくつかの「絶景」がある。
中でもその滝は、人里から離れたところにあるため、隠れた名所として有名だった。
轟音を立てながら落ちる滝は細かな水しぶきを上げ、小さな虹を生み出し、滝の落ちる先には鳥たちが根城とする小さな島がある。
「此処は最初に天使が降り立った場所だと言われている。あの島には天使の足跡があるという話だが……」
滝を見下ろせる崖の上で、シャルハは説明をしながら、ウナに視線を向けた。
ウナは馬から降りて、滝を見下ろしていたが、視線に気付いて振り返る。
「どうなんだ、実際」
「知りたい?」
「気になるじゃないか」
「少なくとも、足跡云々は嘘だよ。私はそんなに重くない」
「まぁ、ウナは軽いというか、飛んでいるからな」
天使由来の場所は国内に点在する。
如何にも本当らしいものから、どう考えても眉唾なものまでさまざまであるが、王族はそれらを肯定も否定もしていなかった。
「わぁ、噂に違わず素晴らしいですね」
ユスランは興奮気味に滝を見ながら感嘆符を零す。
その傍らで馬も機嫌よく足踏みをしていた。
「かつて僕の国には天才画家と言われた、ジルという男がいたそうです。彼は大陸中の絶景を絵に描きましたが、中でも有名なのがこの国の滝の絵です」
「あぁ、その名は知っている。ボクも何点か見たことはあるが、まるで風景を切り取ったかのような絵だったな」
「えぇ。ですが肉眼で見ると、一層素晴らしいですね」
楽しそうなユスランを見て、シャルハは先ほどの嫉妬に似た何かが落ち着くのを感じた。
「君は絵とかは描くのか」
「いやぁ、道楽程度です。やはりあぁいうのは生まれ持った才能で左右される」
「そちらの国では芸術への造詣が深いと聞いた」
「あぁ、貴族階級が多いのと、国民が基本的に陽気なんですよ。そうだ、女王様も是非いらっしゃいませんか。きっと気に入りますよ」
「君の国に私が行くと、多分遊びにいくどころではなくなるだろうな」
隣国とは百年以上にわたって、良い付き合いを続けている。
赴いたところで問題とはならないだろうが、それなりの接待を受けることは必須だった。
「君への接待ももっと豪華なものにしたいのだが、如何せんお決まりのものばかりでね」
「僕はクレハ用の寝床を下さるだけで十分です」
「だが……」
「シャルハ、シャルハ」
滝の周りを飛び回って遊んでいたウナが、シャルハの元に戻ってきた。
「ユスランを接待するなら、私がしてあげる」
「ウナに何が出来るんだ」
「ふふん、愛され天使のウナ様に不可能はない。今日は気分もいいしね」
そう言ったと思うと、ウナは滝の下へと飛び降りる。
鳥たちに混じって楽しそうに歌いながら、小島に降り立ったウナは、両手を上に掲げて二人に手を振る。
「見ててねー!」
次の瞬間、ウナの周りの水が金色に輝き始めた。
それは瞬く間に滝を染め上げて、流れ落ちる黄金へと変える。虹はそれまでの七色に銀の輝きを得て、一層美しい色を放った。
「……すごい」
呆然と眺めながらユスランが呟く。
それは二人が今まで見たこともないほど美しい光景だった。
まるで天が祝福するような輝きが、周りの森までもを照らし、飛び交う鳥達が虹の輪を潜り抜ける。
「綺麗でしょ、綺麗でしょ」
再び崖の上に戻ってきたウナが、はしゃいだ声で言う。
暫し見惚れていた二人は、我に返ってウナを見た。
「素晴らしいです。天使様」
「こんなことが出来たなんて初耳だ。これが天使の祝福というものか?」
「まだこんなものじゃない。私の力はもっと強くなる。シャルハが私を愛してくれるならね」
「……ん?」
シャルハは少し引っかかって首を傾げた。
滝は段々と元の姿に戻っていく。
「私の愛情を認めてくれたから、力を見せてくれたんじゃないのか?」
「え、シャルハから愛情なんて全然感じないよ」
「なら何故。先王の愛は残っているけど、使わないと言っていたじゃないか」
「そのつもりだったんだけど、シャルハがあんまり鈍いから……、まぁちょっとした激励ってところかな」
「鈍い?」
「鈍いよねぇ、ユスラン」
「そうですねぇ」
また何やら二人だけで分かり合っている様子に、シャルハは複雑な想いを抱いていた。
翌日、ユスランはクレハと一緒に郊外に出かけると言い、城を後にした。
シャルハも公務があるために、その日は外出をしないことにしていたが、ルーティがあることを告げて来た。
「姫にお会いしたいという方がいらしています」
「約束はない」
「それが、あのパーティにいらしたお客人でして。是非とも姫にお会いしたいと」
「誰だ」
「隣国の騎士団長、ドルテ様でございます」
それはシャルハも名前だけはよく知っている騎士だった。
名門貴族の跡取りとして生まれ、戦場で数々の手柄を立て、隣国の国王の命を救ったこともあると言われる人物である。
「確か最近、王より領地を与えられたとか?」
「その通りです。パーティの際も姫に会いたかったようですが、どういうわけだか見つからなかったので、と」
あの時は、理由は不明だが豚の血を浴びてしまって、それどころではなかった。
パーティにも殆どおらず、しかもわざわざ訪ねて来たのを追い返すとなると、少々都合が悪い。
「因みにイルド大臣は既に謁見室に通しておられます」
「じゃあもう会うしかないじゃないか」
「ドルテ様は騎士団長の肩書に相応しい、武勲と騎士道の持ち主です。姫とも気が合うかと」
「それはボクが決めることだ」
「もっともです」
ルーティは慇懃に頭を下げる。
「ですが、花畑に行き、剣の稽古もしないような軟弱な男は趣味ではないと仰っていたではありませんか。結婚するなら自分と同じような勇ましき武人が良いと」
「う……」
「それとも、ユスラン王子が……」
「彼は関係ない!会えばいいんだろう、会えば!」
破れかぶれに叫んだシャルハだったが、ルーティはいつもの涼しい表情だった。
「それでは謁見室へ。その前にお召し物を変えてから……」
「わかってる!」
シャルハが部屋を出ていくと、公務用のテーブルの陰に隠れていたウナが現れた。
愛らしい口元を尖らせて、ルーティに抗議をする。
「どういうつもり?」
「ウナ様」
「私はユスランがいいと言った。覚えているでしょ」
「勿論、私はウナ様の意見に反対するつもりもありません。ですが、姫はどうも鈍すぎるうえに頑固者です。先王に悪い意味で似てしまったのでしょう」
ルーティの冷静な分析に、ウナは腕組をして唸る。
「それは確かに言えるかも」
「多少強引ではございますが、自覚をさせるのも大事です」
「でもシャルハがその騎士団長を気にいっちゃったらどうするの」
「余程、あの王子がお気に入りのようですね。ですが、ご安心下さい。姫については天使様よりも私が一番よく知っています」
「ほう、それでは狩りを楽しまれる」
「えぇ、特にこの時期は最高です。鷹狩を好むのですが、この鷹の羽で作った矢が、またよく飛ぶのですよ」
そろそろ慣れて来たドレス姿で、シャルハは隣国の騎士団長と向かい合って、紅茶を飲んでいた。
テーブルの上には絢爛豪華な食器や、贅の限りをつくした菓子などが並んでいる。
昨日、外で食べたものとは雲泥の差だった。
「女王様も狩りは好きだと伺いました」
「あぁ。馬に乗って野山を駆けるだけで気分が高揚する」
「素晴らしい。女性が狩りなんてと眉をひそめる老人も多いですが、俺から見れば実にくだらない。狩りは楽しんだ者が勝ちですからね」
「君は良い見分を持っているな」
久々に話の合う相手を得て、シャルハは普段よりも饒舌になっていた。
ドルテは背の高い偉丈夫で、赤い髪と日に焼けた肌が特徴的だった。弁は爽やかで、物腰も紳士的。何よりも趣味が合う。
少なくとも、花畑に行きたがるような男よりは。
「女王様は我が国にいらしたことは?」
「幼少期に行ったことがあるだけだ。そちらでは鉄の加工において素晴らしい技術があると聞いている」
「えぇ、特に鎧などについては軽くて丈夫、しかも細部の装飾までもこだわっています。女王様がご入用でしたら一つお贈りしましょう」
「戦があれば考えても良いが、幸い今は平和だからね。考えてはおこう」
「あぁ、確かに国勢も落ち着いていますね。良いことだと国王も仰っています」
相手と軍事や国交の話をしながら、「悪くない」とシャルハは感じていた。
こういう相手が理想だった。自分を女性と思って下に見ない、王として扱ってくれる人間が。
つまるところ敬意を示してくれる人間が目の前にいるということは、シャルハにとって喜ばしいことだった。
「ところで女王様」
話が剣術から馬術、弓術まで及んだところで、相手が言いにくそうに口を開いた。
「なんだ」
「今日はドレスをお召なのですね」
「貴殿が来たので、袖を通したが、どこかおかしいだろうか。何しろ未だに慣れていないから」
「変なところはございません。ただ、その……」
「ハッキリ言いたまえ」
「女王様にはいつものお召し物の方が似合うかと」
シャルハはその瞬間、馬から落ちた時のことを思い出した。
大した怪我もしなかったのに、落ちた瞬間に腰を打ったものだから、全身が痛くてたまらなかった。今思えば痺れていたのだろうが、小さい頃の語彙では、それが全て痛みになってしまったのだ。
「似合わないか」
「いえ、とんでもございません。ただ、いつも女王様の凛々しいお姿を見ていたものですから」
今の感情を言い表せる言葉を必死に探す。痛いとしか言えなかった子供時代でないのだから、沢山言葉はあるはずだった。
だがどうしてもうまくいかない。
ドレスなんて嫌いだった。コルセットは痛いし、スカートは長くて踝に絡みつく。おまけに華奢な靴は何処に体重をかけていいのか悩ましい。
男らしい恰好には慣れているし、女らしくない自分を認めてほしかったはずだ。
だから、今の言葉にシャルハは喜ばなければならないはずだった。
ドルテに笑い返して「そうだろう」とでも言ってしまえば良いのに、それがどうしても出来なかった。
「まぁ……今後必要になるかもしれないのでね」
「騎士姫のお姿をいつも遠くから見ておりました。銀色の甲冑に、青い首当てをした姿は美しかった」
「ありがとう」
何かが違う。
褒められているのに、それを望んでいたはずなのに、全く嬉しくなかった。
「ボクは……」
何か言わなければいけないと思って口を開いた時だった。
「失礼いたします」
ドアを開けて、ルーティが部屋の中に入ってきた。
「御歓談中、申し訳ございません。女王陛下を天使様がお呼びです」
「何の用事だ」
「ご公務でございます」
ルーティは表情を変えずに言い切った。
ドルテがその会話を聞いて、「それはいけない」と立ち上がる。
「公務の邪魔をしては申し訳ない。俺は退散します」
「まだゆっくりしていけば良いではないか」
「いえいえ、他にも挨拶をしてから帰りますので」
「……そうか。大してもてなしも出来ずに悪いことをした。非礼をお詫びする」
シャルハは丁寧に謝罪の言葉を述べると、ルーティを呼んだ。
「ドルテ騎士団長が御不自由ないように世話をしろ」
「畏まりました」
「それではドルテ殿、失礼をする。足りないものなどあれば、遠慮なくルーティに言いつけてくれ」
そして謁見室を後にしたシャルハは、未だに燻るものを心の中に秘めたまま、自分の部屋へと戻った。
ルーティが何も言わなかったということは、ウナは先ほどと変わらない場所にいるはずだった。
「ウナ」
部屋の扉を開けると、そこにはウナと、ユスランがいた。
思わずシャルハは数歩後ずさる。
「隣国の王子と言えど、人の留守に勝手に入るとは何事だ」
「私が呼んだの。文句ある?」
何故だか少々不機嫌なウナが言い返す。
だがシャルハも負けず劣らず不機嫌だったため、語気を強めた。
「何のためにだ」
「だってシャルハいないから遊び相手欲しかったの」
「じゃあボクまで呼ぶな」
「女王様はいないのかと僕が聞いたら、呼んでいただきまして」
「君か、原因は!」
扉を開けたまま言い争いをしているのも妙なので、シャルハは一度扉を閉めてから、二人に向き直った。
その時、ユスランが小さく首を傾げて口を開いた。
「今日はドレスなんですね」
「なんだ。似合わないだろう、どうせ」
「どうせって?」
「だから……、っ」
シャルハは不意に自分が言いたかったことを悟る。。
先ほど感じたものの正体が、何の前触れもなくシャルハの中に落ちて来たような感覚だった。
「君は男の格好をしたボクと、女の格好をしたボクと、どっちがいい」
「はい?」
「いいから答えろ」
シャルハが認めてほしかったのは、「男の格好をした自分」ではなかった。騎士姫でも半人前の王でもなく、ただ自分であるということを認めてほしかった。
女の格好をしなければ、そのことに気付かなかったかもしれない。しかし、コルセットにもドレスにも慣れて来た今、男の格好だけ認められるのは、シャルハの望んだ結果とは違っていた。
「お前の国の騎士団長は、女の格好をしたボクより、男の格好をしたボクのほうが好きだと言った。お前はどうなんだ」
「なんでドルテが急に出て来たんですか」
「質問に答えろ」
突然のシャルハの剣幕に、ユスランだけでなくウナも気圧されていた。
金色の瞳を見開いて、何事かと驚いているウナを、シャルハは一瞥する。
昨日、ウナは食べ物を作ることは究極の愛だと言った。誰かが作った料理には毒が入っているかもしれない。信頼している人間なら毒見は要らないと。
しかしそれは逆ではないかとシャルハは考える。
信頼しているから、毒が入っていないと安心するのではない。もし毒が入っているとしても、信頼しているから疑いもせずに口にする。
外をどんなに取り繕っても、それが本来の姿ではないだろうと毒見をされるより、どんな姿でも毒見なしで口にするのが愛なのかもしれない。
「そうですねぇ」
ユスランはゆっくりとした口調で言いながら、シャルハに近づく。
毛の長い絨毯を踏み分けるような足取りで、シャルハの間合いに入った。
「少なくとも、今の女王様はあまり好きじゃないですね」
そう言って右手を伸ばし、興奮しているシャルハの目尻に浮かんだ涙を拭い取った。
「笑っている方が可愛いです」
数秒の沈黙の後、シャルハは自分でも涙を拭いながら笑みを浮かべた。
「ボクの質問の答えじゃない」
「そんなこと考えたこともないので、答えようがないですね。白い馬が好きか、黒い馬が好きか、ぐらいのどうでも良いことです」
「ボクは黒い馬が好きだ」
「僕は白い馬が好きです。特に娘は可愛いです」
「どうでもよくないじゃないか」
二人して笑いあっていると、ウナがユスランの背後から顔を出した。
「シャルハ、何なの急に。なんで泣きながら笑ってるの?」
「ボクは毒見されたくないんだよ」
「何の話?」
きょとんとしているウナとは別に、ユスランはその意図に気付いて口角を片方だけ吊り上げた。
「女王様の毒であれば、僕は平らげて見せますよ」
「死ぬかもしれないぞ」
「望むところです」
「ちょっと、人間達!天使にわからない会話しないの!」
珍しく蚊帳の外に追い出された形となったウナが、慌てた声を出す。
それに応じる二人の声が混じり、賑やかなものとなった。
「姫にも困ったものですね」
扉の外の廊下。
室内の賑やかさに耳を傾けていたルーティは、相変わらずの鉄仮面で呟いた。
ドルテを見送ってから戻ってきたのだが、今は入らない方が良いだろうと判断してのことだった。
「そうやって手間がかかる癖に素直なのが、ご幼少の頃からの美点ではありますが。……これでガーセル卿がどう動くのかが見物ですね」
二人の仲は放っておいても良いだろうが、隣国の王子と婚約したという話が広まれば、反女王派は焦り始める。
昔から、王の伴侶は天使に認められることが唯一絶対の条件である。
二人が婚約するということは即ち、天使が女王のために婚約者を見分し、そして許可を下ろしたという事実に他ならない。
「諸外国の動向も気になりますが……」
女王の即位によって、他の国からは良い意味でも悪い意味でも注目されている。
少しでも弱みを見せれば、一気に崩されてもおかしくない。
ルーティは普段は殆ど表に出すことは無いが、この国を愛していたし、その国を守る王族の事も等しく敬愛していた。
美しいこの国を、戦争などという無粋なもので汚すわけにはいかない。まして国民達を苦しめたりする王など要らない。
「あの自己愛の塊のような男に、国を治めさせるなんて冗談じゃありません。頼りなくても、前例がなくても、姫以外に王はいないのです」
強い決意を口にして、ルーティはその場を後にする。
扉の向こう側では、まだ楽しそうな声が続いていたが、ルーティはまだその中に入るわけにはいかなかった。
END




